会社を辞めて、フリーになりました。(たぶん)

息子の卒園前くらいめっちゃ泣いたこの数ヶ月

毎日更新しようと決めたのが年末頃で、美しいまでに月一更新となっているこちらのブログ、ここのところ何をしていたかと言いますと、退職手続きと送別会に追われていました。何度となく泣きました。(送別会での暖かい言葉並びに個人事業主としての手続きの煩雑っぷりの恐ろしさに。)

12年前、新聞社の広告局という部署に就職が決まった。その時母に、「この会社の名刺があれば、いろんな人に会えるし、どんな仕事もできると思う。でもいつかその名刺がなくなった時、自分の名前で、仕事をしたいと思ってもらえるようなそういう仕事を、積み重ねていってね。」と、いうことを言われた。

それは決して、会社を辞めて欲しいとかそう言った意味ではなかったと思うのだけれど、私の中でその言葉はずっと残っていて、母がなくなった後も、ずっとどこかにあって、いつしかそれは私にとっては、会社を辞めてフリーランスとして仕事をしていきたい、という思いに繋がっていった。

その思いはたぶんもう数年前からずーーーーーーっとあって、ずっとあたためていて、それでも特に出産してからの仕事のバランスや、一緒に仕事をしてきた人たちが好きすぎて、心地良すぎて、なかなか決心がつかないところもあったのだけれど、なんとなく、もう、そろそろだなあと、春先に決意した。(それからが長かったけれど・・・会社を辞める、というのは大変だ。)

新聞社で12年弱働いてきて得たもの

新聞社に入る前は、「個人の力でできないことを、新聞社という大きな組織でやりたい。」と、思っていた。(志望動機でもそんなことを言っていた気がする。)でも、12年間働いてみて、なんかものすごく大きな仕事をやり遂げたとか、社会を動かすような何かをしたとか、そういったことがあったわけでは、決してない。いつも目の前の仕事を、その小さな仕事が終わる時に喜んでくれる人の顔を、そしてその先にある、この会社があることの意味を少しだけ、考えながら、やっていたにすぎない。

専業主婦だった母が、結婚して会社を辞めるとき、「よく社会の歯車という言葉は悪い意味で使われますが、私はこの会社の歯車になれたことが嬉しかったです。」と、挨拶をしたそうだ。

今その気持ちが、すごくよく分かる。

私が12年間やってきたのは、会社の小さな小さな歯車であることだ。でも、この会社の、いろんなことがあったけど、今となっては好きな人がたくさんいるこの会社の、小さな歯車になれたことが、とてもうれしいし、そのことを、今誇りに思う。

大きな会社で、いわゆる男社会で、日本的な会社で、社会人1年目の頃から戸惑うことばかりで、あーもうしんどいな、ここでやっていくのはなかなかに辛い。と、思ったことも死ぬほどあった。なんで私はここで働いてるんだろう、もっと緩やかに働ける場所はいくらでもあるんじゃないの、と幾度となく思った。

広告営業で毎晩毎晩残業どころかタクシー帰りの日々を送ったこと。ひっどいつわりに耐えながらお客さんのところへ行って、吐きながら残業したこと。おっきいお腹でもんのすごいトラブルを抱え、大人の事情が飛び交う打ち合わせを全てお腹の赤ちゃんに聞かせ、何たる胎教だ、この子は酸いも甘いも全部知った子になるな・・・とか思っていたこと。

生まれてきた赤子があまりにもかわいすぎて、そして産休前の仕事の記憶があまりにハードすぎて、こんなかわいい子どもを預けてまで私は仕事に戻るべきなのかと悩んだこと。

確かに辛かったことは考えてみれば山ほど思い浮かぶのだけれど、でもその何もかもを思い出すときに今は、それでも助けてくれた、支えてくれた人たちの顔も一緒に思い浮かぶ。

だって私がそれでも会社を辞めなかったのは、結婚しても出産してもずっと仕事を続けてきたのは、何があったって支えてくれた、助けてくれた人たちがいたからだ。そうじゃなければ、私はずっと昔に会社も、仕事も、働くことも辞めていたと思う。そしてその人たちと仕事を重ねながら、私は「自分で考えて仕事をすること」「自分で働き方を決めること」を学んでいった。「自分で」きちんと考え決めるよう意識するようになってから、仕事はぐんぐん楽しくなっていった。

私がこの会社で得た一番大きなものは、一生かけて付き合っていきたいと思える大好きな人たちと、そして「自分は仕事が好きなのだ」という気づきだ。

辛いことも山ほどあったけれど、私はやっぱり仕事が好きだったし、そして支えてくれる、一緒に働いてくれる人たちが大好きだった。人と人が繋がっていく瞬間を見るのが、すごく好きだった。

フリーになってやりたいこと。「書く」こと「伝える」こと。

私はそもそも非常に個人的な人間で、半径5メートルくらいの世界を生きている人間で、だからサラリーマンなんて絶対向いてないのに、それでも12年間も続けてこられたのは、この会社があまりにも寛大で素晴らしいところだったからにすぎない。そして私の周りにいる人たちが、全くもうムシ(わたしのこと)のてきとうっぷりときたら。。と言いながら、いつもいつもサポートしてくれていたからにすぎない。それくらい素晴らしい環境を卒業してでも、それでもわたしはやっぱり、自分で自分の働き方と人生を、自分で作っていきたいなあと、思った。なんともまあ、わがままな決断だけれど。

そして、私が大好きな場所を卒業して、それでもやりたかったことというのは、やっぱり「書く」ことなのだ。もし自分にこの先、何かできることがあるとしたら、どこかの誰かを少し、楽しませることが、心を軽くすることが、できるとすればそれは、やっぱり「書く」ことなのだと、思う。

コンテンツの値段がどんどん下がっていくこの時代に、私が「書く」ことでどんな「価値」を生み出せるのかはまだまだわからない。それでもきっとできることがあると、信じてやっていきたいなと、思う。それが自分にできること、というか、それくらいしか不器用な自分にはきっとできない。

「書く」こと、そして「伝える」こと。

誰かが書いたものをわかりやすく編集して「伝える」こと。たとえばSNSやオウンドメディアでの「伝え方」に悩む企業のお手伝いをすること。

そして、大好きな洋服のことや、子育てのこと、そして働き方や働くということについて、「書く」こと。

「書く」「伝える」ということにはまだまだたくさんの可能性というか、人の心を軽くする何か、があるように思う。

そう、私は、就職する時、新聞社という大きな組織で、人を、人の心を動かすようなことがしたい、と思っていた。でも12年経った今、私がやりたいことは、そんな大きなことではなくて、「人の心を少しでも軽くする」ことだ。

どんな形でもいい。私が、書いて、伝えることで、誰かの心を、もやもやしたものを抱えた、小さな痛みを抱えた、そんな誰かの心を、少しでも軽くすることができるなら。

個人の力に限界を感じて、大きな組織に入りたいと、「マス」のメディアで仕事がしたいと思ったのが、12年前。今、もう一度個人に立ち戻って、小さなところからコツコツと、積み重ねてゆきたいと思っています。

「書く」「伝える」。まだまだ個人でできることに限界はあるかもしれませんが、お手伝いできることがあればお気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。私一人だけじゃなくても、こういったところならお力になれるかも、こういう人なら紹介できかも、などなど、できることがあるかもしれません。

