2016宮古島の記憶

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今年も宮古島は暑くてそして怠惰で美しい。

もう何年前のことやったかな、10年以上前のこと。私は同級生が運転免許を取るタイミングにことごとく乗り遅れて、免許なしの学生生活を送っていました。だいたい、超ど田舎の私の生まれた町では、高校を卒業して大学に入る前の春休み期間に、みんな地元の教習所で免許を取るのが通例。田舎あるあるで、車がないとどこにも行けなくてちょう不便なわけで、みんな18歳でこぞって免許を取りに行く。しかし、東京の大学に進学することが決まっていた私は、そんな流れもつゆ知らず、のほほんと日々過ごしておりまして、すっかり免許を取りそびれておりました。

そういう人たちが次に通る道というのはそう、合宿免許ですね。
例にもれず私も、18歳時点で免許を取りそびれた大学の友人たちとともに、どこやったかなー山形かどっかの教習所に申し込みました。

ところがですよ。まあハタチそこそこの私というのももちろん今と全く変わらずすっとぼけていたわけですね、合宿に申し込んでいた日程は、何やったかの期末試験とバッチリかぶっておりました。あほなのかな。あほなのだろうな。

唯一の免許取りそびれメンバーだった友人たちは無事にみんなで免許合宿へ行ってしまい、いよいよ周りで免許を持っていないのは私一人のみという状況になったハタチそこそこの私。

どうするかなー免許いるかなーあったほうがいいよなー一人で山形はなー寂しいなー。地元で高校生に紛れて取るのもなー云々。

と、考えた私が思いついた方法それは、そうだ!宮古島で自動車免許を取ろう!
と、いうものでした。あほなのかな。あほなのだろうな。

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宮古島で車の免許を取るという暴挙・・じゃなくて勇気

と、いうわけで、一人で宮古島に(ダイビングではなくて)車の免許取りに行くわーと、言った時の親の猛反発(すごかった)も、生まれつきの(自分がやりたいことに対してのみ発揮される)プレゼン力でかわし、一人で行ったわけです、宮古島。免許取りに。ハタチそこそこの私。
あほなのかな。あほなのだろうな。

しかしですね、世の中には愛すべきあほがたくさんいるもので、教習所に併設された合宿所(水道光熱費込一ヶ月1万円)には、同じ境遇で一人で免許を取りに来たあほたちがたくさんいました。あほなことを考える同士というのは得てして気があうもので、ほんともうノンストレスの人生最高なんじゃないかと思える一ヶ月を、そのオンボロの合宿所で過ごしました。特大のゴキブリと戦いながら。

で、その一ヶ月で私は、宮古島という島の持つ美しさや強さやそして儚さや切なさのようなものを知って、感じた。日本にこういう場所と、そして人生があるということを目の当たりにして、その時東京の、まあ比較的大企業と言われるような会社に就職が決まっていた私は、ちょっとした、いや、結構大きな、ショックを受けた。こういう人生もあるよな、と。そこそこいい大学を出て、そこそこいい会社に入って、そういうのが「素晴らしい人生だ」というのはちょっと違うかもしれないよな、と。
ちょっと大げさに言うと、そこは私にとってのもう一つの人生の始まりのような、一つのターニングポイントのような、そんな一ヶ月でした。

例えば、何と言っても私は自動車免許を取りに宮古島へ行っていたわけで、運転免許はないわけです。でも当然電車もない島では、車がないとどこへも行けない。友達はみんな免許を取りに来た友人ばかりで、誰も運転できない。
と、いう環境の中、それでも海へ行きたくて行きたくて、もうまじであらゆる方法で遠出しました。

