100%の力でやってみることを怖がらないようになりたい。

「どれくらい頑張るのか」という問題

ずっと、努力を人に見せるのが恥ずかしいなあと思ってきた。というか、努力をしなくてもサラリとできることに憧れていた。もちろんもういい大人になって、そんなことはありえないと今ではわかるのだけれど。

もう一つ、「努力をするのがカッコ悪い」と思っていた(思い込もうとしていた)理由の一つに、「頑張ってしまうと、自分の限界が見えてしまうんじゃないか」という怖さがどこかにあったのだと思う。頑張って出来なかったということは、自分はそれ以上はできないということだ、と、自分の能力の限界を知ることが怖かったのかもしれない。

いつも80%にしておけば、失敗した時も、あと20%の力を出せば成功できていた「かもしれない」という、思い込みを残せる。その根拠のない自信の余白を残すために、どこかで頑張ることを恐れていたのかもしれない。

書いてみたら、なんとまあ恥ずかしい考え方なんだと思うのだけれど、そういう気持ちのバランスをとりながら、いろんなことに向き合ってきた部分はあると思う。

あと、これは私に限ったことだと本気で思うけれど、サラリーマンでいた時、どうしても出る杭になるのが怖い気持ちもどこかにあった。80%の力と、100%の力で、お給料も変わらない空間に身を置いていると、なんというかいろんな保険を考えて80%にとどめてしまいがちだった気がする。

もちろん、毎日毎日100%の力を出していたら人は簡単につぶれてしまう。緩急が大切で、いざという時に100%の力を出せるように、普段は緊張を緩めておくことも大切。だけど、きっと私はそのいざという時の100%そのものを、怖がっていたような、気がする。

いや、正直に言えば、今も少し、怖い。

大きな会社を辞めて、一人になった。その理由はいろいろあるけれど、「言い訳なしの個人の力でやっていきたい」という気持ちもあった。だけど、今まだ、その「個人の力」に向き合うのが怖いという気持ちが、残っているなと感じる。

会社にいれば、100%を一生出さなくても、食いっぱぐれることはなかったかもしれない。(これから厳しくはなってくると思うけれども。)でも一人になったからには、怖がる気持ちを克服しなきゃな、と思っている。

あれは高校受験の時だったか、刺繍が趣味だった母が、

「It’s better to regret doing something than to regret not doing it.」(やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい)

っていう言葉を入れた額をくれた。(ような気がする。)(うろおぼえ)

なんかまさに、その通りだと思う、34歳の春。15歳の春にその精神で頑張ってたはずなのに、もうすっかり忘れていたよ・・・。

なんだか踏ん張りどきな気がしている。恐れずに、いろんなことにチャレンジしてゆきたいな。そう、野球選手のように。(本当に野球のことしか考えてない。)ぐっとお腹に力を入れて。

 

【50音blog 】お:音読ーー息子の音読を聞くのが好きだ

声に出して読む、聞く、物語も良いものだ

子供が生まれてから知ったことの一つに、「音で聞く(読む)物語もいいものだ」ということがある。

ずっと本は一人で読むものだと思っていたし、昔は本を読むときに声を出して読み上げたら怒られたような・・気がする。声に出さずに読むもの、と教えられた気がする。

本を一人で読めるようになってからもう30年近く、ずっとそうして生きてきたわけだけれど、子どもたちに読み聞かせをするようになって、「声に出して読む」と、物語がまた違った印象を持ってぐんと迫ってくることを知った。この世に朗読会とかがある意味がものすごく良くわかった。

絵本を声に出して読んでいると、その言葉のリズムがすごく心地よくて、良い本だと普通に泣いてしまったりする。読み聞かせしながら泣くとかどーなんだと思うけれど、仕方がない、母ちゃんも人間だ。あたりまえだ。

声に出して読む方が、ゆっくりと読めるわけで、言葉をかみしめやすい。音にすることで見えてくる情景もあるのだなあと、私は初めて知った。

そういう中で息子が小学生になり、毎日毎日来る日も来る日も夏休みも冬休みも音読の宿題を聞かされている。

まあ、めんどくさいのだけれど(忘れてて朝出る前に思い出すとかキー!ってなる。)でも息子の声で聞く小さな物語は、なかなか良いものだな、と思う。

7歳の男の子が聞かせてくれる言葉遊びや、詩や、お話を聞く。ちょうど良いところで今日の分は終わったりして、いっちょまえに先が気になったりする。ご飯を作りながら聞くその時間は、ちょっとだけスペシャルだな、と思う。

そのうちきっと恥ずかしがったりとかして、今のように素直に感情を込めて読んではくれなくなるだろう。セリフの声を大きくして話したり、ちょっと寂しげに言ってみたり、抑揚をつけたり、まだ素直だからこそ見られるその表現は、きっと失われてしまうものだったりするのだろう。

