日々は続く、それに、救われているーー命日に野球を観ていた話

会ったことがあってもなくても、大切な人たちへ。

こういうことこそさらっと書きたい。

母の12回目(たぶん)の命日が過ぎました。この12年の間に、結婚したり、出産したり、会社辞めたり、妹が成人式を迎えたり、就職したり、まあそれなりにいろんなことがあった。

でもこの12年間を振り返ってみて、気持ちの面での一番大きな変化というのは、「母が亡くなったことに関して自分を責める気持ちがゼロになった。」ということに尽きるな、と思う。

そしてもしかしたらこの12年間は、その気持ちとの戦いだったのかもしれないな、と、少しだけ思う。

母が亡くなった日、私は朝から近所のスポーツセンターで1キロを泳いでいた。前日、弱気になった父から、「もう母さんダメかもしれない」と、電話があったばかりだった。

そういうことを言われると、私だってもちろん弱気になる。でも、無心に身体を動かしていると、「確かに、もう病気が完治することは難しいかもしれない。でも、ちょっとだけ体調がよくなって、みんなで最後に温泉に行ったりとか、そういうことは可能かもしれない。」と思えるようになった。

絶望感に押しつぶされそうな毎日で、そうやって小さな希望を見つけることは、今思えばすごく大切なことだった。そしてそれはきっと、身体を動かすことでクリアに見えてくるものだった。(その頃、とにかくプールでよく泳いでいた)だから父にも、「そういうことは言うもんじゃないよ。湯布院行けるかもしれないよ。少なくともそういう心持ちで過ごそう。」と電話をした。

でもその日、母は天国へ行ってしまった。

小さな希望を必死でつないで、毎日毎日襲ってくる絶望感を必死で押し返して、もちろん家族はみんな、とても頑張っていた。母自身も、見たことがないくらい弱気になってもそれでも、いつもユーモアを持っていた。(だから私はこの世で一番大切なものはユーモアだと信じている)

映画なら、ここで奇跡が起こるんだ、というくらい、みんな頑張っていた。ここで日々が失われてしまったら、この映画に救いが何もないじゃないか、というくらいに。

それでも、現実は、映画のようにはいかない。

小さな希望で日々を紡いでいても、それは、乱暴なまでに奪われてしまう。

病気だって、失恋だって、どんな悩みだって、「これ以上悪くなることはない」ということしか知らなかったのに、「どんどん悪くなって最後はもっと悪いことが起きる」ということがあると、初めて知った。いつでも、ここから日々は少しずつ良くなっていっていたのに。

理不尽なことが起きると、なんとか理由を探し出そうとする。そして理由探しのために、自分が悪かったことを見つけようとする。「私がダメだったからこうなったんだ」と思うことで、なんとか自分を納得させようとする。それはとても不健康なことだけど。

もし、母に健診を勧めていたら。もし、長女の私がもっと早く病気に気づいてあげていたら。

そういう気持ちが、いっぱい襲ってくる。

でも、12年間で気づいたのは、そういうのは全く、全然、意味がない、ということだ。

「あの時もし」なんていうのは、考えたところで何も生まない。そこにあるのは、目の前の現実だけだから。

そして残された人がそんな「もし」で頭をいっぱいにすることを、先にゆく人は、1ミリも望んでいないだろうと思うから。

「起こってしまったものは仕方ない」と、ただ受け止めることは、簡単にはいかないけれどもそれでも、すごく大切なのだ、たぶん。

大切な人を亡くした時、そして「なくすかもしれない」と思う、その絶望感は、言うまでもなくあまりにも大きい。

それでもやっぱり、残された人にできることは、先にゆく人と生きた時間を胸に、ただ、日々生きてゆくことだけだ。ただ生きること、それしかできない。

そして、「日々生きてゆく」ということは、どういうことなのかというと、毎日寝て、起きて、ご飯を食べて、目の前の家族とただ笑いあうという、それだけの、ただそれだけのことなのだろうと思う。

今年の命日は、お墓まいりにもいかず、実家も帰らず、息子の習い事から帰った後、東京の自宅で家族みんなでダラダラとDAZNでヤクルトの試合を観ていた。(もちろんヤクルトは負けた。)

そこには、子どもたちのいつものケンカがあって、もうビールあけちゃったよ晩御飯作るのめんどくさいなあという、いつもの怠慢があって、それでも、まあなんか良い休日だなあと思える、何かがあった。

日々は続く。あの頃想像もしなかったようなことが起こったりも、する。(例えば、興味がなさすぎてルールすら知らなかったプロ野球を観るようになってファンクラブにまで入るとか。)でもそれはある意味において、とても素晴らしいことなのかもしれない。

あの日、これからも日々が続くことを、当たり前のように今年も来年も桜は咲くのだということを、心底辛く思ったけれど、それでも、続いてきたこの日々に、私は救われてきたのだろうと思う。

そこで出会った人たちや、生まれてきてくれた子どもたちや、あの頃は知らなかった小さな希望に支えられて。

今年、誰かとのさよならを抱えて、桜を見上げる誰かの、その痛みが、繰り返される日々の中で少しずつ癒されていきますように。

 

「二枚舌」を使わないように心に決めた話

フリーになって気づくあれこれ

フリーで仕事をしていると、なんというか会社員の時には見えてこなかったあれこれが、くっきりと見えてくることがある。そして、今までの自分についてちょっと色々反省したりする。

例えば、二枚舌。で、ある。

これ、会社員の頃、自分も使ってたと思う、正直。多分、結構、普通のこととして周りにも存在していた気がする。

取引先に話すことと、社内で話すことが違ったり。そういう場面に出くわしたり。そう進めるように言われたり。それはいわゆる「ホンネとタテマエ」的なこととして、当たり前のようにそこにあったような気がする。

だから、誰かの二枚舌に気づいても、まあそんなものだろうと思って、対して気にしていなかったと思う。

「まあ仕事だし。オトナだし。事情があるし。」と、いった感じで。でもこれ、フリーランスになっていざ目の当たりにすると、結構な衝撃があるのです。

フリーランスになって濃くなる人間関係

個人の立場としてクライアントと向き合っていると、なんというかやっぱり関係は濃ゆくなってくるわけで、それは正直、会社員の頃の「人間関係」より濃くなったと思う。

個人的には「濃い」人間関係を築く人はほんの数人で良いと思っているし、実際私が本当に濃ゆい関係なのってほんの数人だとは思いますが、それでも仕事での関係が濃くなるというのは、それはまあそんなに嫌なもんではない。仕事上の濃い関係、というのはお金が絡む分ある意味ドライだったりするわけで。濃いけど、ドライ。そんな感じ。

その「濃い」中でふと「二枚舌」に触れる瞬間がある。その衝撃が、結構、でかい。

触れる頻度としては、会社員の頃とそんなに変わらないのだと思う。むしろ減ったかもしれない。(関わる人は随分と減ったし。)

じゃあなんで、頻度が減ったのに衝撃がでかいのかというと、たぶん、会社員の頃は「二枚舌」に触れたところで、こちらの立場も、組織の中の一人でしかないわけで、まあ会社に対しての二枚舌だな、と、捉えていたのだと思う。で、そのある意味麻痺した感覚が、プライベートにも浸透してしまっていたところもあったかもしれない。

