シンプルに、なぜ走るのか
誰に言われたわけでも誰かと約束をしているわけでも誰かに脅されているわけでもない。焼肉をおごってもらえるわけでもないし、エルメスのサンダルが手に入るわけでもないし、セリーヌのデザイナーにフィービーが戻ってくるわけでもない。つまり何かが急激に好転するわけではない。
それなのに毎日毎日、私は走っている。今日も走りたくないと思いながら、走っている。なんでこんな辛い思いをして毎日走るのだ?あとなんでこんな辛い思いをして毎日毎日負けるヤクルトの試合を見るのだ?我ながらわけがわからない。
なぜ走るのか。メロスなのか。理由はたぶん、一つだけ。
少しでも、心身共に健康でより良い日々を送るため。
至って地味な理由である。なんだそれ。でもほんとうにこれだけだ。
だからそのために私が一番に大切にしたいことは、速く走ることよりも長く走ることよりも「できるだけ毎日走る」ことなのだと思う。
ノムさんが「速い球を投げられるのは、天賦の才であって、練習しても限界がある。目標設定にはなりえない。対して制球力は、練習をすればするほど、経験を積めば積むほど、向上する。つまり、どんな投手にも身につけられる可能性がある」と本に書いていて、私はそうだよ「目標設定」とはかくあるべき!と、目から鱗だったのだけれど、つまるところ私にとって走ることにおいての「目標設定」は「毎日走る」と位置付けられるべきなのだ。人生は野球だ。意味不明だ。
「毎日走る」ことの規則性そのものが大事
会社を辞めてから、毎日同じ時間に起き、同じ時間に電車に乗り、同じ時間に会社に行く、ということがなくなった。それは控えめに言って素晴らしいことなのだけれど、同時にあらゆる規則性が失われたということでもある。
何か一つ、自分の日々に規則性を持たせること、というのは何となく必要なことのような気がしていた。毎日走る、毎日書く。そういったようなものが。
だから走るということは、もちろん身体をある程度鍛えるといったわかりやすいものと同時に、日々に規則性を持たせる、繰り返すこと自体に、(あくまでも私にとっては)意味がある。まあたぶん一種の修行なのだ、あっほみたいに弱いヤクルトの試合をみるのと一緒だ、あれも修行だから。
「毎日走る」ためのルール
さて、だからと言って「毎日走る」というのはもちろんそんなにめちゃくちゃ簡単だ、というものではない。プロ野球選手になるとか、ZOZOの社長になるとか、石原さとみと付き合うとか、ヤクルトが優勝するとか、そのレベルの物事よりはもちろんよっぽど100億倍くらい簡単なことだけれど(だから私ごときにでもできるわけだけれど)、まあ「毎日ご飯を食べる」ことよりは、ちょっとだけ難しい。
続けるために、なんとなく、自分の中でこうしよう、と決めていることがある。(あるな、と、今日走りながら気づいた。)
具体的に自分が自分に決めていること(誰に言われたわけでももちろんないので、勝手に自分が自分に約束していること)を書き出してみるとこれくらい。
・平日は毎日走る、土日祝日家族の休みの日は走らなくて良い
・基本は月曜10キロ、火曜5キロ、水曜10キロ・・と、5キロと10キロを交互に走り、週に合計約40キロ以上走る
・それを繰り返して月に160キロ以上走る
・3泊4日以上の旅行にはランニングウェアを持って行き一度は走る
・雨の日雪の日暑すぎる日寒すぎる日はジムで走る
・前日に飲みすぎようがヤクルトがあほみたいな負け方をしようがオットとケンカしようが子どもともめようがとにかく朝が来たら走る
・午前中に走る
・午前中に予定が入っていて時間がなくてもとにかく1キロでもいいから走る
・短い距離しか走れなかった日の分は、1週間や1か月のうちに距離を調整して、最終的に月160キロにする
・できれば週に1回15キロを走る
・できれば月に1回20キロを走る
・できれば信号のない道を走り、歩かない、止まらない。
もちろんこの先に例えばタイムが速くなるとか、フルマラソンが走れるようになるとか、そういうことも目指したいと思うし挑戦したいとは思うけれども、本質的に大事なのはそういった数字のこと以上に「(休みの日以外は)できるだけ毎日走る」ことなのだと思う。だから、こういう自分なりの小さな約束ごとを、毎日地味に地味に守ることで、私の小さすぎるモチベーションをなんとか維持している。
「なんとかギリギリに守れる」約束であることが大事
だからそのために、自分に課すルールは「なんとかギリギリに守れる」範囲でなければならない。これは無理だわ毎日続けられない、というルールだと本末転倒なわけで、これならなんとか守れる、というギリギリのラインを、日々走りながら見極めてきた結果がこれ、という感じ。
最初から、月に160キロ走ろう!と思っていたわけでも、なんなら平日は休まず走ろう!と思っていたわけでもないのだけれど、日々走りながら、目標も、そのための自分との小さな約束も見つけてきた。
決して頭が良い人間ではないから(あたりまえだ)、机の前に座ってじっと考えて、ものすごく良いアイデアとか、大切な「答え」とか、目標すら見つかるわけでは、ない。最初にこうしよう!と決めるのではなくて、走りながら、歩きながら、身体を動かしながら、少しずつなんとなく、わかってくることがある。そうやって私は、いろいろなことを見つけて決めてゆくのだな、と、改めて思う。
なんかそれも走ることの一つの重要な側面なのかな、と思ったりしている。直接的にも、比喩的にも、走りながら大切なものを見つけてゆくため。しんどいけど。
明日は、この「しんどさ」を乗り越えるためにこれ必要だわ!と、私が今日気づいたことについて書きます。すごい大事ですここテストに出ます。たぶん。