教習所の先生に頼み込んで、島の生徒の送迎のためのバスに乗り込んだり、教習所に通ってる地元の子たちの友達と仲良くなって休みの日に車を出してもらったり、たまに教習所の先生にも休みの日に遊びに連れて行ってもらったり(島の遊びというのはだいたいボーリングなんですけど。)、ええそうですねヒッチハイクしたり。何かが生まれる時というのは、たいてい、何かが足りない時。クルマがない。という圧倒的に不便な状況で、あらゆる手を使ったことで、結局たくさんの人とのつながりができた。なんか今思い返してみると、ほんとものすごいいろんなひと知り合って、いろんな人とお酒を飲んだんやけど、どうやって知り合ったのかもはや思い出せない。地元の高校の先生とかとも飲んだんやけどあれ何でやったっけ。。。

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そういう中で、たくさんの島の人と知り合いました。多分、旅行で来てるだけでは知ることがなかった島の側面を、たくさん見ることができた。そこにある生活を、肌で感じることができた。ほんともはや何でやったか忘れたけど、どこかのお家のお庭で親戚の人たちが集まってる所に飛び入りで参加させてもらって、一緒に泡盛飲みながらお父さんの三線で一緒に踊ったりもした。あそこはどこだったのだろう。まあそれくらい、ものすごく濃い時間でした。

自分が生まれ育った町でもない、今住んでいる町でもない、親戚がいる町でもない、もともと縁もゆかりもなかったけれど、でもなぜかものすごく惹きつけられた土地にふらりとやってきて、その土地の人たちと同じ空気を吸いながらそこで過ごす、というの体験はそれが初めてで。私は今でもあの時の空気が忘れられなくて、それ以来結局毎年のように、宮古島に通っています。

旅のスタイルは変わったけれど、変わらず「ただいま」と思う

あれから10年以上が過ぎて、私にも東京で家族ができて、貧乏すぎた学生の頃とは少し変わってリゾートホテルにも泊まれるようになった。

だから、あの時の過ごし方とはやっぱり当然、違った形で宮古の時間を過ごすようになった。だいたいいつも一人で行っていたけれど、ここ数年は子供達や、オットや、子供達を通してできた友人と行くことが増えた。

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暮らすように過ごす、ということは今はなくなったけれど、それでもやっぱり宮古へ行くと、あー帰ってきたなーと、思える。そして、自分にとっての大切な人と、自分にとっての大切な場所へ行けることを、人生のステージが変わってもなお同じように通えることを、あーしあわせだなーと、思う。どんな形でもやっぱり、宮古の海は青くて、人は程よく怠惰でてきとうで根が暖かくて、ただそれだけなんやけど、ただそれだけのシンプルな島やから、10年以上変わらないものが確実にあって、帰ってきたなーと、思うとホッとする。

でもなんでなんやろうなー、余裕のある旅ができるようになった今でも、たまにふと、一ヶ月1万円のあの合宿所が恋しくなることがある。車もなくて、ヒッチハイクした旅が懐かしくなることがある。その頃はまだ誰もいなかった新城の海岸で、ラジカセで元ちとせを流しながら、丸太に腰掛けて一日中ぼーーーーっと過ごしたその時間にどうしても戻りたくなることがある。それは多分、もう二度とできないことがわかっているからなんやろうな。美しいものというのは、二度と戻らないこと、そのものやから。

けど、美しいものが、二度と戻らないことであるのなら、その美しさはきっと日々の、そして人生の変化の中にこそあるわけで、結局のところ、10年後には、小さな子どもたちを連れてヘトヘトになりながら美しい島を周ったこの旅を、涙が出るほど懐かしく思う日がきっと来る。それは想像もつかないけれど、でも想像もつかないからこそ、きっとこの旅がまた、人生の宝物になるんやろうなと思う。

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だから、変化を嘆いたり恐れたりするんじゃなくて、ただ今目の前にある日々を、なるべく笑いながら、紡いでゆきたい。そして今は、今しかできない旅を、楽しんでゆきたい。変化の中にある美しさと、宮古の変わらない自然の美しさのバランスが、なんとなく自分の人生のバランスにつながっている、そんな気がした今年の宮古旅でした。

 

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