伊豆旅行に出かけて、富士山を見ながら露天風呂に入っている時にふと思い出した。
大学四年生のとき、ゼミで河口湖に合宿へ行って、富士山がとてもとてもきれいに見えるカフェに立ち寄った。
カフェの内装がすごくお母さん好みで、私は富士山の写真と一緒に、「今度一緒に行こうね!」と、お母さんメールを送った。
だけどその翌年、お母さんの病気がわかって、あっという間にお母さんは亡くなった。
今でも富士山を見るたびに、あー一緒に行けなかったな、連れて行ってあげられなかったな、と思い出す。もちろん今でも、ちくりとする痛みとともに。
先日のジャンクスポーツのスペシャル番組で、再現VTRの高校生の頃の甲斐キャノン(ソフトバンクのキャッチャーです)に、お母さんが寝る間も惜しんで仕事してるなら洗濯くらい自分でしなよ!と突っ込んだ私ですが、実際のところ高校生の頃の私というのはあらゆることを専業主婦だったお母さんに任せっきりであった。
お弁当は毎日作ってもらっていたし、洗濯だって自分でなんてしてなかった。(ひどいむすめである。)
東京の大学に行きたいと言い出した私に、お母さんがまず言ったことは、「まいちゃんが一人で生活できるの・・・?」ということだった。これは今でもわりかし的を射た心配だと思っていて、35歳になった今も私は基本的に「生きていく力」に欠けている。たぶんこどもたちの方がしっかりしている。
まあそれでも東京の大学へ行きたかった私は、お父さんを味方につけ、最終的には「真っ先に賛成してあげられないのは親の責任だもんな」とまで言わせ、見事、東京の大学を受験する権利を得た。(ひどいむすめである。)
まあそんなだから、私が具体的にお母さんの役に立った、ということは皆無と言って良い。親孝行なんて、ほとんどできなかったと思う。
だから富士山が見えるカフェくらいまじで連れて行ってあげれば良かったのに、それすらもしなかったのだ。ほんとうにひどいむすめである。
だけど温泉に入って、そして目の前で温泉に浮かびアリエルになりきっているむすめを見ながら、私はふと思った。
あの時、娘である私から「今度一緒にここ行こう!」とメールが来たお母さんは、それだけでちょっと、いやめちゃくちゃ、うれしかったのかもしれないな、と。
ほんとうに行けるなんてことはなくても、もしかしたら実際には行かないだろうなとか思いながらでも、うれしかったのかもな、と。
もしむすめがいつか、そうやって私にメールを送ってくれたら、やっぱりすごく、うれしいだろうなと思うのだ。
温泉でアリエルになりきるむすめを見ていると(将来の夢が日替わりなのだけれどもとりあえず温泉旅行中は「おおきくなったらアリエルになりたい」と言っていた)、この子たちが生まれてきてくれた時点で、もう一生分の「親孝行」なんてしてくれたよな、と思う。親が子どもに求めることなんて、大してないのだ。元気で健康に過ごしてくれたらそれで十分だ。
親元を離れて自由に楽しく暮らしていて、ふとした瞬間に、「そういやお母さんこういうの好きだよな」と、思い出してくれたら、もうそれだけで言うことなんてない。
そんなことを考えていたら、なんとなく、胸につっかえていたものが、晴れたような気がした。「実感」として、それがわかった気がした。だからとりあえずむすめに、「ありがと」と言っておいた。よくわからないけれど、大切なことを気づかせてくれてありがとう。
いつだってなかなか、前を向くことは難しいけれど、ふとしたきっかけで、自分の中にすとん、と落ちることがある。
私はそれにとても時間がかかるけれど、一つ一つ、ほどいていけたらそれでいいなと思う。ゆっくりゆっくり、一つずつで良いのだ。時間は思っているよりもたぶん、たくさんあるから。