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エルサ(4)の初恋

我が家のよんさい(晴れて誕生日を迎え、アラフォーからよんさいに格上げになった)の脳内は、プリンセスでできている。日々、エルサの特訓に余念がない。(写真は脳内プリンセスになっているミドサーというわけではない。)

たんぽぽぐみのおにいちゃん

この間、急にものすごくしおらしく「あのねまま・・・たんぽぽぐみ(年長クラス)のおにーちゃんがね、むすめちゃん(自分)のこと、すきなんだって・・・♡」と、言ってきた。

きたぞこれはきたぞ青春か!青春なのか!わたしはとうとう、「むすめに恋バナをされる母」というフェーズにまで来たのか!と、ちょっと感動した。やはりこう憧れるものがありますよね、「むすめに恋バナをされる母」。ついでに言うと、これパパには内緒にしとくね♡とかなんとか言いながら、パパにこっそり言う、というのもデフォルトで付いてくる。むすめに恋バナをされる母像というものは。

とうとう来たなあ、私の母レベルもここまで来たなあと思いながら、「あらやだ♡それはむすめちゃん、その男の子に好きって言われたの?告白されちゃった?♡」と、聞くと。

「ううん・・・♡ちがうよ♡」と、くねくねしながらエルサ(4)は答えた。

「じゃあ何、誰かが言ってたの?たんぽぽぐみのなんとか君がむすめちゃんのこと好きだよーとか?」と、聞くと、

「えー♡もうちがうよおおおおお♡」と、うねうねしながらエルサ(4)は答えた。もちろんH&Mで買ったエルサのつけ三つ編みをつけながら。

四歳というのは、語彙量も増え、言い間違いも減り始め、コミュニケーションが非常に取りやすくなる年齢ではあるが、そうはいっても四歳。たまに、いやまあ結構な頻度で、会話がかみ合わない。という現象が発生する。

そうかやはり「むすめに恋バナをされる母」フェーズに達するにはもう少しコミュニケーション能力を高めねばならぬか・・・と、思いながら、「えーっとじゃあむすめちゃんはその男の子になんて言われたのかな?」と、聞いたところ。

ものすごーーーーーーーく小さな声でエルサ(4)はささやいた。

「あのね、むすめちゃんのおなまえをよんでね、むすめちゃんばいばいっていってくれたの・・・♡」

斬新である。

つまりこのエルサ(4)は、自分の名前を呼んでばいばいと手を振ってくれる男の子イコール自分のことが好きなのだという認識を持っている。すごすぎる。しかもこのエルサ(4)は続けてこう言う。

「だからね、むすめちゃんもそのおにいちゃんのことすきになっちゃった・・・♡」

衝撃である。

この目の前のエルサ(4)は、自分の名前を呼んでばいばいと手を振ってくれる男の子イコール自分のことが好きなのだという認識を持ち、同時に、自分のことを好きになってくれる男の子のことはもれなく好きになってしまうのだ。さすが。さすが氷の女王である。

恋のキオク

それ以降、私はエルサ(4)に、しきりに、れんらっちょー(連絡帳)にあのおにいちゃんのおなまえはなんですかってかいて!せんせーにきいて!と、せがまれる。自分で聞けや。と、思いながらもエルサ(4)に甘いお母さんはことの顛末を全て記した上でれんらっちょーに書いた。むすめに手を振ってくれたたんぽぽ組のおにいちゃんのお名前はわかりますでしょうか・・・。と。わかるわけがない。

子育てをしていると、自分がこどもの頃に楽しかったことを、もう一度繰り返しているような気がして、得したような気分になることがある。サンタさんを待つワクワクした気持ち、初めてお友達ができた時の気持ち。

そして、きっと初恋の気持ちなんかも子どもたちを通して思い出したりなんかしちゃって楽しくなっちゃったりなんか絶対にするんだろうなー♡と、思っていた。

しかし現実はそうは簡単にいくものではなく、脳内プリンセスのむすめのぶっとんだ恋愛観と対峙することも避けられない。まあ自分の過去の恋を思い出してみてもそんなこう懐かしくてキャハキャハ言えるようなものばかりではないよな、とか遠い目になってしまうことも避けられない。

