子育て

「とはいえ」の前に大切なこと

走るときに考えることについて私の考えること ©村上春樹

1月末のハワイで思いついて走り始めて、2か月半ばかり。週に一度か二度、といったくらいですが走っています。

走り始める前は、走ったら悩みも吹っ飛ぶんじゃないかとか、仕事の企画のアイデアがめっちゃ浮かぶんじゃないかとか、煩悩が消えるんじゃないかとか、なんとなくある種の悟りを開けるんじゃないかという期待があった。

が。しかし。

現実は全くもってそんなに甘くはない。

走っている時に考えていることというと、まあ、「しんどい。」これ一言に過ぎる。あと、「今日は本当に途中でやめよう。」とか、「てゆーかなんで走ってるんやろうわたし。」とか。あと自転車に抜かされた時の言いようのない無気力感とか。私がへなちょこだからなんですけど、まあ、だいたいしんどい。と、思っている。

ただ、ここのところだいたい10キロを目標に走ることが数回あって(数回ですけど。)なんせへなちょこなので、10キロでだいたい1時間くらいかかるわけです。そうすると、1時間もずっと「しんどい」と考え続けるのも身体が飽きるらしく、途中、急に頭がすっきりするというか、まあ空っぽになるというか、結構頭の中の見通しが良くなる感じがする時間が、やってくる。

まあだからといって仕事の企画のアイデアはさっぱり浮かびませんが、というか複雑な思考は全くもって出来ず、逆にものすごく物事をシンプルに考えるようになり、というかシンプルにしか考えられないわけですが、とにかくそういう時に、前から走ってくるおっちゃんとかを見ると、「この人も昔はお母さんのおなかの中にいて、すごくしあわせな気持ちで迎えられたのだろうなあ。」みたいなことを、考えるようになる。

これ、思い返してみると妊娠中にもよく思うんですよね。「あのいやーーーーな上司も、それでも昔はお母さんのおなかにいて、こうして待ち望まれて生まれてきたのだろうなあ。」とか。あれは妊娠中の脳内がお花畑になっていたからそう感じたのかと思っていたけれど、案外思考がシンプルになると同じことを思うらしい。

そして同時に、「あーーーー子どもたちが今日も笑って元気に生きている、それだけでしあわせだなあ。」と、本気で思う。あの子たちが生きているだけで、ほんとにしあわせだ。と。

これも、妊娠中に何度もなんども思ったこと。検診のたびに、あーよかった、今日も心臓が動いている。今日も少し、大きくなっている。今日もお腹の中で育ってくれている。もう、この子が生まれてきてくれるだけで、それだけでいい。他には何も望まない。元気に生まれてきてくれること、それだけでいい。と。

「とはいえ」とつい口にしてしまうけれど

それでも、実際に本当に元気に生まれてきてくれて、そしてすくすく元気に育ってくれると、それはそれでいろんな悩みが出てきて、ハイハイするのが遅いんじゃないかとか、歩くのが遅いんじゃないかとか、なかなか10まで数えられないとか、文字をなかなか覚えられないとか、絵が苦手なんじゃないかとか、運動が得意じゃないとか、お友達とケンカばかりするとか、全然親の言うことを聞かないとか、勉強が苦手だとか、人によってはいい幼稚園に行けなかったとか、受験がうまくいかなかっただとか、とにかく色んなことが出てくる。「生まれてきてくれるだけで、元気に笑ってくれるだけでいい。」と思った気持ちを、つい忘れそうになる。

でもそれは、忘れてるんじゃなくて、そういうものなんだ、と、思いながら、多くの人が過ごしている気がする。私だってそうだ。「とはいえ」、現実の生活が始まるわけで、そんな生まれてきてくれてありがとうという気持ちだけでこのあわただしい子育ての日々を乗り越えられるわけがないじゃないかと。そんな風に思いながら、現実の子育てと向き合ってきた気がする。

でも、走りながら、「しんどい」と考えることにすら飽きて、ものすごくシンプルにしか物事を考えられなくなった状態で、私は思った。いや、「生まれてきてくれるだけでいい。」「元気に笑ってくれるだけでいい。」という気持ちは、それはきれいごとでも絵空事でもなんでもないな。と。それは、紛れもない真実だ。それが、何より一番大切なことだ。と。

いや、そんなの、当たり前なのだけれど。当たり前だけれど、何というかそれを、身体で理解した、気がした。

大人になると、そして社会人になると、つい、「とはいえ」という言葉を使いがちになる。そんなきれいごとばかり言っていられないよ、現実を見なきゃだめだよ、という自分へのある種の戒めになのか、あるいは言い訳なのか、照れ隠しなのか。ちゃんと現実を知っていますよ、「とはいえ」、そんな夢ばかり見ていられないのもわかりますよ、と、誰かに、そして自分に言い聞かせるために。

でも、本当に大切なのは、というか、自分の本心は、「とはいえ」の前にあるんじゃないのかなあと、その時私は思った。しんどいを通り越したシンプルな思考の中で。

本当は、「とはいえ」の後ろに続く現実的な言葉じゃなくて、その前の段階に、大切なことはちゃんとあるのだ。

あの時、まだ手も足もないような小さな胎芽を始めてみた時、いつしか大きくなったお腹をそっとなでながらゆっくり歩いた時、「この子が無事に生まれてきてくれるだけでいい。それだけでいい。」と思った気持ちは、それは、きれいごとでもなんでもなかったはずだ。それは、どんな人だって、きっと同じだ。そしてそれは、この世で多分、一番シンプルで、そして大切な真実だ。

とはいえ、子供はいつか立派な大人にならなきゃいけないとか、とはいえ、親は子供をちゃんと教育しなきゃいけないとか、とはいえ、学歴はあった方がいいとか、「とはいえ」は山のように思い浮かぶけれど、でもそのどれも「この子が無事に生まれてきてくれるだけでいい」と思った気持ちにはかなわない。だって、「この子が無事に生まれてきてくれ」なければ、そのどれも、かなわなかったのだから。

欲張りであることは大切かもしれないけれど、でも、一番大切なことは、すごくシンプルだ。そしてそれは、ものすごく簡単なはずなのに、日々の生活でいとも簡単に忘れてしまえるようなことだ。

生きてくれているだけでうれしい。生まれてきてくれて、生きていてくれて、本当にありがとう。それを、ちゃんと子どもたちに伝えていきたい。それを、ちゃんと自分の根っこに忘れずおいておきたい。

と、走りながら今日も私は思うのだ。とはいえ、やっぱり走るのはしんどい。今日は5キロで止めておこうか。と思いながら。

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ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃん

我が家のアラフォー(アラウンド4歳)の脳内は、プリンセスでできている。H&Mでエルサのつけ三つ編みなるものを手に入れてたので(信じられないですが本当に売っている。)それをつけて完全にプリンセスになりきっている。(写真はプリンセスになりきっているミドサーというわけではない。)

「わ」の新しい使い方

この時、私は「エルサのお母さん」と呼ばれる。半オクターブ高い声で「エルサのお母さん、早くしてわ♡」と言われる。この語尾の「わ」は、もちろん「そうですわ」などと使う時の「わ」なわけですが、五段活用的なものがまったく機能しておらず、なんでもかんでも勝手に「わ」をつけている。新しい日本語である。

