ランニングに必要なたった一つのもの

 

 

 

またブログっぽいタイトルを書いてしまった。

走ってます、まだ。信じられないことに。

1月のハワイで走り始めた2017年もなんと11月。何をしても続かない私が。まだ。走っています。アンビリーバボー。

特に9月に会社を辞めてから、通勤というものがなくなったため、そして時間が有り余るほどあるため、平日はほぼ走っている。アンビリーバボー。そして10月、月の走行距離の目標を160キロにしたのだけれど、そうするとあまりに急激に走る距離が増えたせいか、後半足首を痛め、元駅伝選手の友達に「しばらく走るの休みなさい」と言われて走れなくなり、あえなく142キロで終えてしまった。こういう、「故障した経験」含め、もはやアスリートと呼んでもらいたい。ちなみにタイムはすこぶる遅い。

前に書いたこの記事を読みながら、むふむふかわいいやつめ・・・と、思っている怪しいのが私です。かわいいもんだ、こんなの。

10月半ばに、初めてクオーターマラソンというものに出場した。そう、とうとうレースにも出たのだ。もう、これはアスリートと呼んでもらいたい。ちなみにタイムはすこぶる遅い。

基本的に「一人でできる」スポーツであることと、ボールなどの道具を使わないスポーツであることが、ランニングが続く一番の理由でありたぶん私はそれ以外のスポーツは絶対にできないわけだけれど、だからして基本的にランニングなんて私の中で自己満足の世界なのだけれど、それだというのにレースに出たということはつまり、「何かに勝ちたい」という気持ちが湧いてきているということです。

そして「何か」というのはつまり、「過去の自分のタイム」です。もはやアスリートと呼んでもらいたい。

なんとなく、身体にも良いだろうと思って走り始めたわけだけれども、走るとどうしても、「もっと速く」「もっと長く」走りたくなってくる。私にはそういう、タイムを気にする、とか、なんともスポーツっぽい思考とは無縁だと思っていたのだけれど、10キロを60分をなんとか切りたい、というところから始まり、10キロ55分でなんとか、とさらに目標を高め、達成した今度は調子が良ければなんとか50分で・・・!と、思っているのが今日の私。(今の自分的にはかなり厳しいけど。)そして1年後くらいにはフルマラソンに挑戦したい・・と、心のどこかで思ってしまっているのが今の私。

でもやっぱりそういうちょっとした目標があると走っていてメリハリが出てくる。そして、結局そういう、速く走りたいとか、長く走りたいと思うようになると、もうちょっと姿勢良く走ろうとか、普段から筋トレして体幹鍛えておこうとか、足に変なストレスをかけないようにしようとか、色々気を配るようになる。もはやアスリートと呼んでもらいたい。ちなみにタイムはすこぶる遅い。

タイムを速めるために必要だったものそれは。

で。

私がもはやアスリートとして目標なんてものをいっちょまえに持ち始めた時、このタイムを速くする、という目標を達成するために一番役に立ったものは何か。それは、体力でもなく気力でもなく筋力でもなく。

アップルウォッチである。

もう。これは。走る人は今すぐに買ったほうがいい。

10キロ60分がどうしても切れなくて、なぜにこんなに遅いかなと思ってiPhoneのnikeアプリでラップタイムを見ていたところ、6〜7キロあたりでタイムがすこぶる落ちていた。

それを元駅伝選手の友達(勝手にコーチと呼んでいる)に見せたところ、これはしんどいわ。1キロ目をもっと落としていいから、ラップタイム安定させてみて。と、言われ、その足で銀座にアップルウォッチを買いに行った。ほんとにその足で。いつかほしーなーと、思っていたけれど、ランニングのタイムを伸ばすためという理由ができたならそれは今だ。今すぐだ。もはやアスリートと呼んでもらいたい。

ラップタイムを計るためならもちろん別にApple Watchでなくてもいいんやけど、洋服に合わせてもかわいいというところが確保されるならそれはもう私にとって迷うところは一切ない。Apple Watch一択。

いちいちポケットからiPhoneを出さなくても、腕を見ればすぐ、その時点でのタイムがわかる。その時点でのスピードを、キロあたりで計算して表示してくれる。ついでに言うと、そのまま帰りにコンビニでApple Watchをぴっとかざせば、デカビタCも買って帰れる。なぜかここのところデカビタCがやたらおいしい。アスリートだ。

目標のタイムをちょっとでも下回ると、その時点ですぐにちょっとスピードを立て直せる。細かくタイムを確認して調整することで、結局10キロ続けてタイムが安定して、あっという間に目標のタイムで走れるようになった。

そして、かーーーーなーーーーりーーーーー疲れづらくなった。いや、しんどいものはしんどいのだけれど、少なくともこの記事を書いた時みたいに、世の中全てにだんだん腹が立ってくるくらいしんどくてしんどくて死にそうだ、というレベルではなくなった。6〜7キロあたりでバテることもなくなった。

それまでは、走り始めの1キロ時点でのタイムが一番速くて、どんどん遅くなってくる、という感じだったのだけれど、それだと1〜2キロ時点がほんっっっとにしんどくてもうその時点で世界が敵になる。

けれど、1キロ目はとにかくタイムを抑えて、1キロあたりのスピードを、目標よりも5〜10秒くらい抑えて走る。で、だんだん、タイムを速めて行って、5〜6キロあたりからは目標より少し速めのタイムをを維持、最後9キロからさらに速めて走る、みたいな感じだと少なくとも1〜2キロ時点で世界を敵に回すことはなくなる。たぶん。

とにかく私は、最初に飛ばしすぎないことと、ラップタイムを安定させることで10キロを走るのがものすごく楽になった。いや、しんどいけど。しんどいものはしんどいんやけど。

で、調子に乗ってこないだ20キロを走ってみたら、これがもうしんどいのなんのってもうまた世界が敵になった。やはり10キロと20キロは違う。人生は甘くない。

しばらくは、ハーフマラソンを安定したラップタイムで走れるようになるべくまた練習したい所存です。ほんと、もはやアスリートと呼んでもらいたい。

確定申告はこわいけど。

これからの教育について考えた(ちょっとだけ)

自分たちがしてきた受験勉強や受験はもう意味がなくなる

東京にいると中学受験が当たり前のような風潮があって(地元では中学受験する人はクラスで一人いるかいないか、くらいだったけれど)、そういう中で「より良い教育を」的なことも自然に考えがちなのだけれど、でも今回、こちらのお仕事に関わって改めて思ったことが、「より良い教育」って一体なんなんだ、と。

それは、進学校へ行って、東大へ進むことなのかな、と。改めて考えさせられた。

2020年には入試そのものの制度ががっつり変わるそうです。大きなところでは、マークシートではなくて、記述式が導入される。

つまり、「より良い教育」のゴールが東大に入ることだと仮定したとしても、自分たちがやってきた受験勉強ではまず東大に入ることもできない。東大に入るための勉強すら、私たちのやってきた受験とは変わってくる。

さらに言えば、これだけ変化が激しい時代、人間が担う仕事の本質が変わってきている時代、東大に入ることが「より良い教育」のゴールなのかもわからない。(もちろんもちろん東大は素晴らしい大学だし私は入れなかったというかいやもちろん受けてもいないけれども。)

子どもたちの人生は子どもたちのものなので、私が「こういう学校へ行っておいた方がいいよ。」と言うことはもちろんできないけれど、それにしたって自分たちがしてきたことが正しいと考えるのはまずやめよう、と固く心に誓った。

どんな学校を、どんな生き方を選ぶのか。どんな仕事を選ぶのか。それを選ぶのはもちろん子どもたち自身なのだけれど、「自分で選ぶ力」をきちんとつけてあげたいなと思う。その時にきちんと「自分で考える力」も持っていてほしい。