新しい日々、新しい毎日、不安もたくさんだけれど、12年間のサラリーマン生活で学んだこと、仕事は楽しく!を、モットーに、また一から頑張ります。

↓お仕事募集中!!笑。

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13年後の「母」像

ベビーカーを押すきれいなお母さんたちを見て気づいた

街中を歩いている、ベビーカーを押すきれいなお母さんたちを見ると、若いなあ、かわいいなあ、と思うようになってしまった。ベビーカーを押しながら歩いていた時期は、私にとって、ちょっとした昔のことになってしまっていることに気づかされる。いやほんの、2、3年前のことなはずなのだけれど。

でも7歳になる息子のベビーカーを押していたのは確かにもう5年以上前になるわけで、そうするとやっぱりそれは、「ちょっとした昔」のことなのだ。あの頃とさして何も変わっていない気がしていたけれど、そんなことはない、子どもたちだけじゃない、私だって結構変化してきている。(「成長」かどうかはわからないけれども「変化」であることは確かだ。20代から30代に変化してますし・・・)

会社で「働くお母さん・お父さん向けイベント」のような企画が立ち上がった。結構盛況で、私が最初に育休復帰した6年ほど前よりも、ずっと人々の意識も、社会の意識も高まっているのだなあと感じる。

けどそういうイベントの内容を見ているとふと、「あ、もう私はターゲットじゃないな」と思わされる場面がたくさんある。保活、幼児教育、病児保育、そしてベビーカーや抱っこ紐などのグッズ、登壇するタレントさんまで。うまく言えないのだけれど、あーそんなこともあったなあ。という感想が最初に浮かんでくる。そして、自分の興味関心は、もう別のところへ向いていることに気づかされる。

それはどういうことかというと、ベビーマーケットをターゲットとしたマーケティングというのは、次々と新規のお客さんを見つけていかなければならないのだなあということであり、そして母親自身の目線でいうと、つまりそういう時期は、本当に信じられないくらい一瞬で終わってしまうということなのだ。

ほんの2、3年前に興味を持っていたはずのことが、というか、ほぼ生活の、なんなら人生のすべてに思えていたようなことが、今ではすっかり過去のことになってしまっているというのは、まあよくあるようで、しかしこと子育て周りほど顕著なものはないようにも思う。

それは子育ての悩みに関してもそうで、離乳食を全く食べないとか(ほんとに息子は食べなかった)夜に寝ないとか、母乳飲みすぎなんじゃないのとか、いや待てもう全然思い出せないや、とにかくそんなレベルで、悩み事はほんの数ヶ月、下手すれば数週間単位で変化し、そしてすっかりと忘れていく。(忘れるのは単に私の特技だからかもしれませんが・・・)

子どもたちは、この手を離してゆく

で、私は最近ものすごく実感していることがある。この子たちは、間違いなく、本当に間違いなく、私から離れてゆく。こうして、日々イライラ叱っては叱ってしまったことを後悔し、はーちょっと一人にしてくれと思ったり、あとで聞くからちょっと待ってと思ったり、なんかそんな日々は多分驚くほど一瞬で、あと少しで、終わってしまう。

息子の反抗期とか、むすめの汗疹とか、PTAの煩わしさとか、習い事のバランスの悩みとか、なんかそんなすべてはきっと、息子が成人する頃、あと13年もすれば、いやそんなに経たなくてもきっと、あーそんなこともあったな、と思うか、もしくはもはや覚えてもいないようなことになっているのだろうと思う。そして、あの頃はいつも、両手に子どもたちがいたのだな、と、懐かしく思うのだろうと思う。まちがいなく子どもたちは、私の手を、私たち両親の手を、離してゆく。それが最近なんだかすごくわかるから、近頃はことあるごとに子どもたちに「ぎゅっとさせて!」と言ってはウザがられている。いーんだいーんだ。

そう、13年という月日は、きっとあっという間なのだろう。そして、13年という月日が経つ頃には、私は、自分の母が亡くなった歳になる。それはちょっと、ものすごいことだ。私の中の「母」像は、あと13年しか残されていない。その頃には子どもたちはもうすっかり、私の手を離してしまっているのだろうけれど。

今、子どもたちを叱りながら、悩みながら、それでもすぐ近くに子どもたちの手がある時間、それはすごく愛おしい。そして、これからの13年、子どもたちがぐんぐん大人になってゆく時間を見守るのも、きっと大変なのだろうけれども、そしてすぐ寂しくなって泣いちゃったりするのだろうけれど、楽しいだろうと思う。そしてその流れの中で、私は少しずつ、その先の、子どもたちが手を離した先の「母」像を、自分で作っていかなければいけない。やっぱりそれは、私にとっては大仕事だ。

だけど。と、思う。それは、母が生きていたとしてもそうなのだろうな、と。もしかしたら母がもういない分、私は私の「母」像を、自由に生きていけるということなのかもしれない。そもそも「母」像なんて、それは自分で、作り出していくものなのかもしれない。どんな自分でも、それは自分でしかないのだから。

自分たちのコップの水が、あふれるように

母が亡くなった時、今までいっぱいだったコップの水が、もうあふれることはないのだなあと、なんだか漠然と、そう思った。家族のしあわせ、みたいなものであふれていたこのコップの水は、もう満たされることはないのだろうなあ。と。

だけど、たまたま結婚して、たまたま子どもたちが生まれ、新しい家族ができて、新しいコップの水が、また少しずつたまってきた。そんな気がする。そしてそれは、その形は、これから私たちが自分で作ってゆくのだ。子どもたちが手を離すまでに、そして手を離した後も、たくさんの水を注いで、いっぱいにして、あふれさせてゆく。そしてその水は、きっと、私がいなくなった後も、子どもたちの新しいコップに、少しだけでも注がれると良い。

あの時、母が亡くなった時、もうあふれることはないだろうと思った水は、今また、満たされ始めた気がするから。それは母が残してくれたものであり、そして、自分で作り出してきたものなのだ。そうしてきっと、続いてゆくものなのだ。

少しずつ、少しずつ。儚いけれど、確実に。

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洋服を選ぶ時の「ストーリー」

新しいもの、流行を楽しむこと

物欲低下の季節です。暑いし。いや、暑いのは嫌いではないのだけれど、なんといっても気持ちは秋冬物に向いているのに、秋冬物を見るには暑い。暑すぎる。というかまあ外に出るのも暑い。というわけで、この季節は物欲が低下する。けどこの物欲低下、季節的なものだけじゃなくて、ちょっとした考え方の変化があったんじゃないかと思い、考えてみた。

洋服を楽しむ時、やっぱりその時その時の流行りを楽しむ、というのは醍醐味であると思う。前にも書いたけれど、やっぱり流行を取り入れること、それにチャレンジすること、っていうのは自分の幅を広げることであったりもして、楽しみの一つであることは間違いない。

洋服の宿命として、どれだけ良いものでも、どうしても翌年には「これはやっぱり去年のカタチだな・・・」と思ってしまうものが出てくる。買う時はもちろん、「できるだけ長く使えるものを・・・」と思うわけだけれど、翌年にはどうしても手が伸びない、ということはままある。これはもう、仕方がないと私は思う。

