はたらくこと

100%の力でやってみることを怖がらないようになりたい。

「どれくらい頑張るのか」という問題

ずっと、努力を人に見せるのが恥ずかしいなあと思ってきた。というか、努力をしなくてもサラリとできることに憧れていた。もちろんもういい大人になって、そんなことはありえないと今ではわかるのだけれど。

もう一つ、「努力をするのがカッコ悪い」と思っていた(思い込もうとしていた)理由の一つに、「頑張ってしまうと、自分の限界が見えてしまうんじゃないか」という怖さがどこかにあったのだと思う。頑張って出来なかったということは、自分はそれ以上はできないということだ、と、自分の能力の限界を知ることが怖かったのかもしれない。

いつも80%にしておけば、失敗した時も、あと20%の力を出せば成功できていた「かもしれない」という、思い込みを残せる。その根拠のない自信の余白を残すために、どこかで頑張ることを恐れていたのかもしれない。

書いてみたら、なんとまあ恥ずかしい考え方なんだと思うのだけれど、そういう気持ちのバランスをとりながら、いろんなことに向き合ってきた部分はあると思う。

あと、これは私に限ったことだと本気で思うけれど、サラリーマンでいた時、どうしても出る杭になるのが怖い気持ちもどこかにあった。80%の力と、100%の力で、お給料も変わらない空間に身を置いていると、なんというかいろんな保険を考えて80%にとどめてしまいがちだった気がする。

もちろん、毎日毎日100%の力を出していたら人は簡単につぶれてしまう。緩急が大切で、いざという時に100%の力を出せるように、普段は緊張を緩めておくことも大切。だけど、きっと私はそのいざという時の100%そのものを、怖がっていたような、気がする。

いや、正直に言えば、今も少し、怖い。

大きな会社を辞めて、一人になった。その理由はいろいろあるけれど、「言い訳なしの個人の力でやっていきたい」という気持ちもあった。だけど、今まだ、その「個人の力」に向き合うのが怖いという気持ちが、残っているなと感じる。

会社にいれば、100%を一生出さなくても、食いっぱぐれることはなかったかもしれない。(これから厳しくはなってくると思うけれども。)でも一人になったからには、怖がる気持ちを克服しなきゃな、と思っている。

あれは高校受験の時だったか、刺繍が趣味だった母が、

「It’s better to regret doing something than to regret not doing it.」(やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい)

っていう言葉を入れた額をくれた。(ような気がする。)(うろおぼえ)

なんかまさに、その通りだと思う、34歳の春。15歳の春にその精神で頑張ってたはずなのに、もうすっかり忘れていたよ・・・。

なんだか踏ん張りどきな気がしている。恐れずに、いろんなことにチャレンジしてゆきたいな。そう、野球選手のように。(本当に野球のことしか考えてない。)ぐっとお腹に力を入れて。

 

ラクじゃないけど楽しい日々をーー子育てと仕事のプププ

消化試合の平日に思ふ

昨日、1日のうちに、「今日は金曜日だー」と、思って「いや待てまだ水曜だ、ありえん」と気づく、というのを、軽く7回くらいはやった。そんなわけで、金曜日が終わったはずなのにまだ平日という今日の消化試合感がハンパないですけれども私はなんとか生きています。

前職の後輩から、メールが届いた。私が担当していたクライアントを引き継いでくれている後輩女子なので、「仕事はどうですか、営業は大変だと思うけど・・」といったようなメールを返そうとして、いやいや待て待て、と、思いとどまった。

勝手に「そちらの仕事は大変だ」なんて決めつけちゃいけない。というか、大変だとか辛いだろうとか言われたら、無理にだって大変なところを探そうとしてしまう。そんなこと言ってくる先輩(というかもはや私は先輩でもなんでもないよく知らない女の人)なんていやだ。あーいやだいやだ。おせっかいおばさんにはなりたくない。

と、思いまして、「お仕事はどーですか。」と言うにとどめた。(でもそれは言っている)

そうすると、「みなさん本当に優しくて、デスクは松潤で(←これは私が今誇張しましたけれども本当に松潤なんです。そうですよね。)、楽しくやっています!」と、返信が来た。

・・・かわいい。いいよね、こういう、仕事に対して「楽しくやっています!」と言えること。

もちろん、大変な時に大変だと言えることとか、しんどい時にしんどいと言えるとか、SOSをちゃんと出せるというのはすごく大切だ。あと、思いっきりグチれるとか。(いつもグチを聞いてくれる人たちありがとうございます。)

それは大切なのだけれど、それとは別に、なんというかこう、「仕事ってしんどくて何ぼ」みたいな余計な考えが、頭に染み付いてしまっていることって、ある気がする。

その奥には、「自分がこんなにしんどいのだからあの人がしんどくないなんてありえない」とか、「あの人はあんなにしんどそうなのに、自分がしんどくないなんてどうなんだ」みたいな気持ちが、あったりもするのかも、しれない。

でもそういうのは、つくづく、意味がないどころか、結構有害な、考え方だと思うわけです。

ちょっと前に、「赤ちゃんのお世話が全然しんどくない」みたいな記事がプチ炎上しているのを目にしたことがあったのだけれど、これもまあ、しんどくないなんていいじゃないか素晴らしいことじゃないか、と、正直思ってしまったりも、した。もしもその奥に、「私の子育ても大変だったのだからみんな大変じゃないといや」という気持ちがあるとすれば、それはやっぱり、健全でないと思うから。(まあこれは色々複雑に絡まりあってそれだけじゃないのもわかるのだけれど)

他人に対してはもちろんだけれど、自分に対しても、しんどいこととか大変なことほど、ホンモノだ、勤勉だ、と考えてしまう呪縛のようなものからは、意識的に抜け出せるように、考え方を鍛えておきたいな、と思う。意外と、やっちゃいがちだから、どんな場面でも。

「楽しい」と、「ラク」は、違う。全然違う。楽しいことは、ラクすることじゃない。(まあ前述の炎上に関しては、「楽しい」じゃなくて「ラクじゃん!」と言われて、うぐぐ!となった人がたくさんいた、というのもわかるのだけれど、うん)

だから、できるだけ、大変だけど、楽しいなあ、と、思いながら、仕事も子育てもしていたい。間違っても、しんどいことこそ本質だと思ったり、楽しいことをどこかで恐れてしまうような、そういう考えのクセは持たないようにしたい。

・・・7歳児の反抗期はそりゃもうめっちゃ大変ですけどね毎日ピキピキしてますけどねそれでもあっという間に過ぎてくこの毎日を、プププってユーモアで笑いながら過ごしていきたいものです、プププ。

#MeToo の広がりに思う

イケ麺の先輩に囲まれつつ

#MeToo の広がりを見ながら、この業界で、たちの悪すぎるセクハラに遭わなかったのは、それはもう単純に、運が良かっただけなのかもしれない、とも思う。

セクハラどころか、私が会社を辞める決意をして、お世話になりまくった先輩に話そうと、「ちょっと話したいことがあるのでお時間ください」と、メールしてから、築地市場の名店、磯野屋にて「会社辞めます。」って話した時、先輩が言ってくれたのは、「びっくりした…すごいショックだけど、でも、話があるって言うから、すごいセクハラとかパワハラとか受けてるのかとか心配した。そうじゃなくて本当に良かった。」と、いうことだ。男前すぎませんか。本当、そういう人に囲まれて仕事をしてこられたんです、私は。

さっきも飲み会の相談を前職の先輩たちとLINEでしていて、「先輩に思いっきり幹事丸投げしてカップラーメン今すすってますすみません」って言ったら、「幹事は先輩がやるものだよ。」と返信が来た。男前か。イケ麺か。イケ麺っていうワーディングもいとも簡単に先輩から盗んだけど。