教育とは何か、学校って誰のためのものか

とか色々、我が子の教育について考えながら原稿をまとめていたのだけれど、こちらの荒井先生のお話をまとめながら、なんかちょっとハッとさせられた。

でも今日本にいろんな難しさがあるんだとすると、やっぱり偏差値50以下の教育をどうするか、というのが大切になってくると思います。

自分の子どもたちが、どういう教育を受けるのか、どういう学校へ行くのか、それを考えることはもちろん大事というか、当たり前のことなのだけれど、それだけじゃなくて、そもそも教育って、等しくみんなが受けられるべきものであって、そしてこれだけ子どもが減ってくる中で、いわゆるエリートと呼ばれる子どもたちだけじゃない、そうじゃない子どもたちの教育をどうしていくのかって、もっと真剣に、考えていくべきことなんじゃないかなと思った。(ちなみにもちろんうちの子は全くエリートではないけれど。ランドセル忘れるし。)

それこそ、自分の子どもが進む道なんて、親の私たちはある程度のお金を出すことくらいしかできなくて、あとはまあ頑張って勉強してね、お母さんたちがしてきたような勉強じゃないけどね、と言うことくらいしかない。

だけど、例えば十分なお金をもらって十分な教育を受ける、ということができない子どもたちの教育をどうしていくのか、そういうことこそ、大人たちが知恵をだしあっていっぱい考えていかなきゃいけないんじゃないかな、と思う。

東北の被災地の高校もまさにみんなそうです。あそこだって、みんな決して偏差値は高くない。だけど、彼ら、彼女らがすごく頑張ることで、地域は本当に復興に向けて進んでいるわけです

私が生まれ育った町の地元の高校だって、決して偏差値は高くない。でも、そうなんだよね、みんなが頑張ることで、地域がすごく活性化する。それを私は、地元に帰るたびに思い知る。

大人が考えなきゃいけないことは山のようにあるけれど、その中でも子どもたちの教育って、ものすごく重要で、そして面白いことだと思う。

私もまだまだいろんなことをしていきたい。子どもたちが社会に出るころ、負けてはいられないもんね。

それは誰のための仕事なのか

そしてまたここでも、私がいつも肝に銘じなきゃいけないなと思っている、「その仕事が誰のためのものなのか」「お客さんは誰なのか」という視点が出てくる。

明確に言うと、我々の顧客は、生徒ではないと僕は思っています。生徒ではなくて、やはり母親だろうと思っています

正確な数字はお伝えできませんが、例えば札幌では母子家庭というのは全体の8パーセントといわれています

それでもお母さんたちは、非常に低い年収の中で、なんとか子どもたちを高校に進学させて、卒業させたいと、そんな思いで一生懸命頑張っているわけです。

ここで何度も書いた気がするけれど、自分の仕事にとっての「お客さん」は誰なのか、と言うのを、私たちは本当につい忘れそうになる。ご参考→(むすめがインフルエンザになって会社を休んだ話(つまり今)

この時の「お客さん」というのはお金を出してくれる人ということじゃなくて、その仕事を誰のためにしているのか、この仕事の先にいる人は誰なのか、という相手になる人。(もちろん、どうやってお金を出してもらうのか、というのは別軸でしっかり考えなければならないことだけれど。)

保育園の先生なら、園長先生とか親とか地域の偉い人、とかじゃなくて、まずは目の前の子どもたちが向き合う相手だし、例えば広告の仕事でいうと、お金を出してくれるのはクライアントだけれど、メッセージを伝えるのは消費者(生活者)なので、まずはそちらをよく見て、その人たちの気持ちをよくよく考えて仕事をしなくちゃいけない。

でもつい、お金を出してくれる人とか、目の前で自分を評価する人(上司や取引先のえらいひと)とか、目に見える利害関係のある人のことだけを見て仕事をしがちになる。

だけど違うんよねそれは。そこを見誤ると、長い目で見た時に結局、その目の前の人達の利益すら奪っていってしまうことになる。

広告の仕事で、お金を出してくれるクライアントの言うことを全てイエスで返していたら、結局クライアントが最終的に向き合うお客さんの気持ちに全く沿わないメッセージが出来上がって、最終的にはクライアントの不利益になるかもしれない。

サラリーマンが目の前の上司の機嫌ばっかりうかがっていたら・・その結果はもう想像に難くない。(難くないのにこれをたぶん80%くらいのサラリーマンがしてしまう。)そしていつかその会社は、全体的なパフォーマンスが落ちてしまう。

それでも、つい、忘れてしまうのだ、誰のために仕事をしているのかというとても基本的なことを。

その点、荒井先生の話されたことは素晴らしいなと思った。顧客は母親だ、と、はっきりいえること。そしてその先に、明確な理由と信念があること。そして「覚悟」があること。

つい忘れてしまうからこそ、これくらいはっきりと、自分の仕事が誰のためにあるのかを、常に頭においておきたいなと思う。

だけどここまではっきりと言えるのはやっぱり、荒井先生がこの根幹を、身をもってしっかり感じていらっしゃったからなのだろうなと思う。

僕が災害復興の現場で感じたのは、学校というのはものすごく大事なところで、子どもが目の前にいるということは、実は地域にとってすごく重要なことなんだということです。

サラリーマンでなくなると、「それが誰のための仕事なのか」というのは、サラリーマンの時よりは見えやすくなったような気がするのだけれど、(それだけでもたぶん私にはサラリーマンでない働き方の方が合ってるのだと思う、確定申告ほんとこわいけど)でも大切なことを、改めて意識しようと思う、冬の始まりです。あと、確定申告ほんとやだ、と思う、冬の始まりです。ほんとやだ。

家事やってる自分めっちゃえらい、と認めてあげよう。

オットの激務月間(というか数ヶ月)

夫の激務が続いている。たぶん10月いっぱいのはずだけれども、結局その案件が11月まで延びたのかどうかを聞くひますらないくらいに家にいない。たぶん生きてはいる。

大人なので自分の健康管理は自分でしていただきますが、それにしても今回ばかりはほんとにだいじょーぶかなこの人、と思うことの連続であった。趣味:仕事、とはいえ、ほんともうよくそこまで働くな・・・と。

そしてこういう時期(に限らずいつもですが)まあもちろん家のこととか子ども周りのあれこれは一人でやっているわけですが。

子どもたちが寝てから、キッチンで一人、お鍋の地味な焦げ付きをゴシゴシしながら考えた。

こういう時つい、「なんで私だけ家事やってるんだ・・・」とか「家のこと全部やってるんだ・・」と、考えがちだけれど、そのもやもやの根元って、この家事ひとつひとつを「大事なもの」として認めてあげていない、自分自身の気持ちにあるのではなかろうか、と。

たとえば仕事で、これは君が得意なところだからまかせるよ!と、任された大きな仕事をしているとき、そしてその仕事にやりがいを感じて楽しいときは、なんで自分ばっかり。。。とは、思わないはず。

一方で、この仕事必要なのかなと感じながら、いやいや進める仕事は愚痴も多くなりがちになるかもしれない。

職業に貴賎はないので(と、すずかんさんもおっしゃっているので→文科省が考える21世紀を生き抜く人を育む教育改革とは?)(←やった仕事をこっそり入れ込む)結局その仕事にやりがいを持てるかどうかって、自分の心持ち次第だと思うわけです。

と、いうことは。

家事だって育児だって、まず最初に、やっている自分が、「これは非常に尊い仕事であるぞよ。」と、認めてあげることが大事なんじゃないか、と。

心のどこかで「こんな仕事」と思っちゃっていると、それを頑張る自分を認めてあげられないことになってしまう。一番大事なのは自分の気持ちだから、まずは自分が「こんな仕事」と思わないところから始めねば、と、思った次第です。

