子育てしながらサラリーマンをする時に工夫できること

タイトルがブログっぽい。(なにそれ。)

仕事と子ども関連あれこれの両立のもやもや

フリーランスになってから初めて、いや、というか息子が小学校に入学してから初めて、台風で小学校の登校時間が遅くなった。

なるほど小学生ともなるとこういうことがあるのだ。(雨の日も風の日も雪の日も台風の日も朝からあけてくれる保育園のすごさときたら・・・)

こちらは自宅作業のフリーランス(というか失業中)という身軽な身分のため、前日に「明日の登校時間が遅くなります」と学校から連絡が入った時点ですでに、「ひゃっほい明日の朝ゆっくり寝ていられる♡」とかノーテンキに思っていたわけですが、これたった一ヶ月前のサラリーマンだった自分なら、「はいどうする仕事どうする朝から入ってるアポどうするいやどっちにしたってそのアポも台風でどうなるかわからんよなそもそもちゃんと出社できるかな。息子一人置いて出社するのも心配やしなさーどうするどうする」と、焦っていたに違いない。

もちろん台風じゃなくても、子どもがインフルエンザになったとか、学校行事があるとか、子どもをめぐるあれこれというのは、サラリーマンとの両立に置いてとてもとても高い壁として立ちはだかる。(ように見える。実際はそんなことないんやけど。)

現実問題自分の抱えている仕事とどう折り合いをつけるのか、周りの人たちにどう協力を仰ぐのか・・とか色々悩むというか、「もやもや」としてしまうところ、はやっぱりある。というか正直「子育てをしながら働く」時に日々最も戦うのは、この「もやもや」のような気がする。

人は他人の家庭の事情などまっっっっっっったく知らなくて当然

そういう時、私が一つだけ心がけていたことは、とにかくこの子ども周りのどんな細かいこともチームの人たちとすべて共有する、ということ。

「子どもが37.9℃の熱があって自宅で見なければいけないので休みます」「保育参観があるので午後から出社します」「給食の試食会(!)があるので12:00〜14:00まで抜けます」「子どもの定期検診があるので午後休みます」「台風で風が強いので登校に付き添います、10時には出社します」「マンションの管理人から電話があって鍵を忘れたって泣いてるのでちょっと一旦戻ってその後出社します(←まじであった。)」などなど。

「なぜ休むのか」「学校・園のどういう行事があるのか」というのを、あほかというくらい勝手に細かくチームに共有していた。

なぜならば!人は!他人の家庭の事情などまっっっっっっっったく知らなくて当然だからであーる。

「保育園は37.5℃以上の熱があると預かってくれない」というのは、保育園に子どもを預けている人にとっては当たり前すぎる事実だけれど、そうじゃない人にとっては「知らんがな」のことである。本当に、全くもって、そんな事実を人は知らない。

何なら、「働いている間は保育園に預けるものである」という事実も知らない人は結構いる。「未就学児は幼稚園へ行くもの」と思っている人は(子育て世代の男性でも)大勢いる。多分、大企業であればあるほど、奥さんが専業主婦という家庭が多いので、さらにたくさんいる。「午後子どもが幼稚園から帰ってきた後はどうしてるの?」と、聞かれたことが何度も何度もある。

そしてそれは、まっっっっっったく持って悪気があってのことではない。何度も言うけれど、人は、他人の家庭の事情などまっっっっっったく知らなくて当然だからであーる。人は、自分の歩んで来た道のことしか基本的にはよく知らない。それは、自分だって全く同じこと。

例えば介護を経験していない人にとって、介護って具体的にどういうことをするのかというのは実際のところほとんど何もわからない。特別養護老人ホームと有料老人ホームとサービス付き高齢者向け住宅の違いを、子育て中の私たち世代はほぼ知らない。(ついこないだまで仕事でそういうクライアントを担当していたため私は覚えたのだけれどそれまではさっっっっっっっぱり知らなかった)

だからどんなに細かいこともとにかく勝手に共有する

知らなくて当然で、だからそれがどれくらい大変なのかとか、あるいは実はそんなに大変じゃないよね、結構色々融通きくね、なのかとか、そういうことは、まずは「具体的に何があるのか」を共有しないと見えてこない。

特に直近のチームは私以外全員男性で、仕事内容は同じだけれども環境は基本的に全く違う(そして当たり前だけれども環境自体は私だけじゃなくて誰も彼も違う。)、という状況だったので、とにかくどんなことも、チーム全員にメールして共有してきた。

「また小学校行かなきゃいけないんですけどもー小学生ありえないんですけど!!!」(いやその頃あまりにも小学校の行事が多すぎてですねすみません。)と、ぶつぶつぐちぐち言いながら、「たいへんだなー!がんばれよー!」とか言われながら、なんというかもう勝手に周りを巻き込むようなイメージでやってきた。

もちろん「そんなに仕事抜けてばっかり・・・」と、良くない思いを抱く人も、いたかもしれない。でもそれは、私にはわからない。わからないし、そう捉える人がいたとしても、私にはどうすることもできない。

私にできるのは、事実をそのまま伝えて、それでもその中でやりくりをして、自分なりにできることは工夫して、日々仕事をすることだけだ。

私は、子育てをしながら、もしかすると介護をしながら、あるいは自分の病気を抱えながら、そうしてできる範囲で仕事をしていくことはごく自然なことだと思うし、それでいいと思っているし、だからできることをするまでだ、と思っている。私に他人の気持ちをどうこうできないように、私のこの考えは私のものなので他人にどう思われたとしても変えられるものではない。