子育てなんてきっと、後から振り返って懐かしくなるものごとのオンパレードだと思うけれど、できることなら、少しはその瞬間に、ああこれいいなあ、と気づいてみたい。小学生の男の子が、物語を読み聞かせてくれる時間なんて、きっとほんの一瞬で過ぎ去ってしまうことだから。

球場に一人でリュックを背負って来てビールを飲むおじさんになりたい

だいたい野球のことを考えている

本当に一日の80%くらいは野球のことを考えている。許されるならば一日中、野球のYouTube見て過ごしていたい。とりあえずこないだ夜な夜なエイオキ(青木)が出ているYouTubeを見まくっていてわかったことは、鳥谷まじいけめん。ということである。あんな人早稲田にいたっけ・・・私は本当に無駄な学生生活を過ごしたような気がしてきた。知ってたけど。

あと今浪さんのヒーローインタビューがいちいち最高で笑った。ニヒルっていいわ。

最近いつも思うのは、そのうち子どもたちがそれなりに大きくなって自分で学校へ行けるようになって手がかからなくなったら、神宮の近くに住みたい。ということである。

これもエイオキが出ているYouTubeを夜な夜な見ていた時にわかったことだけれど、石井一久がメジャーからヤクルトに戻ってきたのは、古巣への愛でもなんでもなく、「立地」だということである。石井一久、天才。(ついでに、西武にあれだけ通えた自分は本当に偉い、とも言っていた。それも理由は、「立地」。まじで天才。)

まあそれだけ立地の良い神宮球場ですから(駅から遠いけど)そんな簡単に住めるもんじゃないですけれども一つの夢なのでそれはそっとしておいてくださいはい。

あそこの何がいいって、神宮外苑をランニングすることもできる。村上春樹も言っている。今の家も個人的に好きなランニングコースがあって満足しているので、そうするともう良いランニングコースがないところには住めないのでは、と、ちょっと思っている。(人は変わるものである)

で、神宮の近くに住んで、朝からランニングして、コーヒー飲んで、原稿書いて、お昼寝して、あとは何がしたいかというと、もちろん夕方からふらりと球場に行くのである。もう野球が始まっているくらいの時間にふらりと一人で行って、生ビールを飲んで、風にあたりながら試合を見て、あー今日も負けたかまあ人生そういうものだ、と思いながらとぼとぼ岐路につくのである。

イメージは、黒いでかいリュックを背負って、ヤクルトのキャップをかぶって、一人で球場へ来てビールを飲んで、点数が入った時だけおもむろに傘を取り出すおじさんである。で、その時だけ隣にいる小学生の男の子にニコッと嬉しそうに微笑んで、ぼく、野球好きか?と聞くのである。

そう、よく遭遇するのだ、そういうおじさん。たいてい、両隣のどちらかには座っている。で、勝ったら息子に、ぐっちの応援グッズくれたりする。きっとずっと、ヤクルトを応援し続けているんだろう。そして多くの年は負け続け、ちょっとした悲しみとともに人生を生きているのであろう・・・。でも優しさを知るのだ、そういう人は。ヤクルト好きのおじさんに悪い人はいない。(特に負け惜しみではない。)そういう人に、私はなりたい。

というわけで、10年後くらいは神宮の徒歩圏内に住むべく、私は今日も頑張って生きていきたいと思います。でも弱いはずのヤクルトが三連勝もしてしまって私は本当にちょっとどうしていいかわからなくなっている。でもまあとにかくヤクルト好きの気の優しいおじさんたちに、たまにはものすごく良い夢を見させてあげてください、と、少し願ったりしている。

ヤクルトが二連勝なんてしたから考えたーー胆力を蓄えること

やっぱり負けに慣れておくことは大切だという話

ヤクルトが連勝した。信じられない。そんなの見たことない。去年の夏に一度だけ連勝してるところを見た気がするけど、あれは幻だったのかなと思うくらい、それ以来一度も見ていない。信じられない。

「だめだ、勝つことに慣れちゃいけない、何事も勝てばラッキーくらいの気持ちでいることは重要だ、これ以上高望みしちゃいけない、バチが当たる…」とぶつぶつ言っていたら、オットに「ねえ落ち着いて、たった2回、勝っただけだから。」と諭された。

そんなわけでこの週末はずっと、DAZNをクロームキャストでテレビにつなぎ、試合を観ていた。

私は昔から、スポーツに自分の人生を重ねるなんてちゃんちゃらおかしい、なんならださい、とまで思っていたはずなのですが、とりあえずこの開幕戦では、33歳になって新しいポジションに挑戦することになり、そこを必死に守り、打つべきところでしっかりヒットを打ち、得意分野の外野ではピンチを救う守備を見せつけてくれるいけめんぐっちに最高に励まされていた。そもそも10数年いたチームを卒業して別のチームに来て、這い上がってここまで来るなんていうところが泣ける。34歳で会社を辞めた私、がんばらなきゃ・・と、すっかり自分の人生を重ねあわせている。もう、ださいどころの話じゃない。うん、ださくなんてない。

