3月24日。

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先日、母の命日だったのでお花を買って帰りました。

私はカサブランカとか、カラーとか、白×緑のお花が大好きなのだけれど、この日はなんとなく母のイメージに合わせてピンクと白のお花を。

あれから9年。もう泣くこともそんなになくなってきたけれど、やっぱり今日はちょっとさみしいなー、人は孤独な生き物だなーぐすん、とか思いながら一人で歩いていた帰り道。

ふと携帯を見たら、大好きな友人の赤ちゃんが生まれたというお知らせが入っていました。

哀しい思い出がたくさんあった母の命日に、新しい命がまた生まれてきてくれた。もちろん偶然でしかないんやけど、それはとてもとても嬉しいことで、銀座のど真ん中でぽろぽろ泣いてしまった。

哀しみっていうのは多分、消えるということはないものなのだろうなと思う。あの頃私は世の中で一番かわいそうだみたいな顔をしていて(それは今思うとものすごく恥ずかしいことなのだけれど。)そしてもちろん実際哀しかったけれど、それでも世の中にはもっともっと、私にはちょっと想像もつかないくらいの哀しみや痛みであふれている。

例えば、今ならわかるけれど、「母」を亡くした私よりも、「娘」を亡くした祖父や祖母の気持ちは、私よりももっともっとやりきれないものだったにちがいない。自分が母親になった今は、それが少しわかる。子供が自分より先にいなくなるということは、きっと何よりも辛いことだと思うから。

世界中にはたくさんの痛みがあって、哀しみがあって、それはきっと消えることは一生ないのだろうと思います。

それでも。哀しみは、決して消えることはないけれど、その分、その隣で、うれしいことや幸せなことは、積み重なってゆく。それは確実なこと。哀しみのど真ん中にいるときは、そんなことに気づきもしないけれど、1年後、2年後、10年後、少しずつ、少しずつ、うれしいことや、幸せな思い出が、増えてゆく。小さな大切な命がまた、今日も生まれている。

家に帰ったら、子供たちが、お空のばあばに向かってたくさん話しかけてくれました。

「ばあばー、おはなきれいだねー!」「ばあばーみて、このおよーふくかわいいでしょー!」「ばあばー、サッカーしよー!ボールけるよー!」などなどまあ騒がしいこと。

本当は、ばあばにこの姿をみて欲しかったと思うけれど。それが本心だけれど。そしてそれが、私がこの先ずっと抱えてゆく痛みなのだろうと思うけれど。でも、同時に、こんな風にこどもたちが無邪気ににぎやかに、お空のばあばに向かって話しかけてくれるかわいい姿をみられるというのは、とてもとても幸せなことだなと思った。あの日の私にはこんなこと想像もつかなかったけれど、今、この子たちがいてくれて、本当によかったと思う。

今も世界中には、戦争で、テロで、震災で、(並べるものではないけれど。)大切な人を亡くした人がたくさんいらっしゃいます。大切な故郷に戻れなくなった人がたくさんいらっしゃいます。

降りかかる哀しみが消えることは決してないと思う。戻ったように見える日常にも、ぽっかりあいた穴をふと感じて立ち止まって泣いてしまう日はいつまでたっても訪れるのだろうと思う。

理不尽さと、どう折り合いをつければいいのかわからずに、自分を責めてしまう日があると思う。

でもどうか、亡くなった大切な人が愛してくれた自分を責めないで、そういう自分を存分に大切にして、日々を歩んでいってほしいなと勝手ながら思います。

そうしていれば、痛みのとなりで、喜びや幸せは、積み重なってゆくから。そしてそれは、すばらしいことだと思うから。さよならをした大切な人も、それを知ってきっとどこかで笑ってくれていると思うから。

3月24日。とても幸せな、大切な日に。

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