「こんな仕事」って自分で思わない

家事は毎日毎日のルーティンだし、なんというかある意味100%でないと達成感が得られなかったりするし(掃除機かけても洗濯物がぐちゃぐちゃだったりするとなんとなくやりきった感を感じづらい)、もちろん誰かにものすごく感謝されるわけでもない。お給料も出ない。だからつい、その仕事を低く見積もりがちになる。

けど、仕事だって、感謝されるためにしているわけじゃないんよね。「ありがとう」の言葉がなくたって、自分がしている仕事が、見えないところで誰かを助けていることって山ほどある。それでいい、そういうものだ、そう思って好きな仕事をしていると思う。

それに比べれば家事って、それをしないと困る人がいるというのがすごくわかりやすい。(だからプレッシャーなわけですが。)こんなにダイレクトな仕事を日々やっている私たちってちょうえらい。まじですごい。天才。

もちろん、心穏やかに過ごすため、家事を100%自分の手でやる必要なんて全然なくて、お惣菜に頼る日があってもパルシステムの三日分のお料理セットならびに冷凍マグロ丼に助けられまくっても(ほんとに助けられまくっている)別に掃除を外注しちゃっても全然良いと思う。そういう工夫はいくらでもして良いと思う。

ただその前に、その工夫よりも前に、まず自分で、「毎日の素晴らしいお仕事(家事)をしている自分、おつかれ、ちょうえらい。」と、認めてあげたいな、と思う。そうじゃなきゃ、まじめな主婦のみなさんは「手抜きしちゃって・・」と、責めることにもなりかねない。(私はまじめな主婦では全くないけれど)

地味なお鍋の焦げ付きを夜な夜なとってる私はちょうえらい。洗濯物がしばらく溜まってたとしても他のことやってる私はめっちゃえらい。

と、いうことを、みんな認めてあげましょう。というか認めて。というかほんと頑張ってる私。というか、オットの次の休みはいつなんだろう。と、いう独り言です。

(なんせ私は今、パルシステムから届いたものをトランクルームから出して冷蔵庫と冷凍庫に食材を入れることすらめんどくさくて現実逃避をしている)

(でもえらい)

・・・と、ここまで書いて記事を終わりにしようと思い、トランクルームにパルシステムを取りに行ったら、なんと私が頼んでいたのは翌週のパルシステムであり、今週はケースの中が空っぽであった。衝撃。そんな私のレベルの低すぎる家事でもやってる自分めっちゃえらい。と認めてあげよう、というお話です。(ひどい)

 

「編集」の仕事ってなんだろう。

「編集」に向いてる人と、「ライター」に向いてる人

こないだ尊敬するフリーの編集者の方と話していて、「ライター」に向いてる人と、「編集」に向いてる人はふたてに別れる、という話になった。その方曰く、「自分はやっぱり『編集者』で、もちろんそれなりに文章も書けるけれどもでも、信頼してるライターさんの書く文章には、私には書けない何かが絶対にあるの。一方で、そのライターさんは編集には全然向かない。それは私の方が向いているとおもう。」と。

ムシちゃんはどっちが向いてるとおもう?と、聞かれてどっちも好きだからわからぬ。と、答えたわけですが。(わからぬのか。)でも今はまだほんとにどちらも好きだな、というのが正直な気持ち。これから色々変わってくるのかもしれないけれど。

「書く」仕事、つまり、ライティングのお仕事というのは、比較的イメージがつきやすい。「ライター」という肩書きも一般的で、有名なライターさんも、個人的に好きなライターさんも、何人も思い浮かぶ。

でも、「編集者」というと、とたんにイメージがつきづらくなる。この編集者さんが編集したものが大好き!と、いう記事などはあまりなかなか思い浮かばない。つまり「縁の下の力持ち」なのだろうと思うのだけれど。

会社を辞めるにあたり、「何をするの?」と、聞かれて、「なんかいろいろ。書いたり編集したり!」と、またざっくりなことを答えていると、「編集って何するの?」と、よく聞かれた。ほんとだよ何するんだよ、と、自分でも思っていた。(思っていたのか。)

ただ、前職でウェブサイトを運営することになって、ライターさんと取材に行き、上がってきた原稿を見て、見出しをつけかえたりわかりやすく整えたり、という作業がとにかく楽しかった。地味ではあるのだけれど、少し言い回しを変えただけで、文章が生きてくる感じがする、その瞬間がすごく好きだ。向いてるのかどうなのかはわからない、でも自分はこういう文章に向き合う仕事をやっぱりずっとしていきたいなと思った。

そして、「編集」の仕事が必要とされる場面って、結構あるんじゃないか、と、なんとなく思った。それは従来の「編集」とはもしかしたら違うのかもしれないのだけれど、たとえばいわゆる「記事」だけじゃなくても、必要になる場所って結構あるんじゃないかなと思う。こういう仕事!と、はっきり言えない仕事こそ、可能性がたくさん広がる仕事のような、気もする。気もするだけだけれど。

でも、誰かの文章や、誰かの言葉を「編集」するとき、それはともすればもちろん、悪い意味での「編集」にだってなりうる。「歪曲」になることがある。もちろんそれはものすごく気を遣っていたところで、難しいところでもあるわけだけれど。

そんな中で、フリーになって初めての、「編集」のお仕事をしながらめちゃくちゃ思うところがあったのでメモしておきます。

フリーになって初めての編集のお仕事

リクルートマーケティングパートナーズさんの「Manabi Mirai Meeting」という講演会があって、それをウェブサイトに収載する、というお仕事をしました。

面白いなあと思ったのが、当日の講演を基本的にすべて動画でも公開するので、文章でも全文を掲載したい、と依頼されたこと。

よくある採録というのはもちろん、(もともと新聞社の仕事をしていて紙面に限りがあったからかもしれないけれど)重要なところとかキャッチーな部分を切り出して、短くまとめるというのがまあほとんどだと思います。だから、ここ使いたいけど紙面の関係上やっぱり削らなきゃな、とか、色々と優先順位をつけなきゃいけなかったわけです。

だけど、今回はそうじゃなくて、全文載せることが大前提としてある。

動画も文章も両方見る人はそんなにいないかなという仮説はあるけれど、それでも同じサイトに載る以上、あまり大幅に編集されていると混乱させてしまう。

とはいえ、文字起こしされた原稿をそのまま読むと、なんというか、直接映像で見るよりもちょっと嫌味な感じがしてしまったりとか、文字になるとその人の持つ雰囲気とえらく違う感じになっているなと思う部分が多かったり、もちろん話し言葉すぎてわかりづらかったり、というのがかなりたくさんあった。

なので、元の書き起こされたものからあまりにも大幅に変えることはせず、でも読む人がそれなりにストレスなく読めて、そして話し手の持つ空気感をあまり損なわないように、ということを意識して、編集をしてみました。(わかりづらい部分は多々あるかもしれないし文章の合う合わないはあるかもしれないけれども心がけとして。)

今まで編集って、削ってなんぼ、と思っている部分があったけれど、こうしてウェブになると制限がなくなるわけで、そうすると全文えいやって載せるのはもしかしたらこれから増えてくるのかもなあと思ったりした。

編集をしながら、ここは伝えたいなあ、ここに気づきがあるといいなあ、ということはすごく思うのだけれど、でも実際「ここが大事だ」とか「あーなるほどそういうことか。」と感じるのは、それは読み手の人やもんね。どう受け取るのかは、読む人が決める。だから、大事な部分だって読む人がピックアップする。

短い文章での表現が増える中での「読みたい欲」

そして改めて読み返してみて、なんせ45分くらいある講演をほぼ全文載せているのでものすごい量なのだけれど、でも読んでみると意外とあっという間に読めちゃえるもんだな、というのも結構新鮮な気づきでした。いやもちろん、講演自体がもんのすごく面白かったからなのだけれど。

twitterもインスタも短い文章やキャプションで表現する時代ではありますが、私は個人的に最近すごく「読みたい欲」のようなものがあって、ウェブでも、なんだか長い文章をがっつり読みたいなあとかなり思う。ウェブで長い文章を読むのにも慣れてきたからかもしれないけれども。(ビジネス書とかならきっとタブレットで読めるな。いやビジネス書読まへんけど。そのうち小説もタブレット読むようになる気がしている)