そして、期待を一身に背負ってI’m back!してきたエイオキ(青木選手)の、やるべきところでしっかりやる、その姿にすっかりやられてしまった。

エイオキは、過去のインタビューで、不調になった時はどうしていますか?という質問に、「負けそうになる時はもちろんあるけれど、それはメンタルで負けてるんじゃなくて、間違いなく、技術の問題です」と答えている。毎日毎日練習をしていて、疲労がたまる、そうするとそれまでできていなかったことができなくなる。それに悩んでメンタルがやられることはあるけれど、そこでできることはやっぱり身体を整え、鍛えることだ、と。

私は完全なる「非」体育会系なので、何事もストイックなことは苦手で、努力とかはなるべく外に見えないようにするのが良いと思っていた。もしかしたらどこかで、努力そのものすらカッコワルイと思っているところがあったかもしれない。

だけど日々身体を動かすようになると、「何もせずに手に入るもの」なんていうのはやっぱりないのだな、と、思い知らされる。身体というのは特に正直で、やっぱり動かした分だけ変化があるし、動かさないとそれはそれで明らかに変化がある。(多くは良くない意味で)

たぶん、野球選手なんてきっと、その事を痛いくらいにわかっているのだろう。私なんて、34にしてやっと知ったのに。あほだ。

身体というのはすごくわかりやすいけれど、それは例えば「書く」ということにしたってきっと同じだ。「書く」ことって思いの外、体力仕事なのだなと思う。頭を使うことも、物理的に、いすに座り手を動かすということそれ自体でも。だからそれはきっと、ある程度は日々鍛える必要のあることなのだ。

生きていると、「ここぞ」という場面がやっぱり、ある。今やらなきゃいつやるんだ、という場面がある。大事なのはその時に踏ん張れる胆力をちゃんと持っていることだ。それは、生まれつき持っているものなんかじゃなくて、やっぱり鍛えなきゃいけないものだ。(そしてそのためには普段は6割くらいにチカラを緩めて、休ませておくこともきっと大切。)

まあそんなことを考えていたらもちろん、ヤクルトは翌日には負けた。そりゃそうだ。負けないわけがない。きっと胆力を蓄えているのだな、うん・・・

桜並木を、息子と手をつないで歩いた日のこと

一年間おつかれさまでした!

春休みです。サラリーマンには春休みがないので、春休み感というのをここ13年ほど全く感じずに生きてきたわけですが、フリーランスの身になった瞬間、やたらとそういう子どもの学校リズムを痛感するようになる。(子どもが小学生になった相乗効果だと思うけれど。)

小1息子は毎日おべんと持って学童へ行っているわけですが、慣れないおべんとを1週間(というか4日)作り続けただけで不良母さんは疲れてしまい、昨日、「今日は学童午前中だけにしてお昼に帰ってきたら・・?(外出仕事もないし・・・)」というカードを切り、二人で焼肉ランチをした。フリーランスは最高である。

ところで、知り合いのみに公開しているインスタで、7歳息子が反抗期ですぐバレるしょーもない嘘をつく、という話をしたら、「うちも!」という声がたくさんあった。

こういう時、SNSっていいなあと、思う。8年前、息子の妊娠〜出産の頃は、ほんとにほんとにtwitterに救われた。ちょっとした悩みや迷いを共有できた時、うちもうちも!と共感しあえた時の、そのほっとする感じというのはめちゃくちゃ大きかった。

まだ周りに出産した友達もすごく少なくて、ママ友なんて一人もいなくて、母も亡くしていて頼れる実家もなくて、知らないことだらけの中、なんというかこう、専門家の話を聞いたり難しい話をするんじゃなくて、ただ「あーじゅにゅーねむいー」とか、「おむつかえたばっかのにまたやったな!」とか、それだけをつぶやいて、「うちもー」とか言い合っているそのことに、すごく励まされた。楽しかったなあ。

不安な時、いつだって欲しかったのは、「アドバイス」じゃなくて「共感」だったのかもしれない。

今、反抗期というかめんどくさい期を迎えた息子と、久々に二人で出かけて、久々に手をつないで歩いた。

桜は満開を少し過ぎて、ひらりひらりと花びらが舞っていた。

桜の木を見上げたら、まだむすめが生まれる前、息子がまだ1歳や2歳くらいの頃に、こうして二人でよくお出かけをしたことを思い出した。

その頃私は会社の時短制度を使って水曜をお休みにしていて、その平日休みを使ってよく二人で出かけた。(ところで水曜日休みというのは本当に最高で、私これ世紀の大発見だと思ってるんですけれども世の中はみんな水曜休みにした方がいいと思う。2日仕事したら休み、というのは精神的に素晴らしくて多分病んだりする暇がないとおもう)