自分の感覚を絶対に絶対に若い子たちに受け継がない

だけど、そんな私において、今回のはあちゅうさんの告発を見た時、一番最初に感じたのは、「ああ、ありそう・・・」と、いうことだった。これはもう正直言って、はっきり言って、完全におかしいわ自分、と思う。

別の業界の友達は、「ひど!」「こわ!」「ありえない!」という反応だったのに、私の最初の感想ときたらこれだ。それはもう完全に、感覚が麻痺しているということだと思う。

自分が直接そんな被害を受けたわけではないけれど、やっぱり話として、身近で感じていた部分はあるのだと思う。

新入社員の頃は、あまりのカルチャーショックで体育会系のノリにいちいち疲れていたけれど(多分それはまともな反応)それでもだんだん、10年以上その業界にいて、変に慣れていってしまった部分はあるのだと思う。

そして自分自身、ある程度許容してきてしまった部分も、やっぱり少なからず、あると思う。もう少し、戦ってよかったんじゃないかなと思う部分もある。

でも今の私にできることというのは、自分の感覚が麻痺しつつあったことをまずはちゃんと自覚することだ。そして、若い女の子たちに、「ああ、ありそう・・・」だなんて感じさせちゃうような風習を、絶対に絶対に残さないことだ。

被害に遭った人が、どうか自分を責めないように

はあちゅうさんの、この言葉がすごくリアルだなと思う。中にいると、麻痺してしまうことがある。でも、声を挙げようと決めたはあちゅうさんの勇気がすごい。そして、声を挙げられないたくさんの被害者の人たちが、どうかどうか決して、自分を責めないように、と思う。

私の場合、自分が受けていた被害を我慢し、1人で克服しようとすることで、セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」

「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」

もうそんな風習が金輪際なくなりますように

そういう文化がものすごく近くにあって、もちろん、電通の人ともたくさんたくさん一緒にお仕事をしてきて、多分、12年間の間にもらった名刺は、電通のものが一番多かったと思うのだけれど。

その中には、私が人として本当に好きな人もいっぱいいる。一緒に仕事をしていて楽しかった人、プライベートの話もいっぱいした人、真剣に相談に乗ってくれた人。心から、仕事を通じて何かを変えようとしている人。仕事が大好きな人。色んな人がいる。

だからこそ、もう、悪い風習は、金輪際なくなりますように、と思う。悪者の象徴のように、「電通」という名前が使われるなんて悲しいことが、なくなりますようにと思う。

もちろん、その会社だけじゃない、同じ業界の会社全て、共に仕事をするメディア全て、クライアントとなる企業全てで、そんなことがなくなりますようにと。

組織を信じられるようになっていきたい

あと、セクハラとかパワハラがない文化というのは絶対にあると、信じ…られるようになりたい。例えば今回の記事を載せたbuzz feedにはそんな文化がないと信じたい。そういう組織は、作れるんだと、信じたい。そういうところに身を置いていなかったから、どこかで今も、なんというか組織的なものを信じられない部分があるのだけれど、そうじゃないと、信じていけるようになりたい。

たくさんの、#MeToo の人たちがそう思えますように。

自分が悪いわけじゃないと、心から思えますように。

私もまだまだ、できることをやっていかなきゃ。

退職金を握りしめてママ友と銀座久兵衛でお寿司を食べてきた

お寿司と指輪は自分で買おう

西原理恵子さんが、「お寿司と指輪は自分で買おう」とおっしゃっていたので、退職金を握りしめて銀座の久兵衛へ行ってきました。ものすごくオトナだ。でも想像以上にこのオトナ経験が素晴らしかったので、記しておきます。

24歳の時に早まって(だまされていたのであろうか)結婚し、26歳の時に運良く(それは運良く)息子が生まれてきてくれたので、なんというか東カレ(東京カレンダー)的生活を送る時間がものすごく短かったように思う。今思えば。私をだました(知らんけど)港区サラリーマンのオットは私を一度もカウンターのお寿司になんぞ連れて行ってくれなかったそういえば。まあその頃オットも25歳だったわけだけれど。(でも遊びほーけてましたよね)

だから何ってわけでもないのですが、そういえば、カウンターでお寿司をいただくなんていう経験をほとんどせずに34歳になったのだな、と、ふと思った。仕事で行くパーティーで、ホテルの広い会場に来ている久兵衛のお寿司を食べることはあれど、ちゃんとお店に行ったことはなかった。

妊娠して出産して授乳していると6年くらいはあっという間に過ぎる。

けどどういう話の流れだったかはさっぱり忘れてしまったのだけれど、第一子の育休中に、同じ時期に出産したママ友と、ツイッターだったか何かで、「復職したら久兵衛のお寿司食べに行こーよ。」と、話していた。もうそれは軽口程度のものだったのだけれど、「久兵衛でお寿司。」というワーディング(マーケティング用語)だけはなんだかずっと自分に残っていた。

ただご存知の通り、妊娠→授乳中はお酒を飲めないわけです。軽くそう言いますけど、例えば1歳まで授乳したとしても約2年は禁酒なわけです。うちの子たちは1歳半〜2歳くらいまで授乳してたので、1人につき2年半〜3年くらい禁酒してたわけです、わかりますかこれすごいですよねパパの皆様。

そうすると、慌ただしく、毎日は過ぎていく。毎日どころか、6年くらいが過ぎていった。妊娠して出産して授乳しているとなんだかんだしているうちに6年くらいはあっという間に過ぎてしまうのだ。まじで。

独立したしというわけで、6年越しの約束を叶える!

そんなこんなで約束してから6年くらいが過ぎた今年の誕生日、FBにその友達がメッセージをくれた。お誕生日おめでとう、そろそろ久兵衛行こうよ!と。そしてそれはたまたま私が会社を辞めたタイミングで、「行こう!会社辞めてフリーになったから!」というと、「まじで!それはますますお祝いしなきゃじゃん、久兵衛じゃん!」ということで、6年ごしの約束が叶うことに、なった。そして同業の友達がさらりと予約してくれた。かっこいい。

しかし、決まったはいいものの。行き先は久兵衛。そもそも無職の私が行っていいのか?とか、最近ふざけた格好しかしてないけどこんな服で行っていいのか?とか、銀座のお寿司屋さんには一般人にはわからないマナーが山ほどあって一見さんが行ったらいけずされるんじゃないの?とか、色々頭をよぎる。(京都人)

だいたいいくらするのかもわからない、ので、友達と、とりあえず3万下ろしていこう、足りなくなったらそのまま久兵衛で働こう。と、約束した。(無職だしわたし。)

3万円握りしめていざ行かん久兵衛

でもさ。実際に行ってみたら。久兵衛ときたら最高であった。

緊張するから一人で入れない!と、友達が来るのをお店の前で待っていた私ですが、まず案内してくれた着物の女性がすごくフランクに話しかけてくれて、拍子抜けした。

掘りごたつのカウンターに案内してもらったのだけれど、そこで握っていた職人さんがまたとても気さくな方で、「出産してから6、7年ぶりに約束が叶って念願の久兵衛なんです!」って言ったら「へー二人とも小学生のお母さんなの!見えないね!」とかなんとか言ってくれるもんやから調子に乗って「大将さいこう久兵衛さいこう!」とか言ってそのままのテンションで話しかけ続けた。

久兵衛でママ友とする仕事の話、は最高だった

近しい業種で仕事をしていた友達と、仕事の話をしながら、なんかこういう日が来るとは思わなかったなあと、ちょっと思った。育休中は子どもを連れていろんなところへ行って、子どもを追いかけながら離乳食の話をして、それが6年経ったら、久兵衛で日本酒飲みながらお寿司を食べて、お互いの仕事の話をしている。そして最近会う人がほんとみんなそうなのだけれど、「こんな仕事あるよ!やってみたら?」ということを言ってくれる。

