日々は続く、それに、救われているーー命日に野球を観ていた話

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会ったことがあってもなくても、大切な人たちへ。

こういうことこそさらっと書きたい。

母の12回目(たぶん)の命日が過ぎました。この12年の間に、結婚したり、出産したり、会社辞めたり、妹が成人式を迎えたり、就職したり、まあそれなりにいろんなことがあった。

でもこの12年間を振り返ってみて、気持ちの面での一番大きな変化というのは、「母が亡くなったことに関して自分を責める気持ちがゼロになった。」ということに尽きるな、と思う。

そしてもしかしたらこの12年間は、その気持ちとの戦いだったのかもしれないな、と、少しだけ思う。

母が亡くなった日、私は朝から近所のスポーツセンターで1キロを泳いでいた。前日、弱気になった父から、「もう母さんダメかもしれない」と、電話があったばかりだった。

そういうことを言われると、私だってもちろん弱気になる。でも、無心に身体を動かしていると、「確かに、もう病気が完治することは難しいかもしれない。でも、ちょっとだけ体調がよくなって、みんなで最後に温泉に行ったりとか、そういうことは可能かもしれない。」と思えるようになった。

絶望感に押しつぶされそうな毎日で、そうやって小さな希望を見つけることは、今思えばすごく大切なことだった。そしてそれはきっと、身体を動かすことでクリアに見えてくるものだった。(その頃、とにかくプールでよく泳いでいた)だから父にも、「そういうことは言うもんじゃないよ。湯布院行けるかもしれないよ。少なくともそういう心持ちで過ごそう。」と電話をした。

でもその日、母は天国へ行ってしまった。

小さな希望を必死でつないで、毎日毎日襲ってくる絶望感を必死で押し返して、もちろん家族はみんな、とても頑張っていた。母自身も、見たことがないくらい弱気になってもそれでも、いつもユーモアを持っていた。(だから私はこの世で一番大切なものはユーモアだと信じている)

映画なら、ここで奇跡が起こるんだ、というくらい、みんな頑張っていた。ここで日々が失われてしまったら、この映画に救いが何もないじゃないか、というくらいに。

それでも、現実は、映画のようにはいかない。

小さな希望で日々を紡いでいても、それは、乱暴なまでに奪われてしまう。

病気だって、失恋だって、どんな悩みだって、「これ以上悪くなることはない」ということしか知らなかったのに、「どんどん悪くなって最後はもっと悪いことが起きる」ということがあると、初めて知った。いつでも、ここから日々は少しずつ良くなっていっていたのに。

理不尽なことが起きると、なんとか理由を探し出そうとする。そして理由探しのために、自分が悪かったことを見つけようとする。「私がダメだったからこうなったんだ」と思うことで、なんとか自分を納得させようとする。それはとても不健康なことだけど。

もし、母に健診を勧めていたら。もし、長女の私がもっと早く病気に気づいてあげていたら。

そういう気持ちが、いっぱい襲ってくる。

でも、12年間で気づいたのは、そういうのは全く、全然、意味がない、ということだ。

「あの時もし」なんていうのは、考えたところで何も生まない。そこにあるのは、目の前の現実だけだから。

そして残された人がそんな「もし」で頭をいっぱいにすることを、先にゆく人は、1ミリも望んでいないだろうと思うから。

「起こってしまったものは仕方ない」と、ただ受け止めることは、簡単にはいかないけれどもそれでも、すごく大切なのだ、たぶん。

大切な人を亡くした時、そして「なくすかもしれない」と思う、その絶望感は、言うまでもなくあまりにも大きい。

それでもやっぱり、残された人にできることは、先にゆく人と生きた時間を胸に、ただ、日々生きてゆくことだけだ。ただ生きること、それしかできない。

そして、「日々生きてゆく」ということは、どういうことなのかというと、毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、目の前の家族とただ笑いあうという、それだけの、ただそれだけのことなのだろうと思う。

今年の命日は、お墓まいりにもいかず、実家も帰らず、息子の習い事から帰った後、東京の自宅で家族みんなでダラダラとDAZNでヤクルトの試合を観ていた。(もちろんヤクルトは負けた。)

そこには、子どもたちのいつものケンカがあって、もうビールあけちゃったよ晩御飯作るのめんどくさいなあという、いつもの怠慢があって、それでも、まあなんか良い休日だなあと思える、何かがあった。

日々は続く。あの頃想像もしなかったようなことが起こったりも、する。(例えば、興味がなさすぎてルールすら知らなかったプロ野球を観るようになってファンクラブにまで入るとか。)でもそれはある意味において、とても素晴らしいことなのかもしれない。

あの日、これからも日々が続くことを、当たり前のように今年も来年も桜は咲くのだということを、心底辛く思ったけれど、それでも、続いてきたこの日々に、私は救われてきたのだろうと思う。

そこで出会った人たちや、生まれてきてくれた子どもたちや、あの頃は知らなかった小さな希望に支えられて。

今年、誰かとのさよならを抱えて、桜を見上げる誰かの、その痛みが、繰り返される日々の中で少しずつ癒されていきますように。

 

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