平日の、人混みもない街を、二人でゆっくり歩きながらお出かけしたあの時間は、私の子育ての中でそのうちしあわせな時間ランキングの上位に入ってくるのだろうとおもう。

まだ息子は小さくて、手を上にぎゅっと伸ばして、私と手をつないでいた。そうして懸命に歩く息子は、ただただかわいかった。

そして今、気づけば息子は、普通に手を下ろして、私と手をつなげるようになっていた。

大きくなったんだなあと、しみじみおもう。わかっていたはずだけれども、でも本当に、こんなに大きくなったんだ。

遠くない将来、息子はこの手をもう、離してゆく。あの日、桜散るなか二人で手をつないで歩いたなあと、いつか懐かしく思い出す日がきっと来る。

だからそれまで、この反抗期めんどくさい期の息子とも、手をつないで、横に並んで、色々話していきたいな、と思った。

子どもたちは明日から(新年度という意味では)2年生と年中さん。母さんは母さんになってまだまだ8年生。迷うことも戸惑うこともたくさんあるけれど、子どもたちと並んで、少しずつ、前に進んでいけたらいいな。

みんな進級おめでとう。お母さんたちにとっても、子どもたちにとっても、楽しい毎日が待っていますように。

 

ラクじゃないけど楽しい日々をーー子育てと仕事のプププ

消化試合の平日に思ふ

昨日、1日のうちに、「今日は金曜日だー」と、思って「いや待てまだ水曜だ、ありえん」と気づく、というのを、軽く7回くらいはやった。そんなわけで、金曜日が終わったはずなのにまだ平日という今日の消化試合感がハンパないですけれども私はなんとか生きています。

前職の後輩から、メールが届いた。私が担当していたクライアントを引き継いでくれている後輩女子なので、「仕事はどうですか、営業は大変だと思うけど・・」といったようなメールを返そうとして、いやいや待て待て、と、思いとどまった。

勝手に「そちらの仕事は大変だ」なんて決めつけちゃいけない。というか、大変だとか辛いだろうとか言われたら、無理にだって大変なところを探そうとしてしまう。そんなこと言ってくる先輩(というかもはや私は先輩でもなんでもないよく知らない女の人)なんていやだ。あーいやだいやだ。おせっかいおばさんにはなりたくない。

と、思いまして、「お仕事はどーですか。」と言うにとどめた。(でもそれは言っている)

そうすると、「みなさん本当に優しくて、デスクは松潤で(←これは私が今誇張しましたけれども本当に松潤なんです。そうですよね。)、楽しくやっています!」と、返信が来た。

・・・かわいい。いいよね、こういう、仕事に対して「楽しくやっています!」と言えること。

もちろん、大変な時に大変だと言えることとか、しんどい時にしんどいと言えるとか、SOSをちゃんと出せるというのはすごく大切だ。あと、思いっきりグチれるとか。(いつもグチを聞いてくれる人たちありがとうございます。)

それは大切なのだけれど、それとは別に、なんというかこう、「仕事ってしんどくて何ぼ」みたいな余計な考えが、頭に染み付いてしまっていることって、ある気がする。

その奥には、「自分がこんなにしんどいのだからあの人がしんどくないなんてありえない」とか、「あの人はあんなにしんどそうなのに、自分がしんどくないなんてどうなんだ」みたいな気持ちが、あったりもするのかも、しれない。

でもそういうのは、つくづく、意味がないどころか、結構有害な、考え方だと思うわけです。

ちょっと前に、「赤ちゃんのお世話が全然しんどくない」みたいな記事がプチ炎上しているのを目にしたことがあったのだけれど、これもまあ、しんどくないなんていいじゃないか素晴らしいことじゃないか、と、正直思ってしまったりも、した。もしもその奥に、「私の子育ても大変だったのだからみんな大変じゃないといや」という気持ちがあるとすれば、それはやっぱり、健全でないと思うから。(まあこれは色々複雑に絡まりあってそれだけじゃないのもわかるのだけれど)

他人に対してはもちろんだけれど、自分に対しても、しんどいこととか大変なことほど、ホンモノだ、勤勉だ、と考えてしまう呪縛のようなものからは、意識的に抜け出せるように、考え方を鍛えておきたいな、と思う。意外と、やっちゃいがちだから、どんな場面でも。

「楽しい」と、「ラク」は、違う。全然違う。楽しいことは、ラクすることじゃない。(まあ前述の炎上に関しては、「楽しい」じゃなくて「ラクじゃん!」と言われて、うぐぐ!となった人がたくさんいた、というのもわかるのだけれど、うん)

だから、できるだけ、大変だけど、楽しいなあ、と、思いながら、仕事も子育てもしていたい。間違っても、しんどいことこそ本質だと思ったり、楽しいことをどこかで恐れてしまうような、そういう考えのクセは持たないようにしたい。

・・・7歳児の反抗期はそりゃもうめっちゃ大変ですけどね毎日ピキピキしてますけどねそれでもあっという間に過ぎてくこの毎日を、プププってユーモアで笑いながら過ごしていきたいものです、プププ。