そこには私のまだまだ知らない世界がたくさんあって、わくわくするかけらのようなものがたくさん広がっている。自由になったんだなあと少し思う。

そしてそういうきゃっきゃはしゃぐ私たちを、久兵衛の人たちはとても良い距離感で相手をしてくれた。私は大げさじゃなくて、これが一流だ!と、思った。

隣に座るお客さんとの距離感も程よくて(たまに会話したりしてそれも楽しい)、職人さんとの会話もほどよく楽しくて、何より、6年ごしの約束を叶えた友達との会話があまりにも楽しくて、つい日本酒飲みすぎた、久兵衛なのに。

続いていくために、守るべき大切なものと、柔軟に変えていくもの

「伝統だ」「マナーだ」「暗黙の了解だ」という「空気感」は日本にたくさんあると思う。当然、世界の久兵衛さんだって伝統を大切にしているだろうと思う。だけど、それでも、退職金を握りしめて初めて久兵衛に来ましたという私たちに、すごくあたたかく接してくれた。写真もどんどん撮っていいよ!あの人も撮っていいよ!とか言いながら若い職人さんが大将を指差して、大将がポーズとってくれたりした。

「こんなマナーも知らないの」というような雰囲気は、周りのお客さん含めて一切なかった。それってすごいな、と私は思った。大切なものを見たな、となんか少し思った。いいものは、いい。そして続いていけるのは、守るべき大切なものと同時に、柔軟に変えてきたものがあるからだ。

そうそう、お会計も3万は全くしなかった。春のカットソー1枚分くらいだ。人生には洋服以外にこういうお金の使い方があるのか!と知った、私、34歳。

退職金握りしめて銀座のお寿司屋さんに行ったら、大切なものをたくさん教えてもらった、というお話。

でも私、久兵衛で日本酒飲みすぎてめっちゃ酔ったからやっぱりまだまだだ。いつかもっとスマートに食べられるようになりたい。むすめに、「大人になっていつかむすめに好きな人ができたら、3人で一緒にお寿司食べに行こうね。」と言ったらめっちゃ喜んでいたのでこれも十数年越しになるだろうけどちゃんと叶えてあげよう。きっと世界の久兵衛さんはその時にも柔軟にずっとあると思うから。

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誰かの「違い」に寛容でありたいな、と思う

復職してからの6年で働くお母さんの環境は変わったか

第一子を出産して復職してから、丸6年が過ぎた。(丸6年が過ぎて、会社を辞めたけど)

この6年の間に、働くお母さんを取り巻く環境が、大きく変わったかというと、実感としては、まあそんなに変わらないな、という感じがある。保育園は相変わらず全入ではなく、むしろ働くお母さんは増え続け、「保活」という言葉が生まれ、希望の園には入れない、という状況は続いている。

そして9月まで働いていた会社の制度が、この6年で大きく変わったかというと、大きく変わったものはそんなに思い浮かばない。時短をとれる期間が少し伸びたこと(たぶん)、あと、かなり制限が多いけれども在宅勤務が一部認められるようになったことが、変化といえば変化だと思う。(在宅勤務がもっと進めばそれは大きな変化になると個人的には思っているけれど)

でも自分の心持ちは変わった気がする

それでも私はこの6年間の間に、自分の心持ちとしては、すごく変化してきたなと思っている。それは自分が、変わったということかもしれない。

熊本の議員さんが、赤ちゃんを連れて議会に出席したことがものすごおおく話題になっている。いろんな議論が巻き起こっている。私はこれに関しては、「子連れ会議OK」の立場です。けど私、自分がこういう立場だと、きちんと言えるようになったこと、それがもしかして、すごく大きな変化なんじゃないかなと思っている。

6年前、復職したばかりの頃なら、そして一人目を妊娠中の時ならば、絶対に「子連れ会議OK」の立場だ、なんて言えなかったと思う。たぶん、それはダメだろう、と、思ってしまっていたと思う。本心では、そりゃ連れて行けるならそれに越したことはないとどこかで思いながら、「そんなもの認めちゃいけない、そんな風に甘えちゃいけない」という思いが、自分の中のどこかに、ずっとあったと思う。

妊娠したこと、子どもを出産したこと、そして子どもを預けて働くこと。それを心のどこかでハンデのように思っていて、罪悪感を持っていた。

「罪悪感」を少しずつなくしてくれたもの

たぶんこの6年間、一番大きかったものは、制度でもなんでもなく、この「罪悪感」との戦いだったように思う。それは、周りの声じゃなく、自分の中にあったものだ。周りの目ではなく、自分の中で渦巻いていた感情だ。

もちろん、いろんな考えの人がいて、熊本の議員さんの件でも見て心が痛くなるような批判も多くあって、「仕事に子育ての事情を持ち込むな」という考えの人だって周りにいただろうとは思う。でもそれを、必要以上に恐れていたのは、他ならぬ自分だったのだ。

制度がどれだけ整っていたとしても、自分がこの罪悪感を持っていたら、スムーズに働くことはできない。自分を、認めてあげることができない。

だけど6年の間に、少しずつ、働くことを認めてこられたような気がする。それはやっぱり、周りの人たちのさりげない気遣いに気づいたり、思っているよりも誰も自分を迷惑がってなんていないな、と感じる場面がたくさんあったからだ。本当に、本当に小さな些細なことでも、嬉しかった。退社の時に、「お迎え頑張って!」と言ってもらえることとか、そういう積み重ねが、少しずつ自分を強くしてくれたように思う。

周りのおかげで自分がそうして変わっていくと、少しずつ、今度はまた周りの人たちも変わってきたように感じていた。

例えばいい意味で、気を遣われなくなってきたなと感じる場面が多くなってきた。最初は、ここまでふって大丈夫?と、恐る恐る振られていた仕事が、最後の方は、まあとにかくこれやっといて、時間配分は任せるから!といった感じで、ざっくり振られていた。自分は時短だから、お母さんだから、と、仕事の上で気にすることが、どんどん減っていった。それはとても良い変化だったなと思う。

これは、相乗効果だったなと思う。周りの人たちに勇気づけられて、自分が自分の違いを認められて、仕事もスムーズに回るようになってきた。

事情が異なることは、性格が異なることと同じ

子育てだけじゃなくて、身体や心の病気を抱える人や、病気から復職した人、障がいを持つ人。なんらかのハンデを抱える人は、多分、周り以上にずっとずっと、自分が「罪悪感」を抱えがちだと思う。その時一番辛いのは、周りの「謙虚でいなきゃいけない」というプレッシャーだ。いや、「プレッシャーを感じる自分自身」だ。

だけどそれは本当は、「ハンデ」じゃなく「個性」のはずだ。人それぞれ性格が異なることと、事情が異なることは、同じこと。あなたの好きなものと、私の好きなものが違う。あなたが抱える事情と、私が抱える事情が違う。でも、それだからこそ、違うものが合わさるからこそ、自分には作れない何かを、誰かと、組織と、作っていけるのだ。一番大切な前提は、そこだと思う。

「初めてのもの」や「異なる」ものを、人は最初たぶん、少し恐れてしまう。パラリンピック選手の動きから、最初少し目をそらしてしまうように。でもよく見るとそこには、個性を生かした強さが見えるはずだ。「かわいそう」なんかじゃない力強さが、そこから感じられるはずだ。メルケル首相だって言っていた。「なんだって、すべてのものは最初は初めてだったのよ」と。(なんかそんな感じのこと。)

自分の「違い」と誰かの「違い」を認め合いたい

自分の持つ「違い」を、強さだと、個性だと認めてあげれば、他者の「違い」にも、恐れず向き合える。そして、自分の強さを、個性を、きちんと認めて他者と接したら、きっとその人も、その違いを認めてくれると信じたい。

だから自分と違う事情を持つ誰かに「お迎え頑張って!」って言ってあげられる寛容さを私も持っていたい。「預け先がなければ仕事場にお子さん連れて来てくださいね。」と言いたい。