そしてこれ私だけじゃなくて、ウェブで長い文章を読むことに、意外とみんなあまりストレスを感じなくなってきているんじゃないか、とか思ったりしています。(ないですかね「読みたい欲」・・・)

そんな中で、その長い文章を、「ストレスなく」読める工夫をするのも、それも編集の仕事なのかもしれない、と思う今日この頃です。文章を整える、見出しをつける、段落を考えるといったことだけでなく、それはもしかするといわゆるUIとかUXとかも含まれてくるのかもしれない。(なんでも自分でやる、という時代ではないなと思っているので、できるチームを作っておく、とかも必要なのかもしれない。)まだまだできることがたくさんあるのかもしれない、と思います。

そんなわけで以下リンクは、長いけれど面白くて結構あっという間に読めてしまう記事かと思いますのでぜひ!藤原先生のお話はほんとに明快でおもしろい。(全然むずかしくないです。)特に数年後に中学受験、高校受験を控える子どもを持つお母さんたちに読んでもらえると嬉しいです。

Manabi Mirai Meeting 2017 【基調講演】藤原 和博 氏 現在の高校生は、どんな未来を生きるのか? ~今後の未来の社会、生き方、働き方、そしてそれに向けた学び方 特別レポート

 

 

子育てしながらサラリーマンをする時に工夫できること

タイトルがブログっぽい。(なにそれ。)

仕事と子ども関連あれこれの両立のもやもや

フリーランスになってから初めて、いや、というか息子が小学校に入学してから初めて、台風で小学校の登校時間が遅くなった。

なるほど小学生ともなるとこういうことがあるのだ。(雨の日も風の日も雪の日も台風の日も朝からあけてくれる保育園のすごさときたら・・・)

こちらは自宅作業のフリーランス(というか失業中)という身軽な身分のため、前日に「明日の登校時間が遅くなります」と学校から連絡が入った時点ですでに、「ひゃっほい明日の朝ゆっくり寝ていられる♡」とかノーテンキに思っていたわけですが、これたった一ヶ月前のサラリーマンだった自分なら、「はいどうする仕事どうする朝から入ってるアポどうするいやどっちにしたってそのアポも台風でどうなるかわからんよなそもそもちゃんと出社できるかな。息子一人置いて出社するのも心配やしなさーどうするどうする」と、焦っていたに違いない。

もちろん台風じゃなくても、子どもがインフルエンザになったとか、学校行事があるとか、子どもをめぐるあれこれというのは、サラリーマンとの両立に置いてとてもとても高い壁として立ちはだかる。(ように見える。実際はそんなことないんやけど。)

現実問題自分の抱えている仕事とどう折り合いをつけるのか、周りの人たちにどう協力を仰ぐのか・・とか色々悩むというか、「もやもや」としてしまうところ、はやっぱりある。というか正直「子育てをしながら働く」時に日々最も戦うのは、この「もやもや」のような気がする。

人は他人の家庭の事情などまっっっっっっったく知らなくて当然

そういう時、私が一つだけ心がけていたことは、とにかくこの子ども周りのどんな細かいこともチームの人たちとすべて共有する、ということ。

「子どもが37.9℃の熱があって自宅で見なければいけないので休みます」「保育参観があるので午後から出社します」「給食の試食会(!)があるので12:00〜14:00まで抜けます」「子どもの定期検診があるので午後休みます」「台風で風が強いので登校に付き添います、10時には出社します」「マンションの管理人から電話があって鍵を忘れたって泣いてるのでちょっと一旦戻ってその後出社します(←まじであった。)」などなど。

「なぜ休むのか」「学校・園のどういう行事があるのか」というのを、あほかというくらい勝手に細かくチームに共有していた。

なぜならば!人は!他人の家庭の事情などまっっっっっっっったく知らなくて当然だからであーる。

「保育園は37.5℃以上の熱があると預かってくれない」というのは、保育園に子どもを預けている人にとっては当たり前すぎる事実だけれど、そうじゃない人にとっては「知らんがな」のことである。本当に、全くもって、そんな事実を人は知らない。

何なら、「働いている間は保育園に預けるものである」という事実も知らない人は結構いる。「未就学児は幼稚園へ行くもの」と思っている人は(子育て世代の男性でも)大勢いる。多分、大企業であればあるほど、奥さんが専業主婦という家庭が多いので、さらにたくさんいる。「午後子どもが幼稚園から帰ってきた後はどうしてるの?」と、聞かれたことが何度も何度もある。

そしてそれは、まっっっっっったく持って悪気があってのことではない。何度も言うけれど、人は、他人の家庭の事情などまっっっっっったく知らなくて当然だからであーる。人は、自分の歩んで来た道のことしか基本的にはよく知らない。それは、自分だって全く同じこと。

例えば介護を経験していない人にとって、介護って具体的にどういうことをするのかというのは実際のところほとんど何もわからない。特別養護老人ホームと有料老人ホームとサービス付き高齢者向け住宅の違いを、子育て中の私たち世代はほぼ知らない。(ついこないだまで仕事でそういうクライアントを担当していたため私は覚えたのだけれどそれまではさっっっっっっっぱり知らなかった)

だからどんなに細かいこともとにかく勝手に共有する

知らなくて当然で、だからそれがどれくらい大変なのかとか、あるいは実はそんなに大変じゃないよね、結構色々融通きくね、なのかとか、そういうことは、まずは「具体的に何があるのか」を共有しないと見えてこない。

特に直近のチームは私以外全員男性で、仕事内容は同じだけれども環境は基本的に全く違う(そして当たり前だけれども環境自体は私だけじゃなくて誰も彼も違う。)、という状況だったので、とにかくどんなことも、チーム全員にメールして共有してきた。

「また小学校行かなきゃいけないんですけどもー小学生ありえないんですけど!!!」(いやその頃あまりにも小学校の行事が多すぎてですねすみません。)と、ぶつぶつぐちぐち言いながら、「たいへんだなー!がんばれよー!」とか言われながら、なんというかもう勝手に周りを巻き込むようなイメージでやってきた。

もちろん「そんなに仕事抜けてばっかり・・・」と、良くない思いを抱く人も、いたかもしれない。でもそれは、私にはわからない。わからないし、そう捉える人がいたとしても、私にはどうすることもできない。

私にできるのは、事実をそのまま伝えて、それでもその中でやりくりをして、自分なりにできることは工夫して、日々仕事をすることだけだ。

私は、子育てをしながら、もしかすると介護をしながら、あるいは自分の病気を抱えながら、そうしてできる範囲で仕事をしていくことはごく自然なことだと思うし、それでいいと思っているし、だからできることをするまでだ、と思っている。私に他人の気持ちをどうこうできないように、私のこの考えは私のものなので他人にどう思われたとしても変えられるものではない。

そして私がそういう考えで仕事をするからには、とにかく何から何までこちらの事情を全部おおっぴらにして(なんならアウトルックに小学校行事も全部入れて)オープン!な感じでやっていくしかないのだ、と、思った。

この日は小学校にこの時間からこの時間まで行かなきゃいけなくて、多分その間は電話もメールもできません。だから午前中にここまでやっときます。終わり次第メールチェックするので何かあればメールしといてください!ということをとにかく全部共有しておく。

もしくは、この日は飲み会でパパがお迎え行ってくれるのでなんと残業ができます!遠慮なく仕事振ってくれてOKですカモン!とか。(たまの残業って最高。←社畜)

「そういうもんなのか」と、知ってもらうことがとにかく大事だなと思いながら、やってきた。

そしてその「事情」はいつか自分にも降りかかるかもしれない

そしてここで大切なのは、今自分にとって全く未知の事情が、ある日突然自分ごとになるということだってもちろんあり得る、ということ。

チームのメンバーが全員男性でも、奥さんが全員専業主婦でも、それでも何らかの事情でパパが積極的に子どもの行事に参加しなければならなくなることだって十分にあり得る。そうか昔、奥さんはこんなにしょっちゅう行事をこなしてたのか・・・と、思うことももしかしたらあるかもしれない。

そしてチームのメンバーが、またいつか子育て中の女性と一緒に仕事をする時に、その「事情」を少しは知っているというのは、「あの時ムシ(←わたし)もやいのやいの言ってたなあ。そんなもんだなあ」と思ってくれるとしたら、それはその時、お互いにとってマイナスにはならないなあ、と思う。ここまで考えるのはおせっかいですけれども。

そんなわけでサラリーマンのみなさまはプライベートを思いっきりオープンにしてみてはどうでしょうというご提案でした!(雑!)