ただ、うっとりしながらなまえもわからないおにいちゃんのお話をしてくれるその姿は、やはりまぁ、恋するオトメそのものなのである。これを初恋と呼ばずしてなんと呼ぶ。すごいぞ、よんさい。がんばれ、よんさい。

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「とはいえ」の前に大切なこと

走るときに考えることについて私の考えること ©村上春樹

1月末のハワイで思いついて走り始めて、2か月半ばかり。週に一度か二度、といったくらいですが走っています。

走り始める前は、走ったら悩みも吹っ飛ぶんじゃないかとか、仕事の企画のアイデアがめっちゃ浮かぶんじゃないかとか、煩悩が消えるんじゃないかとか、なんとなくある種の悟りを開けるんじゃないかという期待があった。

が。しかし。

現実は全くもってそんなに甘くはない。

走っている時に考えていることというと、まあ、「しんどい。」これ一言に過ぎる。あと、「今日は本当に途中でやめよう。」とか、「てゆーかなんで走ってるんやろうわたし。」とか。あと自転車に抜かされた時の言いようのない無気力感とか。私がへなちょこだからなんですけど、まあ、だいたいしんどい。と、思っている。

ただ、ここのところだいたい10キロを目標に走ることが数回あって(数回ですけど。)なんせへなちょこなので、10キロでだいたい1時間くらいかかるわけです。そうすると、1時間もずっと「しんどい」と考え続けるのも身体が飽きるらしく、途中、急に頭がすっきりするというか、まあ空っぽになるというか、結構頭の中の見通しが良くなる感じがする時間が、やってくる。

まあだからといって仕事の企画のアイデアはさっぱり浮かびませんが、というか複雑な思考は全くもって出来ず、逆にものすごく物事をシンプルに考えるようになり、というかシンプルにしか考えられないわけですが、とにかくそういう時に、前から走ってくるおっちゃんとかを見ると、「この人も昔はお母さんのおなかの中にいて、すごくしあわせな気持ちで迎えられたのだろうなあ。」みたいなことを、考えるようになる。

これ、思い返してみると妊娠中にもよく思うんですよね。「あのいやーーーーな上司も、それでも昔はお母さんのおなかにいて、こうして待ち望まれて生まれてきたのだろうなあ。」とか。あれは妊娠中の脳内がお花畑になっていたからそう感じたのかと思っていたけれど、案外思考がシンプルになると同じことを思うらしい。

そして同時に、「あーーーー子どもたちが今日も笑って元気に生きている、それだけでしあわせだなあ。」と、本気で思う。あの子たちが生きているだけで、ほんとにしあわせだ。と。

これも、妊娠中に何度もなんども思ったこと。検診のたびに、あーよかった、今日も心臓が動いている。今日も少し、大きくなっている。今日もお腹の中で育ってくれている。もう、この子が生まれてきてくれるだけで、それだけでいい。他には何も望まない。元気に生まれてきてくれること、それだけでいい。と。

「とはいえ」とつい口にしてしまうけれど

それでも、実際に本当に元気に生まれてきてくれて、そしてすくすく元気に育ってくれると、それはそれでいろんな悩みが出てきて、ハイハイするのが遅いんじゃないかとか、歩くのが遅いんじゃないかとか、なかなか10まで数えられないとか、文字をなかなか覚えられないとか、絵が苦手なんじゃないかとか、運動が得意じゃないとか、お友達とケンカばかりするとか、全然親の言うことを聞かないとか、勉強が苦手だとか、人によってはいい幼稚園に行けなかったとか、受験がうまくいかなかっただとか、とにかく色んなことが出てくる。「生まれてきてくれるだけで、元気に笑ってくれるだけでいい。」と思った気持ちを、つい忘れそうになる。

でもそれは、忘れてるんじゃなくて、そういうものなんだ、と、思いながら、多くの人が過ごしている気がする。私だってそうだ。「とはいえ」、現実の生活が始まるわけで、そんな生まれてきてくれてありがとうという気持ちだけでこのあわただしい子育ての日々を乗り越えられるわけがないじゃないかと。そんな風に思いながら、現実の子育てと向き合ってきた気がする。