でもこう、一人でやっていると、どうしてもその濃ゆい関係の中で個人に対しての「二枚舌」として直に受け取るわけで、そうすると、衝撃が、数倍でかいのだ。

そして我が振りを思いっきり直したい

で、ここで私が思うのは、ひたすらに、「気をつけよう・・・」と、いうことだ。それは、振り回されないように・・とか、騙されないように・・とかではなくて、自分が絶対にしないように、という意味で。

これ、誰かを責めているとかでは全くなくて(本当に。)自らを振り返ってみて、絶対にやっていたよな、会社員の頃、と、思うからだ。

でもフリーランスになってみて、その衝撃のでかさに触れてみて、個人で仕事をするにあたって、誰かに(相手が組織であれ個人であれ)二枚舌を使うようなことはしちゃダメだ、と、つくづく思ったのである、ほんとうに。

こういうのは交渉のくせみたいについていたりするし、と、いうことは、もしかしたら子どもたち相手にもしてるかもしれないし(必要なウソ、みたいに思ってやっちゃいがちだったかもしれない)いや、ダメだわそれ本当、と、反省している、今日この頃です。

一人になってみて気づくこと、環境が変わって知ること、というのはたくさんあるものです。

誠実に愚直に、仕事をしていきたいと改めて思う、年度末。(年度という概念がほぼ消えたけど。)(請求書遅くなっててすみません・・・)

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ねこがいる生活、始めました。ーー2LDKで完結するしあわせについて

信じられないけれども膝にねこがいる

今、ねこを膝に乗せながらこれを書いている。信じられない。自分の人生にこんな瞬間がやってくるなんて。ねこ、かわいすぎる、ねこ。

発端、というか、最後に背中を押したのは、このエントリーである。→(【50音blog 】い:犬ーーー犬派と猫派に分かれている)頭の中にぼんやりとあった願望なり思いなりを、文字にした途端、輪郭がくっきりしてくるの、書く人あるある。

上記エントリーに書いた通り、私は犬を飼ったことはあるけれどもねこを飼ったことがなかったため、ねこを飼うにあたり一番おどろいたことそれは。

散歩に行かなくてもいい。

と、いうことだ。

ねこは、散歩に行かなくてもいい

いや、もちろん、外を歩いていて、リードでつながれて散歩しているねこなんて見たことは、ない。

ないのだけれど、ねこくらいのこうある程度の大きさがある動物というのは、外でのびのび過ごす時間が必要なんじゃないか、なんらかの形でみんな、外の空気を吸わせてあげてるんじゃないか、外で運動しているんじゃないかと、どこかでぼんやり思っていた。

一軒家であれば、もちろんお庭に出す時間が一定数あるもんだろう、と、思っていた。マンションでねこを飼っている人は、なんかものすごい広いバルコニーとかがあるんだろう、と、信じ込んでいた。だから、うちのような極狭マンションで飼われるねこなんていうのは、「かわいそう」なんじゃないか。と。

しかし。だ。

なんと、イマドキのねこは、「完全室内飼い」が推奨されていた。外には出さないでください!と、保護団体さんに誓約書も書かされた。おどろいた。(何これ常識?私が知らなかっただけ?)

ねこは、「テリトリー」を守ることを何より大切にする。危険な外には出さないで、むしろケージなど、ねこが安心できる場所を作ってあげてください、ときた。おどろいた。(何これ常識?私が知らなかっただけ?)

ひじき(ねこ)はこの世界で満足している

さて、実際にうちにやってきたねこ(ひじきといいます。女の子です。どう見ても美人です。)を見ていて思うのは、「ああ本当にこやつ、この狭い世界で十分満足しておる・・・」と、いうことである。

ニンゲンは、インターネットで世界はぐんと近くなり、近くなった分、あらゆる世界が見えてきて、世界は広いことを知り、「もっともっと」と思うようになってきたかもしれない。

SNSからはあらゆる情報と、あらゆる生活と、あらゆる駆け引きと、あらゆる承認欲求と、あらゆる粗探しと、あらゆる炎上が目に入ってくる。(はいあらゆるゲシュタルト崩壊)

そこを通して気になるのは、遠い世界のハリウッドスターじゃなくて、隣の人の生活、だったりするのかもしれない。いや待てそれってほんとうに世界が広がっているのか?どうなのか?と、思いながら生きている、かもしれない。

ねこになりたいし、確定申告はしたくない

だけど、そんな世界において、ねこときたら、2LDKのマンションの世界だけで(なんならまだ寝室に入ってこないので1LDKだけで)満足している・・・・・・・!!!!!となりのねこの生活なんぞ、知る由もがな・・・!!!!

ものすごく気まぐれに、だいたいほとんどお昼寝をして、甘えたい時だけ甘え、飽きたらプイッとどっかに行ってしまい、まあ、どっかいったところでまた寝てるだけなんやけど、そうやってただ、生きている。

ご飯は毎日同じカリカリで満足で、たまのチュールで気が狂ったかのように喜び、あとはまあ、寝ている。

もちろん、私たちは人間で、システムの中で生きており、教育と勤労と納税の義務がある。(・・・・・・・・・・・確定申告・・・・・・・・・・・・)年がら年中寝ているわけには多分いかない。

でも、なんか、ほんとはねこみたいな感じで、まあ、いいよな、と、思う。しあわせはこの2LDKの狭い部屋の陽だまりにあり、日々はカリカリを食べることとたまのチュールで喜ぶことで回っており、愛する人はこの2LDKに数人だけ。

外の(近くて遠い)世界と比べて、あれこれ求めすぎても仕方ない。人生の良いことなんて、だいたい手の届く範囲にあるものだ。

なんかいいよな、ねこ。と、思う。

だから、私はねこのように生きていたいし、心の底から、確定申告はしたくない。

 

【50音blog 】え:駅伝ーー走るのは一人でできるからいいのだけれど

初めて「コツコツ」続けてこられたこと

バタバタ2月。貧乏ひまなしとはこのことである。ブログを書くひまもないくらいこんなに慌ただしいだなんて、一体日々何をしているかというと、そう、走っている。

走り始めてから、1年が過ぎた。子どもの頃から「コツコツ」やることが何よりも苦手で、テスト勉強はいつも一夜漬けだった私にとって、少しずつだけれども何かを続けてこられたというのは、もしかすると初めてのことだったかもしれない。

そして基本的に(まあ多くの人の予想に違わず)大した運動神経を持っていない私にとって、この歳になってもコツコツ続けることで苦手な運動方面で(ものすごくへなちょことはいえ)少しずつ伸びていくものがあるなんて、それは大きな驚きだったし、とてもうれしい気づきでもあった。

苦手な「コツコツ」を続けてこられたのは、たぶんこれが全て常に私のごく個人的な事柄だからだ。

誰かに走れと言われて走らされているわけでもないし、チームで一つの目標の向かって戦っているわけでもない。そして何より、誰かと競争しているわけでも、ない。

とにかく根本的に、競争が苦手

最近気づいたことなのだけれど、思うに私は昔から根本的に「競争」が苦手だ。例えばよく「会社の同期はなんだかんだ言ってライバルだ」みたいな話があると思うのだけれど、これ、そうかそういうものなのかと思ってなんどもそう思おうとしてみたのだけれど(なんかそう思わなくちゃいけない気がして)何度チャレンジしてみても、やっぱり最後の最後まで同期に対してさっぱり競争心が芽生えなかった。同期は最後まで、ただの同志であり友人のようであり、ライバルではなかった。

だいたい同じ会社の人に対して「ライバル」と思うことはどう考えても自分にとって不自然だったし、なんなら大きな声では言えないけれど同業他社のことすら私は「ライバル」とあまり思えないというか競争心がどうしても湧いてこなかった・・わけで・・あります・・・。(小声)

