春物スイッチと、こだわりのバランス

予想通り、届いた春物第一弾が最高にかわいくて、予想通り、あれこれ欲しくなる、春。

nowos というブランドがとにかくかわいいという話。

nowos というブランドがとにかくどれもこれもかわいくて、久々にわくわくしております。あれもこれも着られるわけではないし、洋服を選ぶという時間も限られているから、だんだんお洋服を買うブランドというのは限られてくるのだけれど、それでもたまに(というか定期的に)これはかわいい!と、いうブランドに出会えるととてもうれしい。洋服が好きでよかったーと、思う瞬間。

と、いうわけで、これに合う色々が欲しくなる今日この頃です。予想はしていたけれども→(春物第一弾と、誰かの「無駄」に寛容であること。)やっぱり一つ買うと勢いがつく。つきますね。はい。

このブランド、なんせおしゃれ欲・・・というか女子力がいちいち低下していた自分がお店に向かわず通販すべく問い合わせしたわけですが、すぐに丁寧なメールを返信してくれて、結果とても良い気持ちでお買い物ができた。

店舗でなくても、顧客満足(自分で顧客とか言ってますけど)を上げてくことはできるのかもしれない、と思った出来事でした。大事だよね、体験っていうのは。

そしてこのカーディガンを着て、ふらっと寄ったロンハーマンで見つけたパープルのスカートがものすごくかわいくて、あれよあれよという間に春物第二弾・・・。あれれ・・・。あと、HYKEのプリーツスカートもスエットパンツもかわいかった。HYKEは毎シーズンのカラーがすごくかわいいなあと個人的に思う。今年はベージュがかわいい。まあ私は万年ベージュが好きなんですけども。。。

好きなブランドが限られていくということについて。

それにしても、「好きなものが限られていく」というのは、洋服に限らず最近顕著な気がするなあ、と、思う。

若い時は、と言っても10代とか20代前半は、洋服にしたっていろんなブランドのいろんなアイテムが気になった。学校が休みのたびにお気に入りのお店を何件も巡っては、あれこれ見て楽しんだ。だけど、歳を重ねるにつれ、お気に入りのブランドはある程度限られてきたなあと思う。

例えばシーズン始めに必ず見るな、というブランドは、私の場合2つとか3つくらいに限られる。前はもっと色々と見て回った気がするのだけれど、なんかまあ体力も気力も無くなってきたかもしれないのですが・・笑

でもそれだけじゃなくて、やっぱりなんというのだろう、時間には限りがあって、物事には限界があるということを、つくづく知ってきたからなのかもしれない。

髪を切る日の自由について

例えば、数ヶ月前に髪を切った時のこと。

普段の私ときたら美容院に行くのは半年に一回ペースというありえない状態だったわけですが、私がそのペースを崩すときそれはつまり急に「短くしたい!」と、思ったときです。

髪というのは切りたいと思いついてしまったらもう最後、もういてもたってもいられないくらい切りたくなるものなのですそれはもう昔から決まっていることなので仕方ない。

しかし、切りたい!と、思い立った日に担当の美容師さんがお休みだとな。がびーん。

でも、その時の私は安心できた担当さんにお願いすることよりも、とにかく今切りたい気持ち、が勝ちまして、担当お任せで予約を取りました。大丈夫かなーという不安を抱えたまま、美容院へ。せめて今まで切ってもらっていた人と同じく女性で、くらいは希望を伝えればよかったかなーとか思いながら。

ところが再び新しく紹介してもらったのは、おそらく私と同い年くらいの男性。

なんせこの美容院に通い始めた頃、スタイリストの美容師さんというのは田舎から出てきたばかりの私よりもずいぶん年上で、アシスタントの人たちだって私よりも年上か一番若くて同い年、とかだったわけです。

それがもう美容師さんが同い年になるとは。。。美容師さんというのは歳上だ、と思い込んでいた私としてはちょっと不安。。。とか思いつつ、切り始めてもらうことに。

ところがですね。その美容師さんもまた、こちらの意図をものすごく読んでくれて、大変満足いく感じに仕上げてくれました。いつもその美容院に行く時、こういう感じで、という写真とかは持っていかないわけです、私。なぜならめんどくさいから(出た)。

で、切りたいんですーとか、色をちょっと抑えたいんですー。とか、パーマかけまーすとか、多分もうすぐ赤子が生まれてきそうな気配なんでしばらくこられませーん楽な感じでお願いしまーすとか、もうざっくりなのもいいところなくらいざっくりなオーダーをする。

でもそれでこの10年間、あ、そうそうこんな感じ、という仕上がりにしてもらってきた。そして、今回は担当の方を指名せずお任せしてみたけれど、嫌な思いはまったくしなかった。そして私は、あ、いいな、この感じは。と、思ったのです。なんかすごく、気が楽になった。なんでかなーと、考えてみたのですが。

もし私が、担当していただいた美容師さんに絶対にお願いしたい、というこだわりを持っていたら、どうしてもこの日に切りたい!と、思った日に切ることができなかったわけです。髪というのは切りたいと思った時が切りどきなのに。(誰が言ったかは知らんけど)

こだわりのバランス

結局こだわりというのは見方を変えれば何かに縛られるということ。人生において「自由であること」をかなり上位の重要事項として掲げている私としては、やっぱり何かに縛られるという状態は心地よいものではないのだと思います。それは髪を切る日、一つにしても。

だから私の中では、美容師さんに関しては柔軟に考えて大丈夫だなと。縛られる必要はそんなにはないなと。私の場合、そこまでこだわりすぎることはない。

一方でこだわりのない人生は味気ない。尊敬するダライ・ラマは、何のこだわりも持つことがないよう、そこから生まれる不自由さに振り回されないよう、そのために家族を持たないといったわけだけれども、私は家族という縛りや子育てというある種の不自由さは、そこから生まれる新しいものの見方や世界があると思うからもちろん否定しない。私にはそれはすごく大切なもの。

そして、こだわること、の楽しさももちろんあって、私の場合はやっぱり洋服が多分それなりに、いや結構、好きらしいので、ここはそれなりにこだわったり色々探したり考えたりする。譲れないもの。時間とお金をかけたいもの。

他にもたとえば、本と漫画なら本が好き。とか、本と映画なら本が好き。とか。もちろんこれはあくまでも、自分の場合だけれど、好きなものや、時間をかけたいものの優先順位がある。

そしてこだわりの中でも、多分範囲はある程度狭められていく。人生の何もかもにこだわっていては時間も気持ちの余裕的にも足りない。若ければいいけれど、家族がいて仕事もしていてという状態では、何もかも、というわけにはいかない。だから、自分なりのこだわりのバランスを見極めることが大切なのかなーと、思ったりした。結局譲れないものがどこにあるか。人生と時間には限りがあるから。

それがきっと年々ある程度、絞られてきたのだろうなあ。それはもしかすると、心地よく人生を過ごすための、小さなヒントになるのかもしれない、と、思う。そしてそのバランスを見極めていくことは、結構楽しいことなのかもなあとか、思う、春の始まり。今年の春夏も、こだわったり自由でいたり、楽しんでゆきたいな、と、思うのです。

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ランカウイ旅行記2016(!)ーホテル編

思うところあり、今年はできるだけたくさん文章を書いていこうと思っているわけですが、書こうと思っては挫折した文章が結構残っておりましてですね。。。

みなさん知っていますか。私がランカウイに行っていたことを。ええ、去年の3月のことですけどね。。約1年前・・・

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1年前の旅行記を何食わぬ顔で書こうという結構な暴挙

その時の旅行記の続きを書こうと思っていたのだけれど、途中で止まっておりまして、記事は「下書き」にぽつねんと取り残されたままでありまして、それを今更取り出して何食わぬ顔で続きを書こうというのが今回の趣旨です。なんてやつだ。そんなこと仕事でやったら殺される。しかしこれは私のブログなので何食わぬ顔で続けます。ただ、覚えておいていただきたいのはこれが約1年前の出来事であることです。

