2018秋の京都ーー東寺の帝釈天と弘法市

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いけめんに会いに

なんといっても仏像はひとけのない静かなところで見たいけれど、この日だけは別、そしてこのお寺だけは別、というのが「21日の東寺」である。

個人的に好きな仏像というのはだいたいとてもいけめんの仏像なのだけれど、ここの帝釈天は群を抜いている。いけめん度がすごい。

どれくらいいけめんかというと、こちら。

(写真は東寺ホームページよりお借りしました。)

はい、いけめん。現代にこんないけめんがいるだろうか、いや、いない。

周りの四天王が見事に邪鬼を踏んづける中、悠々と象に乗る帝釈天。なんだろうなあこの余裕。顔も身のこなしも全てがなんというか「完璧」なんである。整っている。シュッとしてる。

だけどこの帝釈天が素晴らしいのはやっぱり、それを「個」として見たときはもちろんなのだけれど、周りに全ての仏が「揃っている」からなのだ。

つまりそれが「立体曼荼羅」であるということなのだけれど、この立体空間において仏像たちが世界観を作り上げているその全てに圧倒される。あんな贅沢な空間はなかなかない。

というわけで本当に東寺の帝釈天は素晴らしいので京都に行かれるみなさまはぜひ見に行ってください。京都駅から東寺駅までは一駅です。歩いてもまあ行けます。タクシーなんて乗ったら一瞬です。帰りにふらりと寄ることもできるので、ぜひ。

月に一度、弘法市のお楽しみ

東寺のもう一つの素晴らしいところは、毎月21日に弘法市という縁日が開催されるところ。

↓見て、このレトロなホームページ。良い。

http://www.touji-ennichi.com/

この弘法市、その日が何曜日であれとにかく21日(弘法さんの月命日)に行われる。それが平日であれ週末であれ連休であれ夏休みであれ冬のあほ寒い日であれとにかく21日なのだ。例外はない。たぶん。

大学生の頃、21日に合わせて帰省して、よく母と二人で出かけては、2000円くらいの着物を買ってもらったりした。

久々の弘法市は、あの頃と全く変わっていなかった。海外からのお客さんが増えた気もするけれども、まあ昔から京都は海外のお客さんだらけだったのだ。

色とりどりの古い着物に心奪われたむすめが、「ほしい・・・!」と言う。いや、わかる。めっちゃわかる。欲しくなる。でも七五三も終わったしいつ着るのよ・・とぶつぶつ言いながら、お店の人とむすめサイズの着物を一応探してみる。

7歳の七五三に良さそうなものはあったけれど、さすがにそれは見送ることにして、むすめには100円のハギレセットを買う。にこにこうれしそうにしている。ちょろい。わたしのようだ。

それにしても、自分が母ときた場所に、自分のむすめと一緒に来るというのはなんだか不思議な感じがする。

古いものと、新しいものに思いを馳せつつ

おじちゃんが一人立っていた骨董屋さんで、おちょこを二つ買う。ガラスのものと陶器のもの。おちょこって、なかなか買う機会がないので、こういう時に買うと後から重宝する。というか旅先で買ったおちょこしかないな、我が家には。日本酒はやっぱりおちょこで飲むべきだ。当たり前だけど。

とにかく、とにかく古いモノが好きだなと思う。古い価値観は好きじゃないけれど、昔からずっと残ってきたモノには、なぜか心惹かれる。変わってゆくものと、変わらないものに思いをはせる。

京都は不思議な場所だなと帰るたびに思う。そこには確実に、東京にはない空気が流れる。古いものを抱きながら、新しいものを含んでゆくような。立ち止まりながら、少しずつ進むような。だけどそこにはきれいなものだけじゃなく、きっと多くの葛藤を含んでいる。それは空気となって少しだけ鋭く、例えば京都の冬のように、辺りに立ち込める。

もうすぐ京都で過ごした時間よりも、東京で過ごした時間の方が長くなる。私は何か変わったのだろうかと、古いおちょこを見ながら少しだけ、考える。

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