でも、走りながら、「しんどい」と考えることにすら飽きて、ものすごくシンプルにしか物事を考えられなくなった状態で、私は思った。いや、「生まれてきてくれるだけでいい。」「元気に笑ってくれるだけでいい。」という気持ちは、それはきれいごとでも絵空事でもなんでもないな。と。それは、紛れもない真実だ。それが、何より一番大切なことだ。と。

いや、そんなの、当たり前なのだけれど。当たり前だけれど、何というかそれを、身体で理解した、気がした。

大人になると、そして社会人になると、つい、「とはいえ」という言葉を使いがちになる。そんなきれいごとばかり言っていられないよ、現実を見なきゃだめだよ、という自分へのある種の戒めになのか、あるいは言い訳なのか、照れ隠しなのか。ちゃんと現実を知っていますよ、「とはいえ」、そんな夢ばかり見ていられないのもわかりますよ、と、誰かに、そして自分に言い聞かせるために。

でも、本当に大切なのは、というか、自分の本心は、「とはいえ」の前にあるんじゃないのかなあと、その時私は思った。しんどいを通り越したシンプルな思考の中で。

本当は、「とはいえ」の後ろに続く現実的な言葉じゃなくて、その前の段階に、大切なことはちゃんとあるのだ。

あの時、まだ手も足もないような小さな胎芽を始めてみた時、いつしか大きくなったお腹をそっとなでながらゆっくり歩いた時、「この子が無事に生まれてきてくれるだけでいい。それだけでいい。」と思った気持ちは、それは、きれいごとでもなんでもなかったはずだ。それは、どんな人だって、きっと同じだ。そしてそれは、この世で多分、一番シンプルで、そして大切な真実だ。

とはいえ、子供はいつか立派な大人にならなきゃいけないとか、とはいえ、親は子供をちゃんと教育しなきゃいけないとか、とはいえ、学歴はあった方がいいとか、「とはいえ」は山のように思い浮かぶけれど、でもそのどれも「この子が無事に生まれてきてくれるだけでいい」と思った気持ちにはかなわない。だって、「この子が無事に生まれてきてくれ」なければ、そのどれも、かなわなかったのだから。

欲張りであることは大切かもしれないけれど、でも、一番大切なことは、すごくシンプルだ。そしてそれは、ものすごく簡単なはずなのに、日々の生活でいとも簡単に忘れてしまえるようなことだ。

生きてくれているだけでうれしい。生まれてきてくれて、生きていてくれて、本当にありがとう。それを、ちゃんと子どもたちに伝えていきたい。それを、ちゃんと自分の根っこに忘れずおいておきたい。

と、走りながら今日も私は思うのだ。とはいえ、やっぱり走るのはしんどい。今日は5キロで止めておこうか。と思いながら。

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「信頼されている」と、信頼すること

新年度が始まって数日が過ぎました。息子が小学校に入学し、むすめもまあなんだ・・・プリンセスの特訓にいそしみ(まあそれは普段通り)、私は出産前にいたバリバリ系部署に7年ぶりくらいに戻ることになりました。ひょえ。

新しい環境に身を置いて思うこと

「働き方改革」やら、「女性活躍」などなどが注目される昨今。自分の実感としても、確かに私が一人目を出産した後よりも、確実に「育休明け」の女性が増えていると感じます。わが社でもそうだし、取引先でもよく聞くし、何と言っても子供たちの保育園は年々入りづらくなっているようだし。(まったくもってなんとかしていただきたいところではありますが。)

そんな折、二人目の育休から復帰してもう3年ばかりたつ私にも、出産前にいたバリバリ系部署に戻って欲しいと辞令が出ました。曰く、そういった部署でも子育て中の女性が働ける環境を作っていって欲しいと。