で、「エルサのお母さん」などと呼びかけられても、こちらはもちろんそんな心持ちで日々生きているわけではなく、いたって普通の主婦として家事を渋々こなしているだけであり、反応がすこぶる悪い。「エルサのお母さん♡・・・エルサのお母さん!」と、後半ややキレられ気味に呼ばれてやっと、「あ、何わたしのこと!?あ、はいはいどうも、エルサのお母さんですこんにちは。」みたいなことを言うと、「もっとやさしく言ってわ、エルサのお母さん♡」と言われる。もちろん「わ」の使い方はここでも新しい。

エルサのお母さんの反応が鈍すぎるため、そのうちアラフォー(アラウンド4歳)のエルサは諦めてまた一人プリンセスごっこに戻って行く。この日常にやや慣れてしまって、むすめがどんなプリンセスになりきろうと最近はスルーしてしまっておりましたが、今日思い立ってちょっと観察してみることにした。

そうすると出て来た登場人物が、タイトルにある「ルステーアーフェーちゃん」と「ルッキーアーペーちゃん」だったのである。聞き間違いではない。これは一回では絶対に覚えられないと思い、むすめにプリンセスの中断を求め、再度一文字一文字確認してevernoteにそのままメモしたので間違いない。プリンセスのお友達はルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃんである。

アラフォー(アラウンド4歳)はプリンセスだ。プリンセスであるからには、舞台は日本ではない。どこか遠くの外国である。そしてむすめにとっての外国人の名前は、ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃんなのわ。(「わ」の新しい使い方。)

それを想像力と呼ぶのかどうかは甚だ疑問だが、とりあえず大真面目にその名前をつけるアラフォー(アラウンド4歳)のセンスときたらぶっ飛んでいる。そしてそこまで想像力的なものを駆使してしてプリンセスになりきるアラフォーの女子力ときたらどこで身につけたのだろうかと疑問に思う。オットはこんなむすめを見て、「一体誰に似たんだろう・・・まいも小さい頃こんなだったの?」と聞いてくるので、「そんなわけないやん・・・こんな女子力高くなかったよ・・・」と答え、「だよねー。そりゃーだよねー」と、オットが返す、というやりとりを過去結構何度も繰り返している。

むすめの女子力とは・・・

「うちのむすめの女子力は誰に似たのだろう。」と、いうのは、結構よく聞くセリフであーる。私もよく言っている。

が。しかし。

よくよくよくよく思い出してみてほしい。いや、私は思い出してみた。記憶の片隅の片隅、「おひめさまごっこ」にいそしむ自分の姿を・・・。

いや・・・やってたわ・・・。

目の前の脳内プリンセスのアラフォーを見ていると、自分にこんな時期は断じてなかったと全力で否定したくなりますが、いやまあちょっとくらいは・・・あったような・・・気がする・・・。

エルサもアリエルもベルもソフィアもオーロラ姫もその頃はいなかったので(おとぎ話の中にはいてもそれはディズニープリンセスではなかったので)プリンセスになりきっているわけではなかったけれど、おひめさまには充分なりきっていた、多分。30年近く記憶の彼方に追いやられていたけれど、あったのだ、多分。ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃん(予測変換で出るようになった)がお友達だった時代が。私にも。いや正直に言うとわからなくもないのだ、その謎の名付けをしてしまう脳内メカニズムが。

子育てをしていると、自分が子供だった頃の楽しみを、もう一度楽しませてもらっているような感覚になることがよくある。サンタさんからのプレゼントを子供たちが見つけた瞬間とか、自分もすごくワクワクする。これって最高だ、なんだか得した気分だ、と、思っていたのだけれど。

子育てをしていると、過去の脳内おひめさまの記憶まで急に蘇るということがよくわかった4月の始め。いらん記憶まで引っ張りださないよう最大限の注意を払いたい所存なのわ。(「わ」の新しい使い方。)

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お別れ続きの三月に思う

ただひたすらに涙を流した三月が終わりました。もう泣きすぎてぐったり。もうしばらく三月はごめんだ、すまん三月、というくらい、ちょっと三月恐怖症になっています。だってもう色々せつなすぎる、身体がもたん。

三人分の三月にほとほと疲れている

わたしはどちらかというとごく個人的な人間で、オットや友達からはいつも、他人に興味がなさすぎ、と、笑われる。例えば昨日会った人が着てた服とかはまったく思い出せないし(それがどんなに仲の良い友達であっても)、誰かが髪を切っても気の利かないカレシ並みにまったく気づかない。なんならオットがヒゲを剃っても気づかない。やばい、これは人間として欠陥がある。いやそれはずっとわかっていたけれども。

そして私は基本的には出会った人とは皆いつか必ず別れが来るということを、ものすごくわかっている人間であると、自分で思っていた。何事にも終わりがあって、永遠に続くものなんて一つもないことを、きちんと知っていると、思っていた。

それなのに、こんなに苦しくなったのはもう何年ぶりだろうというくらいに押しつぶされそうになった、三月に。お別れ続きのこの一ヶ月に。私はいつからこんなにセンチメンタルな人間になってしまったのだ。こんなの思春期以来なんじゃないか。何歳なんだ私は。ぶつぶつ。

思うに、息子が生まれ、むすめが生まれ、否が応でも人間関係もそして世界そのものも、ぐんぐんと広がっていった。なんといってもごく個人的な人間で、欠陥だらけの私でも、それでもたくさんの出会いを繰り返してきた。今までは、私一人の世界で、友達ができて、あるいは恋人ができて、そして出会って別れてきたわけだけれども、子供が二人生まれてきたことで、子供たちを合わせた三人分の世界を、その人間関係を、なんだか生きてきたような気がする。

三人分の世界があって、そしてそれぞれに、人とも、場所ともお別れがある。これは実は私の33年間の人生の中で初めてのことなのだ、きっと。そして多分今は、この三人分が、まだまだとても濃い時期なのだ。子供達はまだ自立していないし、私は母となってまだ七年弱しか経っていない。そしてこの子供達が自立していない時期というのは、親だって自分一人では到底生き抜くことができない。だから子供達に深く深く関わってくれた人というのは、同時に私にも深く深く関わってくれた人たちなのだ。それが並列で三列に並んでいて、それぞれに三月の別れがあって、もう体が持たないくらいにぐったりと疲れている、三月に。

保育士さんとのお別れに学ぶ

むすめが0歳児クラスの時からずっと見てくれていた保育士さんが、退職することになった。むすめのクラスに配属になった時は多分まだ新任だったとても若い先生で、最初は若いしもの静かだし、少し頼りなく見えたのだけれど、しばらく経つと全然そんなことはないことがわかってきて、とても芯のしっかりした先生だなと感心することしきりだった。三年経った今、子供達が一番大好きな、とてもとても信頼できる先生になってくれた。

その先生が、「ずっとやりたいことがあった」と言って園を辞めることになった。なんといっても三月に疲れてきっていた私は、はあまたお別れだ、と、凹んだ。そして、仕方がないことだけれども、保育士の他に「ずっとやりたいこと」があったんだなあと思って、少なからずショックを受けた。こんなにいい先生だけれど、やっぱり保育士っていうのは辛いものなのかなあ。私たちはこんなに先生たちに頼りきってしまっているけれど、やっぱりやめたくなってしまう職業なのかなあ。と、思った。