まあとにかくそういう人間のため、誰かと競争するスポーツというのは、根本的にさっぱり向いていないのだと思う。仕事にしたって、競争心がモチベーションになることはまあ正直、一切、ない。(もうほんとどうかと思うけれども仕方ない、もうそういう人間だと開き直るしかない)

そういう私にとって、ランニングというのは、誰かと競争する必要のない、結構向いているスポーツだったのだなあと、1年続けてみて思う。

自分一人で、好きな時間に、好きな場所でできること。大した道具もいらず、どこか(ジムとかプールとか)に行く必要もなく、ただ淡々とできること。競争をする必要がないと同時に、競争に巻き込まれることもないこと。(もうほんとどうかと思うけれども競争に巻き込まれるのももんすごいめんどくさいので嫌です、もうそういう人間だと開き直るしかない)最初はそこまで考えていなかったけれど、振り返ってみればどれも自分に向いている。

だめだめな私を、先輩が駅伝に誘ってくれた

と、これだけ「一人でできること」の素晴らしさを語ってきたわけですけれども、そんな私は先日、初めて駅伝に参加してきた。前職の先輩たちと4人のチームで、一人約4キロを走ることになった。

駅伝となると、一人じゃなくて団体競技だ。しかも私以外の先輩はみんなキロ3分台から4分前半で走るのであーる(は、はやい・・・)私だけ5分台である。信じられない。お荷物感甚だしい。大丈夫かいや絶対大丈夫じゃない。

しかしまあ、なんといってもダメダメな後輩を持つ私の先輩である。私が誘われるがまま何もせず待っている間に、エントリー等の事務作業を全部やってくれて、前日の完璧なリマインダーメールも送ってくれて、現地に応援に来てくれるオットに「見てこの先輩からのメール読めば集合時間も場所もスケジュールも全部わかるよめっちゃわかりやすい!」と、言ったところ、「うん、感心している場合じゃないよ、それ本来一番下っ端のまいがやるべきだよたぶん。」と、言い放たれた。・・・た、確かに。いつもありがとうございますすみません。

そんな感じであれよあれよとことは進み(すみません)大丈夫かな私(全然大丈夫じゃない)と思いながら駅伝当日を迎えた。

だけど実際走ってみると、駅伝とはいえ走る間は当然自分一人であり、タイムも見知らぬ人と比較しても仕方がないので(あと本当に申し訳ないとは思うけれどもそれでもめちゃくちゃ速い先輩たちと比較してもやっぱり仕方ないので)やっぱり過去の自分と比べて速いか遅いかという捉え方しかできないわけで、基本はいつもと同じように、自分一人の世界で走れた。

それでも、同じチームの先輩を応援するのは楽しかったし、襷をもらう瞬間も、渡す瞬間も、やっぱりなんかじーんときて楽しかった。もう、思い出すよね、思い出さずにはどうしてもいられないよね、あれ

たまには誰かと並走することも楽しい

そして一番、なんというか、自分の成長を感じたのは、レースの前に、先輩たちとアップで2キロくらいを走った時、だったりとか、した。

よくランニングの記事とか見てると、「最初は人と話せるゆっくりのペースで」とか書いてあるけど、まじで絶対無理どれだけペース落としても人と話しながらとかしんどすぎてぜっっっったいにむり。と、ずっと思っていた。(だいたい人と一緒に走るのすら絶対無理だ私は。と、思っていた。)

でもこの日、たぶん先輩たちはもんっっっのすごい信じられないくらいペースを落として走ってくれていたと思うのだけれど(いけめん・・)それでも6分半くらいのペースで、息も上がらず笑いながら2キロ走れた。それは私にとってはちょっと奇跡に近いというかなんというか正直それが一番嬉しかったと後からオットに言ったら苦笑していたがでも本当の話なんである。

誰かと走るなんて絶対むりだと思っていた。一人でできるのが楽しい、それがランニングの良いところ、と思って1年間走ってきた。それは基本的に変わりはないのだけれど、たまにこうして誰かとレースに出たり、笑いながら並走したり、そういうのもいいもんだな、と思った。それは走ることの、新しい楽しみを見つけた瞬間でもあったし、もっと言えばたまには誰かと「並走」してみるというのは、自分にとって少し、大切なことなのかもしれないな、と思ったりもした。

ごく個人的な人間で、誰かと競争することすらできなくて、一人黙々と何かを書いて生きていたいと思っていて、半径3メートルくらいの世界しか普段たぶん見えていない。それでも、程よい距離感で誰かと並走していると、新しく見えてくる世界があるのだな、と、しみじみと思ったお話。

それでまた今日も、私は一人で黙々と走っております。

【2018お正月 セブ&ボホール旅行記⑨】day7 マニラ観光リッキーの思い出

これまでのセブ旅行記

旅における信じることと疑うことのバランス

海外旅行するときはいつも、信じることと疑うことのバランスが難しい、と思う。学生の頃は「疑う」方にちょっと重きを置いていた。今よりずっと貧乏旅行だったし、リゾートホテルなんか泊まれなくて、なんとか良い感じの安宿を必死で探すような旅だったし。

でも家族ができてからは、「信じる」重みがちょっと勝るようになっていた。「安全に気をつける」は大前提なのだけれど、誰かの好意はまるっと信じて受け止めた方が良い。それなりのお金を払って、サービスとして好意を受け取ることだって増えた。

だからセブ&ボホールも総じて親切な人ばかりに会って、「信じる」メーターはめっちゃ上がっていた。そこに来て、ここ、マニラである。

ウーバーでイントラムロスへ

最終日のこの日はマニラの空港近くのベルモントホテル(お手頃でめっちゃいいホテル!)で朝食後、イントラムロス観光へ。「イントラムロス」とはスペイン語で「壁の内側で」という意味で、16世紀、スペインがフィリピン統治の本拠地として建設した城塞跡だそうです(ウィキペディアより)。

ウーバーでイントラムロスのマニラ大聖堂まで行ってもらって(ほんっとにウーバー最高)、そこからぐるりと観光することに。

マニラ大聖堂の外に出ると、バイシクルの兄ちゃんリッキーが、「僕のランボルギーニで案内してあげるよ!30分350ペソだよ!有名な観光場所は全部回るよ!」と声をかけてくる。

なんせ快晴でめちゃくちゃ暑いし、子どもたちを連れて歩くのはあまりに大変そうなので(ペナンの中では治安が良い方と聞いていたけれどもそれでも心配だし)、リッキーにお願いすることに。

リッキーが料金の倍をふっかける

しかしこのリッキーが最後に、乗車台(1時間だから700ペソ)とは別に、ガイド代も700ペソ払ってね、全部で1400ペソね!と、言い出す。オットがいやいやガイド代なんて最初言ってなかったでしょと言っても、ノーばかり言う。

・・・で!た!ア!ジ!ア!久々に来た、こういうの。

学生の頃なら本当にお金もないし、相場から考えても高すぎるし、それなりに応戦するなり、これだけしか払えないよってそのまま降りるのは簡単だったと思うのだけれど。

でもこの歳になると、なんか子どもたちにもすごく良くしてくれたリッキーと最後の最後で揉めるところを、子どもたちに見せるのも切なくて、渋るオットを諭し、だいたい言い値を払ってその場を後にした。

でもまあ、海外旅行でよくあることといえばよくあることではある。でもこのことがずっと引っかかっていて、帰ってからもずっともやもやと考えている。みなさんならどうしますか。