それ私が作るのかい。と、思ったことはさておき、それはやはりなかなかの試練であるわけです。

業界的なものもあって、出産前の私ときたらまあもう今では考えられないくらい残業ばかりの毎日を送っていた。終電を逃してタクシー帰りなんてザラであった。で、それが別に珍しくもなんともなかった。それが原因で上司が咎められるとか、お国の指導が入るなんてまずなかった。そういう風潮だったのだ。いやはやなんとも。

そこに、超絶時短の私が戻るとは。さすがのノーテンキな私もこれは不安でしかない。と、思った。あの頃の働き方はもうできないし、それは今はやりたいことでもない。

そして新しい部署での仕事が始まってみると、まあ自分の無力なこと無力なこと。時間的な制限に加えて、そもそもその業界を担当するのも初めてだし、新しいことだらけでまったく使い物にならない、ように思える。この歳になってこれは結構きっついなあなどと思ったりする。そんな風に思うと、実際のところ、現場はみんな子育て中の女性なんていらないんじゃないか、会社の考えがあるからしぶしぶ引き受けただけで、本当はバリバリ働く男性か、未婚の女性だけで回したいんじゃないか、とか、ついつい考えてしまっていた。

目の前の人が考えていることは本当はわからない。なら信じちゃえばいい。

思い出してみれば、6年前かな、初めて育休から復職するときも、そういえば私は同じようなことを思っていた。まだ育休復帰の女性も会社にものすごく少なかった頃。時短で、子育て中の女性なんて、会社は制度としてクビにすることはできないだけで、全然ウェルカムじゃないんじゃないか、とか。そこまでして私はこの仕事を続けていきたいのか。子供を保育園に預けてまで、やるべきことなのか。とか。そんなことを考えていた。

だけど6年経ってみて、今思うこと。私は仕事を続けてきて本当に良かったし、今となってはすこーしは、それまでの部署でできることが増えて、必要とされているな、と、思えるようになってきた。けどそう思えるようになるには、きっと自分の中で考え方の工夫のようなものがあったのだ。それをもう一度思い出してみたら、なんだか随分と楽になった。

よく考えれば当たり前だけれど、「自分が信頼されている、必要とされている」というのは、正直実際のところはどうなのかわからない。時短で働く私のことを、周りの人が疎ましく思っていたとしても、私にはそれはわからない。そりゃまあいろんな人がいるから、面と向かってたまには嫌なことを言う人だっていうけれど、世の中の多くの大人は、嫌なことをそんなに露骨に言葉や態度に表さない。たまに出てしまうことはあっても、いつもいつも感情のままに行動しているわけではない。

けど。他人が本当に考えていることが実際のところわからないのであれば。それなら、「必要とされている」「信頼されている」と、こちらが信じてしまっていいんじゃないか。と、思う。本当は目の前の人が考えていることはわからない。でも、わからないのであれば、「この人私のこと疎ましく思っているな。」「いらないと思っているな。」と、疑うより、「この人私のこと必要としてくれてるわー。信頼してくれてるわー。」と、ノーテンキに信じ込んでしまった方が、自分の気がラクなのだ。そして「気がラク」な方が、萎縮しているよりも何倍も何百倍も、仕事のパフォーマンスは上がるのだ。

そんなノーテンキに他人を信じてしまって、裏切れたらどうするの、と、思うかもしれない。けどそれだってまあ別に仕方ない。「必要とされている」と思い込んだのはこちらの勝手であって、別にその人は私を信頼するために生きているわけではもちろんない。そして私も、その人の信頼や期待に応えるために生きているわけではない。こう言ってしまってはなんだけれど、相手を信頼することは、その人のためではなく、自分のためなのだ。自分が、心地よくそこで仕事をするためなのだ。だからまあ裏切られるようなことがあったら、それはまあ良い気はしないけれども、「仕方ないな、この人も自分も、相手のために生きているわけではないのだから。」と、思うしかない。

新しい環境というのはどんな人にとっても結構な試練だ。初めての部署、初めての小学校、初めての保育園、初めての幼稚園、初めての職場復帰、初めての就職・・・。そこにとっての新参者の自分は、ものすごく無力に思えることだって、あるかもしれない。でも、そんな時はあれこれ考えず、「信頼されている」と、信じちゃえばいい。