そしてその先生に、次の職業って何ですか。と、聞くと、先生がものすごく恥ずかしそうに、答えてくれた。

「乳児院で働くんです。」と。

何といっても三月に疲れ切っていた私は、ここでまた、泣いた。それは仕方ない。止められない。いやどんな道だって止める権利はもちろん私にはないけれど、でもこれは、何も引き止められない。というか、お願いします。としか、言えない。と、思った。

子育てはすごく大変だ。というか、大変な一面ももちろんある。それでも、私たちは、そしてこの園に通う子供たちは、そうはいってもとても恵まれている。帰るお家があって、誰かしら、親となる人の愛情をそのお家で受けられる。

でも、園の子どもたちを見ていると、子どもはみんな、同じだけの愛情を受けられるべきだと、いつも思う。本来子どもたちはみんな、等しく大人の愛情を受けられるべきだ、絶対に。そして世の中には、毎日帰ることのできるお家のない赤ちゃんや子どもたちが、いるのだ。この日本にも。けれどもその子どもたちも、大人の愛情は、誰しも等しく受けられるべきだと思う。だって子どもは本当に、誰しも未来の希望だから。それは疑う余地なくそうだから。

と、そうは思っても、行動できないのが大半の大人だ。私含めて。でも目の前のこの若い若い先生は、「ずっとやりたかったこと」を、ちゃんと行動に移した。この世知辛い世の中で、自分にできることを、きちんと決断した。

この若い先生の愛情を、今度は、この園の恵まれた子供たちだけではなくて、乳児院の子供たちに、たくさんたくさん注いであげてほしいなと、心から思った。きっとそこには、この先生の愛情を本当に必要にしている子供たちが、たくさんいるから。

そう思って、それを伝えたくて、なんとか言葉にしたかったけれど、その先生より10歳以上歳上の私は、情けないくらいにうまく伝えられなくて、しくしく泣いていた。まったくもう。情けないにもほどがある。

一つ一つの別れはなんだか本当に辛いけれど、三月にはこんなに疲れてしまうけれど、でもそこには、きっと一人一人の小さな決意や、小さな勇気があるはずだ。そして、そこには、少しの成長があるはずだ。お別れの辛さは、きっと未来の何かにつながっていると、そういえば思春期の頃私は学んだような気がするけど、33にもなってそれをまた思い出した。つまり情けないにもほどがある。

三月にはほとほと疲れたけれど、なんだかたくさんのことに、気付かされたし、大切なことを、思い出したような気もする。同じように三月にほとほと疲れた人たちのいろんなお別れが、未来の何かにつながっていきますように。

と、ここまで書きながら、体が持たないのは、単にお別れ周りの行事がありすぎて、つまりその度に飲みすぎて、夜遊びしすぎて、単純に疲れているだけなのではなかろーかという気がしてきた。そしておかげさまで四月からの準備をまったくしていない。はあ。本当に、つまり情けないにもほどがある。

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スモックをピンクにするのか水色にするのか問題

入学準備が一向に進まずおそろしい今日この頃ですが、とりあえずこないだ小学校と提携しているお店で、美術の授業とかで使うスモックを購入した時のこと。

ピンクと水色、二色のスモック

スモックにはピンクと水色の2色があったのですが、試着用のスモッグはピンクしかなくて、お店の人が、ごめんねサイズ合わせはピンクだけど、ちゃんと水色の用意するからね!と、言ってくれた。

それを聞いて息子は、ぼくピンクがいい!と、言ったのです。
その時わたしはつい「でも男の子はみんな水色かもよー」とか言ってしまったわけだけれども、そして息子はあっさり水色に変えたわけなのだけれど、なんかこれがずっと、すごくひっかかっていた。

私はとっさに、一人でピンク着てたらからかわれるんじゃないかとか、思ってしまったわけだけれど。
でも、そもそもそのなんとなく男の子用は水色、女の子用はピンク、と大人が枠組みを決めてしまうのって絶対よくないよなぁと、思えてきて。

そういえば最近息子は好きな色を聞かれると、すぐピンク!と、答える。息子が、子供の感性で、素直にピンクを選んだのに、大人の私が、男の子は水色、女の子はピンクという、自分が違和感を感じるこの「システム」に、息子を乗せてしまったことがどうも歯がゆくて。

深く考えなきゃいいんだけど、スルーしてなんとなくそのシステムに組み込まれていけば楽なのだろうけど、でも。

子供の感性というのは、やっぱり大人が邪魔しちゃいけないものなのだ、絶対に。

そしてこれからの時代を歩む息子に、男の子は水色、女の子はピンク、などという固定概念を、やっぱ植え付けちゃいけないんだよね、大人は。

これまでの6年間は、そんな概念に左右されずに過ごしてこられた息子の感性を、私はやっぱりとにかく大切にしてあげたい。だからできれば、ピンクでいいよ、という大人でいてあげたい。

とはいえ、いざ学校が始まって、男の子がみんな水色で、女の子がみんなピンクのスモックを着ていたら、息子はあれ?と、思うだろうと、思う。そこで「水色にしておけばよかった」と、思うかもしれない。その瞬間、感性がもしかしたらひとつ、静かに消えてしまうかもしれない。そしてその瞬間、息子にも、男の子は水色で、女の子はピンク、という固定概念が、生まれてしまうかもしれない。それってやっぱりなんだかすごく、もったいないことだなあと思うのです。声を大にして「それはおかしい!」と、言うほどのことではないかもしれないけれど、でもそれは、単純にすごくもったいないと思う。

だからできれば、学校という一つのシステムの中で、最初から男の子は水色、女の子はピンクという、なんとなくの、大人の「暗黙の了解」に、子供たちを付き合わせるのは、やめてあげてほしいなあと、思う。プリンセスソフィアはいつも男の子の遊びをして男の子に勝っちゃうのだから。そんなプリンセスの、時代なのだから。

現存する生命の「しくみ」はただ一つである。

上野の国立化学博物館で、ものすごく印象的な言葉を見つけた。私はド文系の人間で、なんでも「言語」からしか理解できなくて、何を理解するにも「映像」より「言語」なのだけれど、科学のことを考えるのもやっぱり「言語」からのようだ。いつもそう。

 

現存する生命の「しくみ」は
ただ一つである。

「生物のからだをつくる細胞は細胞膜で外界と隔てられ、生命活動の設計図を持っている。設計図はDNAというすべての生物に共通の『言語』で書かれており、これを基につくられるタンパク質もまた、すべての生物でよく似ている。これは、地球上に現存する生命の『しくみ』がただ一つであり、生き物たちはこの共通性の上に多様化したことを示している。」

なるほどなあ、と、思う。生命のしくみはただ一つ、共通するDNAという言語で設計図が描かれている。その「共通性の上に多様化」している。この「共通性の上の多様化」というのが、すべてなのだろうなと思う。みんなしくみは同じなのだから、だからこそ、みんなちがってみんないいbyみすず、なのであーる。と、思った。

男も女も設計図を描くDNAという言語は同じ。その上で、多様化していく。ピンクが好きな男の子も、水色が好きな女の子もいる。男の子が好きな男の子も、女の子が好きな女の子も、そりゃもちろんいる。肌の色だって様々で、脳の発達だって様々かもしれない。でも、言語は同じなのだ。「共通性の上に多様化」しているだけなのだ。