日々は続く、それに、救われているーー命日に野球を観ていた話

会ったことがあってもなくても、大切な人たちへ。

こういうことこそさらっと書きたい。

母の12回目(たぶん)の命日が過ぎました。この12年の間に、結婚したり、出産したり、会社辞めたり、妹が成人式を迎えたり、就職したり、まあそれなりにいろんなことがあった。

でもこの12年間を振り返ってみて、気持ちの面での一番大きな変化というのは、「母が亡くなったことに関して自分を責める気持ちがゼロになった。」ということに尽きるな、と思う。

そしてもしかしたらこの12年間は、その気持ちとの戦いだったのかもしれないな、と、少しだけ思う。

母が亡くなった日、私は朝から近所のスポーツセンターで1キロを泳いでいた。前日、弱気になった父から、「もう母さんダメかもしれない」と、電話があったばかりだった。

そういうことを言われると、私だってもちろん弱気になる。でも、無心に身体を動かしていると、「確かに、もう病気が完治することは難しいかもしれない。でも、ちょっとだけ体調がよくなって、みんなで最後に温泉に行ったりとか、そういうことは可能かもしれない。」と思えるようになった。

絶望感に押しつぶされそうな毎日で、そうやって小さな希望を見つけることは、今思えばすごく大切なことだった。そしてそれはきっと、身体を動かすことでクリアに見えてくるものだった。(その頃、とにかくプールでよく泳いでいた)だから父にも、「そういうことは言うもんじゃないよ。湯布院行けるかもしれないよ。少なくともそういう心持ちで過ごそう。」と電話をした。

でもその日、母は天国へ行ってしまった。

小さな希望を必死でつないで、毎日毎日襲ってくる絶望感を必死で押し返して、もちろん家族はみんな、とても頑張っていた。母自身も、見たことがないくらい弱気になってもそれでも、いつもユーモアを持っていた。(だから私はこの世で一番大切なものはユーモアだと信じている)

映画なら、ここで奇跡が起こるんだ、というくらい、みんな頑張っていた。ここで日々が失われてしまったら、この映画に救いが何もないじゃないか、というくらいに。

それでも、現実は、映画のようにはいかない。

小さな希望で日々を紡いでいても、それは、乱暴なまでに奪われてしまう。

病気だって、失恋だって、どんな悩みだって、「これ以上悪くなることはない」ということしか知らなかったのに、「どんどん悪くなって最後はもっと悪いことが起きる」ということがあると、初めて知った。いつでも、ここから日々は少しずつ良くなっていっていたのに。

理不尽なことが起きると、なんとか理由を探し出そうとする。そして理由探しのために、自分が悪かったことを見つけようとする。「私がダメだったからこうなったんだ」と思うことで、なんとか自分を納得させようとする。それはとても不健康なことだけど。

もし、母に健診を勧めていたら。もし、長女の私がもっと早く病気に気づいてあげていたら。

そういう気持ちが、いっぱい襲ってくる。

でも、12年間で気づいたのは、そういうのは全く、全然、意味がない、ということだ。

「あの時もし」なんていうのは、考えたところで何も生まない。そこにあるのは、目の前の現実だけだから。

そして残された人がそんな「もし」で頭をいっぱいにすることを、先にゆく人は、1ミリも望んでいないだろうと思うから。

「起こってしまったものは仕方ない」と、ただ受け止めることは、簡単にはいかないけれどもそれでも、すごく大切なのだ、たぶん。

大切な人を亡くした時、そして「なくすかもしれない」と思う、その絶望感は、言うまでもなくあまりにも大きい。

それでもやっぱり、残された人にできることは、先にゆく人と生きた時間を胸に、ただ、日々生きてゆくことだけだ。ただ生きること、それしかできない。

そして、「日々生きてゆく」ということは、どういうことなのかというと、毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、目の前の家族とただ笑いあうという、それだけの、ただそれだけのことなのだろうと思う。

今年の命日は、お墓まいりにもいかず、実家も帰らず、息子の習い事から帰った後、東京の自宅で家族みんなでダラダラとDAZNでヤクルトの試合を観ていた。(もちろんヤクルトは負けた。)

そこには、子どもたちのいつものケンカがあって、もうビールあけちゃったよ晩御飯作るのめんどくさいなあという、いつもの怠慢があって、それでも、まあなんか良い休日だなあと思える、何かがあった。

日々は続く。あの頃想像もしなかったようなことが起こったりも、する。(例えば、興味がなさすぎてルールすら知らなかったプロ野球を観るようになってファンクラブにまで入るとか。)でもそれはある意味において、とても素晴らしいことなのかもしれない。

あの日、これからも日々が続くことを、当たり前のように今年も来年も桜は咲くのだということを、心底辛く思ったけれど、それでも、続いてきたこの日々に、私は救われてきたのだろうと思う。

そこで出会った人たちや、生まれてきてくれた子どもたちや、あの頃は知らなかった小さな希望に支えられて。

今年、誰かとのさよならを抱えて、桜を見上げる誰かの、その痛みが、繰り返される日々の中で少しずつ癒されていきますように。

 