そして私がそういう考えで仕事をするからには、とにかく何から何までこちらの事情を全部おおっぴらにして(なんならアウトルックに小学校行事も全部入れて)オープン!な感じでやっていくしかないのだ、と、思った。

この日は小学校にこの時間からこの時間まで行かなきゃいけなくて、多分その間は電話もメールもできません。だから午前中にここまでやっときます。終わり次第メールチェックするので何かあればメールしといてください!ということをとにかく全部共有しておく。

もしくは、この日は飲み会でパパがお迎え行ってくれるのでなんと残業ができます!遠慮なく仕事振ってくれてOKですカモン!とか。(たまの残業って最高。←社畜)

「そういうもんなのか」と、知ってもらうことがとにかく大事だなと思いながら、やってきた。

そしてその「事情」はいつか自分にも降りかかるかもしれない

そしてここで大切なのは、今自分にとって全く未知の事情が、ある日突然自分ごとになるということだってもちろんあり得る、ということ。

チームのメンバーが全員男性でも、奥さんが全員専業主婦でも、それでも何らかの事情でパパが積極的に子どもの行事に参加しなければならなくなることだって十分にあり得る。そうか昔、奥さんはこんなにしょっちゅう行事をこなしてたのか・・・と、思うことももしかしたらあるかもしれない。

そしてチームのメンバーが、またいつか子育て中の女性と一緒に仕事をする時に、その「事情」を少しは知っているというのは、「あの時ムシ(←わたし)もやいのやいの言ってたなあ。そんなもんだなあ」と思ってくれるとしたら、それはその時、お互いにとってマイナスにはならないなあ、と思う。ここまで考えるのはおせっかいですけれども。

そんなわけでサラリーマンのみなさまはプライベートを思いっきりオープンにしてみてはどうでしょうというご提案でした!(雑!)

 

神宮とスワローズとこの夏の話

基本的にスポーツ観戦というものには一切興味がなかった、去年まで

広告営業をやっていた頃、まず最初に教わったのは、お客さんの前で「政治と宗教と野球の話はタブー」と、いうことだった。

この三つはまあアンタッチャブルで、センシティブで、人を熱狂させ、対立を呼び、時に戦争をも巻き起すものだから。そんなものをビジネスに持ち込んでもろくなことにはならない、という話。

と、いうことを言われても、私には特定の支持政党はないし、一貫して無宗教だし、野球に至ってはピッチャーとキャッチャーが敵なのか味方なのかすらわからない。なのでそんな心配は無用です、もち合わせるネタが何もありません。とまあ特に何の問題もなかったわけだけれど。

そう、こと野球に関しては、どちらかというと私はずっと興味がないどころか結構嫌いだった。子どもの頃は、野球中継が延長するせいで見たいテレビ番組がいつまでたっても始まらないのが嫌だった。そもそも、私は基本的にスポーツ観戦というものに興味がない。野球にしろサッカーにしろ、特定のチームを応援するなんてダサいと思っている。自分以外の人に勝負を任せ、一喜一憂するなんて、ナンセンスだ。戦うのは常に自分でありたい。

と、つい去年というか今年の6月くらいまでずっと思っていた私の現在が。

これ。

人は何歳になっても、新しい趣味ができる、というか、人の信念なんてあっという間に変わる、という事例がこちら。

ただ、神宮で飲むビールは美味しい

スポーツ観戦音痴の私と違って、オットは昔から種別問わずスポーツを観るのが好きで、息子が生まれてからは息子も一緒に色々と観戦に行っていた。野球も行けばサッカーもラグビーも、バレーとかテニスとかも行っていた。で、私もたまに連れて行かれるわけですが、いかんせんルールが全くわからないので、ひたすら隣でビールを飲んでいた。でも、特に球場で飲むビールは最高に美味しかった。そしてドームや千葉マリンも行ったけれど、神宮のビールは格別だった。

かくして、野球を観たいオットと、ビールを飲みたい私のニーズが一致し、ちょくちょく球場へ足を運んだのが去年の夏。

神宮のビールはこんなに美味しいのだから、まあファンクラブ会員とかに入って気軽に居酒屋神宮へ足を運べるようにしようか、とファンクラブに入会したのが今年の春先。

そして、夏。

家族で一番、私がはしゃいでいる。そして、あれほどナンセンスだわと思っていた、特定のチームの勝敗に(それなりに)一喜一憂している。家でも毎日スマホアプリをチェックしている。何してるんだ私は。

スワローズは、弱い。弱いけど。

もう20年くらい、村上春樹の小説とエッセイを読み続けているため、スワローズがなんとまあ弱い、ということはなんとなく知っていた。目標は5位、と村上春樹も言っていた。(5位という順位が全体の中でどれくらいなのかは知らなかったけれど。)だからって、それにしても、弱い。弱すぎる。こんなに負けるもんですか?と、昔からのスワローズファンの先輩に聞いたところ、いくらなんでも今年は負けすぎる。と、言っていた。

だからと言って、勝つチームを応援すればいいという問題でもない。私はつい先日まで某新聞社に10年以上勤務していたため、ライバル紙であるところの某新聞社が率いる某ジャイアンツを応援することは、宗教上の理由でありえないことであった。無宗教やけど。だからまあ、東京に住んでいて、神宮のビール目当てで野球を見始めた私にとって、スワローズばかり観るようになるのはとても自然なことだったのだけれど、それにしても、弱い。

「人生、負けることに慣れることは大事」と村上春樹も言っていたけれど、それにしても、弱い。まあ、弱い。

でもちょっと、人生が豊かになる

それでも、こんなに弱いチームでも、応援することで、私はまあほんとうに、楽しい夏を過ごすことができた。ちょっと大げさだけれど、人生が少し豊かになったような気がしている。