そして自分を信じること。

そして、目の前の人が、自分を信頼してくれていると信じることは、すなわち自分を信じることでもある。それが、一番大切だ。もっと言えば、自分の能力とか、仕事量とか、そういったことだけでなくて、存在そのものに意味があると、自分で信じて思い込んでしまうことが大切。まだまだ新入社員のペーペーだけれど、まだまだお母さんとして始まったばかりだけれど、子育て中で働く時間は短いけれど、でもまあ、こうして毎日のほほんと生きているだけでよくやっているじゃないか、と。なんか今話している自分の目の前にいる人は、笑っているじゃないか、と。

新生活。不安な中での生活の人もたくさんいらっしゃるかと思います。気楽に気楽に、必要とされてるわー、生きてる自分、えらいわーと、思いながら、日々過ごしてゆきましょう。そして、新生活を始めた子供たちにも、君が生きているだけでほんとうにうれしい。と、毎日毎日伝えてゆきたい。少しずつ手を離れていく子供たちが、いつか大人になっても、そこにいるだけでいいと感じてもらえた記憶を、励みにできるように。

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ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃん

我が家のアラフォー(アラウンド4歳)の脳内は、プリンセスでできている。H&Mでエルサのつけ三つ編みなるものを手に入れてたので(信じられないですが本当に売っている。)それをつけて完全にプリンセスになりきっている。(写真はプリンセスになりきっているミドサーというわけではない。)

「わ」の新しい使い方

この時、私は「エルサのお母さん」と呼ばれる。半オクターブ高い声で「エルサのお母さん、早くしてわ♡」と言われる。この語尾の「わ」は、もちろん「そうですわ」などと使う時の「わ」なわけですが、五段活用的なものがまったく機能しておらず、なんでもかんでも勝手に「わ」をつけている。新しい日本語である。

で、「エルサのお母さん」などと呼びかけられても、こちらはもちろんそんな心持ちで日々生きているわけではなく、いたって普通の主婦として家事を渋々こなしているだけであり、反応がすこぶる悪い。「エルサのお母さん♡・・・エルサのお母さん!」と、後半ややキレられ気味に呼ばれてやっと、「あ、何わたしのこと!?あ、はいはいどうも、エルサのお母さんですこんにちは。」みたいなことを言うと、「もっとやさしく言ってわ、エルサのお母さん♡」と言われる。もちろん「わ」の使い方はここでも新しい。

エルサのお母さんの反応が鈍すぎるため、そのうちアラフォー(アラウンド4歳)のエルサは諦めてまた一人プリンセスごっこに戻って行く。この日常にやや慣れてしまって、むすめがどんなプリンセスになりきろうと最近はスルーしてしまっておりましたが、今日思い立ってちょっと観察してみることにした。

そうすると出て来た登場人物が、タイトルにある「ルステーアーフェーちゃん」と「ルッキーアーペーちゃん」だったのである。聞き間違いではない。これは一回では絶対に覚えられないと思い、むすめにプリンセスの中断を求め、再度一文字一文字確認してevernoteにそのままメモしたので間違いない。プリンセスのお友達はルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃんである。

アラフォー(アラウンド4歳)はプリンセスだ。プリンセスであるからには、舞台は日本ではない。どこか遠くの外国である。そしてむすめにとっての外国人の名前は、ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃんなのわ。(「わ」の新しい使い方。)

それを想像力と呼ぶのかどうかは甚だ疑問だが、とりあえず大真面目にその名前をつけるアラフォー(アラウンド4歳)のセンスときたらぶっ飛んでいる。そしてそこまで想像力的なものを駆使してしてプリンセスになりきるアラフォーの女子力ときたらどこで身につけたのだろうかと疑問に思う。オットはこんなむすめを見て、「一体誰に似たんだろう・・・まいも小さい頃こんなだったの?」と聞いてくるので、「そんなわけないやん・・・こんな女子力高くなかったよ・・・」と答え、「だよねー。そりゃーだよねー」と、オットが返す、というやりとりを過去結構何度も繰り返している。