村上春樹は(ほんといつも村上春樹で申し訳ないのだけれど)過去の自分の小説はほとんど読み返すことがないという。それは、どうしても「古いな」という感じがしてしまうからだと。数年前の洋服が古く思えてしまうのと同じだ、と。

洋服ほどではないにしても、なんだって、「古いな」とネガティブに感じてしまうというのはある程度避けられないことなのかもしれないなと思う。それは例えば料理の味付けとかにだってあるのかもしれない。いや私は思ったことはないけれど、私の洋服好きのベクトルが食に向いてる人は、そんな風に思うこともあるのかもしれない。

だから、去年あんなに厳選して色々買ったのに、今年もやっぱり欲しいものが出てくる、というのはごく自然なことで、ある程度はやっぱり色々アップデートしていきたい。していきたいと決意するまでもなく、どうしても毎年欲しいものは出てくる。何度も言うけれど、そういうものが人生の中で一つくらいあったったいいじゃないか、と私は思う。もちろん自分の「楽しめる」範囲で。

「欲しい」というモチベーションの変化

それでも、今年のもの、新しいもの、そういうのがどうしても欲しい!といった感覚が、少し減ったような気がしている。それはもちろん、歳を重ねて、良いものを少しずつ集めてきたから、というのもある。コートなんて、エッグクロンビーとムートンがあれば事足りると本気で昨冬思った。

けどそれだけじゃなくて、なんとなく洋服に対する考え方が変化してきたからじゃないかなとも思う。

インスタで洋服を見るようになってからの一番大きな変化は、インスタ界隈の流行りを素早く知ることができるようになったところかなと思う。私はファッション雑誌をほとんど読まないので(仕事で読むことはあれど)詳しいことはわからないけれど、多分雑誌で紹介されてバカ売れ!みたいなものが、インスタにうつってきたという流れがあったのだと思う。何を今さらという話ですが。

ちなみに私はインスタで見てこれかわいい!と思って購入する、という、この昔で言う所の(今も意外と言うのだけれど)AIDMAを絵に描いたような流れについて、決してネガティブに思っているわけではない。むしろわかりやすくて健康的でいいじゃないかと思っている。いや、持たない暮らしもシンプルライフも素晴らしいと思うし、実際良いものを長く、という方が実のところ何かと「便利」だったりするわけなのだけれど、でもそれだけじゃあ日々味気ないと思う。それは別に洋服に限らず、一つくらいは、たまには冷静な判断ができなくなっちゃうくらいに好きなものがあっても良いじゃないか、と私は思っている。何でこれ買ったんだろ、何でこれがどうしても欲しくなるんだろ、というものが一つくらいあった方が、日々張り合いが出ると思いませんか。まあこれは洋服好きの壮大な言い訳なんですけど。

ただあまりにそればかりになると、人間の心理として、この流行っているやつを手に入れておきたい、完売する前に手元に置いておきたい、自慢したい、みたいな気持ちが湧いてくるように思う。それは別にSNSが出てくる前から、人間が普通に持っていた感情として。エアマックス全盛期の頃から人々が持っていた欲望として。(すぐにエアマックスを持ち出す昭和生まれ)

でもそういう感情は、多分そんなに長続きしない。感情というか、そういうモチベーションというか。「流行っているから」「品薄だから」「自慢できるから」というモチベーションって、瞬発力はものすごくあるのだけれど、持続力はそんなにない。

それよりは、「新しい仕事を始めたからジャケットを買おう」とか、「人生の節目にバーキンを買う!」とか、そういったストーリーの方が、持続力はずっとある。婚約指輪に飽きる、ということは早々ないですよね多分。極端な話ですが。

自分は最近、そういうモチベーションでものを選ぶようになってきたのかもなあ、と、思う。だから、シーズン始めの今のうちに完売しそうなこれだけは買っておかなきゃ!みたいなことがものすごく減ったように思う。そしてこれはもしかして私だけじゃなくて、世の流れとして結構多くの人が思ってたりするんじゃなかろーかと、ちょっと思ったりしている。

メゾンが持つストーリー

こうなってくると、洋服の流行り廃りが絶対に避けられないものとはいえ、結構、去年より前のものも「古いな」と感じることなく着られたりする。それはもしかすると、一つ一つにストーリーを感じながら選んだものだからなのかもしれない。流行りとは違うかもしれない、人から見ると古いかもしれない、でもこれは自分にとって大切なストーリーのあるアイテムなのだ、と。

これから先こういう、ストーリー性のようなものはすごく大切になってくるんじゃないかなあという気がしている。そしてこれは、古くからいわゆる高級メゾンが得意として、大切にしてきたことだと思う。ヴィトンには旅行というストーリーがあり、エルメスには乗馬というストーリーがあるように。

ってこれは実は10年以上前、大学のゼミで、当時のヴィトン(LVJグループ)の社長だった秦郷次郎さんを招いてお話を聞かせていただいたことがあって、その時に秦さんがおっしゃっていたことそのものなのですが。うろ覚えすぎてもし間違っていたら本当に申し訳ないのだけれど、こういうお話だったように記憶しています。一時期、女子高生がこぞってヴィトンを持っていたことがあって、ともすれば偽物でもいいから手に入れたいというような流れが出てきてしまった。でも、ブランドってそういうものじゃない。初めてパリへ行った時、ヴィトンの本店で、その日のために頑張って貯めたお金で小さな小物を買う。そういうったストーリーこそがブランドなのだ、と。

その時に聞いたお話がものすごく印象深くて、なんでもすぐに忘れてしまう私としては珍しく覚えているわけだけれど(とはいえその話を誰と聞いたのかとかほんとにゼミで聞いたのだっけとか細部はすっかり忘れておりますが。)あれは今も通じる真理だったなあと思う。

SNSの台頭があろうと、ファストファッションがこれだけ流行ろうと、メゾンが持つストーリーっていうのは、やっぱりすごく強い、と私は思う。個人的にはやっぱりものすごく、そのストーリーの持つ力にひかれる。わくわくする。そのストーリーが「真実」であれば、だけれど。

私はファッションの専門家でもなんでもないのでビジネス視点ではわからないし、これはただの洋服好きの戯言にすぎないのだけれど、こういう、選ぶ時にストーリーを感じてわくわくできるような、そういう体験を積み重ねられるような、そんなブランドに、そしてブランドにかかわらずそういう洋服に、これからも触れていきたいなと思う。そしてそういうわくわくするようなストーリーを、私も誰かに伝えていけたらいいなと思う。

もちろん、衝動買い的にこれ欲しい!っていう短期戦な選び方もたまには楽しみながら。

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むすめ(4)、ビビディバビディブティックでエルサになる

むすめ、念願のエルサになる。

うちのエルサ・・・じゃなくてむすめ(4)が、念願のエルサになった。ディズニーランドで。

この夢の国には「ビビディバビディブティック」という夢のような施設があり、そこではこのむすめをエルサにしてくれるという夢のようなシステムがある。いやこれをシステムなどと夢のない言葉で片付けてはいけない。これがたとえ28,000円のシステムだとしてもこれはあくまでも夢である。