 

神宮とスワローズとこの夏の話

基本的にスポーツ観戦というものには一切興味がなかった、去年まで

広告営業をやっていた頃、まず最初に教わったのは、お客さんの前で「政治と宗教と野球の話はタブー」と、いうことだった。

この三つはまあアンタッチャブルで、センシティブで、人を熱狂させ、対立を呼び、時に戦争をも巻き起すものだから。そんなものをビジネスに持ち込んでもろくなことにはならない、という話。

と、いうことを言われても、私には特定の支持政党はないし、一貫して無宗教だし、野球に至ってはピッチャーとキャッチャーが敵なのか味方なのかすらわからない。なのでそんな心配は無用です、もち合わせるネタが何もありません。とまあ特に何の問題もなかったわけだけれど。

そう、こと野球に関しては、どちらかというと私はずっと興味がないどころか結構嫌いだった。子どもの頃は、野球中継が延長するせいで見たいテレビ番組がいつまでたっても始まらないのが嫌だった。そもそも、私は基本的にスポーツ観戦というものに興味がない。野球にしろサッカーにしろ、特定のチームを応援するなんてダサいと思っている。自分以外の人に勝負を任せ、一喜一憂するなんて、ナンセンスだ。戦うのは常に自分でありたい。

と、つい去年というか今年の6月くらいまでずっと思っていた私の現在が。

これ。

人は何歳になっても、新しい趣味ができる、というか、人の信念なんてあっという間に変わる、という事例がこちら。

ただ、神宮で飲むビールは美味しい

スポーツ観戦音痴の私と違って、オットは昔から種別問わずスポーツを観るのが好きで、息子が生まれてからは息子も一緒に色々と観戦に行っていた。野球も行けばサッカーもラグビーも、バレーとかテニスとかも行っていた。で、私もたまに連れて行かれるわけですが、いかんせんルールが全くわからないので、ひたすら隣でビールを飲んでいた。でも、特に球場で飲むビールは最高に美味しかった。そしてドームや千葉マリンも行ったけれど、神宮のビールは格別だった。

かくして、野球を観たいオットと、ビールを飲みたい私のニーズが一致し、ちょくちょく球場へ足を運んだのが去年の夏。

神宮のビールはこんなに美味しいのだから、まあファンクラブ会員とかに入って気軽に居酒屋神宮へ足を運べるようにしようか、とファンクラブに入会したのが今年の春先。

そして、夏。

家族で一番、私がはしゃいでいる。そして、あれほどナンセンスだわと思っていた、特定のチームの勝敗に(それなりに)一喜一憂している。家でも毎日スマホアプリをチェックしている。何してるんだ私は。

スワローズは、弱い。弱いけど。

もう20年くらい、村上春樹の小説とエッセイを読み続けているため、スワローズがなんとまあ弱い、ということはなんとなく知っていた。目標は5位、と村上春樹も言っていた。(5位という順位が全体の中でどれくらいなのかは知らなかったけれど。)だからって、それにしても、弱い。弱すぎる。こんなに負けるもんですか?と、昔からのスワローズファンの先輩に聞いたところ、いくらなんでも今年は負けすぎる。と、言っていた。

だからと言って、勝つチームを応援すればいいという問題でもない。私はつい先日まで某新聞社に10年以上勤務していたため、ライバル紙であるところの某新聞社が率いる某ジャイアンツを応援することは、宗教上の理由でありえないことであった。無宗教やけど。だからまあ、東京に住んでいて、神宮のビール目当てで野球を見始めた私にとって、スワローズばかり観るようになるのはとても自然なことだったのだけれど、それにしても、弱い。

「人生、負けることに慣れることは大事」と村上春樹も言っていたけれど、それにしても、弱い。まあ、弱い。

でもちょっと、人生が豊かになる

それでも、こんなに弱いチームでも、応援することで、私はまあほんとうに、楽しい夏を過ごすことができた。ちょっと大げさだけれど、人生が少し豊かになったような気がしている。

家族みんなで何かを応援する、家族みんなで共通の好きなものを持つ、という楽しさも知った。私たち夫婦は、基本的にバラバラの性格で、共通の趣味もなく、特定の支持政党がないとはいえ毎度選挙では投票する人は合わないし、見たいテレビもバラバラだ。それで特に不便を感じたこともなかったし、居心地が悪かったこともないけれど、それでも改めて共通の好きなものを持つと、それはそれでやっぱりすごく楽しい。みんなで同じ話を共有出来る、一緒に応援できる、というのは良いものだ。

家族だけじゃなくて、友人や同僚と観戦する楽しさも知った。忘れもしない7月26日の中日戦、その日私は大好きな会社の先輩たちと、私の家族と、一緒に神宮にいた。正式に発表にはなっていなかったけれど、居合わせた人たちにはもう会社を辞めることを話していて、少しずつ、寂しいなという気持ちが増えてきた時期。

野球の行方に、自分の人生を重ねるのはそれはまたそれでナンセンスだ。と、去年までの私は思っていたのだけれど、あの日、10-0で負けていたところから、ぐんぐんと同点に追いつき、最後に延長で逆転した時のこと、その瞬間、先輩と子供たちとオットとハイタッチしたこと。そして、それをどこかで俯瞰しながら、これから人生が変わってゆく、それでも、この人たちと過ごした時間は永久に不滅です、と、どこかの巨人軍みたいなことを思ったこと。それは私の中で何らかの感触を持って、「感覚」としてしっかり刻み込まれる。これはきっと、忘れることはないのだろうと思う。

人生は自分だけの思い通りにはならないけれど、でも。

そして、あれだけ私が嫌いだった、「自分以外の誰かや何かの勝負に一喜一憂する」ことが、すごく楽しい。人生は、思い通りになんてならない。どれだけ願っても、そしてどれだけ努力したとしても、それでも報われないこと、思い通りにいかないことが山のようにある。どうしても勝ちたい勝負で、負けることが必ずある。ドラマなら、映画なら、ここで必ず勝つのに、というところで、負けるのが、それが現実だ。

そんな当たり前のことを、今さら、野球から、スワローズから、学んだ気がする。そして自分以外の誰かに(しかもあほみたいに弱いチームに)勝負を託した時に、勝った時の喜びも。自分以外の誰かが、喜んでいるのを見て、心底嬉しいと思う気持ちも。

私はとうとう、つば九郎のブログを読んで泣く、というレベルにまできている。でもこれ、ほんとに泣ける。何度読んでも泣ける。ひらがななのに。

31→77えみふる。

ものっすごく弱いスワローズを、今年から好きになったけど、でも好きになってよかったと思う。(恋か。)負けても負けても、それでもなんかいつも、ちょっと心動かされたし、今シーズン最後の試合は、もう言葉通りの消化試合で、それでもあんなに勝ってほしいと思った試合はなくて、それでも勝てなくて、それなのになんか色々感動した試合も初めてだった。