きっとこれから、少しずつでも、働くお母さんを取り巻く環境は変わってくると思う。その時大切なのは、働くお母さん自身の心持ちでもあると思う。どんな立場であったとしても、その時は「弱者」と呼ばれる立場だったとしても、ちゃんと、言いたいことを言えること。罪悪感に押しつぶされないこと。そしてお母さんたち自身が、他者の「違い」にも寛容であること。そこから生まれる力を信じること。

まずは自分の周りから少しずつ。明日からでも変わっていけると信じて。

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苦手なものを認めちゃえる勇気

とっちらかった壮大なものを片付けられない

キャンプのことを書きながら、私はもんのすごい真実にさらりと気づいてしまった気がするのでそこをちょっと深く考えてみようと思った次第であります。

そう、私はとっちらかった壮大なものを、一つ一つ片付けていく道筋を頭の中で考えるのがものすごく苦手だ。

家の中のあちこちが散らかっていて、洗濯物も取り入れなきゃいけない、食器も洗わなきゃいけない、机の上も片付けなきゃいけない、床のごみも拾わなきゃいけない、玄関の靴も揃えなきゃいけない・・・という状態になるとつくづく嫌になってしまう。それらを一つ一つ片付けていく図が、頭の中でどうも思い描けないから。

頭の中で全部を計画できないので、洗濯物を取り入れながら床に落ちてたごみに気づきそれをゴミ箱に捨てに行った時に玄関の靴が目に入りそれを揃えていたら洗濯物のことをすっかり忘れていた、ということがしょっちゅうある。生きてく力がまあとことん、ない。

そして、ああ洗濯物も取り入れてない、床の掃除もまだ終わってない、あれもこれも中途半端だ・・・と思ってげんなりする。

todoリストに細かいことも全部書き出してアウトルックに入れる

この、「あれもこれもまだできてない、あれもやらやなきゃ」と頭の中にある状態がすごく嫌で、仕事の時は、時短勤務になってからは特に、朝会社に着いたらまず、やるべきことをどんな細かいことも全部リストにしてノートに書き出して、それを片っ端からアウトルックの予定表に入れるようにしていた。

そうしておくと、とにかくその時間は、目の前のやるべきことに集中出来る。「あれもやらなきゃこれもやらなきゃ」の内容は、全部アウトルックに入っていて、その時間が来ればやればいいので、「今」はそのことを気にすることはない。

これは、とにかく時間内で効率よく仕事を終わらせるため、そして仕事上関わりのある人たちにできるだけ迷惑をかけないようにするため、自然と見つけて行ったやり方だったのだけれど、ただいざ会社を辞めて後から振り返ってみると、これはすごく自分に合っていたのだなあと思う。

自宅作業になったらお昼寝しかしなくなった(だめ)

自宅で仕事や作業をするようになってからは、時短勤務で時間に分かりやすい制限があるわけでもないし、毎日人に会うわけではなくてそんなに迷惑をかける人も一見いないように思えていたから、やることを全部書き出して、なんてことはしないようになっていた。

そうするともう。家にいたら家事もやらなきゃでも仕事もやらなきゃという状態になりとりあえず全部いやになり一旦置いておいてお昼寝しようそうしよう、ということになる。だめ人間ばんざい。すやすやすや。

いやお昼寝は自宅で仕事する人の特権だと思いますので全然いいのですが、問題は自分の気持ちが落ち着かないということですよね。「誰にも迷惑かけない」と思っていたけれど、結局知らず知らずいらいらして家族には迷惑をかけている、かもしれない。

でもこれ、「そうだよな私はそれが苦手だよな、ほんとできないわそれ。」と、気付いたら、なんというかちょっと大げさですが世界が変わって見えたのですよええ。

家事という壮大なとっちらかしにこそtodoリストを

「苦手だわ」と、ちゃんと認めると、じゃあどうやってそれを補おうか、と、考える。人に頼るでもいいし、自分なりに何かしら工夫をするでも良い。

家事なんていうのはこの「壮大なとっちらかしを一つ一つ片付けていく」の繰り返しなので、私の場合、仕事以上にストレスのかかることだったわけです、ほんとは。でもたぶん、心のどこかで「家事は仕事よりも楽なもの」と思ってしまっていて、仕事でやるように全部to doに書き出してアウトルックに入れる、なんてことは思いつきもしなかった。

鼻歌歌いながらひらりひらりと舞うようにこなしていけるもの、というイメージだった、家事って。

でも(あくまでも私の場合はですが)、そんな舞うようにこなしていけるものでは、全くない。ので、仕事と同じようにtodoに書き出すことにしました。もう完全に仕事と同じやり方です。だいたいにおいて「仕事する」ということがえらく好きな人間なので(たぶんこれも病気。仕事好き病。)、仕事だと思うと結構いろんなことが苦にならなくなるという特性も使っている。

todoリストは、仕事と一緒に並べて書く、というところがポイント。そうすれば仕事をしながら家事のことをあれもやらなきゃこれもやらなきゃ・・と考えなくて済むから。家で仕事してるとその辺りがごっちゃになって落ち着かなかったので。

これが私にとっての「苦手なことに対するささやかな工夫」です。家事が得意な人にとったら、そんなtodoにするなんて大げさな!ということかもしれないけれど、人と私は違うわけで、自分は自分にとってのベストなやり方を探すしかない。

それが苦手であることは、悪いことじゃない

そして、それが「苦手」であることは、別に何も悪いことじゃないのだ、というのもまた大切なこと。自分にとって苦手なことが、誰かにとって得意であることは山ほどあるし、それはその誰かにとって大切な仕事となりうる。逆に誰かにとって苦手なことが、自分にとっては得意なことだってある。

例えば、アウトルックにやることを全部入れたところで、もちろん、予定通りにいかないこともあるというか予定通りにいかないことがほとんどなのだけれど、「予定外のことが起きた時の対処」というのは自分にとっては全然苦になることではないしむしろワクワクするところがある。でもきっと、そういうのが苦手な人もいると思う。「壮大なとっちらかし」を頭の中で筋道立てて片付けていけるのは得意だけれど、途中で予定外のことが起こるのは苦手、という人はとても良いビジネスパートナーになれると思いますのでご連絡お待ちしております。

ただ、苦手だからしょうがない、だと、例えば仕事上の取引相手に迷惑がかかるかもしれないし、家族がいやな思いをするかもしれないから、そこでどう工夫していけるか考えるというのが、「親切」というものだと思う。

人前で話すのは苦手だから、まずは書いてみる

これまでも、あー私これが苦手だ、という気づきは今まででも結構大きなポイントになっていて、例えば私は人前で話すのがすごく苦手です。そんなあほな、とよく言われるけれども基本的にはたいへん苦手です。

人前で話しながら自分の考えをまとめていくということがまったくできない。たまたまオットは天才的な聞き手なので、オットに話している時は話しながら自分の考えがまとまっていくという感覚があるのだけれど、基本的には一人で話していたってさっぱり考えはまとまらない。

一方で私は書きながらいつも、ああ私ってこう考えていたのだなあ、とやっとまとめていける人間なので、人前で話す必要がある時は、基本的に一度全部話すことを文字に書いて読み上げるようにしている。この工夫はここ数年でやっとできるようになったのだけれど。

「天使なんかじゃない」という名作漫画で、というか私は漫画をほとんど読まないので「てんない」くらいしか覚えている漫画はないのだけれど、この漫画で、主人公の翠ちゃんが卒業式で「実はこの答辞は白紙です。その時に思ったことをそのまま言葉にしたくて。」みたいなことを言うんですありましたよねそんなシーン。

あのシーンがすごく好きで、翠ちゃんがほんとにその時の思いをそのまま言葉にするのが感動的で、幼い頃から私は、そうか本当に伝えたいことは、その時頭に浮かんだことをそのまま伝えればいいんだ、と、思いながら生きてきた。

