免許更新という異空間とまさし

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こないだ免許更新へ行ってきました。・・・機嫌が切れて半年もたったギリギリのタイミングで。いやほんと生きてく力が著しく欠如していてすみません。

免許がとても切れている

3か月ほど前、オットに、「ねーまいちゃん、この免許とても切れているよ。」と謎の日本語で指摘され、とても切れているとかいう表現がこの世であるわけないじゃないかと思い免許証を見てみたところ、全くもってとても切れていた。期限が。その時点で3か月ばかり。これはもう、とても切れている。

が。しかし。私が苦手な場所ランキングワースト3は、税務署、区役所、銀行、なんですけど、まあつまるところあらゆる事務手続きの生じる場所がことごとく苦手でして、できることならそれらの場所に近づかずに穏便に済ませたいと日々思いながら生活しておりまして、そういった私にとって免許更新センターなんてものは奥様もう。ワースト3に限りなく近い場所に君臨される場所なのである。自慢じゃないけど。いやほんとうに自慢じゃない。

で、生きていく力が著しく欠如している私は(それを人はズボラだと呼ぶのかもしれないがこれは生きていく力の欠如であって本人にはどうしようもできない事象なのである)できるだけ延ばし延ばしにしていた。その恐ろしい場所へ近づく日を。恐ろしい場所っていうのはつまるところ免許更新センターなんですけど。

しかしです。聞くところによると、免許失効後(失効という単語がなんとも自分のダメさ加減を表してくれている)半年以上経つと、何やらもっと面倒な手続きが必要になるらしい。ただただ免許更新センターへ行くのですらこんなに足が重かった私にとって、「何やらもっと面倒な手続き」とかいうものは恐ろしすぎる。「何やらもっと面倒な手続き」が何なのかをググる手間すら面倒くさいからググりはしないがとにかくめんど・・・じゃなくて恐ろしすぎる。

だからとうとう、更新へ行くことにした。5か月と3週間が過ぎた、ある晴れた日に。ものすごく、えらい。

世の中にはいろんな窓口がある

まずもってついて早々、受付がどこかがわからない。みんな並んでるけどそれが何かがわからない。何とかたどり着いた「失効した人」専用窓口のようなところで(世の中にはいろんな専用窓口がある)婦警さんに「なぜ失効してこんなにほったらかしておいたのですか。」というようなことを聞かれる。実際はそんな風には言われていないのですが、なんだか叱られたような気になる。

「大変申し訳ございません住所変更を(面倒で)しておらず、更新のハガキが自宅に届いておりませんでした。よって、期限が切れていることもさっぱり気づいておりませんでした。大変申し訳ございません。」

と申したところ(謝って済むのであればいくらでも謝る。大人だから。)「そうですね、住所変更をしないとハガキは届きませんね。きちんと変更してください。あと面倒だとばかり思うのは大人としてどうかと思いますよ。」と、言われる。(後半部分は言われていないが婦警さんの顔に書かれている)

「大変申し訳ございません以後気をつけます。しかし面倒だと思うのは私に生きていく力が著しく欠如している結果であって如何ともし難く存じます。」と、答える。(後半部分は口にはしていないが顔に書いておいた)

しかし婦警さんというのはおそらく、私のように生きていく力が著しく欠如している人(人はそれをズボラと呼ぶが)にきっとものすごく慣れていらっしゃるわけで、それ以降一切表情を変えず、ではこのまま写真撮影の窓口に進んでください。と、言われる。(世の中には本当にいろんな窓口がある)

その後、これをルーティンと呼ばずしてなんと呼ぶという流れに乗り、身を任せ、あれよあれよという間に、講習の教室に座らされていた。いかんせん私は免許を失効した立場であり、優良者講習ではなかったため(そういえば前までゴールドだったのにゴールドじゃなくなった。)1時間だったか1時間半だったかの講習の教室に座らされたわけですが。

なんというかそれが。ものすごく不思議な空間であった。

そしてまさしへ

ふつう「教室」というのは、何かしらの共通点を持つ人が集まる場である。小学校であれば、だいたいは同じ区域に住み、少なくとも年齢が同じ同級生が集まる。大学であれば、同じ受験を突破した、同じような偏差値の人が集まる。何らかのセミナーであれば、そのセミナーに興味を持つ人が集まる。TOEICの試験会場であれば、多かれ少なかれ英語を必要とする人が集まる。

しかしですね、免許の、しかも優良者でない講習というのは、これはもう本当すごいのです、老若男女問わず、バックグラウンドもおそらく様々で、東京に住んでいる人が大半であるとは思うけれどもとはいえ地域もバラバラで、ただ「車の免許を更新する」という目的のみで集まった人たちなわけです。車の免許なんて、さして珍しいものではないわけで、つまりそれに人を限定するような力はないわけで、そうするとまあ、なんかヤンキーっぽいお兄ちゃんやらきれいなお姉さんやらスーツ着たサラリーマンやら(仕事抜けてきてるのかな)おじいちゃんおばあちゃんやらもうほんといろいろ。この人たちが、教室に座って、前を見て、講義を受けるって、なかなかシュールじゃないか。と、思う。

でもすごいなあと思うのが、それでも別にその場は荒れないわけです。こんなの受けてられっかよ!みたいに怒鳴る人とかいないわけです。いや別に当たり前といえば当たり前ですが、それでもこんな赤の他人が集められて、ちゃんと真面目に講義を聞くってすごいよ、さすが日本。とか思いながら講義を受けているとさっぱり飽きなかった。すごい。

とか思いながら過ごした1時間後、事態は急展開を迎える。

なんと講師のおじいちゃんが「ではここでさだまさしの曲を1曲聞いて終わりにしたいと思います。」と、言い出したのである。えっなぜまさし。と、おそらく多くの人が戸惑ったと思うのですがさすが日本、どよめき一つ起こらない。

そこで私たちは、さだまさしの「償い」という曲を聴かされた。その、誰一人として知り合いがいない、共通項は「免許の更新」というだけの、薄すぎるつながりを持つ他人同士で、ただ、まさしを聴いて、そして、そのまま別れた。

ものすごくドラマチックな一日だったのだけれど、しかしすごいのは、これが毎日毎日毎日、そして何度も何度も何度も繰り返されているということである。あの教室では今日も、多分知らない誰かと誰かが、一緒にさだまさしを聴いているのである。それはちょっとすごい。

そうして手に入れた新しい免許ですが、まあペーパードライバーの私は今回も一度も使うことなく次の更新を迎えると思います。いるのかな、この免許。

※写真はすべてまさしっぽい私というわけではありません

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