会社を辞めて、フリーになりました。(たぶん)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

息子の卒園前くらいめっちゃ泣いたこの数ヶ月

毎日更新しようと決めたのが年末頃で、美しいまでに月一更新となっているこちらのブログ、ここのところ何をしていたかと言いますと、退職手続きと送別会に追われていました。何度となく泣きました。(送別会での暖かい言葉並びに個人事業主としての手続きの煩雑っぷりの恐ろしさに。)

12年前、新聞社の広告局という部署に就職が決まった。その時母に、「この会社の名刺があれば、いろんな人に会えるし、どんな仕事もできると思う。でもいつかその名刺がなくなった時、自分の名前で、仕事をしたいと思ってもらえるようなそういう仕事を、積み重ねていってね。」と、いうことを言われた。

それは決して、会社を辞めて欲しいとかそう言った意味ではなかったと思うのだけれど、私の中でその言葉はずっと残っていて、母がなくなった後も、ずっとどこかにあって、いつしかそれは私にとっては、会社を辞めてフリーランスとして仕事をしていきたい、という思いに繋がっていった。

その思いはたぶんもう数年前からずーーーーーーっとあって、ずっとあたためていて、それでも特に出産してからの仕事のバランスや、一緒に仕事をしてきた人たちが好きすぎて、心地良すぎて、なかなか決心がつかないところもあったのだけれど、なんとなく、もう、そろそろだなあと、春先に決意した。(それからが長かったけれど・・・会社を辞める、というのは大変だ。)

新聞社で12年弱働いてきて得たもの

新聞社に入る前は、「個人の力でできないことを、新聞社という大きな組織でやりたい。」と、思っていた。(志望動機でもそんなことを言っていた気がする。)でも、12年間働いてみて、なんかものすごく大きな仕事をやり遂げたとか、社会を動かすような何かをしたとか、そういったことがあったわけでは、決してない。いつも目の前の仕事を、その小さな仕事が終わる時に喜んでくれる人の顔を、そしてその先にある、この会社があることの意味を少しだけ、考えながら、やっていたにすぎない。

専業主婦だった母が、結婚して会社を辞めるとき、「よく社会の歯車という言葉は悪い意味で使われますが、私はこの会社の歯車になれたことが嬉しかったです。」と、挨拶をしたそうだ。

今その気持ちが、すごくよく分かる。

私が12年間やってきたのは、会社の小さな小さな歯車であることだ。でも、この会社の、いろんなことがあったけど、今となっては好きな人がたくさんいるこの会社の、小さな歯車になれたことが、とてもうれしいし、そのことを、今誇りに思う。

大きな会社で、いわゆる男社会で、日本的な会社で、社会人1年目の頃から戸惑うことばかりで、あーもうしんどいな、ここでやっていくのはなかなかに辛い。と、思ったことも死ぬほどあった。なんで私はここで働いてるんだろう、もっと緩やかに働ける場所はいくらでもあるんじゃないの、と幾度となく思った。

広告営業で毎晩毎晩残業どころかタクシー帰りの日々を送ったこと。ひっどいつわりに耐えながらお客さんのところへ行って、吐きながら残業したこと。おっきいお腹でもんのすごいトラブルを抱え、大人の事情が飛び交う打ち合わせを全てお腹の赤ちゃんに聞かせ、何たる胎教だ、この子は酸いも甘いも全部知った子になるな・・・とか思っていたこと。

生まれてきた赤子があまりにもかわいすぎて、そして産休前の仕事の記憶があまりにハードすぎて、こんなかわいい子どもを預けてまで私は仕事に戻るべきなのかと悩んだこと。

確かに辛かったことは考えてみれば山ほど思い浮かぶのだけれど、でもその何もかもを思い出すときに今は、それでも助けてくれた、支えてくれた人たちの顔も一緒に思い浮かぶ。