家族みんなで何かを応援する、家族みんなで共通の好きなものを持つ、という楽しさも知った。私たち夫婦は、基本的にバラバラの性格で、共通の趣味もなく、特定の支持政党がないとはいえ毎度選挙では投票する人は合わないし、見たいテレビもバラバラだ。それで特に不便を感じたこともなかったし、居心地が悪かったこともないけれど、それでも改めて共通の好きなものを持つと、それはそれでやっぱりすごく楽しい。みんなで同じ話を共有出来る、一緒に応援できる、というのは良いものだ。

家族だけじゃなくて、友人や同僚と観戦する楽しさも知った。忘れもしない7月26日の中日戦、その日私は大好きな会社の先輩たちと、私の家族と、一緒に神宮にいた。正式に発表にはなっていなかったけれど、居合わせた人たちにはもう会社を辞めることを話していて、少しずつ、寂しいなという気持ちが増えてきた時期。

野球の行方に、自分の人生を重ねるのはそれはまたそれでナンセンスだ。と、去年までの私は思っていたのだけれど、あの日、10-0で負けていたところから、ぐんぐんと同点に追いつき、最後に延長で逆転した時のこと、その瞬間、先輩と子供たちとオットとハイタッチしたこと。そして、それをどこかで俯瞰しながら、これから人生が変わってゆく、それでも、この人たちと過ごした時間は永久に不滅です、と、どこかの巨人軍みたいなことを思ったこと。それは私の中で何らかの感触を持って、「感覚」としてしっかり刻み込まれる。これはきっと、忘れることはないのだろうと思う。

人生は自分だけの思い通りにはならないけれど、でも。

そして、あれだけ私が嫌いだった、「自分以外の誰かや何かの勝負に一喜一憂する」ことが、すごく楽しい。人生は、思い通りになんてならない。どれだけ願っても、そしてどれだけ努力したとしても、それでも報われないこと、思い通りにいかないことが山のようにある。どうしても勝ちたい勝負で、負けることが必ずある。ドラマなら、映画なら、ここで必ず勝つのに、というところで、負けるのが、それが現実だ。

そんな当たり前のことを、今さら、野球から、スワローズから、学んだ気がする。そして自分以外の誰かに(しかもあほみたいに弱いチームに)勝負を託した時に、勝った時の喜びも。自分以外の誰かが、喜んでいるのを見て、心底嬉しいと思う気持ちも。

私はとうとう、つば九郎のブログを読んで泣く、というレベルにまできている。でもこれ、ほんとに泣ける。何度読んでも泣ける。ひらがななのに。

31→77えみふる。

ものっすごく弱いスワローズを、今年から好きになったけど、でも好きになってよかったと思う。(恋か。)負けても負けても、それでもなんかいつも、ちょっと心動かされたし、今シーズン最後の試合は、もう言葉通りの消化試合で、それでもあんなに勝ってほしいと思った試合はなくて、それでも勝てなくて、それなのになんか色々感動した試合も初めてだった。

それなりにいろんな経験をしてきて、結構いろんなことを知ってきたつもりでいたけど、なんというか、まだまだ知らないことは山のようにあるのだな、と思った。球場で飲むビールがこんなに美味しいことも、スポーツのドラマがこんなに胸を打つことも。

あまり他人に心乱されたくはない。さみしとか悲しいとか、そういった想いは、正直自分の身の回りだけで十分だ。だからあまり、家族以外の人や、仕事以外の物事に、振り回されたくはない。そう今でも思っている。だけど、自分の手の届かないところで起こる何かが、自分の心を揺さぶることがすごくある。自分が読む小説ではない。観る映画ではない。ただ誰かが必死に目の前のボールを追うドラマに、振り回されてみるのも、そんなに悪いことじゃない。

と、ここまでわかった風なことを書いてきましたが、なんで私がこんなにスワローズスワローズ言うことになっているかというとひとえに以下のリンクを見ていただきたい、単に根こそぎ持ってかれてるだけです、イケメンに。

#女子のハートを根こそぎグッチ

はーかっこい。つばみになりたい。

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宮古島旅行2017夏の記憶その4 ビーチ編 来間ビーチ

宮古島のえらひ人、ぜひ。

もう10年くらい宮古宮古と言い続け、たぶん20組近く、人数にすればともすれば100人くらい(いいすぎ)は宮古に人を送り込んだ気がしておりまして、そろそろあれ、宮古島親善大使的な何かのオファーが来ないかと思ってるんですけどぜんぜん来ません。宮古島のえらい人、ぜひ。(なにが)

まあ私の好きな場所というのはだいたい全部宮古島のお友達に教えてもらったものなので、別に私が何をしたわけでもないのですが。うん。でもまあとりあえずあれ、宮古島のえらい人、ぜひ。そうこうしている今も友達から宮古にいるんやけどなんかおいしいお店教えて。と連絡が。ほら。宮古島のえらい人、ぜひ。

さてビーチ編。皆さんはビーチに何を求めますか。ビーチ編第一弾の「渡口の浜」で「子どもと一緒になってからは穴場的な人の少ないビーチに行くのがとにかくこわくなった」といったようなことを書きましたが、もともとはゆったりした人少なめビーチが好きだったわたしにとって、今も昔もかわらずとても好きなビーチ、それが来間ビーチです。

ずっと変わらず好きなビーチ

来間大橋を渡り来間島に入ってすぐにあるこのビーチ。東急に泊まっていれば一瞬でつきます。西里あたりの街中からも車で20分もあればつくんじゃないかな。とても行きやすい場所にある。

