そろそろ好きな本について話しても良いような気もする

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クラシックだけでは荷物が入りきらないことが多々あり、トートバッグがあると大変助かる。

「読書が好き」というのがなんとなく恥ずかしい

この前、とても嬉しいことにブログを読んで下さった方からメッセージをいただき(ありがとうございます!)、読んだ本のこととかも知りたいです、と言っていただきました。

昔から、本を読むことが好きで、多分飽きっぽい私が一貫して好きなことは読書と洋服だけのような気がするのですが、なんでだろう、昔から「読書が好き」と言うのがものすごく恥ずかしかった。

思えば小・中学校時代、まあ田舎のヤンキーだらけの小・中学校(小学生はヤンキーにはならないか。中学生かあれは。)に通っておりまして、「勉強をする=超絶ダサい。」みたいな価値観の中で育ちました。いやもう本当にあの頃はそれが世の中の真理だと思っていた。それが全てと信じて疑わなかった。あほだ。

そういう価値観の中でですね、「本を読む」なんていう行為は、ださい中のださいだったのです。多分。あんま覚えてないけど。

いやそれが今も影響しているかというとまあそんなことはないだろうと思うのですが、(なんせ高校へ入ったら、周りに「勉強のできるギャル」が山ほどいてびびって価値観がころっとひっくり返ったから)ただ、なんだろう「本を読む」ことについて語るとなると今でもなんだかこっぱずかしいという思いがあるのも事実。

本が好きとは言っても作家や編集者のように山ほど読んでいるわけではないし、新刊はくまなくチェック、というわけでもないし、洋服のブランドに詳しくないのと同じで、作家に詳しいわけでもまったくない。多分私の読書はものすごく偏っている、と、思う。だから、「読書体験を語るに足らない」、と、どこかで思っているというのもある。誰も私の読書体験に何も興味はなかろう、と思っているような。読書というのはどこまでも個人的な体験だから、それを共有する場は特になくていい、と、多分ずっと思いながら本を読んできたという面もある、気がする。

なにより、読んだ本について語ること、自分の本棚をさらけ出すことというのは、なんだか自分の中身を全部見せるような気がして、人間性までさらけ出すような気がして、どうもムズムズしてしまうというのも、大きかったと思う。とは言ってもつい、自分の思いや考えが本に書かれていると、「そうそうそういうこと!」と、つい引用してしまうのですけどね。自分の言葉では言わないくせに、本で書かれていることで自分を表現するってちょっとずるいなと自分でも思いながら、ついお借りしてしまう。やっぱり、「これは自分のことが書かれている」と感情移入する時ほど、読んでて楽しいものはないというのもあるのかなあ。

とにかくつらつらと言い訳を並べましたが、読んだ本の感想とかをあまり長々と語ることはなく、人ともあまり話すことはそんなに多くなかったと思います。

そして「村上春樹が好き」というのもなんとなく恥ずかしい

 

でも30歳もだいぶんと過ぎて、人並みに、よりはほんの少しだけ多く、本を読んできたような気がしていて、そしてやっぱり、今の自分を形作っているというか、少なからず影響を与えているのは「本を読む」ことそれ自体なような気がして、今なら、本を読むことについて、読んだ本について、なんとなく思うことを記しておくのもいいのかな、と思うようになりました。

これから、読んだ本、面白かった本、自分に影響を与えた本、などなど、記していけたらいいなと思いますが。その前に自分にとって本を読むことについて、少し記しておきたいと思います。

「趣味は読書です」と、言うのと同じくらい恥ずかしいのが「好きな作家は村上春樹です」というこの一言。これはなんというかもう、あまりにメジャーになりすぎてこっぱずかしいというか。自分が好きだった地下アイドル(が何かはよくわからへんけど)が一気に人気が出てメジャーになって、ファンですというのがはばかられるような。(いや全然違う気もするけど・・・)なんだかメジャーすぎて恥ずかしいというのは、私がいかにあまのじゃくかということにつきますが、でもやっぱりこれは避けては通れないことなのだ、やはり。

村上春樹の本を最初に読んだのはもういつだったかも覚えていないのだけれど、高校生の時だったか、大学生だったか、それまでは主に母が読んだ本に大きく影響を受けまくっていた自分にとって、初めて自分で選んで読んだ本だったかもしれない。いやもちろん、図書館で借りて読んだ本とか、そういう意味で自分で選んだ本というのはあったのだけれど、なんというか、家を出て一人暮らしをするまで、自分の価値判断において母の価値観というのがすごく大きくて、あまりに大きくて、母が「いい」といったものが、とにかく「いい」ものだ、と、心のどこかで思っていて。

だから、本にしても、母が「いい」といった本が、「いい」本なのだと、どこかで思っていた。よしもとばななも、小川洋子も、まあ夏目漱石や森鴎外も、アンネの日記も、ミステリーで言えば宮部みゆきも綾辻行人も、まあとにかく家にある本を片っ端から読んでいたと思う、中学生や高校生の途中までは。でも村上春樹はそうじゃなくて、でもどんな経緯で読んだのかさっぱり覚えてないけれど、とにかく自分で選んだ本だった。家にはなかったと思う、多分。

今になっては母の影響が大きかったというのも、それはそれで良かったなあと思うのだけれど(「いい」本であることに変わりはなかったし)思春期の私は、このままじゃいかん、と、思っていて、そんでそれなりに反抗期も経て、結局東京の大学に進むことになる。東京へ出た理由はまあ色々とあって(失恋したとか、うん。)一言では言えませんが、でも自分の価値観でものを選びたい、というのもすごく大きかったのだと思う。そしてその「もの」には、少なからず本も含まれていたと思う。自分で、自分の感覚で、本を選びたい、と、思っていた。

そして、きちんと自分で選んだ本が、結局そのあと、自分にとってかなり大きな影響を与え続けているような気がします。今、こうして振り返るまで気づきもしなかったけれど、多分私が思っていた以上にその影響は大きかった。

ものすごく長くなるので、続きはまた明日。(たぶん)

なんせ最近夜更かししすぎて風邪をひきやすくなってしもうた・・・。規則正しい生活は村上春樹の基本であります(なにそれ)

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