「二枚舌」を使わないように心に決めた話

フリーになって気づくあれこれ

フリーで仕事をしていると、なんというか会社員の時には見えてこなかったあれこれが、くっきりと見えてくることがある。そして、今までの自分についてちょっと色々反省したりする。

例えば、二枚舌。で、ある。

これ、会社員の頃、自分も使ってたと思う、正直。多分、結構、普通のこととして周りにも存在していた気がする。

取引先に話すことと、社内で話すことが違ったり。そういう場面に出くわしたり。そう進めるように言われたり。それはいわゆる「ホンネとタテマエ」的なこととして、当たり前のようにそこにあったような気がする。

だから、誰かの二枚舌に気づいても、まあそんなものだろうと思って、対して気にしていなかったと思う。

「まあ仕事だし。オトナだし。事情があるし。」と、いった感じで。でもこれ、フリーランスになっていざ目の当たりにすると、結構な衝撃があるのです。

フリーランスになって濃くなる人間関係

個人の立場としてクライアントと向き合っていると、なんというかやっぱり関係は濃ゆくなってくるわけで、それは正直、会社員の頃の「人間関係」より濃くなったと思う。

個人的には「濃い」人間関係を築く人はほんの数人で良いと思っているし、実際私が本当に濃ゆい関係なのってほんの数人だとは思いますが、それでも仕事での関係が濃くなるというのは、それはまあそんなに嫌なもんではない。仕事上の濃い関係、というのはお金が絡む分ある意味ドライだったりするわけで。濃いけど、ドライ。そんな感じ。

その「濃い」中でふと「二枚舌」に触れる瞬間がある。その衝撃が、結構、でかい。

触れる頻度としては、会社員の頃とそんなに変わらないのだと思う。むしろ減ったかもしれない。(関わる人は随分と減ったし。)

じゃあなんで、頻度が減ったのに衝撃がでかいのかというと、たぶん、会社員の頃は「二枚舌」に触れたところで、こちらの立場も、組織の中の一人でしかないわけで、まあ会社に対しての二枚舌だな、と、捉えていたのだと思う。で、そのある意味麻痺した感覚が、プライベートにも浸透してしまっていたところもあったかもしれない。

でもこう、一人でやっていると、どうしてもその濃ゆい関係の中で個人に対しての「二枚舌」として直に受け取るわけで、そうすると、衝撃が、数倍でかいのだ。

そして我が振りを思いっきり直したい

で、ここで私が思うのは、ひたすらに、「気をつけよう・・・」と、いうことだ。それは、振り回されないように・・とか、騙されないように・・とかではなくて、自分が絶対にしないように、という意味で。

これ、誰かを責めているとかでは全くなくて(本当に。)自らを振り返ってみて、絶対にやっていたよな、会社員の頃、と、思うからだ。

でもフリーランスになってみて、その衝撃のでかさに触れてみて、個人で仕事をするにあたって、誰かに(相手が組織であれ個人であれ)二枚舌を使うようなことはしちゃダメだ、と、つくづく思ったのである、ほんとうに。

こういうのは交渉のくせみたいについていたりするし、と、いうことは、もしかしたら子どもたち相手にもしてるかもしれないし(必要なウソ、みたいに思ってやっちゃいがちだったかもしれない)いや、ダメだわそれ本当、と、反省している、今日この頃です。

一人になってみて気づくこと、環境が変わって知ること、というのはたくさんあるものです。

誠実に愚直に、仕事をしていきたいと改めて思う、年度末。(年度という概念がほぼ消えたけど。)(請求書遅くなっててすみません・・・)

*感想、お問い合わせ、取材・ライティング・編集のお仕事ご相談はこちらから。

 

 

ねこがいる生活、始めました。ーー2LDKで完結するしあわせについて

信じられないけれども膝にねこがいる

今、ねこを膝に乗せながらこれを書いている。信じられない。自分の人生にこんな瞬間がやってくるなんて。ねこ、かわいすぎる、ねこ。

発端、というか、最後に背中を押したのは、このエントリーである。→(【50音blog 】い:犬ーーー犬派と猫派に分かれている)頭の中にぼんやりとあった願望なり思いなりを、文字にした途端、輪郭がくっきりしてくるの、書く人あるある。

上記エントリーに書いた通り、私は犬を飼ったことはあるけれどもねこを飼ったことがなかったため、ねこを飼うにあたり一番おどろいたことそれは。

散歩に行かなくてもいい。

と、いうことだ。

ねこは、散歩に行かなくてもいい

いや、もちろん、外を歩いていて、リードでつながれて散歩しているねこなんて見たことは、ない。

ないのだけれど、ねこくらいのこうある程度の大きさがある動物というのは、外でのびのび過ごす時間が必要なんじゃないか、なんらかの形でみんな、外の空気を吸わせてあげてるんじゃないか、外で運動しているんじゃないかと、どこかでぼんやり思っていた。

一軒家であれば、もちろんお庭に出す時間が一定数あるもんだろう、と、思っていた。マンションでねこを飼っている人は、なんかものすごい広いバルコニーとかがあるんだろう、と、信じ込んでいた。だから、うちのような極狭マンションで飼われるねこなんていうのは、「かわいそう」なんじゃないか。と。

しかし。だ。

なんと、イマドキのねこは、「完全室内飼い」が推奨されていた。外には出さないでください!と、保護団体さんに誓約書も書かされた。おどろいた。(何これ常識?私が知らなかっただけ?)