のですが。

向かないのだ、それは私には。思ったことをその場で口にしようと思うと、結局何が言いたいかよくわからないようになってくる。翠ちゃんの答辞はものすごく感動的であれはすごく好きなシーンだけれど、それは漫画の中で翠ちゃんだからこそできたことだ。

だからロボットよ確定申告を・・・

私の場合は、「書く」クッションがとにかく必要。そんなわけで、会社を辞めるときの最後の挨拶も、実はあれも前の晩に一度文字にして書いていますええ。それを、何度も読んでます、ええ。子どもたちを聴衆にして。

そしたらそれを聞いてたむすめ(4歳)が号泣したのです、ほんとに。最初ものすんごい涙をこらえて、歯を食いしばって、最後がまんできなくて椅子から転げ落ちるようにして泣いた。いやあれはびっくりした。まあ爆笑したけど私。(ひどいやかーさん)

もちろん4歳児に、「会社を辞めるときの大人の気持ち」が理解できたわけはない。でもたぶん4歳児にも、私がその時会社を辞めることがすごく寂しくて、いろんなことを思い出していて、会社の人たちのいろんな顔を思い出しているということが、なんとなく伝わったのだろうなあと思う。私の場合は、一度文字にしたことで、それを自分の言葉として体に覚えさせたことで、それがちゃんと(伝わる人には)伝わるかたちになったのだろうなあと思う。

そういうふうに、自分の苦手なものを認めて、それをどう補うか、という考えだと物事が色々すごくラクになるような、気がする。私はそもそもプライドがかなり低い方だと思うけれど(ほんとどうかと思う)、それでも「苦手なことを認める」って、それなりに勇気のいることかもしれない。認めて口に出しちゃった方が絶対に楽なのにね。しかもこれからの時代、人間が思う「苦手なこと」って、だいたい何でもロボットがやってくれるようになるんじゃないかと思うのだ。じゃあとは、じゃあそんなことは気にせず、人間だからできる仕事をコツコツやっていこう、と、思うのです。

だから早くロボットよ確定申告をやって、と、思う、冬の始まり。(助けて)

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これからの教育について考えた(ちょっとだけ)

自分たちがしてきた受験勉強や受験はもう意味がなくなる

東京にいると中学受験が当たり前のような風潮があって(地元では中学受験する人はクラスで一人いるかいないか、くらいだったけれど)、そういう中で「より良い教育を」的なことも自然に考えがちなのだけれど、でも今回、こちらのお仕事に関わって改めて思ったことが、「より良い教育」って一体なんなんだ、と。

それは、進学校へ行って、東大へ進むことなのかな、と。改めて考えさせられた。

2020年には入試そのものの制度ががっつり変わるそうです。大きなところでは、マークシートではなくて、記述式が導入される。

つまり、「より良い教育」のゴールが東大に入ることだと仮定したとしても、自分たちがやってきた受験勉強ではまず東大に入ることもできない。東大に入るための勉強すら、私たちのやってきた受験とは変わってくる。

さらに言えば、これだけ変化が激しい時代、人間が担う仕事の本質が変わってきている時代、東大に入ることが「より良い教育」のゴールなのかもわからない。(もちろんもちろん東大は素晴らしい大学だし私は入れなかったというかいやもちろん受けてもいないけれども。)

子どもたちの人生は子どもたちのものなので、私が「こういう学校へ行っておいた方がいいよ。」と言うことはもちろんできないけれど、それにしたって自分たちがしてきたことが正しいと考えるのはまずやめよう、と固く心に誓った。

どんな学校を、どんな生き方を選ぶのか。どんな仕事を選ぶのか。それを選ぶのはもちろん子どもたち自身なのだけれど、「自分で選ぶ力」をきちんとつけてあげたいなと思う。その時にきちんと「自分で考える力」も持っていてほしい。

教育とは何か、学校って誰のためのものか

とか色々、我が子の教育について考えながら原稿をまとめていたのだけれど、こちらの荒井先生のお話をまとめながら、なんかちょっとハッとさせられた。

でも今日本にいろんな難しさがあるんだとすると、やっぱり偏差値50以下の教育をどうするか、というのが大切になってくると思います。

自分の子どもたちが、どういう教育を受けるのか、どういう学校へ行くのか、それを考えることはもちろん大事というか、当たり前のことなのだけれど、それだけじゃなくて、そもそも教育って、等しくみんなが受けられるべきものであって、そしてこれだけ子どもが減ってくる中で、いわゆるエリートと呼ばれる子どもたちだけじゃない、そうじゃない子どもたちの教育をどうしていくのかって、もっと真剣に、考えていくべきことなんじゃないかなと思った。(ちなみにもちろんうちの子は全くエリートではないけれど。ランドセル忘れるし。)

それこそ、自分の子どもが進む道なんて、親の私たちはある程度のお金を出すことくらいしかできなくて、あとはまあ頑張って勉強してね、お母さんたちがしてきたような勉強じゃないけどね、と言うことくらいしかない。

だけど、例えば十分なお金をもらって十分な教育を受ける、ということができない子どもたちの教育をどうしていくのか、そういうことこそ、大人たちが知恵をだしあっていっぱい考えていかなきゃいけないんじゃないかな、と思う。

東北の被災地の高校もまさにみんなそうです。あそこだって、みんな決して偏差値は高くない。だけど、彼ら、彼女らがすごく頑張ることで、地域は本当に復興に向けて進んでいるわけです

私が生まれ育った町の地元の高校だって、決して偏差値は高くない。でも、そうなんだよね、みんなが頑張ることで、地域がすごく活性化する。それを私は、地元に帰るたびに思い知る。

大人が考えなきゃいけないことは山のようにあるけれど、その中でも子どもたちの教育って、ものすごく重要で、そして面白いことだと思う。

私もまだまだいろんなことをしていきたい。子どもたちが社会に出るころ、負けてはいられないもんね。

それは誰のための仕事なのか

そしてまたここでも、私がいつも肝に銘じなきゃいけないなと思っている、「その仕事が誰のためのものなのか」「お客さんは誰なのか」という視点が出てくる。

明確に言うと、我々の顧客は、生徒ではないと僕は思っています。生徒ではなくて、やはり母親だろうと思っています

正確な数字はお伝えできませんが、例えば札幌では母子家庭というのは全体の8パーセントといわれています

それでもお母さんたちは、非常に低い年収の中で、なんとか子どもたちを高校に進学させて、卒業させたいと、そんな思いで一生懸命頑張っているわけです。

ここで何度も書いた気がするけれど、自分の仕事にとっての「お客さん」は誰なのか、と言うのを、私たちは本当につい忘れそうになる。ご参考→(むすめがインフルエンザになって会社を休んだ話(つまり今)

この時の「お客さん」というのはお金を出してくれる人ということじゃなくて、その仕事を誰のためにしているのか、この仕事の先にいる人は誰なのか、という相手になる人。(もちろん、どうやってお金を出してもらうのか、というのは別軸でしっかり考えなければならないことだけれど。)

保育園の先生なら、園長先生とか親とか地域の偉い人、とかじゃなくて、まずは目の前の子どもたちが向き合う相手だし、例えば広告の仕事でいうと、お金を出してくれるのはクライアントだけれど、メッセージを伝えるのは消費者(生活者)なので、まずはそちらをよく見て、その人たちの気持ちをよくよく考えて仕事をしなくちゃいけない。

でもつい、お金を出してくれる人とか、目の前で自分を評価する人(上司や取引先のえらいひと)とか、目に見える利害関係のある人のことだけを見て仕事をしがちになる。

だけど違うんよねそれは。そこを見誤ると、長い目で見た時に結局、その目の前の人達の利益すら奪っていってしまうことになる。

広告の仕事で、お金を出してくれるクライアントの言うことを全てイエスで返していたら、結局クライアントが最終的に向き合うお客さんの気持ちに全く沿わないメッセージが出来上がって、最終的にはクライアントの不利益になるかもしれない。

