子連れ冬の京都嵐山。その2

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嵐山旅行記の続き。その1はこちら→子連れ冬の京都嵐山。その1

この日はわたしの大好きなお寺を目指してみんなでおさんぽ。

大好きなわたしの妹と歩けてたいそうご満悦の息子。

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竹林を抜けて、小倉山二尊院へ。

ここの阿弥陀如来と釈迦如来の二尊像がすばらしくてですね。。。

阿弥陀さんとお釈迦さんの二尊像というのはもう、言うなればいいとも最終回でダウンタウンととんねるずとウンナンが全員集合したときのようなそんな素晴らしさが。いいんですとっても。

というわけでなかば強引に家族を引き連れてわたしだけわくわくしながら来たわけですが。

着いてみるとなんと本堂改装中。「お庭だけなら見てもらえるんですけど、すみません」とお寺の方。

嵐山の街中から二尊院のあたりまでというのは、歩くと結構な距離があるもので、ここまで来て会えないのかダウンタウン!じゃなかった二尊像!と、もちろんショックをうけましたが。

いやはや、見仏でお寺を回るとこういうことは意外と結構しょっちゅうあるものでして。オットとかは事前に調べとけばいいのにって苦笑いやけど。

見仏が子連れになってからはなおさら、なんとなく、仏像を見に行くときくらいはあまり周到に準備せずふらりと行きたいなあという思いがどこかにあって、(普段はやっぱり色々準備が必要なので。子連れというものは。) 行ってだめなら仕方ない、そういうもんだ、と、思えるようになってきたというか、これを通してそういう精神を鍛えているような気がします、わたし笑。

そういえば前にも奈良の唐招提寺に千手観音を見にいったときに、改装中で会えずじまい、ということがありました。そのときも、たしか工事期間が残り4年くらいあって。(だいたいお寺の改装というのはどえらい時間がかかる。)

じゃあまた4年後に来よう、と心に誓って、4年越しに会えた千手観音様ときたらこれはもう。涙がでるほどかっこよかった。会えない時間が愛育てるのさ的な。(それはもはや病気)

そういったわけで、改装が終わったらまた会いにこよう、二尊像。それまでの楽しみにとっておきます。

ところで関係ないけど唐招提寺の千手観音はほんとうに圧巻です。千手観音って、千手と言いつつそのほとんどが手は42本なのですが、唐招提寺の千手観音ときたらほんとにあるんです、(ほぼ)千本。手が。

これはねもう圧巻。ウルトラマンは仏像からインスピレーションを受けたと言いますが、それめっちゃわかる。ウルトラマン的かっこよさというか。なんかあーいう男子がわくわくしそうなかっこよさを秘めている。仏像。

あと唐招提寺に限らず、そもそも奈良のお寺って規模が京都よりもでかいところが多くて、そのくせ仏像との距離が近くて、見仏には京都よりもおすすめのお寺が多数です。

。。。えっと話がめっちゃそれましたが。

そんなわけで本堂に入れないと聞いた妹と父は赤子とうちの息子を連れて近くの喫茶店で休んでいるとのことだったので、オットとむすめと三人でお庭に入ることにしました。この組み合わせめずらしい。息子とオットと三人、という時間はもちろんあったけれど、むすめはパパとママを独り占めできることってそうそうないもんね。なんだかちょっとうれしそうでした。行ったとこはお寺ですけど。

外人さんのピースに憧れたむすめ。このあと二人で何度もピースしあって爆笑してた。ありがとう外人さん。そしてむすめが撮ってくれた写真。

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そしてこの本堂に続く階段がすごく好きです。このお寺。

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この図、なんだかデジャブやなーと思ったんやけど、むすめがおなかにいる頃、雪降る中一度息子と二人でも訪れて、そのときも同じような構図で写真を撮ったのでした。

おなかの中に新しい命を抱いて、そしてこれから一人っ子ではなくなる息子の手をひいて訪れるお寺での静かな時間。その年の冬の嵐山はほんとあほほど寒かったけれども、それでも息子と二人きりの時間がとってもあたたかかったことを覚えています。

しあわせのど真ん中で「今がしあわせだ」と実感できることはほとんどなくて、こうして振り返ってみて改めて、その時間が持つあたたかさやそして儚さを、じーんと思い出したりできるもの。子育てなんてほんとうにそのくり返だと思います。美しいものが、二度と手に入らないものだったりするのと同じですね。

そうそう、息子と初めて「向き合って」ご飯を食べたのも、このときの嵐山でした。

慌ただしく過ぎてく毎日だけれど、小さな非日常はやっぱり心の隅に残りやすいし、ふとした時に成長を感じられるきっかけとして思い出されるものかもしれない。だからやっぱり小さなこの子たちの手をひいても、たまには遠くへでかけたいな、と思うのです。それはもしかしたら、子供たちがきっとすぐに大きくなって、この手から離れてしまうと心のどこかで知っている自分の、小さな焦りのようなものかもしれないけれど。

きっとわたしはいつか、この嵐山のことを思い出してとてもなつかしく思うんだろうなあと思いながら。

今日も絶賛反抗期の5歳児といやいやきをようやく脱しようとする2歳児との攻防に明け暮れるわけです。あーがんばろ。

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