それでもインストラムロスも、リッキーのガイドも素晴らしかった

それでもリッキーが案内してくれたイントラムロスは、どこもかしこも見応えがあるいいところだった。またゆっくり行きたいなあと思える場所だった。歴史を感じさせながら、そのくせのんびりとした空気が流れていた。

カーサ・マニラ博物館はなんだかすごくオシャレなところだった。石畳の路地と、建物と。本当にそこだけアジアじゃなくてヨーロッパみたい。雰囲気の良いカフェもあったし、小さなお土産物やさんも雰囲気があって素敵だった。時間がある時にまたゆっくり行きたい。

ところどころに第二次世界大戦の爪痕があって、日本軍がしたこと、アメリカ軍がしたこと、リッキーは色々と教えてくれた。よく晴れた日に、美しい光景を前に、それらの爪痕は訴えかけてきた。誰かが誰かを殺す恐ろしさを、痛いくらいに。

もしリッキーがいなかったら、ここでの歴史のことなんてよくわからずに、調べたとしても、自分が立っているちょうどその場所で何があったかなんてわからずに、帰ってきていたのだろうなと思う。今になってみると、そう思う。

あっつい中自転車を一生懸命こぎながら、リッキーは、ここに僕の家があるよ!これが僕の4歳の娘なんだ、と、写真も見せてくれた。イントラムロスの近くの住宅街。決して裕福とは言えない家並み。(・・・騙されてるかもしれないが)

リッキーと子どもたちが、毎日楽しく暮らしていればいいなと、日本に帰ってきた今、私はやっぱり思うんだ。それはきれいごとなのかもしれない。ポリコレと言われるかもしれない。でも、日本とフィリピンとアメリカの、悲しい歴史を真剣な目で話してくれたリッキーに、家族と毎日楽しく暮らしていてほしいと思う。

そして、なんだかんだで、またボホール島へ行く時は(ボホールはまた絶対行きたい)、マニラに1泊してもいいなと思っている。それは、このイントラムロスが思いの外、すごく良かったからだ。

支払いの時、どうしていたら良かったのかなあと今でも考える

そんなことを思いながら、最後の支払いの時、どうしていれば良かったのかなあと今でもめっちゃ考える。

リッキーが最後に言った料金は、現地の相場からすれば高い。やっぱりそこが日本でないとはいえ、そういう形で請求されると嫌な気持ちにはなる。せっかく楽しかった気持ちがなあって、悲しい気持ちにもなる。

でも、日本で同じことをしようとしたら、それでも安いと思う。例えば嵐山の人力車よりもずっとずと安い。払えない値段じゃ全然ない。最初からその値段を言われていても、乗ったかもしれない、と思う。

その日は歩くにはめちゃくちゃ暑くて、リッキーの高級ランボルギーニ(おんぼろバイク)で風を受けながら走るのは楽しかった。リッキーのガイドも面白かった。だから、その値段分くらい、私たちは満足していたんだ。

 

もし最初から1400ペソだよと言われて、いいよ、と言って、高級ランボルギーニのオンボロバイクにみんなで楽しく乗って、最後笑ってサンキュー!と言える仕組みになっていたら、それがベストだけど、というか本当に最初からそう言ってくれればいいと思うのだけれど(なんとかならへんもんかなほんとに)、でも実際、そんな仕組みはなかったわけで、結局もやもやと考えたままで。

帰ってきて、考えて、そしてこれを書きながら思うことは、その時はびっくりしちゃったし、持ってる現金はギリギリだったし、オットは払うもんか!という態度でイライラして話してたし、私もなんか悲しくて微妙な気持ちになってしまったけど、楽しかったね!と、最後まで思えるために、払える値段なのだから、笑って気持ち良く払っても良かったのかもなあ、と、ちょっと思う。

実際、その言い値のお金を払わなきゃ良かったなと思う気持ちは、今特にない。というか、全くない。微妙な気持ちになっていたけど、サンキューってちゃんと言っておいてよかったなとも思う。多分、タクシーとかの単純な移動だけなら、払いたくなかったなあと思うだろうけど、これは単純に移動だけの時間ではなかったから。

でも難しいね、こういうの。その瞬間はなおさら、すぐに判断するのが難しい。

でもまた多分、旅に出る。(そして、おまけ。)

 

セブ&ボホール&ちょっとだけマニラ。親切さも、いい加減さも、たくさん触れた。ちょっと考えさせられた。また日常に戻りながら、あの旅のことをふわふわと考えている。

100%完璧な人間がいないように、100%完璧な旅もない。でもその不完全さが、人間にも旅にも多分、深みを与えてくれる。

数パーセントの絶対に見つからない何かを、そのかけらをなんとなく探しながら、多分また、旅に出る。

おまけ。

ほとんど日本人に会わなかったこの旅、私たちは相当日本語に飢えていた。そしたら、帰りに到着した関空のアナウンスで、日本語を飛び越えて関西弁が流れて、帰ってきたわ感がハンパなかった。すっごいな、関空のアナウンス。というか、アナウンスまで関西弁の関西。

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【2018お正月 セブ&ボホール旅行記⑧】day6 パングラオ散歩

これまでのセブ&ボホール旅行記

アロナビーチでランニング(をする日が来るなんて・・・)

ボホール最終日、朝早起きして、アロナビーチを少しだけ走る。何と言っても、5日くらい走っていないのだ。3日走らないと落ち着かない身体になってきてしまった・・。

早朝のアロナビーチは、お散歩している観光客と、現地のダイビングショップの人たちが船の準備をしていたりして、思ったよりもちらほらと人出がある。

それでもランニングしてる人なんて私しかいなくて、ダイビングショップのにーちゃんたちに「ランニングかい!僕も一緒に走ろうかな!!ファイト!!」と叫ばれる。サンキュウ。

飛行機はセブで18時過ぎ発のものだったため、ぎりぎりまでこの素晴らしいホテルにいたい。と、ごねる。(オットに。)チェックアウトは12:00だったのだけれど、もうちょっといたい・・と、ホテルにもごねたところ、13時過ぎてもいいよ!と、言ってもらう。ほんとうにいいホテルだ・・。そういったわけで、またプールで心ゆくまでだらだら過ごす。

本当はお昼もプールサイドですまして引きこもりの極みを見せつけたかったのだけれど、オットにただでさえパッキングできないんだからさっさと上がってパッキングしなさいと諭され、12時頃泣く泣くプールを後にする。この、はあもう上がらなきゃ、という瞬間が毎度寂しすぎる。ずっと泳いでたい・・・

ここで突然セブ&ボホールの洗濯問題

そういえば、子連れの旅行では基本的に洗濯機orコインランドリーがついている宿を取るようにしているのだけれど、セブにはそんなところ見当たらなかった。で、ホテルのランドリーサービスを泣く泣く利用したのだけれど、これがまあたいへん安くてすっごい良かった・・・。

それぞれのホテルで2回ずつくらい利用して、下着からTシャツから何から何まで結構袋に詰めて洗濯してもらったけれど、3,000円もしなかったと思う。いい香りの洗濯物が、下着までピシッと畳まれて戻ってくるって、すごい気持ちいい。ありがとう、ランドリーサービス。

そういったわけでいい香りの洗濯物を泣く泣くスーツケースに詰める(そして本当にパッキングはきらい)。一度くらい、外のレストランに食べに行こうか、ということで、ホテル近くのNikita’s Coffee Shop and Cafeへ。