いやほんと、詳細はホームページを見ていただくとして、これは素晴らしいシステム・・・じゃなくて夢である。たとえ28,000円だとしても。朝8時、張り切りまくったよんさいじを、ディズニーランドホテル内にあるこのブティックに連れていく。するとかわいいお姉さんが出てきて、まずは「ごきげんよう(はーと)」のご挨拶の練習をさせてくれる。ここから28,000円・・・じゃなかった夢は始まるのである。

ご挨拶の練習が終わったらすぐに、お姉さんがたくさんのドレスから好きなものを選ばせてくれる。ちなみに予約時は「ベル!」と言っていたむすめが、当日になって頑なに「えるさ!!!」と主張し始める。よく考えるとそりゃあそうだ。なんせうちのむすめはえるさなのだ。(ご参考→ エルサ(4)の初恋 ならびに ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃん )むしろなぜベルに浮気した。

まあ気まぐれなプリンセスが当日になってプリンセスの鞍替えをしたとしても大丈夫。ここは夢の国なのだ。しかも28,000円を払っている。

そしてここで選んだドレスに、ブティック内で着替える。ついでに言うと、このドレスはレンタルではないのでそのままお家まで来て帰れる。つまり28,000円にはドレス代も含まれている。夢のよう。紛れもない現実だけれど。あ、あとプリンセスの靴も含まれている。黒・白・ピンクから選べて、むすめは白をチョイス。

エルサ、ヘアメイクをしてもらう

エルサのおよーふくに着替えたあとは、なんとヘアセットとメイクが待っている。いろんな髪型のパターンから選べて、むすめはもちろんえるさをチョイス。このブティックの素晴らしさはやっぱりこのヘアメイクにあると思う。ドレスはまあ正直トイザラスでも買えるわけだけれど、あの空気の中でドレスを選んだあと、キラッキラの鏡の前で、大人のヘアセットばりのしっかりしたセットをおねーさんがしてくれる。あれはもう、脳内プリンセスにはたまらない仕組みである。

しかもこの28,000円の夢のよくできているところは、ヘアメイクは、鏡を背にして、パパママの方を見ながらやってくれるところ。パパママ(28,000円をものともしない超絶親バカモード)は、我が子がプリンセスになってゆく姿を見届けながら、一方むすめは、自分がどんな姿になっているかは自分ではわからない。

H&Mで約400円で買ったつけ三つ編みとは比べものにならないレベルのエクステのようなものをつけてもらい、それを立派な三つ編みにし、キラキラの雪の結晶の形をしたヘアアクセまで散らしてもらい、軽くメイクもしてもらい、ついでにネイルまで!つけてもらい、もうむすめの心の中はテンションマックスである。であってほしい。お願いだからそうであって、だって28,000円・・(もういい)

そして最後のヘアセットの仕上げをしてもらった後、キラキラのスティックを持ったおねーさんが、とどめの魔法をかけてくれる。魔法すなわち、「ビビディバビディブー!」の魔法の言葉。なんとよくできたシステム・・・じゃなくて夢。

パパもママも息子もむすめに向かって一緒に魔法をかける。「ビビディバビディブー!」もうこの時の親のニヤニヤっぷりといったらすごい。

お姉さんがくるっと椅子を回す。そこでむすめは初めて、エルサになった自分の姿を鏡で見ることができる。これを魔法と言わずしてなんという。もうよくわかった、魔法には28,000円が必要なのだ。それが資本主義における魔法だ。

母、28,000円の重みを知る

エルサになったむすめは、なんかよくわからないけれども女子の心をつかみまくるお花がついたペンで、「プリンセス認定証」にサインをする。サインなんかできるわけないのだけれど、必死にサインする姿とかあほかわいすぎて、延々と動画を撮ってしまう。そこには、延々とただサインもどきをする姿が1分以上映っているわけだけれども何度見てもにやける。

こうして、晴れてエルサになったむすめと、1日中ディズニーランドで遊びまくれるというこのシステムじゃなくて夢。素晴らしい。ほんとに信じられないくらい一日中テンション高くて、ドレスを着て歌いおどってパーク中を移動していた。だってエルサだもんね。

脳内プリンセスのお子様を持つみなさまにはお勧めのシステム・・・夢です。

ただしテンションマックスで帰ってきたむすめに、「つぎはねー、ラプンツェルがいい!またこんどディズニーランドいって、ラプンツェルになろーね!!!!」と、きらきら言われるというおまけつき。わたしたちはその瞬間、本当の28,000円の重みを知ることとなる。

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小学一年生、いつまでランドセルの中身を確認する?

また私のズボラが露呈する

このあいだ、息子の小学校のお母さんたちと集まる機会があり、その時に「いつまで子供のランドセルの中身(必要なものがちゃんと入っているか)、いちいちチェックしなきゃいけないのかな?という話になった。

そこで私は初めて知った。

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5月、子どもたちに励まされる

ヘトヘト5月、息子がいいこと言う。

なんと5月も終わり、もう6月。5月病とはよく言ったもので、四月の疲れや緊張はやはり、ここに来てじわじわ効いてくるものらしい。

子どもはいたって元気で環境にも適応しているけれど、かあさんはもろもろヘトヘト。仕事も小学校周りの行事もヘトヘト。そしてそういう時に限って、しょーもないミスをしたり、なんだかうまくいかないことが重なったりで、うーむなんか今日は色々しっくりいかったなあ、という日が続いたりした。

そういう時、私はとにかく子どもたちにそれを話す。ママなんか今日は元気ないわーとか、仕事でこういうことあってさーおつかれです。とか。なんだって話すと楽になったりするじゃないですか。母さんだって人間なので、子どもたちに弱音も吐きまくる。

そうしたら、普段はすぐ口答えする息子が言ってくれた。

「あのねママ、今日はいやなことばっかりあるなーって思っちゃったら、どんどんいやなことが増えていくんだって。何してても、いやだなーって思っちゃうんだって。そういうのガンって言うんだって。だからね、今日はいいこといっぱいあるなーって思った方がいいんだよ!」と。なんかいいこと風のことを言う。

そして、こう続けてくれた。

「あのねぼく、おっきいばあばがお空にいっちゃってすごく悲しくてね、思い出して泣きたくなっちゃうんだけどね、でも校庭で野球したりバスケしたり、いっぱい遊んだら、元気になるんだよ!」と。なんか泣けることを言う。

ほんとだなあと思って。「何かうまくいかないなあ」というのは、あくまでも自分の心持ちなわけで、「いい一日だったなあ」と思うのも、「うまくいかなかったなあ」と思うのも、自分なのだ。まあそうは言っても、しんどい時に無理に笑うとか、空元気でいろとか、そういうことでは全然なくて、つかれてるなあ私、ときちんと認めてあげながら、でもなあこういうところはがんばったよなーとか、こういういいことはあったよなあとか、良き面にも目を向けてあげようとすることって、ほんとに大切かもしれない、と思いました。

仕事で嫌なことがあっても、子どもたちを見てたらかわいくて癒されてまあいいか、と思うことは今までも結構あったけれど、子どもの言葉に本当にちゃんと励まされたというのは、なんだか成長を感じた瞬間であった。

