信じられないけれども膝にねこがいる

今、ねこを膝に乗せながらこれを書いている。信じられない。自分の人生にこんな瞬間がやってくるなんて。ねこ、かわいすぎる、ねこ。

発端、というか、最後に背中を押したのは、このエントリーである。→(【50音blog 】い:犬ーーー犬派と猫派に分かれている)頭の中にぼんやりとあった願望なり思いなりを、文字にした途端、輪郭がくっきりしてくるの、書く人あるある。

上記エントリーに書いた通り、私は犬を飼ったことはあるけれどもねこを飼ったことがなかったため、ねこを飼うにあたり一番おどろいたことそれは。

散歩に行かなくてもいい。

と、いうことだ。

ねこは、散歩に行かなくてもいい

いや、もちろん、外を歩いていて、リードでつながれて散歩しているねこなんて見たことは、ない。

ないのだけれど、ねこくらいのこうある程度の大きさがある動物というのは、外でのびのび過ごす時間が必要なんじゃないか、なんらかの形でみんな、外の空気を吸わせてあげてるんじゃないか、外で運動しているんじゃないかと、どこかでぼんやり思っていた。

一軒家であれば、もちろんお庭に出す時間が一定数あるもんだろう、と、思っていた。マンションでねこを飼っている人は、なんかものすごい広いバルコニーとかがあるんだろう、と、信じ込んでいた。だから、うちのような極狭マンションで飼われるねこなんていうのは、「かわいそう」なんじゃないか。と。

しかし。だ。

なんと、イマドキのねこは、「完全室内飼い」が推奨されていた。外には出さないでください!と、保護団体さんに誓約書も書かされた。おどろいた。(何これ常識?私が知らなかっただけ?)

ねこは、「テリトリー」を守ることを何より大切にする。危険な外には出さないで、むしろケージなど、ねこが安心できる場所を作ってあげてください、ときた。おどろいた。(何これ常識?私が知らなかっただけ?)

ひじき(ねこ)はこの世界で満足している

さて、実際にうちにやってきたねこ(ひじきといいます。女の子です。どう見ても美人です。)を見ていて思うのは、「ああ本当にこやつ、この狭い世界で十分満足しておる・・・」と、いうことである。

ニンゲンは、インターネットで世界はぐんと近くなり、近くなった分、あらゆる世界が見えてきて、世界は広いことを知り、「もっともっと」と思うようになってきたかもしれない。

SNSからはあらゆる情報と、あらゆる生活と、あらゆる駆け引きと、あらゆる承認欲求と、あらゆる粗探しと、あらゆる炎上が目に入ってくる。(はいあらゆるゲシュタルト崩壊)

そこを通して気になるのは、遠い世界のハリウッドスターじゃなくて、隣の人の生活、だったりするのかもしれない。いや待てそれってほんとうに世界が広がっているのか?どうなのか?と、思いながら生きている、かもしれない。

ねこになりたいし、確定申告はしたくない

だけど、そんな世界において、ねこときたら、2LDKのマンションの世界だけで(なんならまだ寝室に入ってこないので1LDKだけで)満足している・・・・・・・!!!!!となりのねこの生活なんぞ、知る由もがな・・・!!!!

ものすごく気まぐれに、だいたいほとんどお昼寝をして、甘えたい時だけ甘え、飽きたらプイッとどっかに行ってしまい、まあ、どっかいったところでまた寝てるだけなんやけど、そうやってただ、生きている。

ご飯は毎日同じカリカリで満足で、たまのチュールで気が狂ったかのように喜び、あとはまあ、寝ている。

もちろん、私たちは人間で、システムの中で生きており、教育と勤労と納税の義務がある。(・・・・・・・・・・・確定申告・・・・・・・・・・・・)年がら年中寝ているわけには多分いかない。

でも、なんか、ほんとはねこみたいな感じで、まあ、いいよな、と、思う。しあわせはこの2LDKの狭い部屋の陽だまりにあり、日々はカリカリを食べることとたまのチュールで喜ぶことで回っており、愛する人はこの2LDKに数人だけ。

外の(近くて遠い)世界と比べて、あれこれ求めすぎても仕方ない。人生の良いことなんて、だいたい手の届く範囲にあるものだ。

なんかいいよな、ねこ。と、思う。

だから、私はねこのように生きていたいし、心の底から、確定申告はしたくない。