たぶん子供たちは、そんなことを細胞レベルで理解している。「共通性の上に多様化」なんて言葉を用いなくても、そんなこと肌感覚で分かっている。男の子と女の子は何となく違うけれど、でも「しくみ」は同じであることを、ちゃんと分かってる。その感覚を、大人が邪魔しちゃいけないよなあと、改めて思った。

だからもし次に同じようなことがあったら、やっぱり好きな方を選んでいいよと言ってあげたい。そしてできれば、そんななんとなくの色分けを、システムの側がしないであげられるといいなと思う。

スモックの色一つでたくさん考えてしまった。子育てというのはほんと、いろんなことを考えさせられるものであーる。みすず。

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息子の修了式を終えて

何から書いて良いものやら。3月吉日、息子の保育園の修了式でした。今の園では3年間。前の園も合わせると6年間の園生活。泣ける。本当に泣ける。

保育園も自分で「選ぶ」こと。

私にとって、初めての子供である息子。当たり前なのだけれど、喜びも戸惑いも何もかもの初めてを、教えてくれた子供です。

保育園に預けるということに関して、6年前の私は、もう本当にものすごくものすごく戸惑いがあった。不安も、これでいいのだろうかという迷いも、山ほどあった。産休前、本当に仕事がしんどかったこともあって、私の仕事はこの小さな子を預けてまで続けてゆく仕事なのだろうか、そんな価値があるんだろうか、と、悩んだ。誰に「保育園はいいよ!お母さんの味方だよ!」と言われても、「子供はすぐに環境に慣れるよ!」と言われても、全く気持ちは落ち着かなかった。誰がなんといっても私は、目の前の息子とまだ一緒にいたい、そう思っていたのだと思う。

5月生まれの息子と、1歳を過ぎるまではどうしても一緒にいたくて、0歳での入園を見送った。だいたい0歳児のクラスに4月で入園する、というのが通例だったのだけれど、そのタイミングじゃないと保育園に入れない!という状況の、なんというか不自然さも納得できなくて、(だって生まれ月によって預ける月齢や預けやすさが変わってくるなんてどう考えてもおかしい。)納得できないことに関してはすぐ意固地になってしまう私はどうしても4月に預けられなかった。周りの友達がみんな4月に入園して、職場復帰してゆく中、そういえばなんかちょっと寂しくて不安だったなあ、今思い出した。(そう、私はなんでもすぐに忘れる。)

その後運良く、「そろそろ預けて良い頃かな」と自分で思えた頃に、近くの保育園に空きが出て、入れることになった。(それでも不安だらけだったけれど。)そして最初に出会ったその小さな小さな園が、もう素晴らしい園で、「保育園」というものの印象がここで大きく変わったのだと思う。だからみんな「保育園っていいところだよ!」って口を揃えて言ってくれてたというのに、私というのは本当に何事も、自分で経験しないと納得できない性格なんだろうな全く。

最初の園は2歳までの小規模園だったので、その後今の園に転園したわけですが。この時も、「納得できないことには意固地になる」私は、いくつか園を見学して、ここがいいな、と思える園が少ししかなくて、結局希望を数園しか出さなかった。いや本当、このご時世入れなかったらどうするんだという話ですが、でも、やっぱり、何も私立のお受験幼稚園に入りたいと言っているわけでも、国立の難関幼稚園(なんてものが存在するかはわからへんけど・・・)に入りたいと言っているわけでもなくて、近所の、いいな、と思った認可の保育園を希望しているだけなのに、それが選べないどころか、どこにも入れません。と言われる状況というのは、やっぱりおかしい。と、思ったのです。

だから、希望をたくさん書ける欄に、数園しか書かなかったのは、私なりのなんというか現状への抵抗でした。世の中の状況的にはありえないけれど、でも普通に考えれば、ごく自然なことだったと、やっぱり思う。

もちろんそうできたのは私の場合はいろんな恵まれた環境が重なってのことだったけれど、本来やっぱり、小さな子供を預ける園は「どこでもいい」わけがないし、ましてや「どこにも入れない」なんていうのはおかしい。と、私は思います。この状況は早く変わっていくといいなと思う。「どこでもいいから入れるだけそれでいい。」って、それは実はすごく不自然だと思うから。(そして私の実感では、私が初めて子供を預けた6年前よりは格段に良くなっている気がしています。声を挙げる人も多くなってきたから。)

「働くこと」と「子育てをすること」を自然に

そういったわけで、ここにしたい、と思えた園なだけあって、次に入った園も本当に本当に、素晴らしい園でした。先生たちから学ぶことが、山ほどあった。そうそう、こういうこともあった。→ 保育園の発表会にて思ふ。

今の園に通うようになったのは、下の娘の育休明けのタイミングからで、2人を保育園に預けての仕事復帰というのは、これまた新ステージでした。それでもその時には、息子を初めて保育園に預ける時のような不安はもうなかった。

保育園がある生活を通じて、「働くこと」と、「子育てをすること」の両方をすることが、(決して「両立」してるわけではないのだけれど)私の中で自然なこととして受け止められるようになったような気がします。何を気負うわけでもなく、我慢するわけでもなく、諦めるわけでもなく、ただ自然に、やりたいことをやる。働きたいから働くし、もちろん子供がかわいいからその時間も大切にする。決して独身の頃のように「バリバリ働く!!」といったわけではないけれど、ただ自然に「目の前にあることをこなしていく」ということを、楽しめるようになった気がします。それはまちがいなく、保育園の存在があったから。そこで、息子がたくさんの人の愛情をひたすら浴びているという実感があったから。

どんなことだって、何もかも100%のことやモノなんてまず一つもない。100%完璧な人なんていないのと同じ。弱いところだってもちろんある。だから、100%の保育園だってないかもしれない。でも私もオットも息子も、今まで通った園が本当に本当に大好きです。ただそう思えることが、きっとみんなにとっての宝物なのだと思う。多分なんだって、「これだ」と思えたら、それを信じることも大切なんだな。このかけがえのない日々がきっと、息子にとっても私にとっても、後から大きな励みになるよう気がする。

私は母を亡くしていて、実家は遠方で、とにかくサポートがない中での出産と子育てがすごく不安だったのだけれど、そういう不安を妊娠中に助産師さんに話した時に、「子育てって、両親とか、おじいちゃんおばあちゃんとだけしなきゃいけないものじゃないんですよ。たくさんの人で、友達とか、周りの人みんなで、ワイワイ育てていったらいいの。想像したら楽しそうでしょ?友達とかみんなで、ワイワイ育てていくイメージ、持っていてくださいね。」と、言ってもらったことがあった。その言葉にすごく救われたのだけれど、まさにそんなイメージで、息子をここまで育ててきたなあと思います。

私一人じゃない。私とオット二人じゃない。そうじゃなくて、友達とか、もちろん実家の家族とか、そして保育園の先生とか、今となっては息子自身の友達とか、とにかく周りの人みんなでワイワイと、息子をここまで育ててきたような気がする。そして息子は、その人たちの愛情を、本当にもうこれでもかってくらい存分に、浴びに浴びてきたと思う。子供にとって必要なのは、まずは愛情だ。何をおいても愛情だ。と、この6年間を通じてとにかく感じました。