それなりにいろんな経験をしてきて、結構いろんなことを知ってきたつもりでいたけど、なんというか、まだまだ知らないことは山のようにあるのだな、と思った。球場で飲むビールがこんなに美味しいことも、スポーツのドラマがこんなに胸を打つことも。

あまり他人に心乱されたくはない。さみしとか悲しいとか、そういった想いは、正直自分の身の回りだけで十分だ。だからあまり、家族以外の人や、仕事以外の物事に、振り回されたくはない。そう今でも思っている。だけど、自分の手の届かないところで起こる何かが、自分の心を揺さぶることがすごくある。自分が読む小説ではない。観る映画ではない。ただ誰かが必死に目の前のボールを追うドラマに、振り回されてみるのも、そんなに悪いことじゃない。

と、ここまでわかった風なことを書いてきましたが、なんで私がこんなにスワローズスワローズ言うことになっているかというとひとえに以下のリンクを見ていただきたい、単に根こそぎ持ってかれてるだけです、イケメンに。

#女子のハートを根こそぎグッチ

はーかっこい。つばみになりたい。

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宮古島旅行2017夏の記憶その4 ビーチ編 来間ビーチ

宮古島のえらひ人、ぜひ。

もう10年くらい宮古宮古と言い続け、たぶん20組近く、人数にすればともすれば100人くらい(いいすぎ)は宮古に人を送り込んだ気がしておりまして、そろそろあれ、宮古島親善大使的な何かのオファーが来ないかと思ってるんですけどぜんぜん来ません。宮古島のえらい人、ぜひ。(なにが)

まあ私の好きな場所というのはだいたい全部宮古島のお友達に教えてもらったものなので、別に私が何をしたわけでもないのですが。うん。でもまあとりあえずあれ、宮古島のえらい人、ぜひ。そうこうしている今も友達から宮古にいるんやけどなんかおいしいお店教えて。と連絡が。ほら。宮古島のえらい人、ぜひ。

さてビーチ編。皆さんはビーチに何を求めますか。ビーチ編第一弾の「渡口の浜」で「子どもと一緒になってからは穴場的な人の少ないビーチに行くのがとにかくこわくなった」といったようなことを書きましたが、もともとはゆったりした人少なめビーチが好きだったわたしにとって、今も昔もかわらずとても好きなビーチ、それが来間ビーチです。

ずっと変わらず好きなビーチ

来間大橋を渡り来間島に入ってすぐにあるこのビーチ。東急に泊まっていれば一瞬でつきます。西里あたりの街中からも車で20分もあればつくんじゃないかな。とても行きやすい場所にある。

ロケーションは前浜ビーチの向かいなので、海は前浜ビーチと同じくらいきれい。砂浜も同じく、前浜ビーチのように白い砂浜ですごくきれい。その砂浜が前浜ビーチのようにずっと続くわけじゃないけれど、逆に言えば子どもが目の届く範囲に常にいてくれるので安心。(※このへん、のところが来間ビーチ。えらくざっくりだなおい。)

ちなみに全然関係ないけれど、この芸術的な地図に書き込んだ「皆愛屋」という宮古そば屋さんは衝撃的に美味しいのでおすすめです。色々なおそばやさんがあるから宮古滞在中は一日一回は宮古そば食べてる気がするけど、だんとつでここがおいしいと思う。おそばの上にゆし豆腐がのっていて、そのコンビが信じられないくらいおいしい。オットはここで、そば×お豆腐のおいしさを覚え、家でもやたらとあらゆる麺にお豆腐を入れようとするようになってしまった。いやでもほんと、それくらいおいしいです。子連れでもぜんぜんいけます、ぜひ。

あと、「ここもgood」の長間浜もなかなか良いビーチですが、ここは場合によってはかなり波が高くて(まさに今回いってみたのだけれど波が高くてビーチでちょっとだけ遊んで退散)子どもと行くにはあまり向かないかも。でもすごくきれいなビーチです。ニモもいる。

閑話休題。

この来間ビーチは、前浜ビーチ(特に東急前)ほど混雑していない。だいたい一組か二組いるかいないか、という感じ。下手すれば貸切です。でも、ほんの近くに人の気配はあって(そもそも漁港のビーチなのであたりには誰かしらいる。)子どもといても不安にならない。基本的に波が穏やかで(少なくとも私がいったときに荒れていた記憶はない。)子どもたちとも遊びやすい。そして何より、ここに流れる空気感がすごく好きです。

ものすごく喧騒から離れた場所にあるわけでもなく、ほどよく人気(ひとけ)があって、それでも静かでゆったりしていて、ただ波間にぷかぷか揺蕩うだけでなんか全部がまあいいかーと思えてくる。その空気が、すごく好きだ。

簡易テントと、本と、うずまきパンと、ポーク玉子おにぎりと、できればビールがあれば、私はここで一日中過ごせる。子どもがいても、一人でも、大人と一緒でも、同じように時間がすぎていく。

そう、私がこのビーチのいいなと思うところは、一人で来た時も、オットと来た時も、お友達と来た時も、子どもたちを連れてきたときも、変わらずいつも好きだな、と思えるところ。大人だけでも子どもたちがいても、ここはすごくいい場所だな、と思える。

それは私がどんな「立場」であれ、つまり学生であれサラリーマンであれ恋人であれ友達であれ妻であれ母であれ、どんな私でも変わらずそう思える。それはなんだかすごく、良い場所だ、と思う。どんな立場であれ、いや私は私だよな、と、その当たり前のことをここでまた知る。

ほんの少しずつ、変化してきたことと、変わらないビーチと。

世の中はカフェブーム(たぶん)で、それはもっと言えば私が初めて宮古島にきた10年以上前からそうで、その頃から宮古にはたくさんカフェができてきてた。来間島はそのさきがけのようなイメージがわたしの中で勝手にあるのだけれど、とにかく10年以上前の時点で、今もちゃんと続いているカフェが、来間島にはいくつかあった。

いかんせん教習所に免許を取りに来ている分際のわたしには交通手段がなく、来間島のカフェにいきたーーーーーいとのたまうだけだったわけですが(結局行ったんやっけ全然おぼえてない)まあ私も大人になり、あのときとった免許で車も運転できるように・・・は、ならず(ならんのかい)美しきペーパードライバーですが、まあ運転できるオットや友達には恵まれ(ありがとうございますふかぶか)宮古へいけばまあ好きな場所にいけるようにはなった。

でも結局わたしは毎年宮古へきて、ここのカフェはおさえておこう!というおしゃれな場所を求めるわけではなく、あのとき行けなかった場所に喜び勇んで行くわけじゃなく、そうじゃなくて、ただいつもと同じようにビーチへいって、同じようにゆっくり過ごして、それでああ今年もなんか、わたしは同じだな、と思って帰って行く。いつも、わたしがこの島ですることは、こうしてビーチにねっころがって、本を読むことだ。それは12年間ずっと変わらない。

それでもそういう「毎年」を繰り返しながら、少しずつ、ほんの少しずつ、変化してきたのかもしれない。

ほんの少しずつ、この島のひとたちのように生きる術を、身につけてきたのかもしれない。

それはわたしが12年前、この島で知ったこと、そして12年間で得てきた一番大きなものだ。

その間なにもかわらず、ほんとに一つもかわらず、来間島のこの小さなビーチは、ここにあり続けてくれた。なにもかもがかわってゆく世の中で、そっと「おかえり」と言うように。人生でこういう場所をみつけたことは、わたしにとってとてもしあわせだったことの一つだと思う。

だから何が言いたいかというと、宮古島のえらい人、お早めに宮古島親善大使にお声がけください。よろしくお願いします。

↓宮古島のえらい人、ご連絡はこちらから。

宮古島旅行2017夏の記憶その3 東急ホテルはすってき

やっぱり東急だね。というあれ。(なに)

