「いやだ」と言っちゃってもだいじょーぶ。

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だいたい週に2回くらい、会社のゲートでピッとsuicaをかざすようになってきた。なかなかキテいる証拠です。3月ですね。

3月のキリン

小見出しに意味は全くありません。言いたくなっただけ。3月のライオンにかけてみましたとか言ったらほんとそろそろ怒られそう。

3月になり、いよいよ息子の卒園が近づいてきました。考えたら泣きそう。なので考えない。ちょっと別の視点からのお話。

卒園に向けて保護者主体のイベントや行事も増えてきます。たぶん多くの人は、当たり障りなく、「何となくみんなが出席するイベントだから」とか、「子供のため・・・」とか、そういった気持ちも含めて、行事には出席するし、役員は続けます。それはもちろん私も含めて。それが「多数派」です。

もちろんイベントが心から楽しみだとか、子供のためになることを本気でしてあげたいとか、そういう気持ちももちろんある。それはもちろん私も含めて(と何度も繰り返す)。でもどちらにしても、その「本気でやりたい」度合いがどれくらいのレベルにあるにしても、とにかく結果的に私たちは「多数派」を選ぶ。そして、自分は「多数派」だろう、と、認識する。(そして少しの安心感を得る。)

ところで、いつの世も、保護者(というか人間)が集まるとそれなりに小さいトラブルのようなものも発生します。そして私という人間はほんとうに人間的に未熟ですので、そういったトラブルの種を見つけるやいなや全力で逃げます。ええもうだめな大人ですね。しかしこれはもう致し方ない、神様が与えたもうた性格なのです。許して仏様。(意味不明)

そしてだいたいいつも面倒なことから距離を置くわけですが(ほんとうにすみません)、そうすると、何があったか背景はわからないけれど、結果として残ること、つまりあの人は今回の行事に出席しないとか、役員を降りた、とか、そういう「結果」となることだけを知ることになります。

だいたいのことは「ああそうなのか。」といったレベルで受け止められる

「行事に出席しない」とか「役員を降りる」という選択は、「多数派」ではない。あくまでも少数派なわけで、もちろん一部の人たちからは「協調性がない」とか「子供がかわいそう」(ところでこのフレーズは本当に他人が発する言葉ではないですよね条例で禁じたらいいと思います。)というネガティブな声も出るやに思います。おそらく。たぶん。

と、そうは思うのだけれども、「トラブルの内容はよくわからないままだけれどもとにかくその結果だけを知る」といういつものパターンを繰り返す私がここで気づいたこというのは、例えば「行事に出席しない」という結論を出した人のことを、いやまあ特になんとも思わないな、と、いうことです。「変わり者なんだなあ」とか「あんまり近づきたくないなあ」とか、ましてや「そんな親の子供はどんな子なんだろう」みたいなことは、特にというかまったく思わない。

まあ「多数派」ではないのだろうし、そういう意味ではちょっと変わっているところはあるのかもしれないなあとちらりと思う程度のことはあっても、だからと言ってまあ基本的に「ああそうなんだないろいろあったんだろうなあ。そういうこともあるよなあ。」くらいのことしか思わない。何かを詮索しようとも思わないし、もちろん何かを説得しようとも思わないし、「ああそうなのか。」というのが、ほぼすべての感想なのです。

で、思うに、これってだいたいの人の感想なのではなかろーか、と。いろいろ言う人が少しはいるにしても、その声が大きく聞こえがちだとしても、もしかすると世の中の多くの物事は、「ああそうなのか。」といったレベルで他人に受け止められるのかもしれない。

「いやだ」と言っても大部分の人は「ああそうなのか。」と思うに過ぎない

これを視点を自分にして考えてみると、もし仮に自分が何かいやなことがあってそれを「いやだ」と口にした時、もちろん「けしからん。」という人は一定数いるにしても、大部分の人は「ああそうなのか。」と、思うに過ぎないのだろうな、と、いうことです。ちょっとくらい「変わってるなあ」とは思われるかもしれないけれど、でもその程度。

自分がやりたくないことがあったとして、それを断るのって、いろいろ考えるとすごく高いハードルのような気がしてしまうけれど、実はそんなに高いものじゃないんじゃないかな、と、思います。本当にやりたくないことをやるのと、ほんのちょっと「変わってるなー」と思われることだと、よくよく考えてみれば後者の方が圧倒的に楽。だいたい「ちょっと変わってるところ」なんて、誰も彼もみんな持っている。

もちろん保育園のイベントというのは一つの例であって、それを否定するわけでも、頑張って取り組むことを冷ややかに見ているわけでもなくて、実際私自身はみんなでワイワイいろんなことができてすごく楽しかったし、交友関係も広がったし、行事に参加するのも係をやるのも結果的には良かったなあと思っています。

ただ、それだってなんだって、基本的には「やりたい人がやればいい。」と、思うのです。それはどんなことだって同じで。本当に嫌なことに対して、「いやだ」と言ったって、自分が思ってるほどのリスクは実はないのだと思う。むしろ、本当に嫌なことを無理してやる方が、ずっとずっと不健康だし、長い目でみればものすごいリスクになると思います。

ほんとーーーにいやなことは「いやだ」と言ってしまうのが大事だな、と思う。それで失うものって、実は自分が思うほどないのだから。というか守るものこそあれ、失うものは多分、何もないのです。

全然そんなに、たいしたことないのです。

そんなことを、ふと考える3月中旬。ああもう中旬。仕事も大詰め年度末。ああ年度末。

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