サラリーマンが目の前の上司の機嫌ばっかりうかがっていたら・・その結果はもう想像に難くない。(難くないのにこれをたぶん80%くらいのサラリーマンがしてしまう。)そしていつかその会社は、全体的なパフォーマンスが落ちてしまう。

それでも、つい、忘れてしまうのだ、誰のために仕事をしているのかというとても基本的なことを。

その点、荒井先生の話されたことは素晴らしいなと思った。顧客は母親だ、と、はっきりいえること。そしてその先に、明確な理由と信念があること。そして「覚悟」があること。

つい忘れてしまうからこそ、これくらいはっきりと、自分の仕事が誰のためにあるのかを、常に頭においておきたいなと思う。

だけどここまではっきりと言えるのはやっぱり、荒井先生がこの根幹を、身をもってしっかり感じていらっしゃったからなのだろうなと思う。

僕が災害復興の現場で感じたのは、学校というのはものすごく大事なところで、子どもが目の前にいるということは、実は地域にとってすごく重要なことなんだということです。

サラリーマンでなくなると、「それが誰のための仕事なのか」というのは、サラリーマンの時よりは見えやすくなったような気がするのだけれど、(それだけでもたぶん私にはサラリーマンでない働き方の方が合ってるのだと思う、確定申告ほんとこわいけど)でも大切なことを、改めて意識しようと思う、冬の始まりです。あと、確定申告ほんとやだ、と思う、冬の始まりです。ほんとやだ。

「編集」の仕事ってなんだろう。

「編集」に向いてる人と、「ライター」に向いてる人

こないだ尊敬するフリーの編集者の方と話していて、「ライター」に向いてる人と、「編集」に向いてる人はふたてに別れる、という話になった。その方曰く、「自分はやっぱり『編集者』で、もちろんそれなりに文章も書けるけれどもでも、信頼してるライターさんの書く文章には、私には書けない何かが絶対にあるの。一方で、そのライターさんは編集には全然向かない。それは私の方が向いているとおもう。」と。

ムシちゃんはどっちが向いてるとおもう?と、聞かれてどっちも好きだからわからぬ。と、答えたわけですが。(わからぬのか。)でも今はまだほんとにどちらも好きだな、というのが正直な気持ち。これから色々変わってくるのかもしれないけれど。

「書く」仕事、つまり、ライティングのお仕事というのは、比較的イメージがつきやすい。「ライター」という肩書きも一般的で、有名なライターさんも、個人的に好きなライターさんも、何人も思い浮かぶ。

でも、「編集者」というと、とたんにイメージがつきづらくなる。この編集者さんが編集したものが大好き!と、いう記事などはあまりなかなか思い浮かばない。つまり「縁の下の力持ち」なのだろうと思うのだけれど。

会社を辞めるにあたり、「何をするの?」と、聞かれて、「なんかいろいろ。書いたり編集したり!」と、またざっくりなことを答えていると、「編集って何するの?」と、よく聞かれた。ほんとだよ何するんだよ、と、自分でも思っていた。(思っていたのか。)

ただ、前職でウェブサイトを運営することになって、ライターさんと取材に行き、上がってきた原稿を見て、見出しをつけかえたりわかりやすく整えたり、という作業がとにかく楽しかった。地味ではあるのだけれど、少し言い回しを変えただけで、文章が生きてくる感じがする、その瞬間がすごく好きだ。向いてるのかどうなのかはわからない、でも自分はこういう文章に向き合う仕事をやっぱりずっとしていきたいなと思った。

そして、「編集」の仕事が必要とされる場面って、結構あるんじゃないか、と、なんとなく思った。それは従来の「編集」とはもしかしたら違うのかもしれないのだけれど、たとえばいわゆる「記事」だけじゃなくても、必要になる場所って結構あるんじゃないかなと思う。こういう仕事!と、はっきり言えない仕事こそ、可能性がたくさん広がる仕事のような、気もする。気もするだけだけれど。

でも、誰かの文章や、誰かの言葉を「編集」するとき、それはともすればもちろん、悪い意味での「編集」にだってなりうる。「歪曲」になることがある。もちろんそれはものすごく気を遣っていたところで、難しいところでもあるわけだけれど。

そんな中で、フリーになって初めての、「編集」のお仕事をしながらめちゃくちゃ思うところがあったのでメモしておきます。

フリーになって初めての編集のお仕事

リクルートマーケティングパートナーズさんの「Manabi Mirai Meeting」という講演会があって、それをウェブサイトに収載する、というお仕事をしました。

面白いなあと思ったのが、当日の講演を基本的にすべて動画でも公開するので、文章でも全文を掲載したい、と依頼されたこと。

よくある採録というのはもちろん、(もともと新聞社の仕事をしていて紙面に限りがあったからかもしれないけれど)重要なところとかキャッチーな部分を切り出して、短くまとめるというのがまあほとんどだと思います。だから、ここ使いたいけど紙面の関係上やっぱり削らなきゃな、とか、色々と優先順位をつけなきゃいけなかったわけです。

だけど、今回はそうじゃなくて、全文載せることが大前提としてある。

動画も文章も両方見る人はそんなにいないかなという仮説はあるけれど、それでも同じサイトに載る以上、あまり大幅に編集されていると混乱させてしまう。

とはいえ、文字起こしされた原稿をそのまま読むと、なんというか、直接映像で見るよりもちょっと嫌味な感じがしてしまったりとか、文字になるとその人の持つ雰囲気とえらく違う感じになっているなと思う部分が多かったり、もちろん話し言葉すぎてわかりづらかったり、というのがかなりたくさんあった。

なので、元の書き起こされたものからあまりにも大幅に変えることはせず、でも読む人がそれなりにストレスなく読めて、そして話し手の持つ空気感をあまり損なわないように、ということを意識して、編集をしてみました。(わかりづらい部分は多々あるかもしれないし文章の合う合わないはあるかもしれないけれども心がけとして。)

今まで編集って、削ってなんぼ、と思っている部分があったけれど、こうしてウェブになると制限がなくなるわけで、そうすると全文えいやって載せるのはもしかしたらこれから増えてくるのかもなあと思ったりした。

編集をしながら、ここは伝えたいなあ、ここに気づきがあるといいなあ、ということはすごく思うのだけれど、でも実際「ここが大事だ」とか「あーなるほどそういうことか。」と感じるのは、それは読み手の人やもんね。どう受け取るのかは、読む人が決める。だから、大事な部分だって読む人がピックアップする。

短い文章での表現が増える中での「読みたい欲」

そして改めて読み返してみて、なんせ45分くらいある講演をほぼ全文載せているのでものすごい量なのだけれど、でも読んでみると意外とあっという間に読めちゃえるもんだな、というのも結構新鮮な気づきでした。いやもちろん、講演自体がもんのすごく面白かったからなのだけれど。

twitterもインスタも短い文章やキャプションで表現する時代ではありますが、私は個人的に最近すごく「読みたい欲」のようなものがあって、ウェブでも、なんだか長い文章をがっつり読みたいなあとかなり思う。ウェブで長い文章を読むのにも慣れてきたからかもしれないけれども。(ビジネス書とかならきっとタブレットで読めるな。いやビジネス書読まへんけど。そのうち小説もタブレット読むようになる気がしている)

そしてこれ私だけじゃなくて、ウェブで長い文章を読むことに、意外とみんなあまりストレスを感じなくなってきているんじゃないか、とか思ったりしています。(ないですかね「読みたい欲」・・・)

そんな中で、その長い文章を、「ストレスなく」読める工夫をするのも、それも編集の仕事なのかもしれない、と思う今日この頃です。文章を整える、見出しをつける、段落を考えるといったことだけでなく、それはもしかするといわゆるUIとかUXとかも含まれてくるのかもしれない。(なんでも自分でやる、という時代ではないなと思っているので、できるチームを作っておく、とかも必要なのかもしれない。)まだまだできることがたくさんあるのかもしれない、と思います。