そう思えたのはやっぱり、息子が素晴らしい園に、先生たちに、そして友達に出会えたからなんだろうなと思う。息子を通じた世界を見ながら、私もたくさんのことを学びました。きっと一人じゃ気付かなかったこと、見えていなかったものがたくさんあると思う。それに気づかせてくれた息子と、そして周りでワイワイと一緒に息子を育ててきてくれた、いろーーーーんな人たちに感謝して。

また4月からの新生活、家族で悩んだり迷ったりしながら決めた道、歩んで行きたいと思います。これからもみんなでワイワイ、息子を育てて行けますように。そしてたくさんの人たちが、楽しく仕事をしながら、あるいは好きなことをしながら、楽しく子育てができますように。

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ランリュックを知っていますか

クリームブリュレが好きすぎる。

どうしても書きたいランリュックのこと

できるだけ毎日書きたいなあと思いながらもちろん毎日は難しいわけですが、それでも書きたいなあと思ってメモしていることはいくつかあって、それだというのにそれらを全てすっ飛ばして真っ先に記しておきたくなったこちら。まずはこちらの記事を御覧ください。

あいつらがまた変なものを作ったようだ。宇治市観光PR動画っ!

そしてリンクにある動画を御覧ください。笑った、笑ってしまった、笑いすぎた、そうランリュックのくだり。

知ってますかランリュック。京都府南部出身の方ならご存知かと思いますが黄色いアレです、ランリュック。

昨今のランドセル事情ときたら本当にすさまじく、未就学児ならびに小学生を持つ親御さん以外の方にはにわかに信じられないかと思いますが、希望のランドセルを買うために2時間も3時間も並ぶのがザラ、というもんのすごい状況が、この前の6月頃話題になりました。(そうです、6月に買うんです、ランドセルを。年長の6月に。)

我が家も堂々とその騒動に巻き込まれ、いや2時間も3時間も並んではいませんが、とりあえず生まれて初めて開店と同時に百貨店に駆け込みました。HYKEのトレンチ買うときだってそんなことしてない。いやいまだかつてお店の開店に並んだことなど一度もない。そう、その初めてが、「ランドセルを買う」だったのである。これはすごい、すごいことだ。

いやランドセルを買うのにそんなに必死になるのもどうなのかと思いつつ、まあでもついついこだわりたくもなりつつ、まあやっぱりせっかくなら気に入ったやつが欲しいよなとも思い、しっかりランドセル商戦に巻き込まれたわけですが、その時に私は思ったのです。

てゆーかランリュックでいいやん。

そう、これです。ランリュック。この黄色と黒のコントラスト、堂々と光る校章、ついでに真ん中向かって右くらいにあるコアラかライオンかネコか何かわからへんけどとにかくこの丸いアイコン。これぞランリュック。

ランドセルよりランリュックが良い10の理由。うそです10もない。

開店と同時に百貨店に駆け込んで買っておいてなんですが、そもそも重い、ランドセルというものは。あれを背負って、しかも教科書とか荷物をいっぱい入れて、毎日通うなんて。信じられない。いや買っておいてなんですが。

しかも、高い。ランドセル。母さんのえらくいい靴一足買える。

その点、ランリュックは完璧である。軽い。荷物めっちゃ入る。そして安い。多分数千円。

もちろん、これを買うために商店街の洋品店に2時間も3時間も並ぶ必要はなく、開店と同時に駆け込む必要もなく、ただおばちゃんに「あーあんたんとこももう小学生なるんか。早いなあ。あんなちっちゃかったのになあ。」と言われながら数千円を払うだけである。いい。これでいい。

もちろん、入学式の写真は、おめかししたワンピースにこの黄色いランリュックを背負って桜の木の下でちょっと恥ずかしそうに立つのである。いい。それでいい。

いやほんともう、完璧である。ランリュックというのは。

私は子供の頃、ランドセルというのはなんかこうテレビの中とか遠い世界の話で、小学生というのは普通はみんなランリュックを背負うものだろうと思っていた。だいたい革の鞄を小学校に持っていくなんてありえないと思っていた。あと「中学生日記」で学校の帰りにマクド(らしきハンバーガーショップ)に寄り道するのとかもおとぎ話くらいの勢いに思っていた(学校から家までの間にマクドなんてなかった。)

それが全てだと思っていて、でも一方で、やっぱり都会のもの(ランドセルとかマクドとか)に憧れる気持ちも少しずつ出てきて、それはきっと、いつしか上京しよう、という決意につながっていったような気も、しなくもない。

と、思うとやはり今の自分はランリュックが育ててくれたと言っても過言ではない。やはりランリュックは偉大だ。小学生はみんなランリュックから始めるといいと思う。問題はやや、ほんの少しだけ、いやほんと、ちょびっとだけですけど、ださい、ということその一点です。

今もあるのかなランリュック。

という、どうしても何を差し置いても記しておきたかったとても大切なランリュックのお話。

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うれしいとスキップをするアラフォー(アラウンド4歳)から学ぶ

「絵に描いたような瞬間」によく出くわす

最近、むすめ(4月で4歳、つまりアラフォー)が、うれしいことがあるとスキップをする。

うれしいことというのはつまり、「今日の晩御飯は(母さんが疲れているので)サイゼリヤにしよう!」と言った時とか「おやつ一個ローソンで選んでいいよ。」と言った時とか「今日のお迎えちょっと早いよ(10分くらい・・・)」と言った時、ということである。

なにもシャネルのバッグを買ってあげるよとか宝くじ当たったよとか4月から君は部長だよとかそういうことを言われた時ではない。

しかしむすめは、大人から見ればえらくささやかであろう喜びを、本当に絵に描いたように、スキップに込めて全身で表してくれる。これを見ていて大人である私はつい笑ってしまう。だってうれしくてスキップする、なんて、まずもうしないから。漫画みたいだなと思って笑ってしまう。人はうれしいとスキップをするのか。と、改めて思う。なんだかちょっと滑稽で、そしてとてつもなくかわいい、うれしくて思わずスキップをする姿。

子どもたちを見ていると、こういう「絵に描いたような瞬間」というのに結構よく出くわす。「ティッシュペーパーを一枚ずつ全部出すいたずら」とか、よく見かけるけど我が子がそんなことをするなんてなぜか全く思っていなくて、ほんとにやった時は「これまじでやるの!!」と、妙に感動した。ほんとうに赤子はティッシュを一枚ずつ全部出すのか・・・!と。そしてその状況って、何かで絶対見たことがあったはずなのに、目の前で我が子がするとあほみたいにかわいい、なんでだろうか。

コントみたいにベタな面白さと、ベタなしあわせ。

たぶんなんだって、「ちょっとコントみたいな日常」というのは、なんだかおかしくてかわいいものなのかもしれない。昔、みんなで飲んでる時に、先輩が酔っ払って椅子に座ったまま寝落ちっていたのだけれど、なんかのはずみで笑った瞬間に椅子から落ちてそれがベタベタなコントみたいでおかしくてお腹がよじれるくらいにみんなで笑った。と、今書いていて思ったけれどこれは別に文字にすると何一つ面白くない。びっくりするくらいに面白くない。ゆえにこれは単にみんな酔っ払ってたから面白かっただけかもしれない。こういうときこの面白さは世界共通だきっとあの人だって笑うに違いないとか思っておそらく仕事中であろう同僚とかに電話とかしちゃったりとかしがちですけどほんとこれ最悪ですよね酔っ払ってる人の「面白い基準」ほどひどいものはないですよねほんとすみません反省します。

