【50音blog 】あ:アップルーーーAppleと自由について

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はじめに:50音ブログについて

セブ&ボホール旅行記はまだ続くのですが、ちょっと休憩。(休憩?)

50音ブログ、いっぱい「あ」のつく言葉を出していただいた皆さんありがとうございました。(お題は主にtwitterで募集しています。よろしければフォローしてくださいませ!@hannarry もちろん、インスタ or Facebook 経由のコメントでも大丈夫です、お待ちしております。)

50音ブログは、前に書いていたブログで、50音順にてきとうにお題を選んで、そこから連想されることを好き勝手に書く、というものです。書きたいことを書く、のも良いのだけれど、全然馴染みのないものとか思いつきのものから、いろいろ連想して書いてみると、思わぬ発見があったり、自分ってこんなことを考えていたのか、という気づきにつながったりして、なかなか面白かったのです。

旅行記だったり、インタビューだったり(こちらもまた進行中でございます)の合間に書いていくので、ちょっとした息抜きに読んでもらえると嬉しいです。

憧れの、Apple

と、いうわけで最初のお題は「あ」。今回は「Apple」

アッポーペンのアップルじゃなくて、Macを出すApple。まあ、アッポーペンのアップルか。

社会人になって一番最初に買ったのは、MacBookだった。Apple Storeも確か学生の頃にできたばかりで、そこに入るだけでちょっと最先端な気分になったのを覚えている。

でも、私が入社したのはちょうドメスティックな紙媒体の会社であって、Macを使うどころかとりあえずまだMOを使って広告入稿をしていた。(若い人知ってますか、MO…)CDでの入稿すら許されていなかった。というか私は1年前くらいまで、CDでの入稿が許されていることを知らなかった。

そんな環境で、Macが必要になる場面は、もちろんなかった。

そもそもリモートワークなんて言葉もなかったし、仕事は全て会社でしかできなかったわけで、Macを使ってできる仕事はその時の部署で皆無であった。

パソコンで絵を描いていたわけでもないし、家に帰ってそのMacを使うことと言ったら、mixiを見ることくらいい…(懐かしすぎて泣きそう。多分もうログインできない)あとは少しblogを書くくらい。

それでも、アップルマークに憧れた。そう、まさにあれは憧れのような気持ち。

TSUTAYA TOKYO ROPPONGI にあふれるアップルマーク

その頃私は遅番勤務がある部署にいて、週に1度ペースで、帰りが深夜の1時とか2時になることがあった。で、なんとなく手持ち無沙汰で、よく深夜に近所のTSUTAYA TOKYO ROPPONGIのスタバへ行ってぼーっと過ごしていた。(まだ代官山の蔦屋書店もなかった頃。)

深夜の六本木のスタバには、アップルマークを開いて何やら作業をしている人がたくさんいた。私にはその人たちが、ものすごく自由に見えた。実際のところはわからないけれど、とにかくサラリーマンの私にはそう見えた。(まあ、テレ朝の人だったのかもしれないけれど。)

会社に残っていやいや残業するんじゃなくて、好きな仕事なのか趣味なのか、とにかく好きなことに、その時間に没頭できる余裕があるように見えた。(まあ、テレ朝の人だったのかもしれないけれど。)

会社を辞めて「自由」になると

だけど会社を辞めてしばらくすると、朝、同じ時間に会社に行かないことを、なんだか落ち着かないなと思う日が数日続いた。全然仕事をしていない気になってきて、変な罪悪感すら感じる。

たぶん私は、サラリーマンの12年間の間にいつの間にか、「同じ時間に起きて同じ時間に家を出て同じ時間に会社に行くこと」それ自体を、「仕事」だと思い込むようになっていた。

けど、当たり前だけれど、それ自体は仕事でも何でもない。「会社へ行くこと」は、「仕事をすること」じゃない。

私はたぶんもうずっと前から、とにかく「自由」であることを大切にしたいと思っていた。それはたぶん、自分が自由じゃなかったからなんだろう。

もちろん、自分で自分の道を決めてきたし、高校だって大学だって就職だって、自分で好きなところを受けた。

でも、大きな組織の中で(それは会社に限らず学校でもそうなのかもしれない)、毎日同じ時間に起きて、同じ時間に家を出て、例えば同じ時間に保育園に駆け込み、同じ時間に仕事を終え、同じ時間にお迎えに行き…という日々は、たぶん思った以上に、私にとっては(あくまでも私にとっては)「自由」ではなかったのだ。それがともすれば「仕事そのもの」と勘違いしてしまうくらいになるなんて、そりゃもう自由からは程遠い。

守るべきものを、守るためにも自由でありたい

「自由」ってそんなレベルかよ!と、思う人もたくさんいると思う。わかる。だけど、私にとって一つの自由は、やっぱりそれなのだ。自分の人生と、そして人生につながる日々の小さな積み重ねを、自分で選んでいくこと。

「アップル」から連想するこの文章を書こうと決めた時、あの深夜の六本木のスタバで見たたくさんのアップルマークを思い出した。

あーやっぱりあれが、私にとっての自由そのものだなあ、と思う。

もちろん大人だから生きていく中で守るべきものはたくさんあって(それは法律であったり締め切りであったり家族であったり)それは守っていかなくちゃいけない。

でも、自分がやりたいことをしていくこと。やりたい仕事を、好きな時間に、好きな場所ですること。それは自分にとって、守るべきものを守る上でも大切なことなのだ。深夜の六本木でMac開いてカタカタできるための、あらゆる余裕を持っていたのだと思う、たぶん。(やらないけど、深夜の六本木でカタカタ。あくまで例えとして。)

なんというか12年間培ったサラリーマン精神はなかなか抜けないものですが、appleと共に自由な日々を生きていきたいわけです、ほんとwordとの互換性悪くて関係各所にご迷惑をおかけしていることはこの場を借りて深くお詫び申し上げますでもそれは天国のジョブズに言って!

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