村上春樹は旅行記を書くコツを、「とにかく何でも詳細にメモを取ることだ。人は驚くほど忘れていく生き物だから」的なことをどこかで言っていたのですが(例にもれずうろ覚えですもちろん。)子連れ旅になってからほんと記録的なことをする余裕がさっぱりなくてどんどん忘れてゆくわけですもう。だから書けない、ほんともう。

いや、まあ、子連れ旅になってからとか言ってますけどまあそうなる前から病的に忘れっぽい性格であることはわかっていますはいすみません。

そんなわけでランカウイ旅行のことなんてほんと記憶の欠片くらいしか残っていないのですが、その欠片だけでもどうにか残しておこうと思います、もう1年近く前の旅行ですけどはい。

旅行記を書くといった割にはホテルからほぼ1歩も出ていないという事実

そんなわけで相変わらずものすごく田舎で何もなかったランカウイ。やることがないので毎日毎日ホテルから出ずにプールでだらだらと過ごした。1年前ですけど。

泊まったホテルはこちら。タンジュンルー。

ホテルにも人が少なくて、プールに行けばだいたいみんな顔見知り、みたいな状態になっていてなんかもう最高に居心地がよかった。ああ今すぐ戻りたい。なんせお盆開けてから微妙に仕事が忙しい。(と、これは半年前に書いていた。そしてその微妙な忙しさは結局年末まで続くということをその時の私は知らない。)

アジアの島の人たちっていうのは本当に無条件に子供を可愛がってくれるので、娘と息子のことをすぐに覚えてくれて、名前で呼んでくれて、子供達もそれがとっても嬉しかったみたいで、何をするにも「サンキュー!」「ユアウェルカム!」といいいまくっていた。

そのおかげで、3歳のむすめは今もランカウイのことを「さんきゅーゆあうぇるかむのとこ」と呼びます。かわいい。(親バカ)

こんな引きこもりにとって素晴らしい制度だったのが、人生で初めて体験したオールインクルーシブ。

お酒は対象外なのですが、それ以外のフードやドリンクは全て飲み放題食べ放題という。最高。

1年前に食べたものを写真から振り返る

レストランのお食事はもちろん、プールサイドで飲むドリンクやピザなどの軽食、ルームサービスや、ライブラリーのようなところがあってそこで飲むコーヒーやスムージーもインクルーシブ!いっつストレスフリー!

こういうちゃんとしたレストランのちゃんとしたお料理もインクルーシブ。そしてもちろん、1年前に食べたこれが何かはわからない。

オープンエアの気持ちいレストランだった気がする。多分。おそらく。きっと。一応ドレスコードのようなものがあったらしいのだけれど、そんなことつゆ知らずオットが思いっきり短パンにビーサンで行ったら「まあいいよいいよ。楽しんで行ってよ!」みたいなことを言われていた。そして結局毎日同じようなカッコでレストランへ行っていた。1年前ですけど。

こう言ってしまっては元も子もないけれど、やっぱり現地での滞在費というものはアジアの島々は格段に安い、と、思う。ハワイの物価ときたらいつの間にあんなに高くなってしまったのだろう。いや楽しんだ対価を旅行客としてお支払いするというのは当然のことなのだけれど、それにしてもお金というのは不思議だな、と、思う。同じ体験をしても国によって地域によって価値が違うというのはなんだか不思議な気がする。

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不思議な気がするけれども、そしてなんだか少しの罪悪感に近いものを感じなくもないのだけれど、でもとにかく滞在費が安い、というのはやっぱりありがたい。と、思う。そしてオールインクルーシブは素晴らしい。いやまあ、とりあえずそれに尽きる。

ライブラリーで飲むコーヒーもオールインクルーシブ。夜、子どもたちが寝静まってからここへ行って本を読むのが至福の時間。であったことを、今思い出した、1年ぶりに。

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夕暮れの空。これは世界共通美しい。1年経っても美しい。

やっぱりランカウイの素晴らしいところは何もないところ

こないだハワイから帰ってきたばかりだから思うというのもあるのだけれど、やっぱりランカウイはめちゃくちゃ田舎である。ハワイもワイキキを離れたら田舎だけれど、でもやっぱりワイキキがある。と、いうのは圧倒的に違うところ。

ほんとうに何もないのだ、ランカウイというところは。(ついでに言うと海もそんなにきれいなわけではなくそこはハワイの方がずっときれい。)

何もないのだけれど、何もないから、やることがなくてずっとぼーーーーっと過ごすしか無くなる。あーさっきエルメスで見たバッグやっぱかわいいな明日にはもうなくなってるよなはあ・・・みたいなことは、まあ考えなくて済む。なんせお買い物をするところもない。

何もないから、もう本を読むしかなくて、毎日毎日毎日プールサイドで本を読むしかなくなる。

でも、もうやることがほんとになくて、本読むしかない、というのは、まあ正直に言ってものぐさで怠惰な私にとっては最高の環境なのであーる。

強制的に、やることを取り上げる、くらいがいいのかもしれない。私は。ものぐさで怠惰なくせにすぐいろいろと考えるから。まあ「考えない」くせもだいぶついて来たとは思うけれど。それにしても「考える」のも「考えない」のも、他にやることを取り上げないとできないくらいに不器用なんだなやっぱり私は。いろいろなことを、あーそういうことだったのかと理解して、前に進むのに、多分効率的な人の10倍くらい軽くかかる。その不器用さがずっと歯がゆかったけれど、でもまあ、それが私なわけで、そういう自分であるからには、人の10倍くらいかけて色々知っていこう、と思う。それでまあいいか、と、思える時間が、きっとランカウイには流れている。まあ、1年前の話ですけど。

だからまたここに私は戻ってゆくな、と、思う。いろんな場所へ行きたい。いろんな世界を見たい。それは同時に、大切な場所、またここへ戻ってきたいなと思える場所が、増えていくということでもある。それは私にとっては、私の人生にとっては、ものすごく大切なことなのだ、たぶん。

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子どもたちの歌を守っていけるように

先日、子供の保育園の発表会がありました。むすめはインフルにつき欠席でしたが(涙)、息子は保育園最後の発表会を、見事やり遂げて、母さんたちを号泣させてくれました。

泣かせようとしないコンテンツだから泣ける。

いや正確に言うと、パパ友が張り切りまくって一時間前に場所取りしていた最前列のど真ん中という席を、ここ座りなよ!と、ママ友がいとも簡単に座らせてくれるというおこぼれに預かり、なんせ最前列ど真ん中で鑑賞していた故、あまりおおっぴらに泣くのも憚られ、ぐすんぐすんと控えめに言っていた。ぐすん。

こういう、子供達の発表会というのが泣かせるのは、それが「泣かせよう」として作られたコンテンツじゃないというところも大きいな、と、思う。

だって手作り感満載、司会の新人の保育士さんはかみまくりで、2歳児クラスの発表はおおかみさんとこぶたさんの掛け合いが全く噛み合って入らず間延びしまくりで、サラリーマン風に言うと(そしてそれは大変に嫌いな言葉ではあるけれど)「仕切りが悪い!」と、言われそうなことの連続で、それでも子供達の一生懸命に歌を歌い、得意なことを披露し、おぼつかない合奏を必死にしている姿というのは、そしてそこから生み出された渾身の歌や音楽や舞台は、もう信じられないくらいとんでもないパワーに溢れていて、なんか初めて見た自治体のお偉いさんみたいなおじさんですらちょっとウルウルしていた。いやうそですそれは見てないけど、きっとあのおじさんだってウルウルしていたに違いない。知らんけど。

