誰かの「違い」に寛容でありたいな、と思う

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

復職してからの6年で働くお母さんの環境は変わったか

第一子を出産して復職してから、丸6年が過ぎた。(丸6年が過ぎて、会社を辞めたけど)

この6年の間に、働くお母さんを取り巻く環境が、大きく変わったかというと、実感としては、まあそんなに変わらないな、という感じがある。保育園は相変わらず全入ではなく、むしろ働くお母さんは増え続け、「保活」という言葉が生まれ、希望の園には入れない、という状況は続いている。

そして9月まで働いていた会社の制度が、この6年で大きく変わったかというと、大きく変わったものはそんなに思い浮かばない。時短をとれる期間が少し伸びたこと(たぶん)、あと、かなり制限が多いけれども在宅勤務が一部認められるようになったことが、変化といえば変化だと思う。(在宅勤務がもっと進めばそれは大きな変化になると個人的には思っているけれど)

でも自分の心持ちは変わった気がする

それでも私はこの6年間の間に、自分の心持ちとしては、すごく変化してきたなと思っている。それは自分が、変わったということかもしれない。

熊本の議員さんが、赤ちゃんを連れて議会に出席したことがものすごおおく話題になっている。いろんな議論が巻き起こっている。私はこれに関しては、「子連れ会議OK」の立場です。けど私、自分がこういう立場だと、きちんと言えるようになったこと、それがもしかして、すごく大きな変化なんじゃないかなと思っている。

6年前、復職したばかりの頃なら、そして一人目を妊娠中の時ならば、絶対に「子連れ会議OK」の立場だ、なんて言えなかったと思う。たぶん、それはダメだろう、と、思ってしまっていたと思う。本心では、そりゃ連れて行けるならそれに越したことはないとどこかで思いながら、「そんなもの認めちゃいけない、そんな風に甘えちゃいけない」という思いが、自分の中のどこかに、ずっとあったと思う。

妊娠したこと、子どもを出産したこと、そして子どもを預けて働くこと。それを心のどこかでハンデのように思っていて、罪悪感を持っていた。

「罪悪感」を少しずつなくしてくれたもの

たぶんこの6年間、一番大きかったものは、制度でもなんでもなく、この「罪悪感」との戦いだったように思う。それは、周りの声じゃなく、自分の中にあったものだ。周りの目ではなく、自分の中で渦巻いていた感情だ。

もちろん、いろんな考えの人がいて、熊本の議員さんの件でも見て心が痛くなるような批判も多くあって、「仕事に子育ての事情を持ち込むな」という考えの人だって周りにいただろうとは思う。でもそれを、必要以上に恐れていたのは、他ならぬ自分だったのだ。

制度がどれだけ整っていたとしても、自分がこの罪悪感を持っていたら、スムーズに働くことはできない。自分を、認めてあげることができない。

だけど6年の間に、少しずつ、働くことを認めてこられたような気がする。それはやっぱり、周りの人たちのさりげない気遣いに気づいたり、思っているよりも誰も自分を迷惑がってなんていないな、と感じる場面がたくさんあったからだ。本当に、本当に小さな些細なことでも、嬉しかった。退社の時に、「お迎え頑張って!」と言ってもらえることとか、そういう積み重ねが、少しずつ自分を強くしてくれたように思う。

周りのおかげで自分がそうして変わっていくと、少しずつ、今度はまた周りの人たちも変わってきたように感じていた。

例えばいい意味で、気を遣われなくなってきたなと感じる場面が多くなってきた。最初は、ここまでふって大丈夫?と、恐る恐る振られていた仕事が、最後の方は、まあとにかくこれやっといて、時間配分は任せるから!といった感じで、ざっくり振られていた。自分は時短だから、お母さんだから、と、仕事の上で気にすることが、どんどん減っていった。それはとても良い変化だったなと思う。

これは、相乗効果だったなと思う。周りの人たちに勇気づけられて、自分が自分の違いを認められて、仕事もスムーズに回るようになってきた。

事情が異なることは、性格が異なることと同じ

子育てだけじゃなくて、身体や心の病気を抱える人や、病気から復職した人、障がいを持つ人。なんらかのハンデを抱える人は、多分、周り以上にずっとずっと、自分が「罪悪感」を抱えがちだと思う。その時一番辛いのは、周りの「謙虚でいなきゃいけない」というプレッシャーだ。いや、「プレッシャーを感じる自分自身」だ。

だけどそれは本当は、「ハンデ」じゃなく「個性」のはずだ。人それぞれ性格が異なることと、事情が異なることは、同じこと。あなたの好きなものと、私の好きなものが違う。あなたが抱える事情と、私が抱える事情が違う。でも、それだからこそ、違うものが合わさるからこそ、自分には作れない何かを、誰かと、組織と、作っていけるのだ。一番大切な前提は、そこだと思う。

「初めてのもの」や「異なる」ものを、人は最初たぶん、少し恐れてしまう。パラリンピック選手の動きから、最初少し目をそらしてしまうように。でもよく見るとそこには、個性を生かした強さが見えるはずだ。「かわいそう」なんかじゃない力強さが、そこから感じられるはずだ。メルケル首相だって言っていた。「なんだって、すべてのものは最初は初めてだったのよ」と。(なんかそんな感じのこと。)

自分の「違い」と誰かの「違い」を認め合いたい

自分の持つ「違い」を、強さだと、個性だと認めてあげれば、他者の「違い」にも、恐れず向き合える。そして、自分の強さを、個性を、きちんと認めて他者と接したら、きっとその人も、その違いを認めてくれると信じたい。

だから自分と違う事情を持つ誰かに「お迎え頑張って!」って言ってあげられる寛容さを私も持っていたい。「預け先がなければ仕事場にお子さん連れて来てくださいね。」と言いたい。

きっとこれから、少しずつでも、働くお母さんを取り巻く環境は変わってくると思う。その時大切なのは、働くお母さん自身の心持ちでもあると思う。どんな立場であったとしても、その時は「弱者」と呼ばれる立場だったとしても、ちゃんと、言いたいことを言えること。罪悪感に押しつぶされないこと。そしてお母さんたち自身が、他者の「違い」にも寛容であること。そこから生まれる力を信じること。

まずは自分の周りから少しずつ。明日からでも変わっていけると信じて。

*感想、お問い合わせ、編集・ライティング・オウンドメディア記事運用・記事広告・SNSプランニングなど「書く」「伝える」お仕事のご依頼はこちらから。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。