ねこは、「テリトリー」を守ることを何より大切にする。危険な外には出さないで、むしろケージなど、ねこが安心できる場所を作ってあげてください、ときた。おどろいた。(何これ常識?私が知らなかっただけ?)

ひじき(ねこ)はこの世界で満足している

さて、実際にうちにやってきたねこ(ひじきといいます。女の子です。どう見ても美人です。)を見ていて思うのは、「ああ本当にこやつ、この狭い世界で十分満足しておる・・・」と、いうことである。

ニンゲンは、インターネットで世界はぐんと近くなり、近くなった分、あらゆる世界が見えてきて、世界は広いことを知り、「もっともっと」と思うようになってきたかもしれない。

SNSからはあらゆる情報と、あらゆる生活と、あらゆる駆け引きと、あらゆる承認欲求と、あらゆる粗探しと、あらゆる炎上が目に入ってくる。(はいあらゆるゲシュタルト崩壊)

そこを通して気になるのは、遠い世界のハリウッドスターじゃなくて、隣の人の生活、だったりするのかもしれない。いや待てそれってほんとうに世界が広がっているのか?どうなのか?と、思いながら生きている、かもしれない。

ねこになりたいし、確定申告はしたくない

だけど、そんな世界において、ねこときたら、2LDKのマンションの世界だけで(なんならまだ寝室に入ってこないので1LDKだけで)満足している・・・・・・・!!!!!となりのねこの生活なんぞ、知る由もがな・・・!!!!

ものすごく気まぐれに、だいたいほとんどお昼寝をして、甘えたい時だけ甘え、飽きたらプイッとどっかに行ってしまい、まあ、どっかいったところでまた寝てるだけなんやけど、そうやってただ、生きている。

ご飯は毎日同じカリカリで満足で、たまのチュールで気が狂ったかのように喜び、あとはまあ、寝ている。

もちろん、私たちは人間で、システムの中で生きており、教育と勤労と納税の義務がある。(・・・・・・・・・・・確定申告・・・・・・・・・・・・)年がら年中寝ているわけには多分いかない。

でも、なんか、ほんとはねこみたいな感じで、まあ、いいよな、と、思う。しあわせはこの2LDKの狭い部屋の陽だまりにあり、日々はカリカリを食べることとたまのチュールで喜ぶことで回っており、愛する人はこの2LDKに数人だけ。

外の(近くて遠い)世界と比べて、あれこれ求めすぎても仕方ない。人生の良いことなんて、だいたい手の届く範囲にあるものだ。

なんかいいよな、ねこ。と、思う。

だから、私はねこのように生きていたいし、心の底から、確定申告はしたくない。

 

【50音blog 】え:駅伝ーー走るのは一人でできるからいいのだけれど

初めて「コツコツ」続けてこられたこと

バタバタ2月。貧乏ひまなしとはこのことである。ブログを書くひまもないくらいこんなに慌ただしいだなんて、一体日々何をしているかというと、そう、走っている。

走り始めてから、1年が過ぎた。子どもの頃から「コツコツ」やることが何よりも苦手で、テスト勉強はいつも一夜漬けだった私にとって、少しずつだけれども何かを続けてこられたというのは、もしかすると初めてのことだったかもしれない。

そして基本的に(まあ多くの人の予想に違わず)大した運動神経を持っていない私にとって、この歳になってもコツコツ続けることで苦手な運動方面で(ものすごくへなちょことはいえ)少しずつ伸びていくものがあるなんて、それは大きな驚きだったし、とてもうれしい気づきでもあった。

苦手な「コツコツ」を続けてこられたのは、たぶんこれが全て常に私のごく個人的な事柄だからだ。

誰かに走れと言われて走らされているわけでもないし、チームで一つの目標の向かって戦っているわけでもない。そして何より、誰かと競争しているわけでも、ない。

とにかく根本的に、競争が苦手

最近気づいたことなのだけれど、思うに私は昔から根本的に「競争」が苦手だ。例えばよく「会社の同期はなんだかんだ言ってライバルだ」みたいな話があると思うのだけれど、これ、そうかそういうものなのかと思ってなんどもそう思おうとしてみたのだけれど(なんかそう思わなくちゃいけない気がして)何度チャレンジしてみても、やっぱり最後の最後まで同期に対してさっぱり競争心が芽生えなかった。同期は最後まで、ただの同志であり友人のようであり、ライバルではなかった。