とにかく泣かせよう!と、いうコンテンツが昔からとても苦手で、数分間で感動を提供(強要)するテレビ番組とか、FBに流れてくるちょっといい話、系のシェアを見るとついテレビを消してスマホもほーり投げてしまう。あと、これは自分でもさすがにひねくれすぎだとは思うのだけれど、母の法事で、お寺さんが「いい話」を最後にしてくれる時ですら、「泣いてたまるか。」と、身構えてしまう。「雰囲気で泣くなんて絶対してたまるか。哀しいか哀しくないかは自分で決める。」と、なんならお葬式の時すら身構えてしまった結果、私はしばらく泣けなくてその後大変苦労した。

いや、だから、雰囲気に流されて泣くことは絶対に絶対にしたくないけれど、自分の感情に素直でいることは大切だということは、あの頃の私には伝えてあげたいと思うのだけれど・・・。

話がめちゃくちゃにそれましたが。

とにかく、それくらい私は感動の押し付けが苦手で身構えてしまう。だから万が一、保育園の発表会がそういう「はい、今ここ泣くとこ!」みたいな成り立ちをしていたらまあまず泣けなかったと思う。まあ子供にそんなことをさせた瞬間に絶対にそんな保育園辞めるけどうん。(しかし立ちはだかる保育園問題。選ぶ自由すらないというのは不健全ですねほんとに。)

もちろん発表会にそんな瞬間はなくて、手作りの感満載の流れの中で、もうただ、子供達が持つ素のパワーに圧倒されて、どこかの政治家よろしく「子どもは未来の希望だ・・・」と、心底思ってしまった。自分の子供の発表会だったからだというのももちろんあるのだけれど、でも全然違う歳のクラスの歌にすら泣いていた。

なんかもう、騒音が嫌だから保育園建設反対!とかいう人たちにはこの歌をまず聴いてほしいと思いながら聞いていた。子供はほんとに、いるだけで宝物だ。保育園建設反対!とか言うおじさんだって、ずっとずっと昔はそうやっているだけで宝物の存在として、大きな声で必死に歌うだけで、どこかの大人に未来の希望だ、と、思わせていたかもしれないのに。

未来の希望を全力で守ること

そして、これだけのパワーを持つ子供を、やっぱり大人は、みんなで守っていかなきゃいけないんだなと思う。月並みな言い方だけれど、子供は、社会で、みんなで、育てていくものだと思う。家族で育てることが困難なのであれば、たまたま生まれた家に育てられるだけの力を持った大人がいなかったのであれば、その子供は、大人がみんなで寄ってたかって守ってあげなきゃいけないと思う。大人の都合で奪われる小さな命が、絶対にあってはいけない。まずはこんな平和な国で、そんなことは絶対にあってはいけない。(もちろん世界中であってはいけない。)

家族の形はいろいろ。だから、子供が育つ環境だっていろいろ。でもそこには、いるだけですごいパワーを放つ子供の、その力をまっすぐに受け止めてあげる大人がいてあげなきゃいけない。その光にちゃんと気づいてあげて、目を向けてあげられる大人がいてあげなきゃいけない。それは、昔は子供だった大人の、役目だと思う。そしてそれは別に、血の繋がった親じゃなくてもいい。そんなものより大切な繋がりが、あると私は思う。

子供を、当たり前に守っていける社会であるように。大人である私は、たくさんたくさん考えていきたいなと改めて思う。子供達の歌を、子供達がおせっかいなおじさんやおばさんになる日まで、守っていけるように。

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春物第一弾と、誰かの「無駄」に寛容であること

暖い日も少しずつ増えてきましたね。私は引きこもっていたので分かりませんが。→むすめがインフルエンザになって会社を休んだ話(つまり今)(わからんのかい。)

春物スイッチの入るタイミング

さて、そろそろ春物を考える季節です。ただの服が好き、な、一般ぴーぽーの私にとって、春物に目を向ける、というのはもちろん春になってからでいいのではないか、と毎度思うのですが、なんで私は毎年毎年このさっぶい時期に春物と夏物のことを考え始めるのであろーか。そして夏のあっつい時期に、冬のコートについて思いを巡らせるのであろーか。それはもう一種のビョーキのようなもんである。うん。(写真は全く関係ありません。)

どうやら私は洋服がめちゃくちゃ好きらしいのですが、いやほんと好きらしいのですが、毎日毎日洋服のことだけ過ごしているかというとそんなことはない。いや、ちょっとそんなことはある気はするけれども、その温度感というか、それは一定ではない、と思う。

例えば冬のこの季節。今年はニットは一着しか買わず、コートに至っては一着も買わなかった(それは去年やらかしたから。)ので、いい加減、手持ちの冬服に飽きてくる。12月頃に大物を投入すると、結構テンション高く2月末頃まで飽きずにやれるのだけれど(それも去年やらかしたから知っている)普段は、やっぱりシーズン始めに一番多く買うことがほとんどなので、数ヶ月前、下手すると半年くらい前に買ったものたちにそろそろ、飽きてくるわけであります。

基本、このカッコばかり。チャンキーとムートン。

あと寒いの苦手人間としてはとにかく防寒第一になってオサレは二の次になってしまう。ということもある。女子力とは。

というわけで、この時期お洋服への温度は低めです。今年は特に。

そしてスイッチを入れてくれるアイテム

だけどこの低めという温度ももちろん一定ではなく、ぎゅいんと急上昇することもある。それは多くは、そのシーズンの肝となりそうな、これ!というアイテムに出会って手に入れた時、にやってくる。

こないだインスタをぼーっと見ていて、久々にこれめっちゃ欲しい!と、思うお洋服を見つけた。Vネックのカーディガンなのだけれど、色といい形といいもう完璧であった、私の中で。

基本的に洋服は試着して買う、というのを大切にしているけれど、なんせここのところの洋服熱の低下により、お店を調べて試着しに行くのもかったるく(もしかして洋風熱低下じゃなくて女子力低下なんじゃないか)全力で通販をお願いした。

ただ、私はこれが届いた時におそらく、洋服熱がぎゅいんと上昇する気がしている。なんとなく。これが、この春夏シーズンの肝!になる予感がしている。そしたらきっと街に出てちゃんと試着してお買い物へも行ける・・・はず・・・。

こうなると、このカーディガンに合うパンツとか、スカートとか、下に着るノースリーブとか・・・色々と妄想が膨らんで楽しい。いつもこんな感じで、一つのアイテムから想像がぐいーーーーーんと膨らんでゆく。その時間がものすごおおおおおおく、楽しい。

そしてその肝となるアイテムというのは、手持ちのものとの組み合わせを考えるだけでわくわくできるものが多い。なんかそれ一つで、いつもの洋服もちょっと新鮮になるというか。それだけで妄想の幅が広がるというか。ところでさっきから私、肝とか妄想とか、もう少しなんというかこう女性誌的な言葉の言い回しができないものか・・・すみません・・・

とにかくこうしてわたしのシーズン始めというのは、何かしらのテンション上がる一つのアイテムからスタートすることが多い。「新しい世界(新しくこれから買う服)」も、「既存の世界(今持っている服)」も、広げてくれるものとの出会いって素晴らしいし、わくわくする。

ファッッションはなくても生きていけるけど、でも

でもこれって、別に洋服に限らず、好きなものに対しては誰もが持つ感情なんじゃないかなと思う。好きなものを考えている時に、連鎖的に妄想が広がって一人でどんどん楽しくなっていく感じ。また妄想って言いましたけどねわたし。でもそれって何より至福の時間じゃないですか。わたしはそうです。一人でワイン飲みながらそのシーズンに着たい服を考えてる時間。もうそれだけで仕事頑張れる。

ファッションなんて、なくても生きていけるものだ。それはよくわかっている。だからそれに向かう価値観が、時にやたらと批判というか攻撃の対象になったり(なんであの人はあんなにファッションにばかりお金をかけているんだ、とか、逆にあんなチープなものをつけているんだ、とか。)理解を得られなかったり(なんなんだあの着こなしは。。。とか。よくわからんけど。)しやすかったりもするのかなと思う。でも、じゃあみんなが同じような服をしている世界って面白みがあるのかなというと、そんなことないよなあと思う。ファッションに限らず、やっぱり「なくても生きていけるもの」に没頭できる余裕や、そして他人の「なくても生きていけるもの」に寛容でいられる心持ちがない世界というのは、やっぱり相当に息苦しいし、面白みがないと思う。