それは反省しますが、例えば吉本新喜劇ではみんなが椅子から転げ落ちるのがお決まりですが(最近見てないなあ吉本新喜劇・・・見たい・・・)それはやっぱりベタすぎるけれどもやっぱりおもしろい。初めて生で吉本新喜劇を見たときは、「本当に転げ落ちるのか!」と、これまた感動した。

なんだっけ、椅子から転げ落ちる話やっけ。椅子から転げ落ちた先輩は実は「仕事は楽しい方がいいでしょ」という名言を残した先輩と同一人物でこの人はやはりすごいという話やっけ。

いや、そうではなくて、ベタベタなコントとか漫画みたいなことが目の前で起こった時っていうのは、なんだか面白い。そしてなんかキュートで和む。やっぱりコントみたいに椅子から転げ落ちる人が目の前に表れるとものすごくおもろいのである。コントかよ!と、いうツッコミができる時ほど、日常でおもしろい瞬間はない。と、私は思う。というか、私はその瞬間がものすごく好きなのだ、きっと。

そしてふつーに過ごしていても、そういう瞬間というのは、実は結構たくさんある。何も椅子から転げ落ちなくても、その辺に山ほど転がっている。道端にうそみたいにバナナの皮が落ちていたりする。いやほんとに。

そして同時に、ベタベタなしあわせっぽい瞬間というのも、結構たくさんある。子どもが手をぎゅっとつないでくれたとか、「ママだーいすき!」って言ってくれたりとか「ママの作るちらし寿司がいちばんおいしい!」って言ってくれたりとか。いやこうして文字にするとベタすぎてうそっぽさまで出るけれども、子どもってほんとに、そういうベタベタで信じられないくらいストレートで、でもほんとに素直でうれしいことを、いとも簡単に表現してくれる。

なんというか、日常っていうのは、それくらいのテンションでいいなあと思う。何も奇をてらうことはなくて、ふつーのことが、とてもおかしくて、かわいくて、しあわせなのである。

SNSにあふれる「ステキな生活」に憧れるのも良い。それを目指すのだって良い。でも真四角に切り取られたその写真は、もちろんとてもとても長い一日の、そして人生の、ほんの一瞬の切り取りに過ぎない。それを、忘れちゃいけないなあと思う。その真四角の写真には切り取られていない、たくさんのふつーーーーーの、でもつい笑っちゃうような、すてきな瞬間が、人生には山ほどあるのだ。

うれしいことがあればスキップしちゃうような、それくらいの軽やかな気持ちで、毎日を過ごしてゆけるといいなと思う。うれしくてスキップする、というのは、SNSもインターネットもなかった時からきっと存在した世界共通の「ベタベタな行動」なのだから。

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子育ても仕事も楽しんでいいと思うという話。

進学準備がいろいろあり、今日は仕事を休んで息子とお出かけ。

子育てには波がある

銀座の高級クレープを初めて食べた。季節のクレープ。いちごのわらび餅とか入ってて大変美味しかった。なんか子供たちのどちらか一人とお出かけすると、妙に心が広くなり、高級アイスとか高級クレープとかつい二人で分けっこして食べがちになる。なぜ。夫と二人ならまず食べないというのに。なぜ。

それにしても、もうすぐ1年生だなんて信じられない。ついこの前生まれてきたばかりだと思っていたのに。ついこの前、保育園に預ける不安と戦ったばかりだと思っていたのに。生まれてきた時は、この子が小学生になるだなんて思いもしなかったのに。ずっと赤ちゃんでいるのかと思っていたのに。

こないだ保護者会があって、友達(ママ)が、「子育てって波があるなーとよく思っていて、最近すごく子供が落ち着いているな、自分も穏やかだなっていう時期と、ものすごく手がかかるな、自分もいっぱいいっぱいだなっていう時期が交互にくる。」と、言っていた。

それものすごくよく分かる。よく「反抗期」というけれど、とりあえずこのたった6年の間にも、何度も何度も波のように反抗期が訪れている気がする。「あーすんごいかわいいすんごい素直」という時期と、「何だうちの子めっちゃ不安定やなすぐ怒ってるな」っていう時期が、結構短いスパンで、1か月とか下手すると数週間単位で繰り返されながらここまで来た気がする。

ちなみに今は「ちょっと落ち着いてる期」のような気がしてるけど、つい先週くらいまでは「すぐ怒る不安定期」であったような気がする。

つい最近までは、この子供の一喜一憂というか、主に「憂」のところに自分も引っ張られて、相手が泣いてようが起こっていようがとにかくついイライラしていたのですが。いや、今だって泣いてると「泣くなもう。」と、心から思ったりしますが。いやもう母親だってそんな女神様じゃないのでイライラとかします、余裕で。

ただちょっと、その相手の感情に引っ張られて、こちらも感情的になるのを、ぐっとこらえられるようになってきた・・・ような・・・気が・・・少しだけしている。少しだけ。

とにかく鼻歌を歌ってスルーする

こらえると言っても、優しく諭すとかそんな女神様のようなことは当然できないのだけれど、思いっきりスルーすることにした。もう。ものっっっっすごい華麗なスルーを。

具体的には、子供が怒り狂っていようが泣きわめいていようが、こちらは鼻歌を歌うことにした。完全なるスルーである。

子供が怒り狂いながら泣き喚きながら文句を言ってきた際は、鼻歌交じりに返事をする。もう完全にやなやつな気はするけれども、鼻歌歌ってるとまあ向こうのペースに飲み込まれることはない。やはりペースに飲み込まれると負けである、何事も。何と戦ってるのかわからへんけど。そして何より、何となく母さんだけは楽しそうである。

そうやっていて気付いたことは、子供の切り替えっていうのは思った以上に早いのだなあということ。子供のイライラに、こちらもイライラで返すと、子供のイライラも長引いてしまうけれど、こっちが鼻歌歌ってると結構あっさり「ごめんね・・・」とか言ってくる。かわいいやつめ。もしくは怒ってたことを忘れて遊び始める。

これは兄妹喧嘩の時も同じで。二人のやりとりについイライラして口を挟みたくなるのだけれど、挟むと結構こじれませんか子供の喧嘩って。「大人として」ここはちゃんと言っておいた方が・・・とか思ったりもしていたけれど、まあ子供の喧嘩に「大人として」言えることなんて正直ほとんどない。

で、私が最近していることというと、鼻歌を歌うことである。もはや世の中のあらゆることは鼻歌で解決できるのではなかろうか。「もーいもーとちゃんやだ!!ぐわああん!!」「かーしーてー!っていったもん!!ぎゃーーーー!!」「・・・♪きみの中ーにあるーもーのーーー♪」「ママ聞いてよいもーとちゃんがあああ!!」「ちがうよむすこくんがあああ!!!」「♪きょりのなかーーーにあるーーーこーーーどーーうーー♪」「ママ聞いてる!!!!???」「ママ!!!!」「トゥ〜ルル〜(徹子の部屋)」