むすめの女子力とは・・・

「うちのむすめの女子力は誰に似たのだろう。」と、いうのは、結構よく聞くセリフであーる。私もよく言っている。

が。しかし。

よくよくよくよく思い出してみてほしい。いや、私は思い出してみた。記憶の片隅の片隅、「おひめさまごっこ」にいそしむ自分の姿を・・・。

いや・・・やってたわ・・・。

目の前の脳内プリンセスのアラフォーを見ていると、自分にこんな時期は断じてなかったと全力で否定したくなりますが、いやまあちょっとくらいは・・・あったような・・・気がする・・・。

エルサもアリエルもベルもソフィアもオーロラ姫もその頃はいなかったので(おとぎ話の中にはいてもそれはディズニープリンセスではなかったので)プリンセスになりきっているわけではなかったけれど、おひめさまには充分なりきっていた、多分。30年近く記憶の彼方に追いやられていたけれど、あったのだ、多分。ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃん(予測変換で出るようになった)がお友達だった時代が。私にも。いや正直に言うとわからなくもないのだ、その謎の名付けをしてしまう脳内メカニズムが。

子育てをしていると、自分が子供だった頃の楽しみを、もう一度楽しませてもらっているような感覚になることがよくある。サンタさんからのプレゼントを子供たちが見つけた瞬間とか、自分もすごくワクワクする。これって最高だ、なんだか得した気分だ、と、思っていたのだけれど。

子育てをしていると、過去の脳内おひめさまの記憶まで急に蘇るということがよくわかった4月の始め。いらん記憶まで引っ張りださないよう最大限の注意を払いたい所存なのわ。(「わ」の新しい使い方。)

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お別れ続きの三月に思う

ただひたすらに涙を流した三月が終わりました。もう泣きすぎてぐったり。もうしばらく三月はごめんだ、すまん三月、というくらい、ちょっと三月恐怖症になっています。だってもう色々せつなすぎる、身体がもたん。

三人分の三月にほとほと疲れている

わたしはどちらかというとごく個人的な人間で、オットや友達からはいつも、他人に興味がなさすぎ、と、笑われる。例えば昨日会った人が着てた服とかはまったく思い出せないし(それがどんなに仲の良い友達であっても)、誰かが髪を切っても気の利かないカレシ並みにまったく気づかない。なんならオットがヒゲを剃っても気づかない。やばい、これは人間として欠陥がある。いやそれはずっとわかっていたけれども。

そして私は基本的には出会った人とは皆いつか必ず別れが来るということを、ものすごくわかっている人間であると、自分で思っていた。何事にも終わりがあって、永遠に続くものなんて一つもないことを、きちんと知っていると、思っていた。

それなのに、こんなに苦しくなったのはもう何年ぶりだろうというくらいに押しつぶされそうになった、三月に。お別れ続きのこの一ヶ月に。私はいつからこんなにセンチメンタルな人間になってしまったのだ。こんなの思春期以来なんじゃないか。何歳なんだ私は。ぶつぶつ。

思うに、息子が生まれ、むすめが生まれ、否が応でも人間関係もそして世界そのものも、ぐんぐんと広がっていった。なんといってもごく個人的な人間で、欠陥だらけの私でも、それでもたくさんの出会いを繰り返してきた。今までは、私一人の世界で、友達ができて、あるいは恋人ができて、そして出会って別れてきたわけだけれども、子供が二人生まれてきたことで、子供たちを合わせた三人分の世界を、その人間関係を、なんだか生きてきたような気がする。

三人分の世界があって、そしてそれぞれに、人とも、場所ともお別れがある。これは実は私の33年間の人生の中で初めてのことなのだ、きっと。そして多分今は、この三人分が、まだまだとても濃い時期なのだ。子供達はまだ自立していないし、私は母となってまだ七年弱しか経っていない。そしてこの子供達が自立していない時期というのは、親だって自分一人では到底生き抜くことができない。だから子供達に深く深く関わってくれた人というのは、同時に私にも深く深く関わってくれた人たちなのだ。それが並列で三列に並んでいて、それぞれに三月の別れがあって、もう体が持たないくらいにぐったりと疲れている、三月に。