まあ、アメリカヴォーグ編集長のアナ・ウィンターは、「ファッションが教えてくれること」で、「ファッションのことにとやかく言うのは自信がない人よ。自分がいけてないグループにいることを認めたくないから」みたいな痛烈なことを言っていてそれはそれでなかなか面白かったけれど。

別にそれはファッションじゃなくたって全然いいから、とにかく、時間を忘れられるくらいの自分の好きなものを、そういう最高の「無駄」を、やっぱり楽しんでいける余裕を持っていたい。そうすれば、隣の人の「無駄」にも寛容でいられると思うから。ファッションに興味はないけど、私も音楽のこととなるとつい没頭してしまうから、その「無駄」もわかります、と言えるのがやっぱりハッピーじゃないかとは思う。

なんだって「あそび」のある世界がやっぱりいいよなあと思う。そしてももちろん、どんなことにしろ、誰かの「それはおかしい」という言葉にも、「そうですねえ」と、受け入れられる余裕も持ち合わせていられるといいなと思う。「そうですねえ。あなたの考えがそうであることはよくわかります。そういう考えもありますよね。まあ、私の考えは違うんで知ったこっちゃないんですけどでもまあそれでいいですよね。」と、思えればそれでいいのだから。

と、いう、また新しい洋服を買ったことへの壮大な言い訳でした。おしまい。

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就活生に会って思ったこと。「自分の言葉」で話すこと。

就活生とどのように接するか。

ここのところ、仕事だったり個人的にだったり、就活生に会うことが増えてきました。時期的なものなのかな、イベントに呼ばれたり、個人的に紹介されたり。年次的にも、いろいろ聞きやすいのかもしれませぬ。(人事に便利使いをされている。と、よく言っている。)

で、就活生の悩みというのは、私が就活している時と、つまるところあんまり変わらないよなあ、と、よく思うのですが。こちらの、つまり就活生の話を聞く立場としての振る舞いというか、心構えというか、考え方のようなものが、少しずつ変化してきたなあ、と、思う。

例えばOG訪問をお願いされたような時。数年前までは、「わが社の良いところ。」とか、「今の仕事がいかに充実しているか。」とかを、必死に考えて答えていたような気がする。「必死に考えて」と、いうことは、ものすごくナチュラルにそう思っているわけではない、ということでもあったような気がする、今思えば。

もちろん、採用面接におけるタブーというか、聞いちゃいけないこととか、言っちゃいけないこととか、そういうのはおそらくかなり厳しくなっていて、こればっかりは私が就活していた時と全然違う気がする。面接で家族のこととか普通に聞かれた気がするけど、今は絶対にNGだったりする。そういう意味で、気をつけなくてはいけないことも多くて、気が張っていて「必死に考えて」という部分もあったとは思うのだけれど。

けどそれだけじゃなくて、まあもちろん、うちの会社を志願してくれたらいいなという思いがあったり、もっと言うと、自分自身でも、こんな楽しい仕事をしているんだ!と、思い込みたいような気持ちがどこかにあったり・・・したような、気が、しなくもない・・・書いてるとなんて恥ずかしいんだ、と思うけど。

けどそんな話、正直就活生にとって何の面白みもないよな、と、思う。いや、そんなことはわかっていた。わかっていたのだけれど、「就活生」に向かって「会社を代表して」自分が話せることなんて何もないよ・・・と、いう自信のなさが、そういう何というか会社や自分の仕事を良く見せよう、と、つい考えてしまうことにつながっていたんじゃないかなと思う。いえほんと、書いてると恥ずかしいんですけど。

でもやっぱり、それは就活生の心には絶対に響かないし、何より、学生さんたちの時間を、無駄にしてしまってるんじゃないかな、と、思ったのです。どんなことにも相手があって、その人の時間をもらっているからには、こちらは誠実であるべきだ、と、思う。

で、そう思った時に私にできることって何だろうなあと考えると、会社の良いところを必死にアピールするとか、自分の仕事はこんなに楽しいですって話すことじゃなくて、「働くこと」「仕事をすること」の、自分の考えを伝えることなのかなあと。そして、とにかく就活生の話をしっかり聞いてあげて、その上で自分の考えを自分の言葉で答えてあげることなんじゃないかなあと。

前にも書いた気がするのだけれど、私が就活をしている時、とある企業の面接で、「むしこさんがとても芯がしっかりとした女性であることは伝わってきました。でも、固い枝は、強い風が吹くとすぐに折れてしまいます。一方、柳の木は、しなやかで、強い風が吹いても折れることはありません。是非、柳の木を目指してくださいね。」と、言ってもらったことがあった。

その言葉がすごく心に残っていて、今でも仕事をする中で何かの折にふと思い出す。そして今やっと、その言葉の意味がわかってきたような気がしている。

よく言われることだけれど、就活っていうのは、いろんな人に会って、いろんな人と話をできる時期でもある。なかなか、短期間にこんなにたくさんの企業の人に会って話をするという機会はないと思う。その中には、きっとハッとすることや気づきのある言葉や人に、出会うことがあると思う。

柳の木の話をしてくれた人のように、もう今はその人の名前も顔も覚えていないのだけれど(すみません)、それでもただ一度だけ会う就活生のために、すごく大切なことに気づかせてくれる人がいる。そこまで大それたことはできないし、誰かの心に残るいいことを言おう!と構えるわけではもちろんないのだけれど、せっかくの就活生の時間なのだから、何か一つでも、その子にとっての気づきや、仕事をするっていいな、楽しみだな、というような気持ちを、持ってもらえたらいいなと思う。

そのためには、会社のいいところ!とか、自分の仕事の素晴らしいところ!とかばかりを考えているだけじゃ、きっと伝わらないよな、と、思います。自分の言葉で、「これは個人的な考えだけれど」ということを、話していってあげたいなと思う。「会社を代表して」の言葉なんかじゃなくて、「個人的な考えだけれど」という方が、就活生にとって聞きたい話でもあるんじゃないかと思うから。

シューカツするみなさまへ。

そして就活生の人たちには是非、そういう、自分が出会った人から何か一つでも、仕事って何だろう、仕事をするってどういうことだろう、何が楽しいんだろう、この人は、どういう価値観で仕事をしているのだろう、ということを、何とかして盗んでやろう、知ってみよう、という気持ちを持ってもらえるといいなあと思います。自分をどうアピールしよう!どういう風に良いイメージを持ってもらおう!なんてことは、ほとんど考えなくていいし、そういう態度は、いとも簡単に見破られてしまうというか、そういう態度にばかり接しているのでみんな慣れきってしまっているというか・・。

もちろん、「自分アピール」はほとんど考えなくてもいいとはいえ、相手あることなので、誠実に、「しっかり聞く」ことは大切。それは多分、仕事を始めてからも大切。やたらと斜に構えることは全くなくて、せっかくなら素直でいた方が色々と吸収できて良いと思う。素直さというのは若さの武器だ。ほんとに。

ただ、マニュアル通りの自己PRや、マニュアル通りの質問やお礼や、そういうのはやっぱり人の心には届かないものだと、私は思います。いやほんと、自戒を込めて。それなら、(面接の段階まで行くとだめだけれど)自分の本当に悩んでることや迷っていることを自分の言葉で話したほうが、ずっと誰かの心に届くと思う。OB・OG訪問もセミナーも面接も基本は全て「対話」だから、型どおりのマニュアルに振り回されるんじゃなくて、自分が本当に考えていることを、自分の言葉で話してほしいなと思います。なかなか難しいことだけれど、本気の言葉には、きっと本気の言葉が返ってくると思うから。