といった具合である。何も解決していない。

大人のしての責務は一切果たしていないが、子供達は呆れ果てて何となく喧嘩もやめる。ついでにちょっと私がふざけると笑ってしまったりする。笑ってしまったことに自分でキレてたりするけどそれこそ放っておく。

子育ても仕事も楽しくたっていいじゃないか。

大好きな先輩が昔、ダメッダメであった若き頃の私をよくかばってくれていて、何であんなことできたんですかって最近になって聞くと、「だって仕事は楽しくできた方がいいでしょ。」と、言っていた。いやほんと、そうだ、その通りだ。

どこかで「仕事ってしんどいものだ」という思いがあって、苦労とかしんどい思いとか、しなきゃいけないみたいになんかどこかでつい思いがちだったのだけれど、そんなことなくて、仕事だって楽しい方がいいに決まっている。「楽しい」と「楽(ラク)」は違うというだけで、楽しいことは良いパフォーマンスにつながるはずだ。

それはきっと、子育てだって同じ。家族を運営することだって同じ。楽しく過ごすことに越したことはない。「しつけ」しなきゃとか「大人として」きちんとしなきゃとか、どこかでつい思っていたけれど、子供達だってきっと、窮屈な雰囲気の中よりも、楽しい中での方が、できることも増えていくと思う。学ぶものも得るものも、楽しい方が結局は多いだろうと思う。

「子育てってしんどいものだ。」「苦労がつきものだ。」という思いは、何となく抱きがちなんじゃないかなあと思う。「仕事はしんどいものだ。仕事には苦労がつきものだ。」というのと同じで。でも、ほんとはそんなことないのかもしれない。別に仕事だって子育てだって、楽しくできればそれが一番だ。楽しんで悪いことなんてない。そんなこと言ったってしんどいものだ、と、言いたい気持ちはわかるけれど、そんな時は鼻歌歌ってしまばいい。放っておいたってもちろん、仕事も子育てもしんどいことというか大変なことは当然あるけれど、でも「苦労しなきゃいけない」わけじゃない。基本は、楽しんでやろう、というスタンスでいいはず。

だから、私は鼻歌歌って生きていきたいと思う。周りの人が、何と思おうと、お気楽でいいなあと言われようと、もっと苦労しなよと思われようと、しなくていい苦労なんてわざわざ買わないし、鼻歌で解決できることは鼻歌で乗り越えちゃいたい。「楽しむ」ことに、そしてしあわせになることに、恐れを持つ必要は全然ないんだ。

・・・と、4月からのあらゆる新生活に大きな不安を抱える自分に言い聞かせる2月末。トゥ〜ルル〜(徹子の部屋)

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子どもたちの歌を守っていけるように

先日、子供の保育園の発表会がありました。むすめはインフルにつき欠席でしたが(涙)、息子は保育園最後の発表会を、見事やり遂げて、母さんたちを号泣させてくれました。

泣かせようとしないコンテンツだから泣ける。

いや正確に言うと、パパ友が張り切りまくって一時間前に場所取りしていた最前列のど真ん中という席を、ここ座りなよ!と、ママ友がいとも簡単に座らせてくれるというおこぼれに預かり、なんせ最前列ど真ん中で鑑賞していた故、あまりおおっぴらに泣くのも憚られ、ぐすんぐすんと控えめに言っていた。ぐすん。

こういう、子供達の発表会というのが泣かせるのは、それが「泣かせよう」として作られたコンテンツじゃないというところも大きいな、と、思う。

だって手作り感満載、司会の新人の保育士さんはかみまくりで、2歳児クラスの発表はおおかみさんとこぶたさんの掛け合いが全く噛み合って入らず間延びしまくりで、サラリーマン風に言うと(そしてそれは大変に嫌いな言葉ではあるけれど)「仕切りが悪い!」と、言われそうなことの連続で、それでも子供達の一生懸命に歌を歌い、得意なことを披露し、おぼつかない合奏を必死にしている姿というのは、そしてそこから生み出された渾身の歌や音楽や舞台は、もう信じられないくらいとんでもないパワーに溢れていて、なんか初めて見た自治体のお偉いさんみたいなおじさんですらちょっとウルウルしていた。いやうそですそれは見てないけど、きっとあのおじさんだってウルウルしていたに違いない。知らんけど。

とにかく泣かせよう!と、いうコンテンツが昔からとても苦手で、数分間で感動を提供(強要)するテレビ番組とか、FBに流れてくるちょっといい話、系のシェアを見るとついテレビを消してスマホもほーり投げてしまう。あと、これは自分でもさすがにひねくれすぎだとは思うのだけれど、母の法事で、お寺さんが「いい話」を最後にしてくれる時ですら、「泣いてたまるか。」と、身構えてしまう。「雰囲気で泣くなんて絶対してたまるか。哀しいか哀しくないかは自分で決める。」と、なんならお葬式の時すら身構えてしまった結果、私はしばらく泣けなくてその後大変苦労した。

いや、だから、雰囲気に流されて泣くことは絶対に絶対にしたくないけれど、自分の感情に素直でいることは大切だということは、あの頃の私には伝えてあげたいと思うのだけれど・・・。

話がめちゃくちゃにそれましたが。

とにかく、それくらい私は感動の押し付けが苦手で身構えてしまう。だから万が一、保育園の発表会がそういう「はい、今ここ泣くとこ!」みたいな成り立ちをしていたらまあまず泣けなかったと思う。まあ子供にそんなことをさせた瞬間に絶対にそんな保育園辞めるけどうん。(しかし立ちはだかる保育園問題。選ぶ自由すらないというのは不健全ですねほんとに。)

もちろん発表会にそんな瞬間はなくて、手作りの感満載の流れの中で、もうただ、子供達が持つ素のパワーに圧倒されて、どこかの政治家よろしく「子どもは未来の希望だ・・・」と、心底思ってしまった。自分の子供の発表会だったからだというのももちろんあるのだけれど、でも全然違う歳のクラスの歌にすら泣いていた。

なんかもう、騒音が嫌だから保育園建設反対!とかいう人たちにはこの歌をまず聴いてほしいと思いながら聞いていた。子供はほんとに、いるだけで宝物だ。保育園建設反対!とか言うおじさんだって、ずっとずっと昔はそうやっているだけで宝物の存在として、大きな声で必死に歌うだけで、どこかの大人に未来の希望だ、と、思わせていたかもしれないのに。

未来の希望を全力で守ること

そして、これだけのパワーを持つ子供を、やっぱり大人は、みんなで守っていかなきゃいけないんだなと思う。月並みな言い方だけれど、子供は、社会で、みんなで、育てていくものだと思う。家族で育てることが困難なのであれば、たまたま生まれた家に育てられるだけの力を持った大人がいなかったのであれば、その子供は、大人がみんなで寄ってたかって守ってあげなきゃいけないと思う。大人の都合で奪われる小さな命が、絶対にあってはいけない。まずはこんな平和な国で、そんなことは絶対にあってはいけない。(もちろん世界中であってはいけない。)