ロケーションは前浜ビーチの向かいなので、海は前浜ビーチと同じくらいきれい。砂浜も同じく、前浜ビーチのように白い砂浜ですごくきれい。その砂浜が前浜ビーチのようにずっと続くわけじゃないけれど、逆に言えば子どもが目の届く範囲に常にいてくれるので安心。(※このへん、のところが来間ビーチ。えらくざっくりだなおい。)

ちなみに全然関係ないけれど、この芸術的な地図に書き込んだ「皆愛屋」という宮古そば屋さんは衝撃的に美味しいのでおすすめです。色々なおそばやさんがあるから宮古滞在中は一日一回は宮古そば食べてる気がするけど、だんとつでここがおいしいと思う。おそばの上にゆし豆腐がのっていて、そのコンビが信じられないくらいおいしい。オットはここで、そば×お豆腐のおいしさを覚え、家でもやたらとあらゆる麺にお豆腐を入れようとするようになってしまった。いやでもほんと、それくらいおいしいです。子連れでもぜんぜんいけます、ぜひ。

あと、「ここもgood」の長間浜もなかなか良いビーチですが、ここは場合によってはかなり波が高くて(まさに今回いってみたのだけれど波が高くてビーチでちょっとだけ遊んで退散)子どもと行くにはあまり向かないかも。でもすごくきれいなビーチです。ニモもいる。

閑話休題。

この来間ビーチは、前浜ビーチ(特に東急前)ほど混雑していない。だいたい一組か二組いるかいないか、という感じ。下手すれば貸切です。でも、ほんの近くに人の気配はあって(そもそも漁港のビーチなのであたりには誰かしらいる。)子どもといても不安にならない。基本的に波が穏やかで(少なくとも私がいったときに荒れていた記憶はない。)子どもたちとも遊びやすい。そして何より、ここに流れる空気感がすごく好きです。

ものすごく喧騒から離れた場所にあるわけでもなく、ほどよく人気(ひとけ)があって、それでも静かでゆったりしていて、ただ波間にぷかぷか揺蕩うだけでなんか全部がまあいいかーと思えてくる。その空気が、すごく好きだ。

簡易テントと、本と、うずまきパンと、ポーク玉子おにぎりと、できればビールがあれば、私はここで一日中過ごせる。子どもがいても、一人でも、大人と一緒でも、同じように時間がすぎていく。

そう、私がこのビーチのいいなと思うところは、一人で来た時も、オットと来た時も、お友達と来た時も、子どもたちを連れてきたときも、変わらずいつも好きだな、と思えるところ。大人だけでも子どもたちがいても、ここはすごくいい場所だな、と思える。

それは私がどんな「立場」であれ、つまり学生であれサラリーマンであれ恋人であれ友達であれ妻であれ母であれ、どんな私でも変わらずそう思える。それはなんだかすごく、良い場所だ、と思う。どんな立場であれ、いや私は私だよな、と、その当たり前のことをここでまた知る。

ほんの少しずつ、変化してきたことと、変わらないビーチと。

世の中はカフェブーム(たぶん)で、それはもっと言えば私が初めて宮古島にきた10年以上前からそうで、その頃から宮古にはたくさんカフェができてきてた。来間島はそのさきがけのようなイメージがわたしの中で勝手にあるのだけれど、とにかく10年以上前の時点で、今もちゃんと続いているカフェが、来間島にはいくつかあった。

いかんせん教習所に免許を取りに来ている分際のわたしには交通手段がなく、来間島のカフェにいきたーーーーーいとのたまうだけだったわけですが(結局行ったんやっけ全然おぼえてない)まあ私も大人になり、あのときとった免許で車も運転できるように・・・は、ならず(ならんのかい)美しきペーパードライバーですが、まあ運転できるオットや友達には恵まれ(ありがとうございますふかぶか)宮古へいけばまあ好きな場所にいけるようにはなった。

でも結局わたしは毎年宮古へきて、ここのカフェはおさえておこう!というおしゃれな場所を求めるわけではなく、あのとき行けなかった場所に喜び勇んで行くわけじゃなく、そうじゃなくて、ただいつもと同じようにビーチへいって、同じようにゆっくり過ごして、それでああ今年もなんか、わたしは同じだな、と思って帰って行く。いつも、わたしがこの島ですることは、こうしてビーチにねっころがって、本を読むことだ。それは12年間ずっと変わらない。

それでもそういう「毎年」を繰り返しながら、少しずつ、ほんの少しずつ、変化してきたのかもしれない。

ほんの少しずつ、この島のひとたちのように生きる術を、身につけてきたのかもしれない。

それはわたしが12年前、この島で知ったこと、そして12年間で得てきた一番大きなものだ。

その間なにもかわらず、ほんとに一つもかわらず、来間島のこの小さなビーチは、ここにあり続けてくれた。なにもかもがかわってゆく世の中で、そっと「おかえり」と言うように。人生でこういう場所をみつけたことは、わたしにとってとてもしあわせだったことの一つだと思う。

だから何が言いたいかというと、宮古島のえらい人、お早めに宮古島親善大使にお声がけください。よろしくお願いします。

↓宮古島のえらい人、ご連絡はこちらから。

宮古島旅行2017夏の記憶その3 東急ホテルはすってき

やっぱり東急だね。というあれ。(なに)