そして息子のかわいいお友達にも励まされる。

しかしまあ色々あるもので、しっくりこない日と、今日はうまくいった!みたいな日が交互に訪れる、みたいなのが5月の1か月だったように思う。それはそれでまあほんと疲れるもので、(どんだけだ。)クタクタになりながら、お迎え前の一瞬の時間でスーパーで晩ご飯のお買い物をしていた時。「Kくんママ!」と、呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、息子と保育園が同じだった、かわいいかわいい(まじで美人)女の子。小学校は離れてしまったので、ちょっと久々に会ったのだけれど、あいかわずかわいくて、にこにこしていて、いつものにこにこ笑顔のままこっちを向いて手を振ってくれていた。

「Kちゃん!久しぶり!あれ、一人?」って聞くと、「ううん、ママ今スーパーでお買い物してるからここで待ってるの!」って答えてくれて、「そっかそっか!息子君にもKちゃんに会ったって言っとくね!」っていうと、「うん!」と嬉しそうに答えてくれた。

息子も、私も、大好きだった園の、大好きな、お友達。息子がいないところで、私に気づいて、私に向かってKくんママ!って声をかけてくれた。私はもしかしたらこの街で、小さなかわいいお友達もたくさんできたのかもしれないな。って思うと、なんだかすごく嬉しかった。

朝、保育園にむすめを送りとどけて、駅に向かう途中、いろんな人とすれ違って挨拶をする。保育園の先生たちや、近所のママたちや、息子の友達や、むすめの友達のママ。とにかくたくさんの人と、おはよう!っていい合う。都心のこの街で、こんなコミュニケーションが取れるのは、それはすごく、豊かなことだなと思う。子どもたちは私に、こういういろんなつながりを作ってくれたんだなと改めて思う。

働いているママがほとんどだから、なかなか毎日ゆっくり話せるというわけじゃない。仕事の悩みを深く相談するわけでもない。だけど、同じくらいの子どもを育てて、日々慌ただしく過ごして、新生活の4月と5月を乗り切って、それでおはよう、おつかれさま、と言い合えるのは、なんだかそれだけで、ちょっとした励みになる。みんな色々あったよね、けど頑張ったよねおつかれさま、と。

それはママたちだけじゃなくて、息子の友達だってそうなんだ。小学生になって少しずつ手が離れて行き、一人で行動することも増えてきた子どもたち。ママと一緒じゃない時、私も息子と一緒じゃない時に、息子の友達に会うと、なんか、あーこの子たちも大きくなったな、と思う。気をつけて行っておいで、とか、おつかれさま、とか声をかけながら、妙にじーんとしてしまう。みんなおっきくなったな。そして、息子やママを通じなくても、私と会話してくれるんだな。そういう関係を結んでこられたんだな、嬉しいな。そしてみんな新しい場所で、頑張ってるな、うん、がんばれがんばれ。と、しみじみ思う。

それで、思う。こうして知らず知らずに励みになってくれる子どもたちは、それは自分の子に限らず、この街で出会った子どもたちは、もう立派な個人なのだな、と。それは生まれた時からなのだけれど、それにしてもやっぱりこれくらいになるとぐんと、個性を持った、素晴らしい個人なのだ、と、改めて思う。大人の方が、偉いとか、知識があるとか、そんなこともう全然ないな、と。

ちゃんと向き合って、尊重して、会話していこうと改めて思う。田舎で育った私が見つけた、新しい、大切な場所で育つ、大切な子供達と。地域って、やっぱりいいものだ。

 

6歳児と歌舞伎を観に行ってみた

ひょんなことから息子がカブキの優待券をもらってきて、カブキをみにいきたい!と、言い出した。

「解説講座つきプラン」がとてもいい。

息子は映画ですら怖くて見られなくて、トイストーリーですら「もう観ない・・・」と言い出すというのに。絶対カブキがなんぞやなどわかっていない。けれども、せっかく「いきたい!」と言い出したのだから、ここは折角だからちょっと観に行ってみよう。と、いうことになった。

とはいえ、私が歌舞伎を観たのは、女子高生時代に学校行事で1回と(と、思い出しながら思ったのだけれど、あれは歌舞伎じゃなくて能と狂言だった気がするし少なくともその区別がつかないくらいには全く興味がなかった。)、新入社員の頃ものすごく歌舞伎好きの上司に連れられて行ったのが1回。それ以来もう、10年以上観ていない。もちろん知識も何も皆無。古典芸能とかもう、遠い世界すぎる。

いろいろ調べてみると、明治座の花形歌舞伎は6歳から有料で、5歳以下は入場できないとのこと。息子はギリギリ行けるというわけですね。(だから優待券もらってきたのだと思うけれど。)

でもなあ6歳児が急に行って楽しめるもんでも正直ないよなあ、絶対怖がるし。。。どうしたもんかなー、と、思っていたら見つけたのが、明治座の「歌舞伎解説講座つきプラン」というもの。通常大人向けのプランなのですが、1日だけ、対象を小学生とその保護者にしている日があったのです。しかもそのプランなら、小学生は1等席が解説もついて5000円!(通常1等席は13000円)もうこれしかないということで速攻で明治座に電話して予約をしました。(もはや講座つき云々より5000円に惹かれて。)

講座を聞いてすっかり八犬士にはまった息子が、八犬士の漢字練習に励んでいた。

この小学生向けの歌舞伎解説講座が、ものすごーーーーーくわかりやすくてよかった。イヤホンガイドの声を担当しているお姉さんが、その日の演目である「里見八犬伝」について、作者の人となりから始まり(里見八犬伝の作者は「滝沢馬琴」って習った記憶があるのに今は「曲亭馬琴」って教えているそーです。誰かと思った。)大まかなあらすじや、見どころ、そしてなぜそれが見どころなのか、「だんまり」とか「立廻り」とか、歌舞伎ならではの面白さや奥深さも交えながらすごくわかりやすく教えてくれた。小学生でもわかるように説明してくれたので、もちろん10年ぶりに歌舞伎を観る母さんにとってもありがたかった。

1時間弱ほど、講義を聞いて、いざ会場へ。1等席というのがこれまた素晴らしくて、舞台目の前の席、どまんなかで贅沢に観ることができました。やっぱりこういうものは、高いことには意味があるものですね。3000円の三等席でいいよ。。と、思っていたけれど、一等席の価値はものすごくよくわかった。

イヤホンガイドもすごくいい。

そして、なんせイヤホンガイドの声のお姉さんの講座だったのでイヤホンガイドを勧められたわけですが(700円)、これもまた本当によくできていた。決して邪魔にならないタイミングと声で、すごくわかりやすくその場面を説明してくれる。解説講座とイヤホンガイドのおかげで、歌舞伎をきちんとストーリーとして楽しむことができた。あれがなければ「お話」自体を理解することはなかなか難しかったと思う。私も息子も。

そして歌舞伎というのはほんとに見どころというか見せ場に溢れるもので、というか見せ場がすごくわかりやすくて、役者さんたちがビシ!っと決める時に、ほんとに自然に拍手してしまう。変な話だけれど、もしスマホで撮影可とかなら、このご時世みんなバシバシ撮ってしまうと思う。いやありえないけれども例えとして。そういう、誰にでもわかりやすい「見せ場」が、たくさんあって見ごたえがある。そしてやっぱり、所作に無駄がなくて美しい。独特な世界だと思うけれども、やっぱりそういうところで鍛えている人たちの動きというのものすごく洗練されていてすっかり魅了されてしまった。

