100%の力でやってみることを怖がらないようになりたい。

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「どれくらい頑張るのか」という問題

ずっと、努力を人に見せるのが恥ずかしいなあと思ってきた。というか、努力をしなくてもサラリとできることに憧れていた。もちろんもういい大人になって、そんなことはありえないと今ではわかるのだけれど。

もう一つ、「努力をするのがカッコ悪い」と思っていた(思い込もうとしていた)理由の一つに、「頑張ってしまうと、自分の限界が見えてしまうんじゃないか」という怖さがどこかにあったのだと思う。頑張って出来なかったということは、自分はそれ以上はできないということだ、と、自分の能力の限界を知ることが怖かったのかもしれない。

いつも80%にしておけば、失敗した時も、あと20%の力を出せば成功できていた「かもしれない」という、思い込みを残せる。その根拠のない自信の余白を残すために、どこかで頑張ることを恐れていたのかもしれない。

書いてみたら、なんとまあ恥ずかしい考え方なんだと思うのだけれど、そういう気持ちのバランスをとりながら、いろんなことに向き合ってきた部分はあると思う。

あと、これは私に限ったことだと本気で思うけれど、サラリーマンでいた時、どうしても出る杭になるのが怖い気持ちもどこかにあった。80%の力と、100%の力で、お給料も変わらない空間に身を置いていると、なんというかいろんな保険を考えて80%にとどめてしまいがちだった気がする。

もちろん、毎日毎日100%の力を出していたら人は簡単につぶれてしまう。緩急が大切で、いざという時に100%の力を出せるように、普段は緊張を緩めておくことも大切。だけど、きっと私はそのいざという時の100%そのものを、怖がっていたような、気がする。

いや、正直に言えば、今も少し、怖い。

大きな会社を辞めて、一人になった。その理由はいろいろあるけれど、「言い訳なしの個人の力でやっていきたい」という気持ちもあった。だけど、今まだ、その「個人の力」に向き合うのが怖いという気持ちが、残っているなと感じる。

会社にいれば、100%を一生出さなくても、食いっぱぐれることはなかったかもしれない。(これから厳しくはなってくると思うけれども。)でも一人になったからには、怖がる気持ちを克服しなきゃな、と思っている。

あれは高校受験の時だったか、刺繍が趣味だった母が、

「It’s better to regret doing something than to regret not doing it.」(やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい)

っていう言葉を入れた額をくれた。(ような気がする。)(うろおぼえ)

なんかまさに、その通りだと思う、34歳の春。15歳の春にその精神で頑張ってたはずなのに、もうすっかり忘れていたよ・・・。

なんだか踏ん張りどきな気がしている。恐れずに、いろんなことにチャレンジしてゆきたいな。そう、野球選手のように。(本当に野球のことしか考えてない。)ぐっとお腹に力を入れて。

 

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