保育士さんとのお別れに学ぶ

むすめが0歳児クラスの時からずっと見てくれていた保育士さんが、退職することになった。むすめのクラスに配属になった時は多分まだ新任だったとても若い先生で、最初は若いしもの静かだし、少し頼りなく見えたのだけれど、しばらく経つと全然そんなことはないことがわかってきて、とても芯のしっかりした先生だなと感心することしきりだった。三年経った今、子供達が一番大好きな、とてもとても信頼できる先生になってくれた。

その先生が、「ずっとやりたいことがあった」と言って園を辞めることになった。なんといっても三月に疲れてきっていた私は、はあまたお別れだ、と、凹んだ。そして、仕方がないことだけれども、保育士の他に「ずっとやりたいこと」があったんだなあと思って、少なからずショックを受けた。こんなにいい先生だけれど、やっぱり保育士っていうのは辛いものなのかなあ。私たちはこんなに先生たちに頼りきってしまっているけれど、やっぱりやめたくなってしまう職業なのかなあ。と、思った。

そしてその先生に、次の職業って何ですか。と、聞くと、先生がものすごく恥ずかしそうに、答えてくれた。

「乳児院で働くんです。」と。

何といっても三月に疲れ切っていた私は、ここでまた、泣いた。それは仕方ない。止められない。いやどんな道だって止める権利はもちろん私にはないけれど、でもこれは、何も引き止められない。というか、お願いします。としか、言えない。と、思った。

子育てはすごく大変だ。というか、大変な一面ももちろんある。それでも、私たちは、そしてこの園に通う子供たちは、そうはいってもとても恵まれている。帰るお家があって、誰かしら、親となる人の愛情をそのお家で受けられる。

でも、園の子どもたちを見ていると、子どもはみんな、同じだけの愛情を受けられるべきだと、いつも思う。本来子どもたちはみんな、等しく大人の愛情を受けられるべきだ、絶対に。そして世の中には、毎日帰ることのできるお家のない赤ちゃんや子どもたちが、いるのだ。この日本にも。けれどもその子どもたちも、大人の愛情は、誰しも等しく受けられるべきだと思う。だって子どもは本当に、誰しも未来の希望だから。それは疑う余地なくそうだから。

と、そうは思っても、行動できないのが大半の大人だ。私含めて。でも目の前のこの若い若い先生は、「ずっとやりたかったこと」を、ちゃんと行動に移した。この世知辛い世の中で、自分にできることを、きちんと決断した。

この若い先生の愛情を、今度は、この園の恵まれた子供たちだけではなくて、乳児院の子供たちに、たくさんたくさん注いであげてほしいなと、心から思った。きっとそこには、この先生の愛情を本当に必要にしている子供たちが、たくさんいるから。

そう思って、それを伝えたくて、なんとか言葉にしたかったけれど、その先生より10歳以上歳上の私は、情けないくらいにうまく伝えられなくて、しくしく泣いていた。まったくもう。情けないにもほどがある。

一つ一つの別れはなんだか本当に辛いけれど、三月にはこんなに疲れてしまうけれど、でもそこには、きっと一人一人の小さな決意や、小さな勇気があるはずだ。そして、そこには、少しの成長があるはずだ。お別れの辛さは、きっと未来の何かにつながっていると、そういえば思春期の頃私は学んだような気がするけど、33にもなってそれをまた思い出した。つまり情けないにもほどがある。

三月にはほとほと疲れたけれど、なんだかたくさんのことに、気付かされたし、大切なことを、思い出したような気もする。同じように三月にほとほと疲れた人たちのいろんなお別れが、未来の何かにつながっていきますように。

と、ここまで書きながら、体が持たないのは、単にお別れ周りの行事がありすぎて、つまりその度に飲みすぎて、夜遊びしすぎて、単純に疲れているだけなのではなかろーかという気がしてきた。そしておかげさまで四月からの準備をまったくしていない。はあ。本当に、つまり情けないにもほどがある。

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