後半のホテルは愛する東急ホテルへ移動。個人的には、なんだかんだこのホテルが一番好きです。こどもを連れて家族で行くならやっぱりここが一番だ、と思う。施設もホテルの人たちの程よく心地よいサービスも。そして、目の前が前浜ビーチだ、という唯一無二のロケーションはやっぱり素晴らしい。ホテルに一日こもれる。(ホテルに一日こもるのがとにかく好きなのだわたしは。)

例えば海外のリゾートに比べたら、その規模とか豪華さとか、そういうのはささやかに感じるかもしれない。ものすごく洗練されたリゾート、というわけではない。(朝食もアラマンダの方がおいしい。笑。)でも、そういうのもひっくるめて、すごくあたたかい感じがする、このホテルは。「宮古島らしいリゾートホテル」だと感じる。すごく好きです、私は。

子どもたちとも、オットとも、友達とも、夏も冬も何度か来たけれど、いつ来ても、誰と来ても、それぞれ楽しめる。大人でも子どもでも楽しめるところ、っていいな、と思う。大人のリゾートももちろんステキだけれど、大人だけで楽しんで来ていたところに子どもたちと一緒に来られる、というのはなんだかうれしい。

今回は台風が近づいていて、4日間のうち、なんと3日は遊泳禁止であった・・おまいが。でも子どもたちは散々プールで遊べて楽しそう。なんだかんだ子どもたちは、波があってしょっぱい海より、プールの方が好きなのだ。あんなきっれいな海を目の前にしてもそうなのだ。そういうもんだ、うむ。

東急のプールはそんなにめちゃくちゃ広くはないけれど、リゾート気分は十分味わえます。基本的に、私はこれくらいのプールに朝から晩までいても全く飽きない。子どもたちも全く飽きない。プール最高夏最高日焼け上等シミ怖い。(いやほんとちゃんと日焼け対策しますはい・・・)

ここは子どもの浮き輪もアームリングも無料で借りられるので、チェックアウトの日に荷物を全部まとめてしまっても(持参の浮き輪とかをスーツケースにしまいこんでも)思う存分遊べるのがうれしい。

そして夏休み期間は、毎日15時くらいからキッズイベントがあって、宝探しとか、水てっぽう射的とか、毎日日替わりのお楽しみがあって、子どもたちはこれもめっちゃ楽しそうでした。お菓子とおもちゃの景品が、なかなかツボをついていて、しかも毎日結構たんまりもらえて、ありがとう東急。という感じであった。

前浜ビーチに何度来ても、思っていた以上にきれいでびっくりする

もう何度も来ているので、いつも頭の中に「これくらいきれいだった」という記憶はちゃんと残っている。「ほんとうにきれいだよな前浜ビーチは」と、思いながら行くのだけれど、いつも、自分の頭の中で想像していたよりももっときれいでびっくりする。なんというか、何度言ってもあのきれい度に慣れない。私の中での「きれいな海」の認識レベルを軽く超えているのだなあのビーチは。

そして私の知っている中で唯一、監視員の人がちゃんといるビーチ。白浜がずーーーーーーーーっと続くきれいなビーチなので、東急前からもずーっと続いているわけですが、東急前は一応プライベートビーチになっていて、パラソルもチェアも宿泊者は無料で使えます。リゾート気分。私はこれさえあればもう十分です。いつまでもいられる。

しかしまあうちの子たちは、初めての海が宮古島だったので、もう海といえば宮古の海、みたいに思っている節がある。海といえば灰色だと思っていた私の子供時代を返して欲しい。誰にかわからんけど。ぜいたく者だ。でもこの「ぜいたく」は、自然が作り出しているものだ、というのが、宮古島のすごいところだなあと思う。

もちろん私たちは飛行機代を払って、リゾートホテルに泊まるならそれなりのお金を払って、宮古島へ行くわけだけれど、そこにある「海」自体は誰かがお金を払って作った場所でも、お金を払って楽しむ場所でもない。そこに、当たり前にある、自然なのだ。そしてそこには、海と共に暮らす人たちの生活がある。それが、すごいな、といつも思う。そしてそうして当たり前にある自然には、ちゃんと敬意を払わなきゃいけないんだよな、と思う。そして当たり前のものを「守る」ことには、お金も労力も使うべきなのかもしれない。

東急はなんだかそっとそういう自然の一部を貸し出してくれるような、どうぞ、と言ってくれるような、穏やかなあたたかさがあるように思う。そういう存在であって欲しいな、という思いも込めて。

観光と暮らし、の両立って実はそれなりに難しいのかもしれないけれど、でも、私は観光へ行く身としていつまでも宮古に「ただいま」と言って行きたいし、そして、宮古でお金を使いたいと思う。そのお金が、宮古の「当たり前のもの」を「守る」、小さな糧になることを願って。

そんなことを頭のすみっこで思いながら、私はまた今年も宮古の海で、大好きな東急で、ぼーーーーっとしていたのです。

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宮古島旅行2017夏の記憶その2 ビーチ編 渡口の浜

世界一きれいだと思われる宮古の海。

島というものがとにかく好きで、いろんなところへ行ったけれど、海は宮古島がいちばんきれいだ、と思う。ハワイもバリもランカウイもサムイも大好きだけれど、そしてタヒチは海もリゾートも最高だったけれど、海のきれいさで言えば宮古がいちばんだ。

そして宮古島のすばらしいところは、そんなに大きな島ではないのに、ビーチによってその表情がくるくる変わるところ。

THE リゾートな感じが味わえちゃうビーチも、穴場的なところも、こどもと一緒に遊べるところも、マリンレジャーが楽しめるところも(やったことないけど。)、シュノーケリングが楽しいところも、ダイビングができるところも。ゆったり過ごすのも、アクティブに過ごすのも、いろんな楽しみ方ができる。