そんなわけで以下リンクは、長いけれど面白くて結構あっという間に読めてしまう記事かと思いますのでぜひ!藤原先生のお話はほんとに明快でおもしろい。(全然むずかしくないです。)特に数年後に中学受験、高校受験を控える子どもを持つお母さんたちに読んでもらえると嬉しいです。

Manabi Mirai Meeting 2017 【基調講演】藤原 和博 氏 現在の高校生は、どんな未来を生きるのか? ~今後の未来の社会、生き方、働き方、そしてそれに向けた学び方 特別レポート

 

 

子育てしながらサラリーマンをする時に工夫できること

タイトルがブログっぽい。(なにそれ。)

仕事と子ども関連あれこれの両立のもやもや

フリーランスになってから初めて、いや、というか息子が小学校に入学してから初めて、台風で小学校の登校時間が遅くなった。

なるほど小学生ともなるとこういうことがあるのだ。(雨の日も風の日も雪の日も台風の日も朝からあけてくれる保育園のすごさときたら・・・)

こちらは自宅作業のフリーランス(というか失業中)という身軽な身分のため、前日に「明日の登校時間が遅くなります」と学校から連絡が入った時点ですでに、「ひゃっほい明日の朝ゆっくり寝ていられる♡」とかノーテンキに思っていたわけですが、これたった一ヶ月前のサラリーマンだった自分なら、「はいどうする仕事どうする朝から入ってるアポどうするいやどっちにしたってそのアポも台風でどうなるかわからんよなそもそもちゃんと出社できるかな。息子一人置いて出社するのも心配やしなさーどうするどうする」と、焦っていたに違いない。

もちろん台風じゃなくても、子どもがインフルエンザになったとか、学校行事があるとか、子どもをめぐるあれこれというのは、サラリーマンとの両立に置いてとてもとても高い壁として立ちはだかる。(ように見える。実際はそんなことないんやけど。)

現実問題自分の抱えている仕事とどう折り合いをつけるのか、周りの人たちにどう協力を仰ぐのか・・とか色々悩むというか、「もやもや」としてしまうところ、はやっぱりある。というか正直「子育てをしながら働く」時に日々最も戦うのは、この「もやもや」のような気がする。

人は他人の家庭の事情などまっっっっっっったく知らなくて当然

そういう時、私が一つだけ心がけていたことは、とにかくこの子ども周りのどんな細かいこともチームの人たちとすべて共有する、ということ。

「子どもが37.9℃の熱があって自宅で見なければいけないので休みます」「保育参観があるので午後から出社します」「給食の試食会(!)があるので12:00〜14:00まで抜けます」「子どもの定期検診があるので午後休みます」「台風で風が強いので登校に付き添います、10時には出社します」「マンションの管理人から電話があって鍵を忘れたって泣いてるのでちょっと一旦戻ってその後出社します(←まじであった。)」などなど。

「なぜ休むのか」「学校・園のどういう行事があるのか」というのを、あほかというくらい勝手に細かくチームに共有していた。

なぜならば!人は!他人の家庭の事情などまっっっっっっっったく知らなくて当然だからであーる。

「保育園は37.5℃以上の熱があると預かってくれない」というのは、保育園に子どもを預けている人にとっては当たり前すぎる事実だけれど、そうじゃない人にとっては「知らんがな」のことである。本当に、全くもって、そんな事実を人は知らない。

何なら、「働いている間は保育園に預けるものである」という事実も知らない人は結構いる。「未就学児は幼稚園へ行くもの」と思っている人は(子育て世代の男性でも)大勢いる。多分、大企業であればあるほど、奥さんが専業主婦という家庭が多いので、さらにたくさんいる。「午後子どもが幼稚園から帰ってきた後はどうしてるの?」と、聞かれたことが何度も何度もある。

そしてそれは、まっっっっっったく持って悪気があってのことではない。何度も言うけれど、人は、他人の家庭の事情などまっっっっっったく知らなくて当然だからであーる。人は、自分の歩んで来た道のことしか基本的にはよく知らない。それは、自分だって全く同じこと。

例えば介護を経験していない人にとって、介護って具体的にどういうことをするのかというのは実際のところほとんど何もわからない。特別養護老人ホームと有料老人ホームとサービス付き高齢者向け住宅の違いを、子育て中の私たち世代はほぼ知らない。(ついこないだまで仕事でそういうクライアントを担当していたため私は覚えたのだけれどそれまではさっっっっっっっぱり知らなかった)

だからどんなに細かいこともとにかく勝手に共有する

知らなくて当然で、だからそれがどれくらい大変なのかとか、あるいは実はそんなに大変じゃないよね、結構色々融通きくね、なのかとか、そういうことは、まずは「具体的に何があるのか」を共有しないと見えてこない。

特に直近のチームは私以外全員男性で、仕事内容は同じだけれども環境は基本的に全く違う(そして当たり前だけれども環境自体は私だけじゃなくて誰も彼も違う。)、という状況だったので、とにかくどんなことも、チーム全員にメールして共有してきた。

「また小学校行かなきゃいけないんですけどもー小学生ありえないんですけど!!!」(いやその頃あまりにも小学校の行事が多すぎてですねすみません。)と、ぶつぶつぐちぐち言いながら、「たいへんだなー!がんばれよー!」とか言われながら、なんというかもう勝手に周りを巻き込むようなイメージでやってきた。

もちろん「そんなに仕事抜けてばっかり・・・」と、良くない思いを抱く人も、いたかもしれない。でもそれは、私にはわからない。わからないし、そう捉える人がいたとしても、私にはどうすることもできない。

私にできるのは、事実をそのまま伝えて、それでもその中でやりくりをして、自分なりにできることは工夫して、日々仕事をすることだけだ。

私は、子育てをしながら、もしかすると介護をしながら、あるいは自分の病気を抱えながら、そうしてできる範囲で仕事をしていくことはごく自然なことだと思うし、それでいいと思っているし、だからできることをするまでだ、と思っている。私に他人の気持ちをどうこうできないように、私のこの考えは私のものなので他人にどう思われたとしても変えられるものではない。

そして私がそういう考えで仕事をするからには、とにかく何から何までこちらの事情を全部おおっぴらにして(なんならアウトルックに小学校行事も全部入れて)オープン!な感じでやっていくしかないのだ、と、思った。

この日は小学校にこの時間からこの時間まで行かなきゃいけなくて、多分その間は電話もメールもできません。だから午前中にここまでやっときます。終わり次第メールチェックするので何かあればメールしといてください!ということをとにかく全部共有しておく。

もしくは、この日は飲み会でパパがお迎え行ってくれるのでなんと残業ができます!遠慮なく仕事振ってくれてOKですカモン!とか。(たまの残業って最高。←社畜)

「そういうもんなのか」と、知ってもらうことがとにかく大事だなと思いながら、やってきた。

そしてその「事情」はいつか自分にも降りかかるかもしれない

そしてここで大切なのは、今自分にとって全く未知の事情が、ある日突然自分ごとになるということだってもちろんあり得る、ということ。

チームのメンバーが全員男性でも、奥さんが全員専業主婦でも、それでも何らかの事情でパパが積極的に子どもの行事に参加しなければならなくなることだって十分にあり得る。そうか昔、奥さんはこんなにしょっちゅう行事をこなしてたのか・・・と、思うことももしかしたらあるかもしれない。

そしてチームのメンバーが、またいつか子育て中の女性と一緒に仕事をする時に、その「事情」を少しは知っているというのは、「あの時ムシ(←わたし)もやいのやいの言ってたなあ。そんなもんだなあ」と思ってくれるとしたら、それはその時、お互いにとってマイナスにはならないなあ、と思う。ここまで考えるのはおせっかいですけれども。

そんなわけでサラリーマンのみなさまはプライベートを思いっきりオープンにしてみてはどうでしょうというご提案でした!(雑!)