というのはまあ、私というたった一人の思いであって、世の中にはいろんな会社があっていろんな考えの人が当たり前のように存在するわけで、一概には言えませんが。(と、言ってすぐ逃げるのが社会人のずるいとこですよねすみません。)

最近、就活生からも、「汐留の広告会社であんなことがあったばかりですが御社の働き方は・・・」という話がよく出るようになってきました。そりゃそうだよね、気になるよねきっと。だから私は、今だからこそ、働くとはどういうことなのか、仕事をするってどういうことか、なんで自分は働きたいのか、どういう働き方をしたいのか、ものすごく真剣に考えてほしいと伝えるようにしています。「働き方」を決めるのは、本当は会社ではなく、上司でもなく、親でも友達でも先生でもなく、自分自身なのだから。

と、いうことに気づくのに10年以上かかった社会人の戯言でありました。

就活生のみなさんが、たくさんの良き出会いに恵まれますように。

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むすめがインフルエンザになって会社を休んだ話(つまり今)

1年ぶり2回目の快挙(インフル)

さて今年も元気にむすめがインフルエンザになりました。えーーーー。1年ぶり2回目の快挙です。おめでとう。というわけで「子供がインフルエンザになって会社を休むという状況をサラリーマンである自分はどう捉えるか」という話です。たぶん。

子供が発熱した、インフルエンザにかかった、というときに、「仕事どーしよ!」と真っ先に思ってしまういけない親になってしまいました。そこは子どもの心配をしましょうすみません。そこまでならまだいいのだけれど(いいのか)、「子供がインフルエンザで仕事を休む私を他の人はどう思うのだろう。」という、考え方をついしてしまうのはいかがなものだろう、と、ふと思った。

気づけば、休みを取って旅行へ行く時も(旅行へ行くって頭痛が痛い的なものなのか?)、子供の病気で会社を休む時も、なんだか同じような落ち着かない感じを持つようになっている。なっているというか、それは結構昔からの癖のような感じで、「こういう自分は、人からどう思われるのだろう」ということを、長い間ずっと気にしてきたような気が、するのです。

でも子供がインフルエンザで仕事を休む、という時、気にするべきなのは当然、「休んでいる間にすべきだった仕事をどうするか」であって、(いやそうじゃなくてインフルエンザになった子どもの心配ですそうですその通りです。その通りですがその次に。)「休んでいる私が人からどう思われるか」では、ない。私は幸い、すごく理解のある人たちに恵まれて仕事を続けてこられたけれど、それでも、周りの人たちが、「はぁぁぁあの仕事代わりにやるのめんどくさいな・・・」とか「これだからハタラクジョセイは・・・」とか「子持ち女性がチームにいるのはきついなあ」とか、声に出さなくても心の中で思ってしまうのを私が止めることはできない。それは、その人が感じることであって、他人の気持ちに対して「こう思ってください!」と、私がコントロールすることなんて絶対にできない。

それなのに、つい、「こう思われたくないな。」とか、しまいには「ここで休んで迷惑かけることで、会社の他のママたちの印象まで悪くなってしまうんじゃないか」とか、それは一体何目線なんだ、ということまで考えてしまう。

それは元来気にしいな性格だった私だから思うことかもしれないけれど、結構同じようなことを感じてしまう人って多いんじゃないかなあと、ふと思った。

仕事の「相手」をはき違えちゃダメだ。

けどそれってよく考えたらおかしなことで、だって私たちは「会社の人たちに良く思われる」ために、仕事をしているわけじゃない。どんな仕事にもその先には取引をする人(お客さんだったり)がいて、それは決して会社の同僚ではない。お客さんにとって有益になることをすることで、会社(自分)の利益(お給料・お金)をもらう、というのが、基本的な仕組みのはずだから。

だから、考えるべきなのは、その先にいる、自分の仕事を待ってくれている人たちのこと。もちろん、その人たちのために仕事をする中で、自分の会社の人と良好な関係であることはとても大切で、そこにある信頼関係を崩さないようにすることは、すごく大切なことだと思う。だけど、それは決して「仕事の目的」ではないんよね。

そしてそれをいつも思い出させてくれるのが、子どもたちの保育園のイベントの時の、先生たちの仕事ぶりなのです。

例えば運動会のリレーの時、先生たちの子どもたちを見る目にハッとすることが、もう何回もある。その時先生たちは、保護者の顔を見るわけでもなく、もちろん園長の顔色を伺うわけでもなく、まっすぐ真剣に、ただただ子どもたちのことだけを見てくれている。もちろん怪我をした子どもがいれば真っ先に飛んで行くし、バトンを渡した子には一人一人声をかけてくれる。何より、走る子どもたちから決して目をそらさず見守ってくれている。

その真剣な表情はなんだかすごく胸を打つ。先生たちは、自分の仕事が誰のためのものなのか、誰を相手にしているものなのか、ちゃんとわかっているんだな、と、思う。その姿には、同じ仕事人として、教わることがすごくある。上司とか、ちょっと権力を持っているように見える人とか、そういう人のためじゃなくて、ちゃんと本質的な自分の仕事の相手のために、仕事をする姿。ものすごく当たり前なのだけれど、会社で働いていると、いとも簡単に忘れそうに、なってしまうこと。

そして、自分の仕事の相手、をきちんとわかっていると、仕事をしている中での本当の喜びというか、嬉しい瞬間というのを、きっととり逃さないのだろうと思う。先生たちであれば、子どもたちがリレーで一生懸命走る姿や、昨日うまくいかなかったバトンがきちんと繋がった瞬間や、走るのが嫌だと言っていた子どもが頑張る姿や、子どもたち同士で励まし合っている瞬間や、そういった子どもたちが紡ぐ一つ一つの瞬間を、きっととり逃さない。園長に褒められることや、保護者に感謝されること(それももちろん喜んではもらえるのだろうけれど)じゃなくて、子どもたちの成長を見届けるという、きっと、先生たちにとって一番の仕事の喜びなんじゃないかなと思う瞬間を、仕事の相手である子どもたちとちゃんと共有できるだろうなと思う。

だから私も仕事をするとき、「相手」を取り違えないでいよう、と思う。自分は誰のために、何のために、仕事をしているのか。特にサラリーマンがルーティンに追われていると、ほんとについ忘れてしまうこと。

子どもがインフルエンザになって、仕事を休んだとき、本当に気にすべきことは何なのか、というのは、マイナス起点の話だけれど、ここで「自分の評価」「自分が他人にどう思われるのか」という考え方をするくせがついてしまうと、プラス起点で仕事が発生するときにまで、「相手」を取り違えるようになってしまうんじゃないかな、と思う。だからこういう時の考え方から気をつけようと思った、と、いうお話です。

病気や、育児や、介護や、他にも自分の趣味だったり、楽しみだったり、旅行だったり、その他いろんなものと仕事のバランスや向き合い方に悩んだ時、国の制度や、会社の理解や、自分の置かれた環境なんかについ目が行きがちだったりするけれど、まず最初に変えられるのは自分の意識だったりするんじゃないかな、がんじがらめになっているように感じるのは、実は自分の考えなんじゃないかな、と思ったりしたのです。

まあとはいえほんともういろいろ気にはなりますしというか仕事めっちゃたまって泣きたいのでほんと来年こそインフルエンザなんとかしたい。もうほんと。泣く。打倒、インフル。

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おばあちゃんのこと、夫婦のこと。

おばあちゃんとのさよなら

昨年、大好きなおばあちゃんとさよならをしました。

危篤の連絡を受けて京都に帰って、それから一週間。おばあちゃんの病室には、毎日たくさんの人が来てくれて、そして誰かがいつも子供達と遊んでくれた。

おばあちゃんは最後に会った時も、子供達を見て、「かわいいなあ。」と、言ってくれた。6歳の息子は今でもその時のことを思い出しては、「おっきいばあば、かわいいなあって言ってくれたね。うれしかった。おっきいばあばだいすきだったんだ。またあいたい。ありがとうっていいたい。」と言っては母さんを泣かせる。いやこれはほんとうにちょっと、泣ける。ぐすん。