わたしは基本的にどこにいたってゆったり(というかだらだら)過ごすのが好きなので(なんなら日々だらだら過ごすのが好きなので。。)、冬の宮古島というのもそれはそれですごく好きで、冬の(けっこう肌寒い。)ビーチで一人で二時間も三時間も本を読んで過ごす、というのも好きです。そして夜は泡盛を飲む(そればっか)。

こどもたちが楽しめるビーチ

ここ数年は宮古にはこどもたちと訪れているので、とにかくこどもたちが楽しんでくれるビーチ、へ行っている。でもそれも、こどもたちの成長に合わせて少しずつ変化してきた。それでもその変化をまるっと受け入れてくれるこの宮古の自然。最高です。

毎回行くのは、伊良部島の渡口の浜。
伊良部島は、数年前まで船でしか渡れなかったのだけれど、とうとう(ほんとにとうとう)伊良部大橋が完成して、車で渡れるようになった。美しい海にかかる伊良部大橋を車でびゅいんと渡るというのは、ご想像の通り最高に気持ちいわけですが、「美しい海をバックに車でびゅいんと渡る」ことはおそらくほとんどすべての人にとってほんのわずかな想像力で「気持ちいいにちがいない」とわかるため、ここのところはなんというか若いパーテーピープルたちでけっこうあふれている。といってもそんな大した混雑ではまったくないのだけれど。まあ、自然はみんなのものだ。大人も子供も若者もパーテーピープルもみんなのものだ。節度を持ってあいしていきたい、海を。(話が壮大になってきた)

そういったわけで橋にはパーテーピープルも溢れているが、渡口の浜はそんなに混雑していない。いやちょっと前に比べたらそりゃもう人も増えたけれど。まあ東京の人出に比べたらどこだって空いている、宮古島は。いつもそう思う。

ここは風がある日は少し波が高いのでよく見る必要があるけれど(そのときは無理せず波打ち際や砂浜で遊ぶこと、が大切かと。)なんせ最近は人もそれなりにいるから、子連れでもいけるビーチかと思います。いや、昔は、人がほとんどいない穴場的なビーチ、とかすごく好きだったけれど、子供がいると、誰もいないビーチにはほんといけなくなる。ものっっすごくこわくなる。守るべきものができるというのは、こわがりになるということだ。でも、こわがりになることを恐れちゃいけない、と、よく思う。

日よけになるものは何もないので、簡易テントのようなものがあると何かと安心。お魚がいる系のビーチではないけれど、砂浜もきれいで海の中も基本きれいでサラサラの砂なので、遊びやすいと思います。

毎年少しずつの成長を見るために

まあでもここに毎年行くのは、なんだかんんだ「毎年行っている中で見えるこどもたちの成長が見たい」からなのかもしれない。

最初は海に入ることもできなくて砂浜にずっといたのに翌年は海に入れた、泣かなかった、今年はちょっと泳げた、などなど。

旅へいくと、こどもたちの小さな成長の積み重ねが、すごくくっきりと見える。日常でもほんとうはあるのだろうけれど、なんども行ける場所じゃないからなおさら、より濃く、こどもたちの成長が見えてくる。

それはこどもたちと旅をするようになって初めて知ったことだな。新しい楽しみです。それは。

宮古島では、それをこんなきれいな海をバックに目の当たりにすることができる。最高だ。ごきげんな島です。

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宮古島旅行2017夏の記憶その1 アラマンダなんだ

今年の夏もまた宮古島へ。(1か月半前やけど)

ドタバタの最中に行った今年の宮古島。もう一ヶ月半が過ぎましたが、今年の宮古は大切なのでキオクをキロク。

宮古島という島に出会って早12年。毎年毎年、下手すれば年に2回訪れ、子どもたちですら、自分の年齢と同じがそれ以上の回数、訪れている計算になる。

去年行った宮古の記憶はこちら。基本的にこの島は何も変わらない。

2016宮古島の記憶

いつも一人で行っていた島だけれど、もしかしたらもう、こうして子どもたちと行った回数の方が多かったりするのかもしれない。もう何回行ったか数えてないからわからないけれども。

宮古島に何度も帰りながら(現地の友達はいつも、宮古へ行くと「おかえり」と言ってくれる。)私も私の周りを囲む環境も、大きく変化してきた。そして今年また、私は大きな変化を、迎えようとしています。

それでも宮古島はいつも変わらず、12年間変わらず、(そりゃあ新しいお店ができたり、古いお店がなくなったりはしているけれど)、くるくると変化し続けた私を、受け入れてくれた。そしてその度に、あー私は結局は、何も変わっていないのだな、と、思わされる。そう今年、私は多分12年前に感じた予感のようなものを、12年間かけてようやく、行動に移そうとしているから。

台風5号と9号が近づいていた7月末。今年は那覇でのトランジットは数分のみにして(いつもは1泊したり時間を長くしてDFSに寄るのだけれど・・・)とにかく早く宮古に降り立ちたい、と、なんかそんな気持ちで宮古へ向かった。

毎度この時期のオットは顔を合わせる暇がないくらいに激務であり、夏休みというものがさっぱりとれないため、もう一人で子どもたち二人を連れて飛行機に乗るのにもすっかり慣れた。そして下のむすめが3歳を過ぎたあたりから、飛行機に乗るのが格段と楽になった。

ここ数年は、同じく激務のオットを持つ友人たちと一緒に、宮古で過ごすことが定番になっている。もはや友人も、その子どもたちも家族みたいなもんなので、子どもたちは誰彼構わず叱られている。もう5年くらいずっと、そんな旅が続いている。

