【2018お正月 セブ&ボホール旅行記⑨】day7 マニラ観光リッキーの思い出

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これまでのセブ旅行記

旅における信じることと疑うことのバランス

海外旅行するときはいつも、信じることと疑うことのバランスが難しい、と思う。学生の頃は「疑う」方にちょっと重きを置いていた。今よりずっと貧乏旅行だったし、リゾートホテルなんか泊まれなくて、なんとか良い感じの安宿を必死で探すような旅だったし。

でも家族ができてからは、「信じる」重みがちょっと勝るようになっていた。「安全に気をつける」は大前提なのだけれど、誰かの好意はまるっと信じて受け止めた方が良い。それなりのお金を払って、サービスとして好意を受け取ることだって増えた。

だからセブ&ボホールも総じて親切な人ばかりに会って、「信じる」メーターはめっちゃ上がっていた。そこに来て、ここ、マニラである。

ウーバーでイントラムロスへ

最終日のこの日はマニラの空港近くのベルモントホテル(お手頃でめっちゃいいホテル!)で朝食後、イントラムロス観光へ。「イントラムロス」とはスペイン語で「壁の内側で」という意味で、16世紀、スペインがフィリピン統治の本拠地として建設した城塞跡だそうです(ウィキペディアより)。

ウーバーでイントラムロスのマニラ大聖堂まで行ってもらって(ほんっとにウーバー最高)、そこからぐるりと観光することに。

マニラ大聖堂の外に出ると、バイシクルの兄ちゃんリッキーが、「僕のランボルギーニで案内してあげるよ!30分350ペソだよ!有名な観光場所は全部回るよ!」と声をかけてくる。

なんせ快晴でめちゃくちゃ暑いし、子どもたちを連れて歩くのはあまりに大変そうなので(ペナンの中では治安が良い方と聞いていたけれどもそれでも心配だし)、リッキーにお願いすることに。

リッキーが料金の倍をふっかける

しかしこのリッキーが最後に、乗車台(1時間だから700ペソ)とは別に、ガイド代も700ペソ払ってね、全部で1400ペソね!と、言い出す。オットがいやいやガイド代なんて最初言ってなかったでしょと言っても、ノーばかり言う。

・・・で!た!ア!ジ!ア!久々に来た、こういうの。

学生の頃なら本当にお金もないし、相場から考えても高すぎるし、それなりに応戦するなり、これだけしか払えないよってそのまま降りるのは簡単だったと思うのだけれど。

でもこの歳になると、なんか子どもたちにもすごく良くしてくれたリッキーと最後の最後で揉めるところを、子どもたちに見せるのも切なくて、渋るオットを諭し、だいたい言い値を払ってその場を後にした。

でもまあ、海外旅行でよくあることといえばよくあることではある。でもこのことがずっと引っかかっていて、帰ってからもずっともやもやと考えている。みなさんならどうしますか。

それでもインストラムロスも、リッキーのガイドも素晴らしかった

それでもリッキーが案内してくれたイントラムロスは、どこもかしこも見応えがあるいいところだった。またゆっくり行きたいなあと思える場所だった。歴史を感じさせながら、そのくせのんびりとした空気が流れていた。

カーサ・マニラ博物館はなんだかすごくオシャレなところだった。石畳の路地と、建物と。本当にそこだけアジアじゃなくてヨーロッパみたい。雰囲気の良いカフェもあったし、小さなお土産物やさんも雰囲気があって素敵だった。時間がある時にまたゆっくり行きたい。

ところどころに第二次世界大戦の爪痕があって、日本軍がしたこと、アメリカ軍がしたこと、リッキーは色々と教えてくれた。よく晴れた日に、美しい光景を前に、それらの爪痕は訴えかけてきた。誰かが誰かを殺す恐ろしさを、痛いくらいに。

もしリッキーがいなかったら、ここでの歴史のことなんてよくわからずに、調べたとしても、自分が立っているちょうどその場所で何があったかなんてわからずに、帰ってきていたのだろうなと思う。今になってみると、そう思う。