大好きなお母さんの、お母さんだったおばあちゃん。とても優しくてそして聡明で、昔の人ならではの、厳しさを知った上での本当の優しさを持つ人でした。

おじいちゃんがお通夜の挨拶の時に言っていた。「家内は、去年あたりに急に、『私もうそんなに長くないと思う。今年か、来年かくらいまでちゃうかなあ。』と、言い出しました。」と。ずっと持病はあったけれど、特段数値が悪いわけでもなんでもなかったのに、急に覚悟を決めたみたいだった、と、おじいちゃんは話していた。

おじいちゃんはそれを見て、「自分の妻ながら、この度胸はすごいなと思いました。」と、言っていた。「この歳になると、いざ自分の最後が見えてくると怖くなるもんやと思います。死にたくない、と思うのが普通です。でもさすが、昔から家内は本当に度胸が据わった人でした。」と。

そこから始まるいろんなエピソードを聞いていて、私は、あーこの二人は、やっぱりお互いを尊敬し合っていたんだな、と、心底思った。

実家でお母さんが小学生の頃の「せんせいあのね」(日記)を見つけて読んでいたら、おじいちゃんが九州に出張へ行っている時のことが書いてありました。
「電報で、『朝2時に帰る』というお知らせが来て、お母さんはちょっと大変そうでした。なぜなら、朝の2時まで起きて待っていなくてはいけないからです。」
朝2時。私ならもちろん余裕で寝ている。起きて待っていようという考えはごく控えめに言って(©村上春樹)まず浮かんでこない。
と、いう私にとって、この昭和の夫婦はなんだか少し、少しだけ、眩しくうつったものです。
ので、私も心を入れ替えてそれから毎日オットの帰りを起きて待つことに。。。したわけではもちろんありません。もちろん。

結婚するときに、おばあちゃんからもらった手紙

でもその時にふと、思い出したことがあった。

私が結婚する時に、私の友人があらゆるツテをたどって、サプライズでおじいちゃんとおばあちゃんからお手紙をもらってきてくれた。その時、おばあちゃんが書いてくれていたことを。

原稿用紙に万年筆で書かれた世界で一番かっちょいい手紙は、
「夏に植木やが狩りこんだ古い茶山花垣と貝塚垣から若い緑が育って来ました。
川の堤には彼岸花が咲き初めて百舌がけたたましく秋をたたえてゐるようです。」
と、私の実家がたいへん田舎であることがわかる描写で始まる。

でもあの田舎の風景がこんなにかっこいい文章になるのか、と、私はおばあちゃんの、こういった言葉の紡ぎ方が大好きで、いつかこんな文章を紡げるようになりたいなあと思った。

この短い手紙の中に、「仕事をもちながらの家庭経営は、むつかしいこともたくさんあることと、思はれます。」と、書かれていました。
今思うと、これは決して、共働きが時間的に厳しいとか、家事との両立が大変だとか、一億総活躍社会のあのふわっとした絵空事感はなんなんだとか、そんなことを言っているわけじゃないんだろうなあと思う。おばあちゃんが言いたかったのはきっと、お互いが仕事を持つことで、役割分担が曖昧になることで、感謝の気持ちが薄れがちになるから、ってことだったんじゃないかなあと。

おじいちゃんとおばあちゃんの時代は、おじいちゃんがお仕事をして、お金を稼いで、おばあちゃんは家のことを全部して、という、明確な役割分担があった。

だからお互いがお互いを必要としていたし、そこには感謝と尊敬が当たり前にあったのだろうと思う。だからこそおじいちゃんは、「妻はさすが度胸が据わった素晴らしい人でした」と最後まで言えたし、おばあちゃんは、仕事で遅くなる夫を当たり前のように起きて待っていた。そして、二人の娘であるお母さんを亡くしてからは、二人はいつも、足腰が弱くなったおばあちゃんを支えながら、手を取り合って歩いていた。それは、おじいちゃんがおばあちゃんを支えているようでいて、おばあちゃんの存在自体が、おじいちゃんを支えているようにも見えた。

「役割分担」がない時代の、尊敬し合える関係

でも、例えばお互いが仕事を持っている場合、そんなに明確な役割分担はなくて、そうすると、不満ばかりが見えがちになるかもしれないなあと思う。なんで自分ばっかり家事するのだろう、なんで自分ばっかり働いてるのだろう、なんで自分ばっかり・・・。

もちろん時代が全く違うから、おじいちゃんの時代の「役割分担」を今もすべきだとは、1ミリたりとも思わない。思わないし、これからどんどん共働きは今よりもっと増えて、「役割」は大きく変わっていくだろうなと思う。私はきっと仕事をしていないと死んでしまうし。。(それは言い過ぎですが。でも呼吸困難くらいにはなりそう。ならへんか。)

ただ、役割分担がその頃のようにはっきりしていない今は、おそらく、ちょっと意識しないと、尊敬する気持ちや、ありがとうと思える気持ちを、忘れてしまうかもしれないな、と思う。それが、「仕事をもちながらの家庭経営がむつかしいこと」の、一番の理由なんじゃないかなあと。

だから意識して、今の時代ならではの、いや、違うな、時代に合わせてというよりは、我が家ならではの、自分の家族ならではの、「ありがとう」と思える関係を、尊敬し合える関係を、築いていきたいなと、思った。それはきっと意識しないと、忘れてしまうことだから。

いつかおじいちゃんとおばあちゃんのように、(そりゃあいろいろとあっただろうけれど)さよならの瞬間に「すごい人でした。」と、言えるようになりたいなあと思う。言ってもらえるようでありたいなあと思う。

そして、息子の「さよなら」の痛みと成長

息子はほんとうにほんとうにおばあちゃんのことが大好きで、今でも急に「おっきいばあばに会いたい。おっきいばあばの夢が見たい。だっておっきいばあばいっつもやさしかったから。」と言ってしくしく泣きだす。

とてもとても大切な人がいて、その人とはもう会えない。という痛みを、もうしっかりと息子は知ったのだなと思う。「おっきいばあば」というフレーズが出るたびに、えらく切ない顔をする息子は、なんだか少し、大人になったような気がします。おばあちゃんはこうして、私にも、息子にも、なにか大切なものを、思い出を、言葉を、残していってくれたのだなと思います。こうしてきっと命はつながって、おばあちゃんが残してくれたものは、ずっとずっと私たちの中に残っていく。それがきっと、誰かが生きて、そして去ってゆくことのすべてなんだろう。

私もいつか、子どもたちや孫たちやひ孫たちに、そうして何かを残せるように。おばあちゃんやお母さんが残してくれたなにかを、伝えていけるように。今ならではの、自分ならではの形で、今はただまっすぐ生きてゆきたい。おばあちゃんの孫でいられたことを、誇れるように。

 

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2017冬ハワイの記憶その8 ラストばんごはんから帰国まで

いよいよ最後の晩ご飯&帰国・・・

day6 Uahi island Grillで絶品ばんごはん

せっかくの最後の夜なので、レストランに食べに行こう!と、いうわけで、カイルアタウンのUahi island Grillへ・・・

 

店内は見た限り日本人はいなくて、地元の人らしき人もちらほら。そしてここでもso cute!と、声をかけられるむすめ。もといむすめさま。なんとなく、カンボジアとかのちょっとおしゃれなお店、といった雰囲気。なんでもかんでもアジアに繋げてしまいますが・・・

カイルアは朝早く開いて、お昼過ぎに閉まるお店が多い中、ここはディナーの時間帯もやっていたので選んだのですが。ここがほんとーーーーうに美味しかった。お値段もハワイにしたらなかなかリーズナブル。

おすすめはガーリックアヒ。ご飯の上にガーリックとお醤油かな?で味付けしたアヒ(お魚)が乗っかっているシンプルなお料理ですが、この味付けが間違いなく日本人好み。そろそろ日本食が恋しくなってくるこのタイミングにちょっと泣けるほど美味しい。