 

神宮とスワローズとこの夏の話

基本的にスポーツ観戦というものには一切興味がなかった、去年まで

広告営業をやっていた頃、まず最初に教わったのは、お客さんの前で「政治と宗教と野球の話はタブー」と、いうことだった。

この三つはまあアンタッチャブルで、センシティブで、人を熱狂させ、対立を呼び、時に戦争をも巻き起すものだから。そんなものをビジネスに持ち込んでもろくなことにはならない、という話。

と、いうことを言われても、私には特定の支持政党はないし、一貫して無宗教だし、野球に至ってはピッチャーとキャッチャーが敵なのか味方なのかすらわからない。なのでそんな心配は無用です、もち合わせるネタが何もありません。とまあ特に何の問題もなかったわけだけれど。

そう、こと野球に関しては、どちらかというと私はずっと興味がないどころか結構嫌いだった。子どもの頃は、野球中継が延長するせいで見たいテレビ番組がいつまでたっても始まらないのが嫌だった。そもそも、私は基本的にスポーツ観戦というものに興味がない。野球にしろサッカーにしろ、特定のチームを応援するなんてダサいと思っている。自分以外の人に勝負を任せ、一喜一憂するなんて、ナンセンスだ。戦うのは常に自分でありたい。

と、つい去年というか今年の6月くらいまでずっと思っていた私の現在が。

これ。

人は何歳になっても、新しい趣味ができる、というか、人の信念なんてあっという間に変わる、という事例がこちら。

ただ、神宮で飲むビールは美味しい

スポーツ観戦音痴の私と違って、オットは昔から種別問わずスポーツを観るのが好きで、息子が生まれてからは息子も一緒に色々と観戦に行っていた。野球も行けばサッカーもラグビーも、バレーとかテニスとかも行っていた。で、私もたまに連れて行かれるわけですが、いかんせんルールが全くわからないので、ひたすら隣でビールを飲んでいた。でも、特に球場で飲むビールは最高に美味しかった。そしてドームや千葉マリンも行ったけれど、神宮のビールは格別だった。

かくして、野球を観たいオットと、ビールを飲みたい私のニーズが一致し、ちょくちょく球場へ足を運んだのが去年の夏。

神宮のビールはこんなに美味しいのだから、まあファンクラブ会員とかに入って気軽に居酒屋神宮へ足を運べるようにしようか、とファンクラブに入会したのが今年の春先。

そして、夏。

家族で一番、私がはしゃいでいる。そして、あれほどナンセンスだわと思っていた、特定のチームの勝敗に(それなりに)一喜一憂している。家でも毎日スマホアプリをチェックしている。何してるんだ私は。

スワローズは、弱い。弱いけど。

もう20年くらい、村上春樹の小説とエッセイを読み続けているため、スワローズがなんとまあ弱い、ということはなんとなく知っていた。目標は5位、と村上春樹も言っていた。(5位という順位が全体の中でどれくらいなのかは知らなかったけれど。)だからって、それにしても、弱い。弱すぎる。こんなに負けるもんですか?と、昔からのスワローズファンの先輩に聞いたところ、いくらなんでも今年は負けすぎる。と、言っていた。

だからと言って、勝つチームを応援すればいいという問題でもない。私はつい先日まで某新聞社に10年以上勤務していたため、ライバル紙であるところの某新聞社が率いる某ジャイアンツを応援することは、宗教上の理由でありえないことであった。無宗教やけど。だからまあ、東京に住んでいて、神宮のビール目当てで野球を見始めた私にとって、スワローズばかり観るようになるのはとても自然なことだったのだけれど、それにしても、弱い。

「人生、負けることに慣れることは大事」と村上春樹も言っていたけれど、それにしても、弱い。まあ、弱い。

でもちょっと、人生が豊かになる

それでも、こんなに弱いチームでも、応援することで、私はまあほんとうに、楽しい夏を過ごすことができた。ちょっと大げさだけれど、人生が少し豊かになったような気がしている。

家族みんなで何かを応援する、家族みんなで共通の好きなものを持つ、という楽しさも知った。私たち夫婦は、基本的にバラバラの性格で、共通の趣味もなく、特定の支持政党がないとはいえ毎度選挙では投票する人は合わないし、見たいテレビもバラバラだ。それで特に不便を感じたこともなかったし、居心地が悪かったこともないけれど、それでも改めて共通の好きなものを持つと、それはそれでやっぱりすごく楽しい。みんなで同じ話を共有出来る、一緒に応援できる、というのは良いものだ。

家族だけじゃなくて、友人や同僚と観戦する楽しさも知った。忘れもしない7月26日の中日戦、その日私は大好きな会社の先輩たちと、私の家族と、一緒に神宮にいた。正式に発表にはなっていなかったけれど、居合わせた人たちにはもう会社を辞めることを話していて、少しずつ、寂しいなという気持ちが増えてきた時期。

野球の行方に、自分の人生を重ねるのはそれはまたそれでナンセンスだ。と、去年までの私は思っていたのだけれど、あの日、10-0で負けていたところから、ぐんぐんと同点に追いつき、最後に延長で逆転した時のこと、その瞬間、先輩と子供たちとオットとハイタッチしたこと。そして、それをどこかで俯瞰しながら、これから人生が変わってゆく、それでも、この人たちと過ごした時間は永久に不滅です、と、どこかの巨人軍みたいなことを思ったこと。それは私の中で何らかの感触を持って、「感覚」としてしっかり刻み込まれる。これはきっと、忘れることはないのだろうと思う。

人生は自分だけの思い通りにはならないけれど、でも。

そして、あれだけ私が嫌いだった、「自分以外の誰かや何かの勝負に一喜一憂する」ことが、すごく楽しい。人生は、思い通りになんてならない。どれだけ願っても、そしてどれだけ努力したとしても、それでも報われないこと、思い通りにいかないことが山のようにある。どうしても勝ちたい勝負で、負けることが必ずある。ドラマなら、映画なら、ここで必ず勝つのに、というところで、負けるのが、それが現実だ。

そんな当たり前のことを、今さら、野球から、スワローズから、学んだ気がする。そして自分以外の誰かに(しかもあほみたいに弱いチームに)勝負を託した時に、勝った時の喜びも。自分以外の誰かが、喜んでいるのを見て、心底嬉しいと思う気持ちも。

私はとうとう、つば九郎のブログを読んで泣く、というレベルにまできている。でもこれ、ほんとに泣ける。何度読んでも泣ける。ひらがななのに。

31→77えみふる。

ものっすごく弱いスワローズを、今年から好きになったけど、でも好きになってよかったと思う。(恋か。)負けても負けても、それでもなんかいつも、ちょっと心動かされたし、今シーズン最後の試合は、もう言葉通りの消化試合で、それでもあんなに勝ってほしいと思った試合はなくて、それでも勝てなくて、それなのになんか色々感動した試合も初めてだった。

それなりにいろんな経験をしてきて、結構いろんなことを知ってきたつもりでいたけど、なんというか、まだまだ知らないことは山のようにあるのだな、と思った。球場で飲むビールがこんなに美味しいことも、スポーツのドラマがこんなに胸を打つことも。

あまり他人に心乱されたくはない。さみしとか悲しいとか、そういった想いは、正直自分の身の回りだけで十分だ。だからあまり、家族以外の人や、仕事以外の物事に、振り回されたくはない。そう今でも思っている。だけど、自分の手の届かないところで起こる何かが、自分の心を揺さぶることがすごくある。自分が読む小説ではない。観る映画ではない。ただ誰かが必死に目の前のボールを追うドラマに、振り回されてみるのも、そんなに悪いことじゃない。

と、ここまでわかった風なことを書いてきましたが、なんで私がこんなにスワローズスワローズ言うことになっているかというとひとえに以下のリンクを見ていただきたい、単に根こそぎ持ってかれてるだけです、イケメンに。

#女子のハートを根こそぎグッチ

はーかっこい。つばみになりたい。

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