後半のホテルは愛する東急ホテルへ移動。個人的には、なんだかんだこのホテルが一番好きです。こどもを連れて家族で行くならやっぱりここが一番だ、と思う。施設もホテルの人たちの程よく心地よいサービスも。そして、目の前が前浜ビーチだ、という唯一無二のロケーションはやっぱり素晴らしい。ホテルに一日こもれる。(ホテルに一日こもるのがとにかく好きなのだわたしは。)

例えば海外のリゾートに比べたら、その規模とか豪華さとか、そういうのはささやかに感じるかもしれない。ものすごく洗練されたリゾート、というわけではない。(朝食もアラマンダの方がおいしい。笑。)でも、そういうのもひっくるめて、すごくあたたかい感じがする、このホテルは。「宮古島らしいリゾートホテル」だと感じる。すごく好きです、私は。

子どもたちとも、オットとも、友達とも、夏も冬も何度か来たけれど、いつ来ても、誰と来ても、それぞれ楽しめる。大人でも子どもでも楽しめるところ、っていいな、と思う。大人のリゾートももちろんステキだけれど、大人だけで楽しんで来ていたところに子どもたちと一緒に来られる、というのはなんだかうれしい。

今回は台風が近づいていて、4日間のうち、なんと3日は遊泳禁止であった・・おまいが。でも子どもたちは散々プールで遊べて楽しそう。なんだかんだ子どもたちは、波があってしょっぱい海より、プールの方が好きなのだ。あんなきっれいな海を目の前にしてもそうなのだ。そういうもんだ、うむ。

東急のプールはそんなにめちゃくちゃ広くはないけれど、リゾート気分は十分味わえます。基本的に、私はこれくらいのプールに朝から晩までいても全く飽きない。子どもたちも全く飽きない。プール最高夏最高日焼け上等シミ怖い。(いやほんとちゃんと日焼け対策しますはい・・・)

ここは子どもの浮き輪もアームリングも無料で借りられるので、チェックアウトの日に荷物を全部まとめてしまっても(持参の浮き輪とかをスーツケースにしまいこんでも)思う存分遊べるのがうれしい。

そして夏休み期間は、毎日15時くらいからキッズイベントがあって、宝探しとか、水てっぽう射的とか、毎日日替わりのお楽しみがあって、子どもたちはこれもめっちゃ楽しそうでした。お菓子とおもちゃの景品が、なかなかツボをついていて、しかも毎日結構たんまりもらえて、ありがとう東急。という感じであった。

前浜ビーチに何度来ても、思っていた以上にきれいでびっくりする

もう何度も来ているので、いつも頭の中に「これくらいきれいだった」という記憶はちゃんと残っている。「ほんとうにきれいだよな前浜ビーチは」と、思いながら行くのだけれど、いつも、自分の頭の中で想像していたよりももっときれいでびっくりする。なんというか、何度言ってもあのきれい度に慣れない。私の中での「きれいな海」の認識レベルを軽く超えているのだなあのビーチは。

そして私の知っている中で唯一、監視員の人がちゃんといるビーチ。白浜がずーーーーーーーーっと続くきれいなビーチなので、東急前からもずーっと続いているわけですが、東急前は一応プライベートビーチになっていて、パラソルもチェアも宿泊者は無料で使えます。リゾート気分。私はこれさえあればもう十分です。いつまでもいられる。

しかしまあうちの子たちは、初めての海が宮古島だったので、もう海といえば宮古の海、みたいに思っている節がある。海といえば灰色だと思っていた私の子供時代を返して欲しい。誰にかわからんけど。ぜいたく者だ。でもこの「ぜいたく」は、自然が作り出しているものだ、というのが、宮古島のすごいところだなあと思う。

もちろん私たちは飛行機代を払って、リゾートホテルに泊まるならそれなりのお金を払って、宮古島へ行くわけだけれど、そこにある「海」自体は誰かがお金を払って作った場所でも、お金を払って楽しむ場所でもない。そこに、当たり前にある、自然なのだ。そしてそこには、海と共に暮らす人たちの生活がある。それが、すごいな、といつも思う。そしてそうして当たり前にある自然には、ちゃんと敬意を払わなきゃいけないんだよな、と思う。そして当たり前のものを「守る」ことには、お金も労力も使うべきなのかもしれない。

東急はなんだかそっとそういう自然の一部を貸し出してくれるような、どうぞ、と言ってくれるような、穏やかなあたたかさがあるように思う。そういう存在であって欲しいな、という思いも込めて。

観光と暮らし、の両立って実はそれなりに難しいのかもしれないけれど、でも、私は観光へ行く身としていつまでも宮古に「ただいま」と言って行きたいし、そして、宮古でお金を使いたいと思う。そのお金が、宮古の「当たり前のもの」を「守る」、小さな糧になることを願って。

そんなことを頭のすみっこで思いながら、私はまた今年も宮古の海で、大好きな東急で、ぼーーーーっとしていたのです。

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宮古島旅行2017夏の記憶その2 ビーチ編 渡口の浜

世界一きれいだと思われる宮古の海。

島というものがとにかく好きで、いろんなところへ行ったけれど、海は宮古島がいちばんきれいだ、と思う。ハワイもバリもランカウイもサムイも大好きだけれど、そしてタヒチは海もリゾートも最高だったけれど、海のきれいさで言えば宮古がいちばんだ。

そして宮古島のすばらしいところは、そんなに大きな島ではないのに、ビーチによってその表情がくるくる変わるところ。

THE リゾートな感じが味わえちゃうビーチも、穴場的なところも、こどもと一緒に遊べるところも、マリンレジャーが楽しめるところも(やったことないけど。)、シュノーケリングが楽しいところも、ダイビングができるところも。ゆったり過ごすのも、アクティブに過ごすのも、いろんな楽しみ方ができる。

わたしは基本的にどこにいたってゆったり(というかだらだら)過ごすのが好きなので(なんなら日々だらだら過ごすのが好きなので。。)、冬の宮古島というのもそれはそれですごく好きで、冬の(けっこう肌寒い。)ビーチで一人で二時間も三時間も本を読んで過ごす、というのも好きです。そして夜は泡盛を飲む(そればっか)。

こどもたちが楽しめるビーチ

ここ数年は宮古にはこどもたちと訪れているので、とにかくこどもたちが楽しんでくれるビーチ、へ行っている。でもそれも、こどもたちの成長に合わせて少しずつ変化してきた。それでもその変化をまるっと受け入れてくれるこの宮古の自然。最高です。

毎回行くのは、伊良部島の渡口の浜。
伊良部島は、数年前まで船でしか渡れなかったのだけれど、とうとう(ほんとにとうとう)伊良部大橋が完成して、車で渡れるようになった。美しい海にかかる伊良部大橋を車でびゅいんと渡るというのは、ご想像の通り最高に気持ちいわけですが、「美しい海をバックに車でびゅいんと渡る」ことはおそらくほとんどすべての人にとってほんのわずかな想像力で「気持ちいいにちがいない」とわかるため、ここのところはなんというか若いパーテーピープルたちでけっこうあふれている。といってもそんな大した混雑ではまったくないのだけれど。まあ、自然はみんなのものだ。大人も子供も若者もパーテーピープルもみんなのものだ。節度を持ってあいしていきたい、海を。(話が壮大になってきた)

そういったわけで橋にはパーテーピープルも溢れているが、渡口の浜はそんなに混雑していない。いやちょっと前に比べたらそりゃもう人も増えたけれど。まあ東京の人出に比べたらどこだって空いている、宮古島は。いつもそう思う。

ここは風がある日は少し波が高いのでよく見る必要があるけれど(そのときは無理せず波打ち際や砂浜で遊ぶこと、が大切かと。)なんせ最近は人もそれなりにいるから、子連れでもいけるビーチかと思います。いや、昔は、人がほとんどいない穴場的なビーチ、とかすごく好きだったけれど、子供がいると、誰もいないビーチにはほんといけなくなる。ものっっすごくこわくなる。守るべきものができるというのは、こわがりになるということだ。でも、こわがりになることを恐れちゃいけない、と、よく思う。