と言っても、「和食!」というわけではなくて、たぶんあくまでもハワイアン料理。日本人の好みにものすごく合う郷土料理、といった感じ。もしこういうものを普段から食べているのであれば、そりゃあ日本人もハワイ大好きになるよな、と思う。

ここはお米もカリフォルニア米でなくて日本のお米に近くて、これでまた泣きそうになるハワイ6日目の私。美味しい・・・。

ビールも6$くらいやったかなー。オットは車の運転があったので一人で飲むツマ。典型的なペーパードライバーである私は(なんせ宮古島で取った免許なので・・・)この一人で飲むパターンが多い。すみません。

ガーリックチキンやったかな。薄めに切られたフライドチキンが、これまたガーリックとお醤油らしきもので味付けされている。上にはご丁寧にお葱まで。ほんと泣ける、日本人の私。

あと、この旅で何度か食べたポケボウルをここでもいただいたのだけれど美味しかった。これもまた、つまりはまぐろ丼なのだけれど、築地で食べるマグロ丼とは何か一味違って、あくまでもハワイの味だけれど日本人が絶対好きな味。これが好まれるとかほんといいやつだよハワイってやつは・・・(意味不明)

もはや日本にもできてほしいレベルで美味しかった。店内も程よくおしゃれで、でもカジュアルで、子連れでも全然気後れしない感じ。まあハワイの人たちはどこにいっても本当に子供たちに優しいけど。

いいお店に出会えて、良きこの旅最後の晩ご飯になりました。オットも子どもたちもたいそう満足そう。

day6-ホールフーズで最後の買い出し

そして愛するカイルアのホールフーズで最後の買い出しとお土産を色々購入。こういうグリーンスムージー的なジュースがいちいち美味しい。このボトルの形多かったけどすごいかわいい。

グラノーラの量り売り。翌日の朝ごはんと、残りは日本に持って帰ってきましたがこれがほんと美味しい。何かもうこのグラノーラを朝に食べるだけでしあわせですよね。ちょう健康的な生活という錯覚。実際のところ好き放題べてたけど。

野菜の並びもかわいいーーーー。持って生まれたセンスなのかこういうのは。スーパーの買い物が楽しい、ワクワクする。ってそれほんとステキなことだと思う。わたしはお買い物好きだけれど、なかなか日用品の買い物はまでは楽しくなれない。それは「家事」の一つでしかないからかな。旅行先の買い出しが楽しいのは、それが非日常を過ごす旅行者だかなのか、それとも日用品の買い物も楽しくなるようなプロモーションをアメリカのスーパーがしているからなのか。何が言いたいかというとほんとうに日本にもホールフーズを・・・

買ったもの色々。お菓子とかスパイスとか。緑の袋は量り売りのグラノーラ。何かもう今回こういうお買い物ばっかしてた気がするな。

day7-帰国!

いよいよ最終日。しかし私はこの日も早朝からランニング。やるなわたしどうしたわたし。

からの健康的な朝食。やるなわたしどうしたわたし。

ちなみにオットはこの宿に移動してからずっと、置いてあったパズルに挑戦していましたが志半ばでタイムリミットとなりました。しかしハワイでパズルする人とかあんまりいーひんと思う。さすがMr.KYと学生の頃から呼ばれたオット・・・。いやそういえば学生の卒業旅行でみんなでハワイ旅行に行った時も一人でなんか謎のゲームしてたぞこの人は・・・急に思い出した。人ってほんとうに変わらないものですね、えぇ。

ホノルル空港のスタバでソイラテ買ったら名前がmariになりました。惜しい。

最後に新聞読んで一気に現実に戻る。というのがよくあるパターン。

というわけで長い旅(そして長い旅行記)もおしまい!だんだん何を言っているのかわからなくなってきましたがというか途中御座候が出てきた辺りは自分でもどうしようかなと思いましたが、いつかまた行く時の覚書くらいにはなったかな。(なったのかほんとに。)そして読んでくださった誰かの記憶に少しでも残って、いつか同じところに訪れることがあったりしたら、それはとても嬉しいです。そしてよろしければ感想もお寄せ頂けると嬉しいです。

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ハワイ2017冬の記憶その7 カイルアタウンでまち歩き

いよいよ6日目。

day6-ワイマナロをラン

丸1日過ごせるのはいよいよ最後の日。私は今の所、旅において「早く帰りたい・・・」と思ったことが一度もなくて、いよいよラスト一日という日になるともう何とかしてここに滞在し続ける方法はないものかと模索し始める。どこかに仕事は落ちていないものか。ないのか。ちなみに私はクレジットカードを落としたぞ。代わりに仕事は・・・ないか。

なかったようなので、(クレジットカードも。)まずはこの日もランニングから。

これは宮古島へ行くたびにも思うのだけれど、「これくらいきれいだったよなあこの海は・・・」と、思いながら行くと、「これくらい」と思っていた以上にその海がきれいでびっくりする。という、軽い記憶喪失のような(ちがうか)気分にいつもなる。ワイマナロのビーチもそうでした。毎日行っても、目の前の海は「これくらいきれい」と思っていたよりもずっときれいだった。

そしていつも思うのだけれど、この海が「自然のもの」であることの凄さといったら、ない。海はお金を払って楽しむレジャー施設じゃない。つまりこの海が当たり前に存在する「生活」と、「人生」が世の中には存在している。だからこそ、この自然たるものに敬意を払っていかなきゃいけないんだよな、と思う。

とかいったことを考えていたかいなかったかは忘れましたが、やっぱり慣れないランニングで息も絶え絶えにお宿に戻ったところ、息子が「ぼくもはしりたいー!」と、言い出し、どんなスパルタコーチだ・・・と、思いながら再度二人で走ることに。

速い。ついてけない。まじで。

お馬さんがいた。いいなーハワイの馬。馬になるならハワイの馬がいい。いやでもハワイの馬にも色々悩みはあるのか・・・旅行者からはうかがい知れない何かが。いやそもそも馬の人生というのは結構辛そうだななんとなく。歴史的にもなんか結構重労働を強いられてるし。それなら東京の人間の方がいいな・・・(不毛)

day5-カイルアタウンでお買い物

滞在していたワイマナロはカイルアタウンから車で15分くらいのところ。

なんせワイマナロ周辺には本当に何もないので、お買い物などは必然的にカイルアまで行くことになる。この日はカイルアタウンでブランチをすることに。それにしてもカイルアのお店はだいたい朝が早くて、午後2時くらいにはしまってしまうところが多いので、朝ごはん〜ブランチで楽しむのが吉、です。

Moke’s Bread and Breakfast

リリコイパンケーキが絶品。下の娘を妊娠中、なぜかパンケーキばかり食べたくなって各地のパンケーキを食べ歩いたのだけれど(本当に。)結局おいしいパンケーキというのはハワイにある。と、いう結論に達した。元も子もないけど。ブーツ&キモズのもこちらのも、今まで食べたパンケーキの中で1、2を争う美味しさであった。このリリコイパンケーキはとにかくこのソースがおいしい。柑橘のさっぱりした酸味がシンプルなパンケーキによく合う。あー今すぐ食べたい。

ちなみに息子はここでもオムレツを食べたのだけれど、もちろんオムレツもものすごく美味しかった。やはりオムレツの美味しいお店は「当たり」であーる。

ブランチの後はカイルアの街をぷらぷら。ワイキキで行ったolive & oliverはこちらのカイルアが本店。(多分。)こちらはwomen’sのoliveとmen’sのoliverにお店が分かれていて、どちらもなかなかセレクトがかわいかった。間にあるコーヒーショップも良い雰囲気だったので、ここはまた行きたいな。