今回の舞台は、化け猫が出てきたり幽霊が出てきたり生首が飛んだり(!)、結構怖い場面もたくさんあって、何と言ってもトイストーリーですら怖い、なんならアンパンマンの映画すら怖いという息子は途中心が折れ、「これいつ終わるの・・・もう帰ろう・・・」と、言い出しました。せっかくだから最後まで観たいけれど、無理に見せるのもなあ、しかし私は最後まで観たい・・・パパに迎えに来てもらおうか・・・とか色々考えていたのだけれど、1回目の休憩時間に、売店でいっぱい試食して美味しいカレー豆を買って、アイスも買って食べたところ、すっかりご機嫌になり、「これからチューバンで、またきゅうけいして、その後後半でしょ?それなら観れる!」と言い出したので、しめしめと結局最後まで二人で観ました。

そして休憩時間までもいい。

この休憩(30分)がまた楽しくて、母さんはビールを頼んで(なんかグラスの下からビールが出てくる不思議な仕組みであった。すごかった。)息子はアイスを食べて、あそこ面白かったねとか、イヤホンガイドのおねーさんが教えてくれた「だんまり」はあの場面だったね、とか、ところで中村隼人はかっこ良すぎないかとか、そういう話をしながらビールを飲んでいると、なんだこれはデートですか、みたいな感じで大変にわくわくしました。今観たものを、二人でじっくり共有できるっていうのは、これは成長したからこそで、うれしいなあ、こういう時間も持てるようになったのだなあと、しみじみ思った。

2回目の休憩では、劇場内の喫茶店で明治座特性という和風サンドイッチなるものを食べました。キュウリ、かまぼこ、海苔、チーズの挟まったサンドイッチで、これがなかなかおいしかった。薄く切ったかまぼこと海苔の組み合わせ、キュウリの歯ごたえ、そこにいい味を出してくるチーズ。家でも作ろう、これ。

第3幕はさすがの見せ場だらけで、愛之助さんもすっかり私が魅了された中村隼人もとにかくかっこよかった。歌舞伎がこんなにかっこいいとは思わなんだ。訓練され、洗練された美というのはすごいですね。胸を打つ。

そんなこんなであっという間の四時間。今回二人で楽しめたのは、詳しい人の講座を聞いて、イヤホンガイドをつけて、観劇したというところがやっぱり大きいと思う。この歳になって、そして母になって改めて、わからないものはわからないと言うとか、詳しい人に教えてもらうとか、当たり前だけどその大切さを改めて知ったような気がする。歌舞伎も里見八犬伝も全然知らないけど、ということを自分でちゃんとわかった上で行ったからこそ楽しめたのかもなあと思う。いや本当に当たり前なのだけれど、「わからない」「知らない」ということを知る、というのは、実は少しの抵抗があるものかもしれないから。

だから全然わからない人向けに、イヤホンガイドなるものを準備してくれたことも、小学生にも観てもらおう、と工夫をしてくれたことも、なんか歌舞伎界ありがとう、と、思った。イヤホンガイドなんて、小学生なんて、邪道だ。と、切り捨てるのではなく、古典芸能の間口を広げようとするのはやっぱり素晴らしいことだと思います。ありがとう歌舞伎界。

というわけで本当にすっかり歌舞伎の魅力にはまって帰ってきました。息子と二人で観られた、というのが本当によかった。かなりオススメです、子供と歌舞伎。そして息子にまた今度一緒にいこーね♡と、言ったところ、「えー、来年くらいね。」と、クールに返されました。来年か・・・

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免許更新という異空間とまさし

こないだ免許更新へ行ってきました。・・・機嫌が切れて半年もたったギリギリのタイミングで。いやほんと生きてく力が著しく欠如していてすみません。

免許がとても切れている

3か月ほど前、オットに、「ねーまいちゃん、この免許とても切れているよ。」と謎の日本語で指摘され、とても切れているとかいう表現がこの世であるわけないじゃないかと思い免許証を見てみたところ、全くもってとても切れていた。期限が。その時点で3か月ばかり。これはもう、とても切れている。

が。しかし。私が苦手な場所ランキングワースト3は、税務署、区役所、銀行、なんですけど、まあつまるところあらゆる事務手続きの生じる場所がことごとく苦手でして、できることならそれらの場所に近づかずに穏便に済ませたいと日々思いながら生活しておりまして、そういった私にとって免許更新センターなんてものは奥様もう。ワースト3に限りなく近い場所に君臨される場所なのである。自慢じゃないけど。いやほんとうに自慢じゃない。

で、生きていく力が著しく欠如している私は(それを人はズボラだと呼ぶのかもしれないがこれは生きていく力の欠如であって本人にはどうしようもできない事象なのである)できるだけ延ばし延ばしにしていた。その恐ろしい場所へ近づく日を。恐ろしい場所っていうのはつまるところ免許更新センターなんですけど。

しかしです。聞くところによると、免許失効後(失効という単語がなんとも自分のダメさ加減を表してくれている)半年以上経つと、何やらもっと面倒な手続きが必要になるらしい。ただただ免許更新センターへ行くのですらこんなに足が重かった私にとって、「何やらもっと面倒な手続き」とかいうものは恐ろしすぎる。「何やらもっと面倒な手続き」が何なのかをググる手間すら面倒くさいからググりはしないがとにかくめんど・・・じゃなくて恐ろしすぎる。

だからとうとう、更新へ行くことにした。5か月と3週間が過ぎた、ある晴れた日に。ものすごく、えらい。

世の中にはいろんな窓口がある

まずもってついて早々、受付がどこかがわからない。みんな並んでるけどそれが何かがわからない。何とかたどり着いた「失効した人」専用窓口のようなところで(世の中にはいろんな専用窓口がある)婦警さんに「なぜ失効してこんなにほったらかしておいたのですか。」というようなことを聞かれる。実際はそんな風には言われていないのですが、なんだか叱られたような気になる。

「大変申し訳ございません住所変更を(面倒で)しておらず、更新のハガキが自宅に届いておりませんでした。よって、期限が切れていることもさっぱり気づいておりませんでした。大変申し訳ございません。」

と申したところ(謝って済むのであればいくらでも謝る。大人だから。)「そうですね、住所変更をしないとハガキは届きませんね。きちんと変更してください。あと面倒だとばかり思うのは大人としてどうかと思いますよ。」と、言われる。(後半部分は言われていないが婦警さんの顔に書かれている)

「大変申し訳ございません以後気をつけます。しかし面倒だと思うのは私に生きていく力が著しく欠如している結果であって如何ともし難く存じます。」と、答える。(後半部分は口にはしていないが顔に書いておいた)

しかし婦警さんというのはおそらく、私のように生きていく力が著しく欠如している人(人はそれをズボラと呼ぶが)にきっとものすごく慣れていらっしゃるわけで、それ以降一切表情を変えず、ではこのまま写真撮影の窓口に進んでください。と、言われる。(世の中には本当にいろんな窓口がある)