日よけになるものは何もないので、簡易テントのようなものがあると何かと安心。お魚がいる系のビーチではないけれど、砂浜もきれいで海の中も基本きれいでサラサラの砂なので、遊びやすいと思います。

毎年少しずつの成長を見るために

まあでもここに毎年行くのは、なんだかんんだ「毎年行っている中で見えるこどもたちの成長が見たい」からなのかもしれない。

最初は海に入ることもできなくて砂浜にずっといたのに翌年は海に入れた、泣かなかった、今年はちょっと泳げた、などなど。

旅へいくと、こどもたちの小さな成長の積み重ねが、すごくくっきりと見える。日常でもほんとうはあるのだろうけれど、なんども行ける場所じゃないからなおさら、より濃く、こどもたちの成長が見えてくる。

それはこどもたちと旅をするようになって初めて知ったことだな。新しい楽しみです。それは。

宮古島では、それをこんなきれいな海をバックに目の当たりにすることができる。最高だ。ごきげんな島です。

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宮古島旅行2017夏の記憶その1 アラマンダなんだ

今年の夏もまた宮古島へ。(1か月半前やけど)

ドタバタの最中に行った今年の宮古島。もう一ヶ月半が過ぎましたが、今年の宮古は大切なのでキオクをキロク。

宮古島という島に出会って早12年。毎年毎年、下手すれば年に2回訪れ、子どもたちですら、自分の年齢と同じがそれ以上の回数、訪れている計算になる。

去年行った宮古の記憶はこちら。基本的にこの島は何も変わらない。

2016宮古島の記憶

いつも一人で行っていた島だけれど、もしかしたらもう、こうして子どもたちと行った回数の方が多かったりするのかもしれない。もう何回行ったか数えてないからわからないけれども。

宮古島に何度も帰りながら(現地の友達はいつも、宮古へ行くと「おかえり」と言ってくれる。)私も私の周りを囲む環境も、大きく変化してきた。そして今年また、私は大きな変化を、迎えようとしています。

それでも宮古島はいつも変わらず、12年間変わらず、(そりゃあ新しいお店ができたり、古いお店がなくなったりはしているけれど)、くるくると変化し続けた私を、受け入れてくれた。そしてその度に、あー私は結局は、何も変わっていないのだな、と、思わされる。そう今年、私は多分12年前に感じた予感のようなものを、12年間かけてようやく、行動に移そうとしているから。

台風5号と9号が近づいていた7月末。今年は那覇でのトランジットは数分のみにして(いつもは1泊したり時間を長くしてDFSに寄るのだけれど・・・)とにかく早く宮古に降り立ちたい、と、なんかそんな気持ちで宮古へ向かった。

毎度この時期のオットは顔を合わせる暇がないくらいに激務であり、夏休みというものがさっぱりとれないため、もう一人で子どもたち二人を連れて飛行機に乗るのにもすっかり慣れた。そして下のむすめが3歳を過ぎたあたりから、飛行機に乗るのが格段と楽になった。

ここ数年は、同じく激務のオットを持つ友人たちと一緒に、宮古で過ごすことが定番になっている。もはや友人も、その子どもたちも家族みたいなもんなので、子どもたちは誰彼構わず叱られている。もう5年くらいずっと、そんな旅が続いている。

南の島に降りた瞬間のモワッとした空気が、なんだかとても好きだ。それはアジアの島々でもハワイでも感じるのだけれど、宮古島も例外ではない。そしてほんとうに、「あー帰ってきたな」と、思う。ただいま、と、思う。私たちをゆるくあたたかく迎え入れてくれてありがとう、と。

アラマンダはやっぱりすごいンダ(笑うところ。)

いつも宿は二つを移動する。一つはコンドミニアムや一軒家のような、過ごすように滞在できる宿。一つはいわゆるリゾートホテル。

ただし今年は一緒に行くみんな、仕事だ進学だでたいそう疲れておりまして(疲れてなかった?)今年は贅沢にホテル2か所泊まろうぜよ、ということになった。それくらいしたってバチは当たらぬ結構日々がんばっているおつかれ!

そういったわけで、一つめの宿はアラマンダ。まあもう文句なしの、リゾートです。宮古島の友人曰く、ものすごいお金持ちが、ちょう高級家具屋さんを気に入ってブランドごと買ったのちに、今度は宮古島がいたく気に入って土地ごとごそっと買って作ったリゾート。との話。ものすごいお金持ちとはすなわちユニマットのかの有名な社長さんですが、だがしかし、私はこの5年以上前の記事がすごく好きです。(ところで私は宮古毎日新聞の仕事がしたい。)

http://www.miyakomainichi.com/2011/01/12457/

排他的な島という土地において、しのごの言わず、ある意味空気をあまり読まず(たぶん)、とにかく信念というか好きなものに向かっていく姿勢というのはやっぱりものすごいものがあるなと思う。

とにかく朝食がおいしい。

そんなわけで、ユニマット帝国における(現時点での)最高リゾートアラマンダ。ここの素晴らしさは、何をさておき。朝食。です。いやほんと、美味しいのよ朝食。。。

私はホテルにおいてそんなに朝食って重視しないのだけれども。コンビニで買ったうずまきパン(宮古島名物)で良いと思ってしまう人なのだけれども。だいたい毎晩毎晩飲んでいるため朝はたいがい二日酔いで、そんな優雅に朝食を食べるテンションではまず、ない。

それでも、そんな私でも、アラマンダにおいて何を差し置いても思い浮かべてしまうものそれが朝食。ありがとう朝食。でも写真はない。なぜなら二日酔いだから。

どれもこれも美味しいのだけれど、和食の、小皿に入った大したことなさそうなやつ(失礼)がほんとに美味しいので行った人は是非食べてみてほしい。紅芋をあげたやつとか、ウコンの沢庵とか。なんか地味なんですがひたすらおいしい。是非。

氷も部屋まで持ってきてくれる。(そこ。)

あとここのホテルのすごいところは、夜中にコンシェルジュに電話したら氷を部屋まで持ってきてくれるところ。製氷機まで取りに行かなくていいんです持ってきてくれるんですすごくないですかこれ。いや高級ホテルなら当たり前なのかもしれないけれどもそんなもの泊まり慣れていない私としてはいつも感動してしまう。これで泡盛のさんぴん茶割がお部屋で飲み放題。おいしいです泡盛さんぴん茶割。

と、細かいところばかり拾いますが、チェックインのロビーも、お部屋の広さも(これはほんとにすばらしい。子どもだらけの私たちにはほんとにありがたい。子どもが寝た後別の部屋で飲めますし・・・飲むことばっかやけど。)プールのリゾート感も、どれもこれもやはりすばらしい、と思います。ただ一つマイナスポイントがあるとすれば、このホテルのプライベートプールとなっているシギラビーチは、個人的にはなんとなく人工的な感じがしてしまってあまり行く機会がない、というところ。

ですが、ホテルも人も何もかも完璧はありえない、(でも自分にとっての完璧なホテル、というのはあるけれど。)というわけで、今年もアラマンダ、最高でした。お騒がせしてすみません、ありがとうアラマンダ。

あ、あと、亀がいる。生まれ変わったらアラマンダの亀に・・・は、特になりたくないけれど・・・

初めて宮古へ行った12年前、私は驚くほどお金のない学生で、アラマンダなんてまあ遠い遠い世界だったわけで、それでもこつこつ仕事を続けていたら年に1回くらい、こられるようには、なった。(なんとか。)

またここへ戻ってこられるよう、日々がんばっていこーう、と、思える、モチベーションになる系ホテル、です。アラマンダ。アラマンダなんだ。ありがとう。

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