ワイキキにあるMUSE by RIMOの姉妹店、muse room にて買ったレースのガウンがこの後大活躍。ビーチでも街でも、さっと羽織れるものってやっぱり必須。

muse roomでは、他にもシルク混の水色ワイドパンツを。これは東京に戻ってからも普通に履いております。使える。

この後ぷらぷらとこのあたりをおさんぽがてら、子供達とラニカイジュースへ。

ここのジュースはほんとうに美味しい。スムージーとジュースを一つずつ買ったのだけれど、どちらもほんとうにおいしくてあっという間に飲み干してしまった。息子があまりジュースを飲まないので二本でも多いかなーと思ったのだけれど、ここのは本当おいしかったようで、後になってもおいしかったねー!と、何度も言っていた。

太陽をめいっぱい浴びたフルーツの力なのかなあ。南国で飲むジュースっていうのは美味しい。

day6-ふたたびベローズフィールドビーチへ。

カイルア満喫した後は、この日もワイマナロのベローズフィールドビーチへ。もうこのビーチでだらだらできれば他に何もいらない。と、思ったのにのこのこ帰国してのこのこ仕事してる私って一体なんなんだろう・・・(当たり前だ)

時間も夕方にかけてだったので結構肌寒くて、この日はほとんど海には入らずビーチでゴロゴロして過ごした。もうほんと他には何も・・・もういいか。

なんせござがさ。使える。ござが。宮古島旅行用に買おうかなござ・・・とかもはやよく意味のわからないことすら思った。ござ。

村上春樹の「使い道のない風景」という本が素晴らしくて、いつも旅に持っていくのだけれど、今回ももれなく読みながら泣きそうになった。ものすごく短いエッセイで、特に泣けるものではないのだけれど、なんか胸を打つ、言葉の一つ一つが。詩的だからかな。何度読んでも飽きない。ちょっと旅先の風景が違って見えて来る。おすすめです。

遊び疲れて、この日は冷蔵後にもう何も残っていなかったので、再びカイルアへ戻って晩御飯を食べることに。これがものっっっっすごくおいしくて感動したのですが、また長くなってしまったのでこちらは次回に。

続く!たぶん!

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ハワイ2017冬の記憶その6 ワイマナロのビーチでまったり

旅も大詰めの5日目。

day5 -ワイマナロの治安について。

ある日の朝食。ホールフーズで買ってきたもののオンパレード。クロワッサンには、ホールフーズでその場でピーナッツから作れるピーナッツバターをはさんで。もうこれが美味しすぎたのでホールフーズ日本上陸を熱望いたします。

ところで旅行を計画している時、ワイマナロ周辺は治安に不安が、という情報をいくつか見かけたので、宿を検討している時に今回泊まった宿のオーナーさんにあらかじめ確認していました。オーナーさんいわく治安面でのトラブルは今まで一度もないとのこと。ただどこでも同じだけれど、夜に一人で出歩いたりは控えた方が安心です、と。

私が実際に数日間過ごしてみて感じたところでは、近所の人たちもフレンドリーで、私自身は怖い思いをすることは全くなかった。ただ確かにビーチの近くで公園生活者?らしき人を見かけたり、そういう意味でちょっとアジアのビーチのような雰囲気はある。だから、例えばバリに行く時くらいの、安全面での心構えのようなものは必要だな、と感じた。まあこれは本当に海外どこへ行っても日本ほど安全な国はやっぱりないと思うので、当たり前の心構え程度のものだけれど。

で、今年の目標は定期的に走ること、だったので、何を思ったかハワイで走り始めることに。一度走り始めるとなんだか走らないと落ち着かなくて、短い距離だけれども結局毎日少しずつ走った。美しい海を目指して数キロ、久々すぎて息も絶え絶えでしたが、走りながら見える景色は何となく新鮮ですごく楽しかった。

治安の事があったので夜にランニング、とかはもちろんしなかったけれど、日が昇ってすぐくらいの時間に、海まで走るのは本当に気持ち良かった。同じように走っている旅行者らしき人もたくさん見かけました。そういう人とすれ違う瞬間がまたいいですね。ランニングの楽しさみたいなものを垣間見た気がする。続けていきたいなあ。いけるかなあ・・・

day5-Bellows Field Beach Park(ベローズ フィールド ビーチ パーク)でまったり

米軍のプライベートビーチで、金曜日午後と、週末のみ公開されるというワイマナロのベローズビーチ。ちょうどワイマナロ滞在が週末にかかっていたので、このビーチでゆっくりすることにしました。ワイキキに比べると信じれないくらい人も少なくて(それでもきっと一時期よりも増えているのだろうけれど。)すごくゆっくり過ごすことができた。金曜日に行った時は、最初子どもたちを見てニコニコ微笑んでくれるゲイカップルが一組いるだけで、なんだか相当平和な雰囲気でした。

ほんとーーーーーーうに美しいビーチで、何時間いても飽きない。位置的にはラニカイビーチやカイルアビーチからそれほど離れていないので海の色は同じようにほんとうに美しい。だけど砂浜の奥行きがラニカイとかよりもあるので、かなりゆったりできるように感じます。砂浜が広い分、人がいてもプライベート感が確保される感じ。ものすごくきれいな砂浜なので、子どもたちが遊ぶのにもすごくいい。ただ、波が結構高いので、子どもが海の中に入って遊ぶのはそれなりに気をつかいます。我が家は波打ち際でちゃぷちゃぷ遊んで、砂浜で遊んで、というので満足そうだったので良かったけれど。

我が家のむすめはなぜか波打ち際でひたすら海に向かって歌ってくねくね踊っていた。ほっとくとまじで20分とか30分歌い続けていた。これは何か海に捧げる祈りとかなのだろうか。。3歳児(自称エルサ)の頭の中を理解するのはなかなか難しい。

母さんはひたすら読書。しかしこの本ずっと読んでるのになかなか読み終わらない・・・。チャンドラーのミステリーはミステリーのようでいてミステリーでないというかミステリーじゃないようでいてミステリーだというか・・・(なにそれ)とにかく普通のミステリーみたいに一気に読みきらないと先が気になって気になって仕方がない!と、いう感じが全くなくてですね・・・ちまちま読んでいます。まあこういう本があってもいいよね、と、思っております。全然読み終わらないけどものすごく好きな本です、いやほんと。

ホールフーズで買ったバケットに、ターキーブレストとミックスリーフとチーズをはさんで適当に作ったサンドイッチをクーラーボックスに投げ入れて持って行って、お昼ごはんに。エメラルドグリーンの海とサンドイッチ。これだけでほんとにごちそう。普段サンドイッチを持ってお出かけなんてなかなかしないけれどハワイではできてしまう不思議。

ビーチでまったりグッズは、お宿の一角にたくさん置いてあって、ご自由に持って行って使ってくださいね、というスタイル。リゾートホテルのプライベートビーチではないため、もちろんビーチにはチェアなどのくつろぎグッズは常設されておらず、このお宿で借りられるビーチグッズがたいそうありがたかった。特にござ。ハワイでござ。いやほんと最高、ござ。

ところで関西人にとって御座候(ござそうろう)というのはメジャーもメジャーすぎて何ら新鮮味のないおやつだけれど、こないだ会社でふとその話をした時に「はっ!?なにそのネーミング!?なにそれござそうろうってなに!?えっなにそれ今川焼きじゃん今川焼きとはなにが違うの!?」と、ものすごい勢いで質問攻めにあった。いや御座候は御座候であって他のなにものでもないと思うんやけど言われてみればなんなんだ御座候って・・・・

と、いうことをハワイで思い出したかどうかはともかくとして、ハワイでもござは最高だという話。いやほんと。

オレンジジュースすら美味しいハワイならびにホールフーズの魅力。(だからほんとに日本にもホールフーズを・・・)

 

ただただ一日中、ビーチでごろごろしたり海に入って泳いだり。そういうとことん「生産性のない時間」というのが、旅をする中で一番好きな時間だなあとやっぱり思う。これが何よりの贅沢なんだ。

 

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