その後、これをルーティンと呼ばずしてなんと呼ぶという流れに乗り、身を任せ、あれよあれよという間に、講習の教室に座らされていた。いかんせん私は免許を失効した立場であり、優良者講習ではなかったため(そういえば前までゴールドだったのにゴールドじゃなくなった。)1時間だったか1時間半だったかの講習の教室に座らされたわけですが。

なんというかそれが。ものすごく不思議な空間であった。

そしてまさしへ

ふつう「教室」というのは、何かしらの共通点を持つ人が集まる場である。小学校であれば、だいたいは同じ区域に住み、少なくとも年齢が同じ同級生が集まる。大学であれば、同じ受験を突破した、同じような偏差値の人が集まる。何らかのセミナーであれば、そのセミナーに興味を持つ人が集まる。TOEICの試験会場であれば、多かれ少なかれ英語を必要とする人が集まる。

しかしですね、免許の、しかも優良者でない講習というのは、これはもう本当すごいのです、老若男女問わず、バックグラウンドもおそらく様々で、東京に住んでいる人が大半であるとは思うけれどもとはいえ地域もバラバラで、ただ「車の免許を更新する」という目的のみで集まった人たちなわけです。車の免許なんて、さして珍しいものではないわけで、つまりそれに人を限定するような力はないわけで、そうするとまあ、なんかヤンキーっぽいお兄ちゃんやらきれいなお姉さんやらスーツ着たサラリーマンやら(仕事抜けてきてるのかな)おじいちゃんおばあちゃんやらもうほんといろいろ。この人たちが、教室に座って、前を見て、講義を受けるって、なかなかシュールじゃないか。と、思う。

でもすごいなあと思うのが、それでも別にその場は荒れないわけです。こんなの受けてられっかよ!みたいに怒鳴る人とかいないわけです。いや別に当たり前といえば当たり前ですが、それでもこんな赤の他人が集められて、ちゃんと真面目に講義を聞くってすごいよ、さすが日本。とか思いながら講義を受けているとさっぱり飽きなかった。すごい。

とか思いながら過ごした1時間後、事態は急展開を迎える。

なんと講師のおじいちゃんが「ではここでさだまさしの曲を1曲聞いて終わりにしたいと思います。」と、言い出したのである。えっなぜまさし。と、おそらく多くの人が戸惑ったと思うのですがさすが日本、どよめき一つ起こらない。

そこで私たちは、さだまさしの「償い」という曲を聴かされた。その、誰一人として知り合いがいない、共通項は「免許の更新」というだけの、薄すぎるつながりを持つ他人同士で、ただ、まさしを聴いて、そして、そのまま別れた。

ものすごくドラマチックな一日だったのだけれど、しかしすごいのは、これが毎日毎日毎日、そして何度も何度も何度も繰り返されているということである。あの教室では今日も、多分知らない誰かと誰かが、一緒にさだまさしを聴いているのである。それはちょっとすごい。

そうして手に入れた新しい免許ですが、まあペーパードライバーの私は今回も一度も使うことなく次の更新を迎えると思います。いるのかな、この免許。

※写真はすべてまさしっぽい私というわけではありません

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子連れ尾道の旅ー2017GW

岡山に住むおばあちゃんが米寿を迎え、GWに親戚一同が広島の福山のホテルに集まった。それに合わせて家族で尾道へ遊びに行ったのでその記録。

ノープランすぎる旅

ほぼ思いつきで行くことにしたので、とにかくノープラン。まあいつだってそうなのだけれど、今回はまたひどいまでのノープラン。

駅で散策パンフレットのようなものを手に入れ、地図好きのオットがそれを読み込み、その感覚のみを頼りに方向を定めて歩いて行くという、行きあたりばったりも良いところ。いやいつものことなのだけれど。

尾道についた瞬間、雨が少し降り始めた。この連休はほとんどずっとお天気に恵まれていたので、そうか、雨って降るものだった、と、当たり前のことを思い出す。こうも晴れてばかりだと、雨なんて降らないものだと思い込んでしまうようで、傘も持っておらず、駅前で少し雨宿りしつつ時間を潰す。子供達が代わる代わるトイレ行きたいーと言い出したり、オットがタバコ吸ってくるーと言い出したりするのを待っているだけで、なんだかんだ30分ほど経ち、その頃には雨も上がっていた。

地図を読み込んだオットが、商店街と反対の方を指差し、あっちの山道の方へ行こう。と、言うので、地図が読めない私はもちろん素直に従う。

知らない土地というのは、歩くだけでなんだかワクワクする。それだけで楽しい。そしてその中に、子どもたちがいる風景というのは、妙に心を打つ。尾道というのはほうっておいても旅情があふれる場所だったので、ただ歩く、というだけで、そしてただ歩く子供たちを見ているだけで、おなかいっぱいになるくらいであった。

オットが指差した方角は、これが実際のところとても良かった。階段を上ったり坂道を登ったり。路地を曲がるたび、目に映る景色が変わってどれだけ歩いても飽きない。なかなか、こういう場所はないんじゃないかと思う。地形で魅せることができるってなかなかないな、強いなと思う。

いたるところに猫がいて、子供達は楽しそう。猫を探すのが、歩く楽しみになっていた。動物と子供達っていうのはなんだかすごくかわいい。

一応、メジャーどころが千光寺だというのがオットが持ってきたパンフレットでわかったので、目的地をそこに設定することとする。ここまでの坂道が表情豊かでとても楽しかった。途中、「古民家カフェ」の看板に惹かれて、ふらりと立ち寄る。

高台から、尾道の町と海が見渡せて気持ち良い。畳の部屋でオットと子供達とリラックスしまくってしまい、お茶だけで1時間ばかり過ごしてしまった。

志賀直哉の家があるというので立ち寄る。海を見渡せる高台にあるその建物はまあほんとに気持ち良く、こんなところなら自分たちにも暗夜行路が書けるんじゃないか、という不毛な会話をオットとする。まあ大体私たちの会話は不毛だ。

 

文学のこみち。詩があふれる場所だった。何か詠みたくなる気持ちもわかる。何というか、文学的な気分にさせられる場所なのだここは。ゆっくり本を読んで一日過ごしたくなる。

お寺を巡りつつ、お寺に居座る猫とたわむれつつ、最後にグリコ・パイナップル・チョコレイトのじゃんけんを息子としながら極め付けの階段を登り、千光寺へ。私にとってお寺とは仏像を見るところなので、見るべき仏像がないお寺はまあスルーしてしまう。ということでここの素晴らしさはその景色。登った感があって良い。そのあたり、山形の石寺に似ている。行ったなあ、青春18切符でオットと・・・

階段を登る前、オットと「ビール」の文字を見つけ、これ、帰り道絶対に寄ろう。と、無言で確かめ合ったカフェに寄る。ゲストハウスと一緒になっているようで、外国の本もたくさん。ノルウェイの森の英訳を見つける。時間かけてゆっくり読みたいなあ・・・読めへんけど・・・いつか読みたい。

ここが景色も良くてビールももちろん美味しくて、すごく気持ち良かった。こんなに素敵なカフェなのに空いていてそれも良かった。東京なら1時間待ちとかざらにありそうだ。とにかく景色が気持ち良く綺麗で、あーほんと、ここで一日中本読んで過ごしたい。と思う。私の夢は、本を読む旅に出ることなのであーる。

