お別れ続きの三月に思う

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ただひたすらに涙を流した三月が終わりました。もう泣きすぎてぐったり。もうしばらく三月はごめんだ、すまん三月、というくらい、ちょっと三月恐怖症になっています。だってもう色々せつなすぎる、身体がもたん。

三人分の三月にほとほと疲れている

わたしはどちらかというとごく個人的な人間で、オットや友達からはいつも、他人に興味がなさすぎ、と、笑われる。例えば昨日会った人が着てた服とかはまったく思い出せないし(それがどんなに仲の良い友達であっても)、誰かが髪を切っても気の利かないカレシ並みにまったく気づかない。なんならオットがヒゲを剃っても気づかない。やばい、これは人間として欠陥がある。いやそれはずっとわかっていたけれども。

そして私は基本的には出会った人とは皆いつか必ず別れが来るということを、ものすごくわかっている人間であると、自分で思っていた。何事にも終わりがあって、永遠に続くものなんて一つもないことを、きちんと知っていると、思っていた。

それなのに、こんなに苦しくなったのはもう何年ぶりだろうというくらいに押しつぶされそうになった、三月に。お別れ続きのこの一ヶ月に。私はいつからこんなにセンチメンタルな人間になってしまったのだ。こんなの思春期以来なんじゃないか。何歳なんだ私は。ぶつぶつ。

思うに、息子が生まれ、むすめが生まれ、否が応でも人間関係もそして世界そのものも、ぐんぐんと広がっていった。なんといってもごく個人的な人間で、欠陥だらけの私でも、それでもたくさんの出会いを繰り返してきた。今までは、私一人の世界で、友達ができて、あるいは恋人ができて、そして出会って別れてきたわけだけれども、子供が二人生まれてきたことで、子供たちを合わせた三人分の世界を、その人間関係を、なんだか生きてきたような気がする。

三人分の世界があって、そしてそれぞれに、人とも、場所ともお別れがある。これは実は私の33年間の人生の中で初めてのことなのだ、きっと。そして多分今は、この三人分が、まだまだとても濃い時期なのだ。子供達はまだ自立していないし、私は母となってまだ七年弱しか経っていない。そしてこの子供達が自立していない時期というのは、親だって自分一人では到底生き抜くことができない。だから子供達に深く深く関わってくれた人というのは、同時に私にも深く深く関わってくれた人たちなのだ。それが並列で三列に並んでいて、それぞれに三月の別れがあって、もう体が持たないくらいにぐったりと疲れている、三月に。

保育士さんとのお別れに学ぶ

むすめが0歳児クラスの時からずっと見てくれていた保育士さんが、退職することになった。むすめのクラスに配属になった時は多分まだ新任だったとても若い先生で、最初は若いしもの静かだし、少し頼りなく見えたのだけれど、しばらく経つと全然そんなことはないことがわかってきて、とても芯のしっかりした先生だなと感心することしきりだった。三年経った今、子供達が一番大好きな、とてもとても信頼できる先生になってくれた。

その先生が、「ずっとやりたいことがあった」と言って園を辞めることになった。なんといっても三月に疲れてきっていた私は、はあまたお別れだ、と、凹んだ。そして、仕方がないことだけれども、保育士の他に「ずっとやりたいこと」があったんだなあと思って、少なからずショックを受けた。こんなにいい先生だけれど、やっぱり保育士っていうのは辛いものなのかなあ。私たちはこんなに先生たちに頼りきってしまっているけれど、やっぱりやめたくなってしまう職業なのかなあ。と、思った。

そしてその先生に、次の職業って何ですか。と、聞くと、先生がものすごく恥ずかしそうに、答えてくれた。

「乳児院で働くんです。」と。

何といっても三月に疲れ切っていた私は、ここでまた、泣いた。それは仕方ない。止められない。いやどんな道だって止める権利はもちろん私にはないけれど、でもこれは、何も引き止められない。というか、お願いします。としか、言えない。と、思った。

子育てはすごく大変だ。というか、大変な一面ももちろんある。それでも、私たちは、そしてこの園に通う子供たちは、そうはいってもとても恵まれている。帰るお家があって、誰かしら、親となる人の愛情をそのお家で受けられる。

でも、園の子どもたちを見ていると、子どもはみんな、同じだけの愛情を受けられるべきだと、いつも思う。本来子どもたちはみんな、等しく大人の愛情を受けられるべきだ、絶対に。そして世の中には、毎日帰ることのできるお家のない赤ちゃんや子どもたちが、いるのだ。この日本にも。けれどもその子どもたちも、大人の愛情は、誰しも等しく受けられるべきだと思う。だって子どもは本当に、誰しも未来の希望だから。それは疑う余地なくそうだから。

と、そうは思っても、行動できないのが大半の大人だ。私含めて。でも目の前のこの若い若い先生は、「ずっとやりたかったこと」を、ちゃんと行動に移した。この世知辛い世の中で、自分にできることを、きちんと決断した。

この若い先生の愛情を、今度は、この園の恵まれた子供たちだけではなくて、乳児院の子供たちに、たくさんたくさん注いであげてほしいなと、心から思った。きっとそこには、この先生の愛情を本当に必要にしている子供たちが、たくさんいるから。

そう思って、それを伝えたくて、なんとか言葉にしたかったけれど、その先生より10歳以上歳上の私は、情けないくらいにうまく伝えられなくて、しくしく泣いていた。まったくもう。情けないにもほどがある。

一つ一つの別れはなんだか本当に辛いけれど、三月にはこんなに疲れてしまうけれど、でもそこには、きっと一人一人の小さな決意や、小さな勇気があるはずだ。そして、そこには、少しの成長があるはずだ。お別れの辛さは、きっと未来の何かにつながっていると、そういえば思春期の頃私は学んだような気がするけど、33にもなってそれをまた思い出した。つまり情けないにもほどがある。

三月にはほとほと疲れたけれど、なんだかたくさんのことに、気付かされたし、大切なことを、思い出したような気もする。同じように三月にほとほと疲れた人たちのいろんなお別れが、未来の何かにつながっていきますように。

と、ここまで書きながら、体が持たないのは、単にお別れ周りの行事がありすぎて、つまりその度に飲みすぎて、夜遊びしすぎて、単純に疲れているだけなのではなかろーかという気がしてきた。そしておかげさまで四月からの準備をまったくしていない。はあ。本当に、つまり情けないにもほどがある。

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