家族の形はいろいろ。だから、子供が育つ環境だっていろいろ。でもそこには、いるだけですごいパワーを放つ子供の、その力をまっすぐに受け止めてあげる大人がいてあげなきゃいけない。その光にちゃんと気づいてあげて、目を向けてあげられる大人がいてあげなきゃいけない。それは、昔は子供だった大人の、役目だと思う。そしてそれは別に、血の繋がった親じゃなくてもいい。そんなものより大切な繋がりが、あると私は思う。

子供を、当たり前に守っていける社会であるように。大人である私は、たくさんたくさん考えていきたいなと改めて思う。子供達の歌を、子供達がおせっかいなおじさんやおばさんになる日まで、守っていけるように。

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むすめ3歳のお誕生日に。

むすめの誕生日・・・に、病児保育

先日、うちのかわいくてお笑い系(でも本人はプリンセスに憧れている)の娘が3歳のお誕生日を迎えました。

迎えたのでありますが。当日、なんとお兄ちゃんと二人揃って発熱。その日はパパも私も仕事を休めず、病児保育のお世話になりました。

いやもうね。お誕生日の当日に何もできずお熱のむすめを病児保育に預けて仕事に行く私って何なんだとちょっと泣きそうになりながら出社して、でも溜まった仕事がありすぎてバタバタと片付けて。

そしたら仕事場で回覧しているVERYが机にドンっと置かれました。相変わらずVERYの重いのなんの。

キラキラ輝く雑誌の世界観と、朝から病児保育のために慣れないお弁当をバタバタと作って雨の中タクシーで病児保育に駆け込んで診察してもらって手続きして自分の洋服なんて全く気をつかう余裕もなくほぼすっぴんで出社する私のこの差。(しかも我が子は誕生日。)

隣の後輩に、「見てこれはファンタジーだおとぎの国のお話だ。。。」と言うと、よくできた後輩が「ほら、先輩の好きな小島慶子さんのコラムここですから。はい、読んで。今月もいいこと言ってますから。」とわざわざ開いてくれる。なんてよくできた後輩。

なんというかダメな先輩でありダメな後輩である私には、常に素晴らしい先輩と素晴らしい後輩がついてくれるものですねいつもありがとうございます。。

桜の花びらが舞う帰り道

で、私の一番好きなページ小島慶子さんのコラムにまた励まされながらなんとかその日の仕事を終えて、ダッシュでお迎えに向かう途中。

空からひらりひらりと桜の花びらが舞ってきました。

いつの間にやら葉桜になっていた桜の木。今年はゆっくりお花見をする間もなくバタバタと過ぎていった。でもやっぱりこれくらいの桜がいちばん好きだ。田舎の、桜並木が続く川沿いの家に生まれ育ったので、いつも桜は近くにあったのだけれど、やっぱり幼い頃からひらりひらりと桜の花びらが散る時期がいつも好きだった。儚い美しさはなんだか人の心を打つ。

あーーー今年も、そして今日も、桜がきれいだ、むすめ氏おめでとう、ぐすん。とか思いながら、帰路を急ぐ。

で、お迎えに行ったらですね。もうかわいいかわいい我が子たちが満面の笑みで走ってきてくれる。(お熱ちょう高いのに元気だなおい。。。)

二人とも初めての病児保育室だったので、不安だったかなと思いながら、どうだった?と、聞くと、「おやつの時間にみんなでむすめちゃんのおいわいしたんだよー!ハッピーバースデーしたら、むすめちゃんがうれしそうに、ありがとうって言ってたよー!」と、息子が教えてくれました。

むすめもうれしそうに、ちょっと照れながら、おたんじょうびしたのー♡と言ってくれました。

二人とも、一緒に過ごせたことがなんだか嬉しかった様子。

病児保育の看護師さんたちも、今日はお誕生日だったんですね、おめでとうございます!お弁当に入っていたハッピーバースデーのピック、とっても喜んでましたよ!と、にこにこ言ってくださいました。

本当に気にしているのは、自分に下す評価

はーなんかもう。子育ても仕事も、一人じゃ絶対できひんな、こうしていろんな人たちに助けてもらって見守ってもらって、子供達もそして私自身も、少しずつ成長してゆくのだな、と改めて思いました。すごくうれしかった。子育てを支えてくれる周りの人たちや、家族や、そして子供達のたくましさを知ることができて、こんな日もいいな、と思えた。

大好きなドラマSATCで、好きな回の一つが、キャリーが本を出したときやったかな、本の批評が新聞に載るんやけど、それがなかなか辛辣な批判で、キャリーは傷つく、というストーリーがある。しかもそのあと、元カレエイダンがキャリーのあとに付き合った女の子が、キャリーのことを悪く言いふらしている、という噂を聞く。で、キャリーは、その悪口を言いふらしている女の子に実際に会って、あの内容は事実と違う、というようなことを面と向かって言うのです。(多分。めっちゃうろ覚えやけど。)

けど、その時にキャリーは気づくわけですね。本当に気にしているのは、他人の評価じゃなくて、自分が自分に下す評価だと。だから批判する相手に何を言っても、しっくりこない。結局は自分で認めてあげられるかどうかだ、と、いったようなストーリー。(いやほんと違うかも、ごめんなさい。)

大好きな娘のお誕生日に病児保育に預けて、ごちそうは一切準備できなくて、晩御飯はクッタクタの煮込みうどんで、お熱の子供達と一緒にすらいられなくて、キラキラした要素は皆無のお誕生日だったこと。申し訳なく思う気持ちももちろんいっぱいいっぱいあった。

だけど、ひらりひらりと舞う桜を見たとき、にこにこ笑う子供達と歩いてタクシーを拾いに向かう帰り道。こういうのもありだな、嫌いじゃないな、と、自分で思うことができた。

あれもこれもしてあげたかったのに、あれもこれもできなかったけれど、想定外の一日だったけれど、私は本当にすっぴんでひどいかっこをしているけれど、でも、たくさんの人の愛情に触れて、あたたかさを知って、なんかいい一日だったよな、と。

こういう仕事の仕方や、こんな毎日しか送れないけれど、それをとやかく言う人はもちろんいるかもしれないけれども、でも私はこれしかできないし、私はこれでいいよな、と。大切なのは自分自身がそう思えて、そして目の前の大切な人たちがにこにこしていることだな、と。

他人の目に映る自分ではなくて、自分の心が認めてあげられる自分

キラキラした情報があふれかえっているこの時代。そして、キラキラした情報の反動かのように、心ないバッシングやヘイトスピーチやベビーカー論争やなんのかんのでなんだか少し窮屈な時代。言いたいことも言えないこんな世の中じゃぽいずんな時代。

ついつい自分の価値観を見失いそうになるけれど、大切なのは他人の目に映る自分ではなくて、自分の心が認めてあげられる自分。そして目の前にいる、大切な人が笑っていてくれること。当たり前なんやけど、改めてそんなことを思った、むすめ3歳のお誕生日でありました。

むすめお誕生日おめでとう。私に大切なことをいつもたくさん思い出させてくれて、気づかせてくれて、ありがとう。私を二人のお母さんにしてくれてありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。ママができることはほんの少ししかないけれど、いつまでも、ママはあなたの一番の味方です。おっきくなったらむすめが欲しがっているバッグと靴とピアスとネックレスと指輪とお洋服あげるからねうん。。。(本当に、おっきくなったらこれちょーだい♡と、のたまう3歳児。こわい。)

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