だって私がそれでも会社を辞めなかったのは、結婚しても出産してもずっと仕事を続けてきたのは、何があったって支えてくれた、助けてくれた人たちがいたからだ。そうじゃなければ、私はずっと昔に会社も、仕事も、働くことも辞めていたと思う。そしてその人たちと仕事を重ねながら、私は「自分で考えて仕事をすること」「自分で働き方を決めること」を学んでいった。「自分で」きちんと考え決めるよう意識するようになってから、仕事はぐんぐん楽しくなっていった。

私がこの会社で得た一番大きなものは、一生かけて付き合っていきたいと思える大好きな人たちと、そして「自分は仕事が好きなのだ」という気づきだ。

辛いことも山ほどあったけれど、私はやっぱり仕事が好きだったし、そして支えてくれる、一緒に働いてくれる人たちが大好きだった。人と人が繋がっていく瞬間を見るのが、すごく好きだった。

フリーになってやりたいこと。「書く」こと「伝える」こと。

私はそもそも非常に個人的な人間で、半径5メートルくらいの世界を生きている人間で、だからサラリーマンなんて絶対向いてないのに、それでも12年間も続けてこられたのは、この会社があまりにも寛大で素晴らしいところだったからにすぎない。そして私の周りにいる人たちが、全くもうムシ(わたしのこと)のてきとうっぷりときたら。。と言いながら、いつもいつもサポートしてくれていたからにすぎない。それくらい素晴らしい環境を卒業してでも、それでもわたしはやっぱり、自分で自分の働き方と人生を、自分で作っていきたいなあと、思った。なんともまあ、わがままな決断だけれど。

そして、私が大好きな場所を卒業して、それでもやりたかったことというのは、やっぱり「書く」ことなのだ。もし自分にこの先、何かできることがあるとしたら、どこかの誰かを少し、楽しませることが、心を軽くすることが、できるとすればそれは、やっぱり「書く」ことなのだと、思う。

コンテンツの値段がどんどん下がっていくこの時代に、私が「書く」ことでどんな「価値」を生み出せるのかはまだまだわからない。それでもきっとできることがあると、信じてやっていきたいなと、思う。それが自分にできること、というか、それくらいしか不器用な自分にはきっとできない。

「書く」こと、そして「伝える」こと。

誰かが書いたものをわかりやすく編集して「伝える」こと。たとえばSNSやオウンドメディアでの「伝え方」に悩む企業のお手伝いをすること。

そして、大好きな洋服のことや、子育てのこと、そして働き方や働くということについて、「書く」こと。

「書く」「伝える」ということにはまだまだたくさんの可能性というか、人の心を軽くする何か、があるように思う。

そう、私は、就職する時、新聞社という大きな組織で、人を、人の心を動かすようなことがしたい、と思っていた。でも12年経った今、私がやりたいことは、そんな大きなことではなくて、「人の心を少しでも軽くする」ことだ。

どんな形でもいい。私が、書いて、伝えることで、誰かの心を、もやもやしたものを抱えた、小さな痛みを抱えた、そんな誰かの心を、少しでも軽くすることができるなら。

個人の力に限界を感じて、大きな組織に入りたいと、「マス」のメディアで仕事がしたいと思ったのが、12年前。今、もう一度個人に立ち戻って、小さなところからコツコツと、積み重ねてゆきたいと思っています。

「書く」「伝える」。まだまだ個人でできることに限界はあるかもしれませんが、お手伝いできることがあればお気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。私一人だけじゃなくても、こういったところならお力になれるかも、こういう人なら紹介できかも、などなど、できることがあるかもしれません。

新しい日々、新しい毎日、不安もたくさんだけれど、12年間のサラリーマン生活で学んだこと、仕事は楽しく!を、モットーに、また一から頑張ります。

↓お仕事募集中!!笑。

*ブログの感想、お問い合わせや、編集・ライティング・SNSプランニングなど「書く」「伝える」お仕事のご依頼はこちらからお気軽にどうぞ!メールでお答えします。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*