南の島に降りた瞬間のモワッとした空気が、なんだかとても好きだ。それはアジアの島々でもハワイでも感じるのだけれど、宮古島も例外ではない。そしてほんとうに、「あー帰ってきたな」と、思う。ただいま、と、思う。私たちをゆるくあたたかく迎え入れてくれてありがとう、と。

アラマンダはやっぱりすごいンダ(笑うところ。)

いつも宿は二つを移動する。一つはコンドミニアムや一軒家のような、過ごすように滞在できる宿。一つはいわゆるリゾートホテル。

ただし今年は一緒に行くみんな、仕事だ進学だでたいそう疲れておりまして(疲れてなかった?)今年は贅沢にホテル2か所泊まろうぜよ、ということになった。それくらいしたってバチは当たらぬ結構日々がんばっているおつかれ!

そういったわけで、一つめの宿はアラマンダ。まあもう文句なしの、リゾートです。宮古島の友人曰く、ものすごいお金持ちが、ちょう高級家具屋さんを気に入ってブランドごと買ったのちに、今度は宮古島がいたく気に入って土地ごとごそっと買って作ったリゾート。との話。ものすごいお金持ちとはすなわちユニマットのかの有名な社長さんですが、だがしかし、私はこの5年以上前の記事がすごく好きです。(ところで私は宮古毎日新聞の仕事がしたい。)

http://www.miyakomainichi.com/2011/01/12457/

排他的な島という土地において、しのごの言わず、ある意味空気をあまり読まず(たぶん)、とにかく信念というか好きなものに向かっていく姿勢というのはやっぱりものすごいものがあるなと思う。

とにかく朝食がおいしい。

そんなわけで、ユニマット帝国における(現時点での)最高リゾートアラマンダ。ここの素晴らしさは、何をさておき。朝食。です。いやほんと、美味しいのよ朝食。。。

私はホテルにおいてそんなに朝食って重視しないのだけれども。コンビニで買ったうずまきパン(宮古島名物)で良いと思ってしまう人なのだけれども。だいたい毎晩毎晩飲んでいるため朝はたいがい二日酔いで、そんな優雅に朝食を食べるテンションではまず、ない。

それでも、そんな私でも、アラマンダにおいて何を差し置いても思い浮かべてしまうものそれが朝食。ありがとう朝食。でも写真はない。なぜなら二日酔いだから。

どれもこれも美味しいのだけれど、和食の、小皿に入った大したことなさそうなやつ(失礼)がほんとに美味しいので行った人は是非食べてみてほしい。紅芋をあげたやつとか、ウコンの沢庵とか。なんか地味なんですがひたすらおいしい。是非。

氷も部屋まで持ってきてくれる。(そこ。)

あとここのホテルのすごいところは、夜中にコンシェルジュに電話したら氷を部屋まで持ってきてくれるところ。製氷機まで取りに行かなくていいんです持ってきてくれるんですすごくないですかこれ。いや高級ホテルなら当たり前なのかもしれないけれどもそんなもの泊まり慣れていない私としてはいつも感動してしまう。これで泡盛のさんぴん茶割がお部屋で飲み放題。おいしいです泡盛さんぴん茶割。

と、細かいところばかり拾いますが、チェックインのロビーも、お部屋の広さも(これはほんとにすばらしい。子どもだらけの私たちにはほんとにありがたい。子どもが寝た後別の部屋で飲めますし・・・飲むことばっかやけど。)プールのリゾート感も、どれもこれもやはりすばらしい、と思います。ただ一つマイナスポイントがあるとすれば、このホテルのプライベートプールとなっているシギラビーチは、個人的にはなんとなく人工的な感じがしてしまってあまり行く機会がない、というところ。

ですが、ホテルも人も何もかも完璧はありえない、(でも自分にとっての完璧なホテル、というのはあるけれど。)というわけで、今年もアラマンダ、最高でした。お騒がせしてすみません、ありがとうアラマンダ。

あ、あと、亀がいる。生まれ変わったらアラマンダの亀に・・・は、特になりたくないけれど・・・

初めて宮古へ行った12年前、私は驚くほどお金のない学生で、アラマンダなんてまあ遠い遠い世界だったわけで、それでもこつこつ仕事を続けていたら年に1回くらい、こられるようには、なった。(なんとか。)

またここへ戻ってこられるよう、日々がんばっていこーう、と、思える、モチベーションになる系ホテル、です。アラマンダ。アラマンダなんだ。ありがとう。

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会社を辞めて、フリーになりました。(たぶん)

息子の卒園前くらいめっちゃ泣いたこの数ヶ月

毎日更新しようと決めたのが年末頃で、美しいまでに月一更新となっているこちらのブログ、ここのところ何をしていたかと言いますと、退職手続きと送別会に追われていました。何度となく泣きました。(送別会での暖かい言葉並びに個人事業主としての手続きの煩雑っぷりの恐ろしさに。)

12年前、新聞社の広告局という部署に就職が決まった。その時母に、「この会社の名刺があれば、いろんな人に会えるし、どんな仕事もできると思う。でもいつかその名刺がなくなった時、自分の名前で、仕事をしたいと思ってもらえるようなそういう仕事を、積み重ねていってね。」と、いうことを言われた。

それは決して、会社を辞めて欲しいとかそう言った意味ではなかったと思うのだけれど、私の中でその言葉はずっと残っていて、母がなくなった後も、ずっとどこかにあって、いつしかそれは私にとっては、会社を辞めてフリーランスとして仕事をしていきたい、という思いに繋がっていった。

