イケ麺の先輩に囲まれつつ
#MeToo の広がりを見ながら、この業界で、たちの悪すぎるセクハラに遭わなかったのは、それはもう単純に、運が良かっただけなのかもしれない、とも思う。
セクハラどころか、私が会社を辞める決意をして、お世話になりまくった先輩に話そうと、「ちょっと話したいことがあるのでお時間ください」と、メールしてから、築地市場の名店、磯野屋にて「会社辞めます。」って話した時、先輩が言ってくれたのは、「びっくりした…すごいショックだけど、でも、話があるって言うから、すごいセクハラとかパワハラとか受けてるのかとか心配した。そうじゃなくて本当に良かった。」と、いうことだ。男前すぎませんか。本当、そういう人に囲まれて仕事をしてこられたんです、私は。
さっきも飲み会の相談を前職の先輩たちとLINEでしていて、「先輩に思いっきり幹事丸投げしてカップラーメン今すすってますすみません」って言ったら、「幹事は先輩がやるものだよ。」と返信が来た。男前か。イケ麺か。イケ麺っていうワーディングもいとも簡単に先輩から盗んだけど。
自分の感覚を絶対に絶対に若い子たちに受け継がない
だけど、そんな私において、今回のはあちゅうさんの告発を見た時、一番最初に感じたのは、「ああ、ありそう・・・」と、いうことだった。これはもう正直言って、はっきり言って、完全におかしいわ自分、と思う。
別の業界の友達は、「ひど!」「こわ!」「ありえない!」という反応だったのに、私の最初の感想ときたらこれだ。それはもう完全に、感覚が麻痺しているということだと思う。
自分が直接そんな被害を受けたわけではないけれど、やっぱり話として、身近で感じていた部分はあるのだと思う。
新入社員の頃は、あまりのカルチャーショックで体育会系のノリにいちいち疲れていたけれど(多分それはまともな反応)それでもだんだん、10年以上その業界にいて、変に慣れていってしまった部分はあるのだと思う。
そして自分自身、ある程度許容してきてしまった部分も、やっぱり少なからず、あると思う。もう少し、戦ってよかったんじゃないかなと思う部分もある。
でも今の私にできることというのは、自分の感覚が麻痺しつつあったことをまずはちゃんと自覚することだ。そして、若い女の子たちに、「ああ、ありそう・・・」だなんて感じさせちゃうような風習を、絶対に絶対に残さないことだ。
被害に遭った人が、どうか自分を責めないように
はあちゅうさんの、この言葉がすごくリアルだなと思う。中にいると、麻痺してしまうことがある。でも、声を挙げようと決めたはあちゅうさんの勇気がすごい。そして、声を挙げられないたくさんの被害者の人たちが、どうかどうか決して、自分を責めないように、と思う。
私の場合、自分が受けていた被害を我慢し、1人で克服しようとすることで、セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」
「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」
もうそんな風習が金輪際なくなりますように
そういう文化がものすごく近くにあって、もちろん、電通の人ともたくさんたくさん一緒にお仕事をしてきて、多分、12年間の間にもらった名刺は、電通のものが一番多かったと思うのだけれど。
その中には、私が人として本当に好きな人もいっぱいいる。一緒に仕事をしていて楽しかった人、プライベートの話もいっぱいした人、真剣に相談に乗ってくれた人。心から、仕事を通じて何かを変えようとしている人。仕事が大好きな人。色んな人がいる。
だからこそ、もう、悪い風習は、金輪際なくなりますように、と思う。悪者の象徴のように、「電通」という名前が使われるなんて悲しいことが、なくなりますようにと思う。
もちろん、その会社だけじゃない、同じ業界の会社全て、共に仕事をするメディア全て、クライアントとなる企業全てで、そんなことがなくなりますようにと。
組織を信じられるようになっていきたい
あと、セクハラとかパワハラがない文化というのは絶対にあると、信じ…られるようになりたい。例えば今回の記事を載せたbuzz feedにはそんな文化がないと信じたい。そういう組織は、作れるんだと、信じたい。そういうところに身を置いていなかったから、どこかで今も、なんというか組織的なものを信じられない部分があるのだけれど、そうじゃないと、信じていけるようになりたい。
たくさんの、#MeToo の人たちがそう思えますように。
自分が悪いわけじゃないと、心から思えますように。
私もまだまだ、できることをやっていかなきゃ。