Nikita’s Coffee Shop and Cafeでランチ

フロントで聞いたら、「めっちゃ近いよ!50歩くらい!」と、言われたので、外へ出てから息子が50歩数えてみたけれど一向に目的地は現れない。

もうちょっと歩いてみて、それでもなかったらちがうところに入ろうかーと話していたら(この道路沿いには結構たくさんお店があった。あと、いい感じの安宿もたくさんあって、ああ、懐かしいちょっと泊まりたい・・と、思った。)ようやく目的のお店が現れた。息子は300歩は歩いたよ!と、言っていた。

でっかい欧米人のオーナーさんと、ものっすごく親切なフィリピーナたちが、ほんとにあれやこれやと親切にしてくれた。子どもたちはピザ、私はカレー、オットは・・忘れた、なんか食べてた(わたしはほんとうにそういう他人に興味がないところをなんとかした方がいいと思ってはいる)。あともちろんサンミゲル。

どれもこれもしみじみ美味しかった。なんというか、アメリカの田舎の親戚のおばちゃんが作ってくれた、みたいなあったかいお料理たち。いないけど、アメリカの田舎に親戚のおばちゃん。こういうお店でご飯っていいよね、と、話す。引きこもってばっかじゃありつけないからね、うん。(ひきこもり哲学どこいった)

意外とフライトまでの時間が、ない

ホテルまでの帰り道は、距離感が掴めてる分、行きよりもずっと早く感じる。距離と時間って不思議だ。

ホテルに戻って、おねーさんにセブーマニラ便の時間を伝えると、それはちょっと急いだ方がいいよ!と、言われる。で、なんと飛行機に間に合う時間のボホールーセブ便のフェリー予約も全部やってくれて、フェリーの時間に間に合うようにタクシーも手配するから!と、わたしたちがぼーっと座っている間に全部手配してくれた。(ほんとうに最初から最後まで親切なホテルであった・・・)

そしてここでもまた現金持ってない問題が勃発したのだけれど(本当に引きこもる暇があれば両替した方がいい)タクシーの運転手さんに、両替所に寄ってもらうようにも話しておくから!と、言ってくれた。(※ちなみにアモリタリゾートでは日本円→ペソへの両替はできないそうです。なるほど日本人が少ない小規模リゾートだとこういうこともあるわけです気をつけましょう(私が)。)

いろんな人たちが全力で手配してくれたおかげで、無事にフェリーターミナルに到着。「間に合わないかも!」と、思ったのもつかの間。

当然のことだけれど、船は遅れる。

だが安心してほしい、飛行機ももちろん遅れる

しかし今回困るのは、船が遅れて飛行機に間に合わなかったらどうしよう!と、いうこと。なんせぎりぎりのフェリーをとってもらっているのだ。

だが、安心してほしい。飛行機も、もちろん遅れる。

ところで、セブの国内線ターミナルはリニューアルしたてなのか、すごくきれいでした。ジョリビーのハンバーガーを食べて、Bo’s Coffeeのラテを飲む。ああ、初めてフィリピンっぽいことをした・・。コーヒー美味しい。

さてマニラまではあっという間。ここで1泊して、明日はサクッとマニラ観光へ。つづく!そして続きで終わる!たぶん!

【50音blog 】う:歌ーー4歳むすめがずっと歌っている

むすめがなりたい職業トップ3

来る日も、来る日も、劇場だ。この家は、勝手に、劇場と化している。

我が家の脳内プリンセスの4歳児がおかしいということは、ここでも何度となく書いてきたのだけれど、何よりおかしいのは、もう我が家の誰もそれをおかしいと思わなくなっていることである。たまにハッとして、「いや待ておかしいから。」とせまりくるおかしみに耐えられなくなってしまうことはあれど、普段それは、普通に、そこにある。日常だ。

脳内プリンセスは、普段からあらゆるものになりきっている。最近の「おおきくなったらなりたいもの」トップ3は、「アイカツのひめ」(誰かは知らない)「うたのおねえさん」「ほいくえんのせんせい」である。お分かりいただけるだろうか、3番目になるにつれて就職できる可能性が高くなっていくのが。「うたのおねえさん」の狭き門っぷりはあるにしても、それにしても誰かも知らない「アイカツのひめ」よりは可能性は高いだろう。

しかし、だ。その「アイカツのひめ」にしたところで、むすめはある程度現実路線を考えてのことなのだ。つまり、「エルサ」はもしかして厳しいかもしれない、でも「アイカツのひめ」ならいけるかもしれない、と、4歳ながらに現実を見据えてしまっている。厳しい世の中だ。

誰か知らんけど、アイカツのひめ。

トップ3の職業に共通するもの

さて、このトップ3の職業に共通するものそれは何か。あなたにはバラバラに見えるだろうか。それはプリンセス修行が足りない。よく考えてみてほしい。もっと脳内をプリンセス色にしてほしい。

共通することそれは、歌うことである。全員が、何かしら歌っている。

だからむすめは、夢に向かって、いつも、いかなる時も、ずっと歌っている。何なら、私との会話も歌で伝えようとしてくる。「ママ〜わたしい〜はあ〜 ごはんがあ〜たべたい〜のお〜 きょうのごはんはあ〜 なあ〜にい〜♪」

普通にきけや。

もちろん私はふつうに答える。「こないだいぬい(前職同期)が買ってきてくれた大量の白菜が余ってるから白菜のお好み焼きにしよ。」

するとむすめは答える。いや、歌う。「い〜ぬい〜♪」

歌われてるよ、いぬい君。

毎日この調子である。ずっと、歌っている。でも、家族の誰もが、普通の顔をしている。それぞれが、自分のペースを崩さない。たとえむすめに歌われても、誰も歌いながらは返さない。なかなかシュールな絵だなと思う。

そして、こちらのペースの崩れなさに惑わされることなく、同じく全くペースを崩さないむすめのハートも相当強いなと思う。こちらがどれだけの塩対応をしても(別に塩対応しようと思ってるわけじゃなくてもあんなテンション到底ついていけない)決して折れることなく歌い続ける。

そう、むすめは歌い続ける。

タモリさんはミュージカルを観られないけれど

タモリさんがミュージカルを観られない、というのは有名な話だ。会話が歌になるのにどうも馴染めない、と、タモリさんは言う。「なぜ死ぬ前にハモれるのか」と。たしかに。

いいともにミュージカル女優を呼びながら、「俺は観られない」と言っちゃえるタモリさんがもちろん私は大好きなわけで、そして私もタモさんそれわかる、日常会話が歌になっちゃうとどうも感情移入できない、と、少し思っていた。アナと雪の女王でも、ちょっとそこで歌うのにはついていけない、という場面がややあった。日常に歌が入り込むのは無理があるだろう、と。

しかし気づけば、なんと我が家の日常にはむすめの歌が入り込んでいる。ものすごく自然に、そこにある。なんなんだ、ミュージカルって、実はセリフや思いを歌に託すんじゃなくて、普通にあれが日常として成り立っているのか。アナはエルサに、本当に「雪だるま作ろうー♪」と歌いながら問いかけたのか。もしかしてあれは、ごく普通の光景なのか。

人は大抵、どんなことにも慣れていく。目の前のむすめが、会話をすべて歌で行ってきたとしても、「そういうものか」と受け入れる。少なくとも我が家は全員、普通に受け入れている。日常とはそういうもので、そして思うに多分、家族というのはそういうものだ。たぶんアナとエルサも同じだ。