だいたい同じ会社の人に対して「ライバル」と思うことはどう考えても自分にとって不自然だったし、なんなら大きな声では言えないけれど同業他社のことすら私は「ライバル」とあまり思えないというか競争心がどうしても湧いてこなかった・・わけで・・あります・・・。(小声)

まあとにかくそういう人間のため、誰かと競争するスポーツというのは、根本的にさっぱり向いていないのだと思う。仕事にしたって、競争心がモチベーションになることはまあ正直、一切、ない。(もうほんとどうかと思うけれども仕方ない、もうそういう人間だと開き直るしかない)

そういう私にとって、ランニングというのは、誰かと競争する必要のない、結構向いているスポーツだったのだなあと、1年続けてみて思う。

自分一人で、好きな時間に、好きな場所でできること。大した道具もいらず、どこか(ジムとかプールとか)に行く必要もなく、ただ淡々とできること。競争をする必要がないと同時に、競争に巻き込まれることもないこと。(もうほんとどうかと思うけれども競争に巻き込まれるのももんすごいめんどくさいので嫌です、もうそういう人間だと開き直るしかない)最初はそこまで考えていなかったけれど、振り返ってみればどれも自分に向いている。

だめだめな私を、先輩が駅伝に誘ってくれた

と、これだけ「一人でできること」の素晴らしさを語ってきたわけですけれども、そんな私は先日、初めて駅伝に参加してきた。前職の先輩たちと4人のチームで、一人約4キロを走ることになった。

駅伝となると、一人じゃなくて団体競技だ。しかも私以外の先輩はみんなキロ3分台から4分前半で走るのであーる(は、はやい・・・)私だけ5分台である。信じられない。お荷物感甚だしい。大丈夫かいや絶対大丈夫じゃない。

しかしまあ、なんといってもダメダメな後輩を持つ私の先輩である。私が誘われるがまま何もせず待っている間に、エントリー等の事務作業を全部やってくれて、前日の完璧なリマインダーメールも送ってくれて、現地に応援に来てくれるオットに「見てこの先輩からのメール読めば集合時間も場所もスケジュールも全部わかるよめっちゃわかりやすい!」と、言ったところ、「うん、感心している場合じゃないよ、それ本来一番下っ端のまいがやるべきだよたぶん。」と、言い放たれた。・・・た、確かに。いつもありがとうございますすみません。

そんな感じであれよあれよとことは進み(すみません)大丈夫かな私(全然大丈夫じゃない)と思いながら駅伝当日を迎えた。

だけど実際走ってみると、駅伝とはいえ走る間は当然自分一人であり、タイムも見知らぬ人と比較しても仕方がないので(あと本当に申し訳ないとは思うけれどもそれでもめちゃくちゃ速い先輩たちと比較してもやっぱり仕方ないので)やっぱり過去の自分と比べて速いか遅いかという捉え方しかできないわけで、基本はいつもと同じように、自分一人の世界で走れた。

それでも、同じチームの先輩を応援するのは楽しかったし、襷をもらう瞬間も、渡す瞬間も、やっぱりなんかじーんときて楽しかった。もう、思い出すよね、思い出さずにはどうしてもいられないよね、あれ

たまには誰かと並走することも楽しい

そして一番、なんというか、自分の成長を感じたのは、レースの前に、先輩たちとアップで2キロくらいを走った時、だったりとか、した。

よくランニングの記事とか見てると、「最初は人と話せるゆっくりのペースで」とか書いてあるけど、まじで絶対無理どれだけペース落としても人と話しながらとかしんどすぎてぜっっっったいにむり。と、ずっと思っていた。(だいたい人と一緒に走るのすら絶対無理だ私は。と、思っていた。)

でもこの日、たぶん先輩たちはもんっっっのすごい信じられないくらいペースを落として走ってくれていたと思うのだけれど(いけめん・・)それでも6分半くらいのペースで、息も上がらず笑いながら2キロ走れた。それは私にとってはちょっと奇跡に近いというかなんというか正直それが一番嬉しかったと後からオットに言ったら苦笑していたがでも本当の話なんである。

誰かと走るなんて絶対むりだと思っていた。一人でできるのが楽しい、それがランニングの良いところ、と思って1年間走ってきた。それは基本的に変わりはないのだけれど、たまにこうして誰かとレースに出たり、笑いながら並走したり、そういうのもいいもんだな、と思った。それは走ることの、新しい楽しみを見つけた瞬間でもあったし、もっと言えばたまには誰かと「並走」してみるというのは、自分にとって少し、大切なことなのかもしれないな、と思ったりもした。

ごく個人的な人間で、誰かと競争することすらできなくて、一人黙々と何かを書いて生きていたいと思っていて、半径3メートルくらいの世界しか普段たぶん見えていない。それでも、程よい距離感で誰かと並走していると、新しく見えてくる世界があるのだな、と、しみじみと思ったお話。

それでまた今日も、私は一人で黙々と走っております。

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