あっつい中自転車を一生懸命こぎながら、リッキーは、ここに僕の家があるよ!これが僕の4歳の娘なんだ、と、写真も見せてくれた。イントラムロスの近くの住宅街。決して裕福とは言えない家並み。(・・・騙されてるかもしれないが)

リッキーと子どもたちが、毎日楽しく暮らしていればいいなと、日本に帰ってきた今、私はやっぱり思うんだ。それはきれいごとなのかもしれない。ポリコレと言われるかもしれない。でも、日本とフィリピンとアメリカの、悲しい歴史を真剣な目で話してくれたリッキーに、家族と毎日楽しく暮らしていてほしいと思う。

そして、なんだかんだで、またボホール島へ行く時は(ボホールはまた絶対行きたい)、マニラに1泊してもいいなと思っている。それは、このイントラムロスが思いの外、すごく良かったからだ。

支払いの時、どうしていたら良かったのかなあと今でも考える

そんなことを思いながら、最後の支払いの時、どうしていれば良かったのかなあと今でもめっちゃ考える。

リッキーが最後に言った料金は、現地の相場からすれば高い。やっぱりそこが日本でないとはいえ、そういう形で請求されると嫌な気持ちにはなる。せっかく楽しかった気持ちがなあって、悲しい気持ちにもなる。

でも、日本で同じことをしようとしたら、それでも安いと思う。例えば嵐山の人力車よりもずっとずと安い。払えない値段じゃ全然ない。最初からその値段を言われていても、乗ったかもしれない、と思う。

その日は歩くにはめちゃくちゃ暑くて、リッキーの高級ランボルギーニ(おんぼろバイク)で風を受けながら走るのは楽しかった。リッキーのガイドも面白かった。だから、その値段分くらい、私たちは満足していたんだ。

 

もし最初から1400ペソだよと言われて、いいよ、と言って、高級ランボルギーニのオンボロバイクにみんなで楽しく乗って、最後笑ってサンキュー!と言える仕組みになっていたら、それがベストだけど、というか本当に最初からそう言ってくれればいいと思うのだけれど(なんとかならへんもんかなほんとに)、でも実際、そんな仕組みはなかったわけで、結局もやもやと考えたままで。

帰ってきて、考えて、そしてこれを書きながら思うことは、その時はびっくりしちゃったし、持ってる現金はギリギリだったし、オットは払うもんか!という態度でイライラして話してたし、私もなんか悲しくて微妙な気持ちになってしまったけど、楽しかったね!と、最後まで思えるために、払える値段なのだから、笑って気持ち良く払っても良かったのかもなあ、と、ちょっと思う。

実際、その言い値のお金を払わなきゃ良かったなと思う気持ちは、今特にない。というか、全くない。微妙な気持ちになっていたけど、サンキューってちゃんと言っておいてよかったなとも思う。多分、タクシーとかの単純な移動だけなら、払いたくなかったなあと思うだろうけど、これは単純に移動だけの時間ではなかったから。

でも難しいね、こういうの。その瞬間はなおさら、すぐに判断するのが難しい。

でもまた多分、旅に出る。(そして、おまけ。)

 

セブ&ボホール&ちょっとだけマニラ。親切さも、いい加減さも、たくさん触れた。ちょっと考えさせられた。また日常に戻りながら、あの旅のことをふわふわと考えている。

100%完璧な人間がいないように、100%完璧な旅もない。でもその不完全さが、人間にも旅にも多分、深みを与えてくれる。

数パーセントの絶対に見つからない何かを、そのかけらをなんとなく探しながら、多分また、旅に出る。

おまけ。

ほとんど日本人に会わなかったこの旅、私たちは相当日本語に飢えていた。そしたら、帰りに到着した関空のアナウンスで、日本語を飛び越えて関西弁が流れて、帰ってきたわ感がハンパなかった。すっごいな、関空のアナウンス。というか、アナウンスまで関西弁の関西。

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