まあそんなむすめも明日は節分ということで、意味がわかっていなかった0歳児の時を除く1歳児以降の3年間毎年毎年もれなく号泣してきたので明日もコテンパンにやってやろうと思います。楽しみすぎて寝られない。さすがに歌う余裕もなくなるはずである。ふっ。

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【50音blog 】い:犬ーーー犬派と猫派に分かれている

犬派か猫派か元カノか

「犬派の男の人を好きになったことがない。」

と、言ったら、オットに怪訝な顔をされた。「俺は中立だ。どちらでもない。猫派とは誰だ」と言う。「いやいやあなたは立派な猫派ですよ」と諭す。ツマは色々大変なのである。

でもなんか、好きになる人はとことん、猫を飼っているとか、猫に目がないとか、なんかそんな人ばっかりだった気がする。ほら、村上春樹だって猫が好きだし・・・。

かくいうオットも、実家にいた頃はシロという猫がいた。今はオットの実家では犬を飼っているけれども、オットが共に暮らしたのは白ねこのシロだ。

オットは今でも「シロは本当にかしこくてかわいい気品あふれる上品な猫だった。ツンとしているとこがまたすごく良かった」と言う。まるで元カノについて話すように。(あほなんじゃないか。)

猫はツンとした感じ、犬は全力で愛を表現してくれるヤツ

そう、なんというか猫は、こうやって懐に入るのがうまい気がする。もてあそぶというか。ツンデレというか。(最近聞かないなツンデレ)

それに比べて犬は、しっぽを振って全力で愛を表現してくれるかわいいヤツ、という感じ。もうばかだなあとか言いながら、憎めない感じ。

それで私が今まで猫派の人をつい好きになってきたというのはそれはつまり、「ツンデレが好きな人が好き」ということなのか?めっちゃめんどくさい。(関係ないけれど、むすめ4歳が保育園で「めっちゃ」っていっちゃダメなんだよ!と、教えてもらってきたらしく、めっちゃ注意される。でもめっちゃってめっちゃ使うしめっちゃって使わないのめっちゃ難しい)

まあでもオットだってガッキーの上品なところがいいとか、がさつじゃないところがいいとか、そんなことばかり言っているけれど、がさつなツマと結婚したわけだからまあつまり人生はそんな思い通りにならないものなのだよふっ。

どちらかと言うと犬派なのだけれども

ところで昨年末、猫の飼育数が初めて犬を上回った、という記事が出た。

ペット数、猫が犬を初めて逆転 飼い主の数は犬が多数

まあこの記事の、岩合光昭さんとムツゴロウさんのコメントがなんというか天上人みが溢れていて最高なわけだけれど、それはさておき確かに実感としても「猫ブームだな」というのはわかる。周りを見ていても、猫を飼う人は多いなあと思う。

何を隠そう、どちらかと言うと犬派の私も(というか、実家では犬しか飼ったことがないから、猫と共に暮らしたことがない。だからまあ「犬と暮らす楽しさは知っている」という感じ。)今、家に猫がいてくれたらいいんじゃないか…と、結構本気で考えている。いや、本当は猫でも犬でもいいんだ。ただ、多分この飼い猫が飼い犬の数を上回ったという理由におそらく一番当てはまる、「ライフスタイル」の問題が、あるのだと思う。

実家にいためちゃくちゃかわいい犬の話

実家では、かりんという名前の犬を飼っていた。柴犬の雑種で、美人で、めちゃくちゃ臆病で、出産する時すら、私たちにそばにいてくれときゅんきゅんと鳴くわんこだった。(普通犬は出産の時気が立って人を寄せ付けないと聞いていたのに。)

大きなトラックとかとすれ違うとびびって歩けなくなるし、風の強い音も怖がって家に入れてくれと泣いていた。あれはもう、鳴くんじゃなくて泣いていた。でもそういうところがたまらなくかわいかった。

いやなんか、オットがシロについて話す時と同じ感じになっている気もするけれどもまあそれは気のせいだ。私は特に元彼について話しているわけじゃない。(そういう問題ではない)

とにかく、そういう超絶かわいい手のかかるわんこが実家にいたのだけれど、正直言って、飼育していたのは、母だ。お散歩へ行くのも、餌をあげるのも、犬小屋の掃除も、母がしていた。

…いや、ごめん、妹たちはしていたかもしれない。しかし、ジャイアン的ねーちゃんは、ほとんど何もしていなかったと、思う。いや、ほんと、ごめん。

専業主婦の母と同じことができるかというと

母は専業主婦で、だいたい一日中家にいて、隣には母の両親が住んでいて、旅行の時には預けて行くこともできた。一軒家だったから、小型犬じゃなくてももちろん飼うことができた。

そして私は母と同じことを、今の生活で、できる自信がない。

マンションだし、実家は遠方で預けられる人は近くにいないし、サラリーマンではなくなったとはいえ仕事も(一応、たぶん、きっと…)ある。すぐ旅行に行ってしまうし家を空けることも多い。

毎日お散歩へ行ける自信もない、ランニング一緒にしてくれる犬ならいいかもしれないけれどもそういう問題じゃないのだろう、たぶん。

そうすると、猫はたぶん、現代人(というくくりもどうかと思うけれど)のライフスタイルでも、飼いやすいのだろうな、と思う。なんせ、シロのようにツンとしてて気品あふれて気高くてこう…一人の時間も楽しんでくれそうだし(想像)。現実問題として、ペットOKのマンションでも、大型犬NGのところはあれど、猫のサイズなら大丈夫だろうし。

ヒロミ(芸能人じゃない)がいいことを言う

ところで昔、宮古島の免許合宿で出会ったヒロミが、あっつい宮古島の商店街を歩きながらふと「私、動物を『買う』っていう感覚がちょっとわからないんだよね。お金を出してこう…取引するのがなんか、納得いかなくて」と、言っていた。もう、10年以上前の話だけれど。

ギャルみたいやのにめっちゃまじめやんヒロミ!と、思って、ハタチそこそこの私は感心してしまったのだけれど、あの言葉は私の中にずっと残っている。

犬や猫を飼うなら、保護犬とか保護猫にしよう、と、それだけはずっと決まっているのだけれど、どうしても一歩踏み出す自信がない。でもずっと心の奥に、あるんだよなあ、犬か猫を飼いたいなあという気持ちが…。子どもたちもめちゃくちゃ言ってくるし。その気持ちはめっちゃわかる。わたしも毎年サンタさんにお願いしていた。サンタさん届けてくれへんかったけど。

どうなんだろう。飼えるのだろうか。わたしにも。決心がつかない。だから何が言いたいかと言うと、犬猫飼っている人どうぞご意見お願いします。(いいよ!とか、いやあんたにゃ無理!とか)

でも、オットが「うちの猫はツマとちがって気品高くて上品で賢くて美人でがさつじゃなくてかわいい」みたいなことを言い出したらちょっとやだけどというかドロップキックやけど。(がさつ)

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【2018お正月 セブ&ボホール旅行記⑦】day5 アモリタリゾートに引きこもる

これまでのセブ&ボホール旅行記

アクティブに過ごすか、まったり過ごすか。旅計画の立て方

旅に出たからには、時間が許す限りいろんなところを効率良く回るのが大事という考えもある。ガイドブックに載っているところは全部押さえた方が良いかもしれない。そのために、ツアー会社は山ほどツアーを組むのだから。そして世界には自分が知らないところが山ほどあるのだから。私たちもボホール移動初日は、チャータータクシーで王道の観光地を3つ回った。