帰り道、おめあてのラーメン屋さんがものすごい行列だったので、駅近くの食堂でラーメンを食べる。お店のおじちゃんとおばちゃんが、お外に机出してあげるわ!と、即席で席を作ってくれて、お外でラーメン。&瓶ビール。海と船を見ながら、夕方の優しい風に吹かれて、格別に美味しい。

尾道の原風景

尾道はなんというか地形が豊かで、それだけで景観を美しくしているところがある。こういうのは多分、その土地ならではの強みなのだけれど、結構地元の人はその良さに気づいていない、ということが、わりかしよくあるように思う。けれどもそういった土地の美しさというのは、人々の原風景に結びついていたりして、その土地を離れた人や、たまたまそこを訪れた人の心の奥に何かしらの風景の記憶を残す、ということがたびたび起こる。ような気がする。

尾道は、その美しさに、その原風景に、多くの人が気づいた好例なんじゃないかという気がする。というのは実際のところ、私にとっての尾道がそういう場所だったからなのだけれど。

夏休みに父の岡山の実家に帰省した時、叔父さんといとこと、尾道まで出かけたことがあった。まだ私が小学生の頃。きっと今の息子と、そんなに大きくは歳が変わらない頃。

子供にとって尾道が、エンターテインメント溢れたものすごい楽しい場所だった、ということはまずないと思うのだけれど、それでも私にとってその日の記憶は、なんだか心の奥の原風景としてずっと残っている。何か特別なことがあったわけではないのだけれど、あの日尾道にみんなでいったな、おじさんとおばさんが、恋人みたいに仲良しだったな、みたいなうっすらとした記憶が、さらにうっすらとした景色の記憶とともに残っている。そしてその日のことを思い出すと、大人になった今でも、なんだかとてもあたたかい気持ちになる。

なんでもすぐに忘れる私にとって、こういうのは結構めずらしいことかもしれない。

そんな記憶を頼りに「尾道っていいとこだったよなあ。」という思いだけを抱いて、家族でふらりとやってきた、それがことの始まり。そんな旅もいいものだなと思う。

実際のところ、霧雨煙るその日の尾道が、私の記憶する尾道のままだったのか、それとも風景はガラリと変わってしまっていたのか、もはやそれさえわからない。ただやっぱり、ここを訪れて、なんかみんな楽しそうだった、子供たちも笑ってた、猫が可愛かった、路地を曲がるのが楽しかった、そういう記憶は残るのだろうと思う。人をそんな風に穏やかにさせるようなものが、その地形や、高台から見下ろす海を巡る風景に、表れていたような気がする。

決して派手さはないけれど、表情豊かで美しい町。またゆっくり来たいなあ。そして、子供達にも心の奥の方に、ささやかな景色として残ってくれるといいな。

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エルサ(4)の初恋

我が家のよんさい(晴れて誕生日を迎え、アラフォーからよんさいに格上げになった)の脳内は、プリンセスでできている。日々、エルサの特訓に余念がない。(写真は脳内プリンセスになっているミドサーというわけではない。)

たんぽぽぐみのおにいちゃん

この間、急にものすごくしおらしく「あのねまま・・・たんぽぽぐみ(年長クラス)のおにーちゃんがね、むすめちゃん(自分)のこと、すきなんだって・・・♡」と、言ってきた。

きたぞこれはきたぞ青春か!青春なのか!わたしはとうとう、「むすめに恋バナをされる母」というフェーズにまで来たのか!と、ちょっと感動した。やはりこう憧れるものがありますよね、「むすめに恋バナをされる母」。ついでに言うと、これパパには内緒にしとくね♡とかなんとか言いながら、パパにこっそり言う、というのもデフォルトで付いてくる。むすめに恋バナをされる母像というものは。

とうとう来たなあ、私の母レベルもここまで来たなあと思いながら、「あらやだ♡それはむすめちゃん、その男の子に好きって言われたの?告白されちゃった?♡」と、聞くと。

「ううん・・・♡ちがうよ♡」と、くねくねしながらエルサ(4)は答えた。

「じゃあ何、誰かが言ってたの?たんぽぽぐみのなんとか君がむすめちゃんのこと好きだよーとか?」と、聞くと、

「えー♡もうちがうよおおおおお♡」と、うねうねしながらエルサ(4)は答えた。もちろんH&Mで買ったエルサのつけ三つ編みをつけながら。

四歳というのは、語彙量も増え、言い間違いも減り始め、コミュニケーションが非常に取りやすくなる年齢ではあるが、そうはいっても四歳。たまに、いやまあ結構な頻度で、会話がかみ合わない。という現象が発生する。

そうかやはり「むすめに恋バナをされる母」フェーズに達するにはもう少しコミュニケーション能力を高めねばならぬか・・・と、思いながら、「えーっとじゃあむすめちゃんはその男の子になんて言われたのかな?」と、聞いたところ。

ものすごーーーーーーーく小さな声でエルサ(4)はささやいた。

「あのね、むすめちゃんのおなまえをよんでね、むすめちゃんばいばいっていってくれたの・・・♡」

斬新である。

つまりこのエルサ(4)は、自分の名前を呼んでばいばいと手を振ってくれる男の子イコール自分のことが好きなのだという認識を持っている。すごすぎる。しかもこのエルサ(4)は続けてこう言う。

「だからね、むすめちゃんもそのおにいちゃんのことすきになっちゃった・・・♡」

衝撃である。

この目の前のエルサ(4)は、自分の名前を呼んでばいばいと手を振ってくれる男の子イコール自分のことが好きなのだという認識を持ち、同時に、自分のことを好きになってくれる男の子のことはもれなく好きになってしまうのだ。さすが。さすが氷の女王である。

恋のキオク

それ以降、私はエルサ(4)に、しきりに、れんらっちょー(連絡帳)にあのおにいちゃんのおなまえはなんですかってかいて!せんせーにきいて!と、せがまれる。自分で聞けや。と、思いながらもエルサ(4)に甘いお母さんはことの顛末を全て記した上でれんらっちょーに書いた。むすめに手を振ってくれたたんぽぽ組のおにいちゃんのお名前はわかりますでしょうか・・・。と。わかるわけがない。

子育てをしていると、自分がこどもの頃に楽しかったことを、もう一度繰り返しているような気がして、得したような気分になることがある。サンタさんを待つワクワクした気持ち、初めてお友達ができた時の気持ち。

そして、きっと初恋の気持ちなんかも子どもたちを通して思い出したりなんかしちゃって楽しくなっちゃったりなんか絶対にするんだろうなー♡と、思っていた。

しかし現実はそうは簡単にいくものではなく、脳内プリンセスのむすめのぶっとんだ恋愛観と対峙することも避けられない。まあ自分の過去の恋を思い出してみてもそんなこう懐かしくてキャハキャハ言えるようなものばかりではないよな、とか遠い目になってしまうことも避けられない。

ただ、うっとりしながらなまえもわからないおにいちゃんのお話をしてくれるその姿は、やはりまぁ、恋するオトメそのものなのである。これを初恋と呼ばずしてなんと呼ぶ。すごいぞ、よんさい。がんばれ、よんさい。

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