そうなのだけれど。だけれども。やっぱり、リゾートへ来たからには、プロ引きこもりの私は引きこもりたい。ホテルで本を読んで飽きたらプールで泳いでだらだらしたい。たぶん私にとって一番の贅沢は、何もしないこと。

だから基本的にその土地で外に出て色々遊んだりツアーに参加したり…という日は、ホテル滞在中につき1日だけ、という感じにしている。

ちなみにその旅計画をどう立てているかというと、モールスキンを旅ノートにしていて、後半ページに見開きで1日のスケジュールを時間ごとに書いている。

の、だけれど、基本は真っ白である。この通り。

一応、何日間(移動とかに取られない)自由な時間があるのかということを把握して、日ごとにどういう行動をしようか、ということをざっくり決める。

あとはとことん、ホテルに引きこもる。(ニューヨークへ行こう!とか、アンコール遺跡群を見に行こう!とかの旅行の場合はそうじゃないけど。)だからスケジュールが真っ白になる。一応、行きたいレストランとかはメモしている(…が、外に出たくなくてホテルで済ませてしまうことも多々ある)

そういったわけで、残りのボホール滞在はひたすらに引きこもってまったりした。でも引きこもりだけでまた1回分書いてしまった。なぜならめちゃくちゃいいホテルだったから。読んだらたぶん、いますぐ何もしたくなくなります。まじで。

自分史上最高のホテル、アモリタリゾート

世界にはいろんなリゾートがあって、その土地ごとにきっとステキなホテルが山ほどある。

大手チェーンが手がける大型リゾートは、サービスも充実しているし不便なことはほとんどない。子連れでも安心。いろんなアクティビティも充実していて、飽きることがない。

そうなのだけれど、それでも私は、小さめのこじんまりとしたリゾートが好きなのだな、と今回改めて思った。というか正直言って、今まで行った中で一番ここが好きかもしれない、と思った。それが今回ボホールで泊まったアモリタリゾート

「こじんまり」と言ったけれど、客室数がそんなに多くない割に敷地はすごく広くて、一部屋一部屋がゆったりしている。

そして、程よくおしゃれ。「程よく」というところがまたよくて、なんというかスタイリッシュすぎて肩肘張ってしまう、という感じでは一切なくて、とにかくリラックスできるレベルのセンスの良さ。そういうのが、もしかしたら本当にセンスがいいということなのかもしれないけれど。

ビーチチェアもとり合わなくていい、アモリタリゾート

そして「こじんまり」の何がいいかって、とにかく人が少ない。大型のリゾートとかだと(ハワイとかは特に)朝からビーチチェアの取り合い・・みたいなことも少なくないけれど、ここはまずそんなことなかった。(いやハワイも好きなんですけれども。あれは唯一無二だから。)

毎回4つビーチチェアを使っていた。何ならその隣のベッドまで荷物置きにしていた。それでもまだ数に余裕があるくらい。みんなダイビングとかどこか行っているのだろうか?

全然混まない素晴らしきプールは二つあって、一つはフロント近くのアロナビーチを見下ろせるプール。こちらはもう一つよりさらに混んでいなくて、欧米人カップルが一組まったりしていた。

もう一つは、メインの食堂近くの大きなプール。深さ別に3つに分かれていて、小さい子どもも安心して遊べる。

見て、この空いてる感じ。

私たちは主にこちらでひたすらゆっくりしていた。

嵐山の保養所のおばちゃん並に親切な人が多い、アモリタリゾート

ビーチチェアで朝からふーふーと浮き輪を膨らませていたら、ホテルのお兄ちゃんがさっときやって来て、任せとけってな感じで、何も言わずに空気入れで膨らませてくれた。そしてあっちに置いてある浮き輪も膨らませるか?と、ややぶっきらぼうな感じで聞いて、次々と膨らませてくれた。惚れる。

そうなのだここの人たち、いちいちめちゃくちゃ親切なのだ。それも全然押し付けがましくない親切さ。思うにこれくらい親切な人っていうのは、世界を見渡してみてもランカウイの人たちと前の会社の嵐山の保養所のおばちゃんたちくらいしかいない。もう行けないけど保養所・・・泣ける・・(前職のみなさま誰か連れてって・・・)

そしてこのホテルのすごくいいなと思うところは、例えば「子ども向けプール」という風に、わざわざ明記したりしているわけではないところ。深さ別のプールも、もちろん浅いところに子どもは集まるわけだけれど(と言っても2、3家族だけど)そこが特に「子ども向け」と謳われているわけでも、他と比べて小さいわけでもない。

一見すると一番深いところまでも一つのプールに見えるようになっていて、実はプールの中に階段があってそれぞれ三つに分かれていますよ、という形。

つまり、「ここからは思う存分子どもが遊べるゾーンですよ!」と主張する部分がない代わりに、「ここからは絶対に子どもは入らないでくださいね!」という部分もない。なんというか大人の楽しい時間に、子どもも一緒にどうぞ、と、いう感じなのだ。すごく自然に、子どもを受け入れてくれる感じ。

「子ども向け」じゃないのに、子どもにめちゃくちゃ優しい、アモリタリゾート

それでいて、こういう遊具がそっとあったりする。これもものすごく主張するわけでもなんでもなくて、本当に自然にお庭にぽっと現れる。7歳息子はあんまり遊ばなかったけれど、4歳むすめは嬉しそうに何度か遊んでいた。

ついでに言うとこの写真は、遊具から階段を登ったところに広いガゼボがあって、そこに寝っ転がって撮っている。つまり母さんはここに寝っ転がって本読みながらむすめを見ておけばいいわけでたいへん、気楽。

もちろん、ホテルの人たちも、泊まりに来ている人たちも、子どもがいるからって嫌な顔なんて一ミリもしない。みんな一緒に、この滞在をそれぞれ楽しみましょうね、という感じ。すごく、自然だ。

大好物のハンモックももちろんある。これはプールからちょっと離れた(ほんとに敷地が広いのだ)、海を見下ろせるお庭にあって、波の音を聞きながらゆらゆらしつつ、iPhoneで好きな音楽流しつつ、本を読んでまったりできる。

引きこもりでもレストランの食事に飽きない、アモリタリゾート

「絶対に引きこもる」という強い引きこもりの意思を持って引きこもっているため、お昼もプール沿いのレストランで済ませる。ついでに言うとこの日は、朝ごはんも夜ごはんも同じレストランで食べている。特に飽きることはない。なんせ、引きこもりのプロだから。

ピザもカルボナーラも、めっちゃ美味しい。南国のパスタって、「アルデンテ」という概念がきっとなくていつもどうにもまずいことが多いのだけれど、これは美味しかった。ついでに言うとランカウイのカルボナーラも美味しかった。親切な人たちというのはアルデンテを知る人たちなのだきっと。

あとレストランでいうと、朝ごはんのビュッフェに置いてあるこのミントともう一つの葉っぱ、これにお湯を注ぐだけのハーブティーが信じられない美味しさであった。

これはおうちでわしゃわしゃとミントを育ててお湯をがっと注げばできるのかそうなのか?と、オットに聞くと、まずミントをわしゃわしゃ育てられるかが問題だよね、と、言われた。まあそうなのだが。

プールサイドで色々サービスしてくれる、アモリタリゾート

午後、プールサイドでまったりしていると、ホテルの人がサービスでマンゴーのアイスを持ってきてくれる。めちゃくちゃ美味しい、これ。もちろん子どもたちも大喜び。そしてもちろんこういうのも、大人も子ども関係なくくれる。

あと同じくサービスで配ってくれるのが、このハーブウォーターが入ったスプレー。氷で冷やして持ってきてくれて、日焼けしたお肌にスプレーするととにかく気持ち良い。

にくい。心にくい。

結局この日は、日が暮れるまでずーーーーーっとこのプールにいた。日が暮れても水が冷たくなくて、プールに入っても寒くない。

めっちゃぶれてますけど(ぶれてよかったけど)夜のプール、これ大好きです私。贅沢だよなあと思う。もちろんこれも、子どもたちと一緒に楽しめて、たいへんにしあわせ。

次にいつ行けるか調べてしまうレベル、アモリタリゾート

トータルで見て、ほんとにめちゃくちゃいいホテルだった。正直、次回はたぶんセブ島飛ばして(もしくは一泊とかだけして)ボホールに直行したい、と思う。のんびりした島の雰囲気と、それでいて広い島のあちこちに見所があるところも、そして自分史上最高のホテルがあるところも。こんなことは本当にめったにないのだけれど、次回の長期休みにこのホテルに空室があるかつい調べてしまうレベル・・・

(ちなみに、この旅行もボホールに行くこと決めたのは出発の2週間くらい前で、その段階でも予約できたから、この先もだいたい空室はある。)

朝から晩までひたすら同じホテルにいても全然飽きない最高です、というお話。温泉とリゾートはやっぱり引きこもりに限る。そう、私は今とにかく温泉に行きたい。そう、全然関係がない。

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【50音blog 】あ:アップルーーーAppleと自由について

はじめに:50音ブログについて

セブ&ボホール旅行記はまだ続くのですが、ちょっと休憩。(休憩?)

50音ブログ、いっぱい「あ」のつく言葉を出していただいた皆さんありがとうございました。(お題は主にtwitterで募集しています。よろしければフォローしてくださいませ!@hannarry もちろん、インスタ or Facebook 経由のコメントでも大丈夫です、お待ちしております。)

50音ブログは、前に書いていたブログで、50音順にてきとうにお題を選んで、そこから連想されることを好き勝手に書く、というものです。書きたいことを書く、のも良いのだけれど、全然馴染みのないものとか思いつきのものから、いろいろ連想して書いてみると、思わぬ発見があったり、自分ってこんなことを考えていたのか、という気づきにつながったりして、なかなか面白かったのです。

旅行記だったり、インタビューだったり(こちらもまた進行中でございます)の合間に書いていくので、ちょっとした息抜きに読んでもらえると嬉しいです。

憧れの、Apple

と、いうわけで最初のお題は「あ」。今回は「Apple」

アッポーペンのアップルじゃなくて、Macを出すApple。まあ、アッポーペンのアップルか。

社会人になって一番最初に買ったのは、MacBookだった。Apple Storeも確か学生の頃にできたばかりで、そこに入るだけでちょっと最先端な気分になったのを覚えている。

でも、私が入社したのはちょうドメスティックな紙媒体の会社であって、Macを使うどころかとりあえずまだMOを使って広告入稿をしていた。(若い人知ってますか、MO…)CDでの入稿すら許されていなかった。というか私は1年前くらいまで、CDでの入稿が許されていることを知らなかった。

そんな環境で、Macが必要になる場面は、もちろんなかった。

そもそもリモートワークなんて言葉もなかったし、仕事は全て会社でしかできなかったわけで、Macを使ってできる仕事はその時の部署で皆無であった。

パソコンで絵を描いていたわけでもないし、家に帰ってそのMacを使うことと言ったら、mixiを見ることくらいい…(懐かしすぎて泣きそう。多分もうログインできない)あとは少しblogを書くくらい。

それでも、アップルマークに憧れた。そう、まさにあれは憧れのような気持ち。

TSUTAYA TOKYO ROPPONGI にあふれるアップルマーク

その頃私は遅番勤務がある部署にいて、週に1度ペースで、帰りが深夜の1時とか2時になることがあった。で、なんとなく手持ち無沙汰で、よく深夜に近所のTSUTAYA TOKYO ROPPONGIのスタバへ行ってぼーっと過ごしていた。(まだ代官山の蔦屋書店もなかった頃。)

深夜の六本木のスタバには、アップルマークを開いて何やら作業をしている人がたくさんいた。私にはその人たちが、ものすごく自由に見えた。実際のところはわからないけれど、とにかくサラリーマンの私にはそう見えた。(まあ、テレ朝の人だったのかもしれないけれど。)

会社に残っていやいや残業するんじゃなくて、好きな仕事なのか趣味なのか、とにかく好きなことに、その時間に没頭できる余裕があるように見えた。(まあ、テレ朝の人だったのかもしれないけれど。)

会社を辞めて「自由」になると

だけど会社を辞めてしばらくすると、朝、同じ時間に会社に行かないことを、なんだか落ち着かないなと思う日が数日続いた。全然仕事をしていない気になってきて、変な罪悪感すら感じる。

たぶん私は、サラリーマンの12年間の間にいつの間にか、「同じ時間に起きて同じ時間に家を出て同じ時間に会社に行くこと」それ自体を、「仕事」だと思い込むようになっていた。

けど、当たり前だけれど、それ自体は仕事でも何でもない。「会社へ行くこと」は、「仕事をすること」じゃない。

私はたぶんもうずっと前から、とにかく「自由」であることを大切にしたいと思っていた。それはたぶん、自分が自由じゃなかったからなんだろう。

もちろん、自分で自分の道を決めてきたし、高校だって大学だって就職だって、自分で好きなところを受けた。

でも、大きな組織の中で(それは会社に限らず学校でもそうなのかもしれない)、毎日同じ時間に起きて、同じ時間に家を出て、例えば同じ時間に保育園に駆け込み、同じ時間に仕事を終え、同じ時間にお迎えに行き…という日々は、たぶん思った以上に、私にとっては(あくまでも私にとっては)「自由」ではなかったのだ。それがともすれば「仕事そのもの」と勘違いしてしまうくらいになるなんて、そりゃもう自由からは程遠い。

守るべきものを、守るためにも自由でありたい

「自由」ってそんなレベルかよ!と、思う人もたくさんいると思う。わかる。だけど、私にとって一つの自由は、やっぱりそれなのだ。自分の人生と、そして人生につながる日々の小さな積み重ねを、自分で選んでいくこと。

「アップル」から連想するこの文章を書こうと決めた時、あの深夜の六本木のスタバで見たたくさんのアップルマークを思い出した。

あーやっぱりあれが、私にとっての自由そのものだなあ、と思う。

もちろん大人だから生きていく中で守るべきものはたくさんあって(それは法律であったり締め切りであったり家族であったり)それは守っていかなくちゃいけない。

でも、自分がやりたいことをしていくこと。やりたい仕事を、好きな時間に、好きな場所ですること。それは自分にとって、守るべきものを守る上でも大切なことなのだ。深夜の六本木でMac開いてカタカタできるための、あらゆる余裕を持っていたのだと思う、たぶん。(やらないけど、深夜の六本木でカタカタ。あくまで例えとして。)

なんというか12年間培ったサラリーマン精神はなかなか抜けないものですが、appleと共に自由な日々を生きていきたいわけです、ほんとwordとの互換性悪くて関係各所にご迷惑をおかけしていることはこの場を借りて深くお詫び申し上げますでもそれは天国のジョブズに言って!

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