その思いはたぶんもう数年前からずーーーーーーっとあって、ずっとあたためていて、それでも特に出産してからの仕事のバランスや、一緒に仕事をしてきた人たちが好きすぎて、心地良すぎて、なかなか決心がつかないところもあったのだけれど、なんとなく、もう、そろそろだなあと、春先に決意した。(それからが長かったけれど・・・会社を辞める、というのは大変だ。)

新聞社で12年弱働いてきて得たもの

新聞社に入る前は、「個人の力でできないことを、新聞社という大きな組織でやりたい。」と、思っていた。(志望動機でもそんなことを言っていた気がする。)でも、12年間働いてみて、なんかものすごく大きな仕事をやり遂げたとか、社会を動かすような何かをしたとか、そういったことがあったわけでは、決してない。いつも目の前の仕事を、その小さな仕事が終わる時に喜んでくれる人の顔を、そしてその先にある、この会社があることの意味を少しだけ、考えながら、やっていたにすぎない。

専業主婦だった母が、結婚して会社を辞めるとき、「よく社会の歯車という言葉は悪い意味で使われますが、私はこの会社の歯車になれたことが嬉しかったです。」と、挨拶をしたそうだ。

今その気持ちが、すごくよく分かる。

私が12年間やってきたのは、会社の小さな小さな歯車であることだ。でも、この会社の、いろんなことがあったけど、今となっては好きな人がたくさんいるこの会社の、小さな歯車になれたことが、とてもうれしいし、そのことを、今誇りに思う。

大きな会社で、いわゆる男社会で、日本的な会社で、社会人1年目の頃から戸惑うことばかりで、あーもうしんどいな、ここでやっていくのはなかなかに辛い。と、思ったことも死ぬほどあった。なんで私はここで働いてるんだろう、もっと緩やかに働ける場所はいくらでもあるんじゃないの、と幾度となく思った。

広告営業で毎晩毎晩残業どころかタクシー帰りの日々を送ったこと。ひっどいつわりに耐えながらお客さんのところへ行って、吐きながら残業したこと。おっきいお腹でもんのすごいトラブルを抱え、大人の事情が飛び交う打ち合わせを全てお腹の赤ちゃんに聞かせ、何たる胎教だ、この子は酸いも甘いも全部知った子になるな・・・とか思っていたこと。

生まれてきた赤子があまりにもかわいすぎて、そして産休前の仕事の記憶があまりにハードすぎて、こんなかわいい子どもを預けてまで私は仕事に戻るべきなのかと悩んだこと。

確かに辛かったことは考えてみれば山ほど思い浮かぶのだけれど、でもその何もかもを思い出すときに今は、それでも助けてくれた、支えてくれた人たちの顔も一緒に思い浮かぶ。

だって私がそれでも会社を辞めなかったのは、結婚しても出産してもずっと仕事を続けてきたのは、何があったって支えてくれた、助けてくれた人たちがいたからだ。そうじゃなければ、私はずっと昔に会社も、仕事も、働くことも辞めていたと思う。そしてその人たちと仕事を重ねながら、私は「自分で考えて仕事をすること」「自分で働き方を決めること」を学んでいった。「自分で」きちんと考え決めるよう意識するようになってから、仕事はぐんぐん楽しくなっていった。

私がこの会社で得た一番大きなものは、一生かけて付き合っていきたいと思える大好きな人たちと、そして「自分は仕事が好きなのだ」という気づきだ。

辛いことも山ほどあったけれど、私はやっぱり仕事が好きだったし、そして支えてくれる、一緒に働いてくれる人たちが大好きだった。人と人が繋がっていく瞬間を見るのが、すごく好きだった。

フリーになってやりたいこと。「書く」こと「伝える」こと。

私はそもそも非常に個人的な人間で、半径5メートルくらいの世界を生きている人間で、だからサラリーマンなんて絶対向いてないのに、それでも12年間も続けてこられたのは、この会社があまりにも寛大で素晴らしいところだったからにすぎない。そして私の周りにいる人たちが、全くもうムシ(わたしのこと)のてきとうっぷりときたら。。と言いながら、いつもいつもサポートしてくれていたからにすぎない。それくらい素晴らしい環境を卒業してでも、それでもわたしはやっぱり、自分で自分の働き方と人生を、自分で作っていきたいなあと、思った。なんともまあ、わがままな決断だけれど。

そして、私が大好きな場所を卒業して、それでもやりたかったことというのは、やっぱり「書く」ことなのだ。もし自分にこの先、何かできることがあるとしたら、どこかの誰かを少し、楽しませることが、心を軽くすることが、できるとすればそれは、やっぱり「書く」ことなのだと、思う。

コンテンツの値段がどんどん下がっていくこの時代に、私が「書く」ことでどんな「価値」を生み出せるのかはまだまだわからない。それでもきっとできることがあると、信じてやっていきたいなと、思う。それが自分にできること、というか、それくらいしか不器用な自分にはきっとできない。

「書く」こと、そして「伝える」こと。

誰かが書いたものをわかりやすく編集して「伝える」こと。たとえばSNSやオウンドメディアでの「伝え方」に悩む企業のお手伝いをすること。

そして、大好きな洋服のことや、子育てのこと、そして働き方や働くということについて、「書く」こと。

「書く」「伝える」ということにはまだまだたくさんの可能性というか、人の心を軽くする何か、があるように思う。

そう、私は、就職する時、新聞社という大きな組織で、人を、人の心を動かすようなことがしたい、と思っていた。でも12年経った今、私がやりたいことは、そんな大きなことではなくて、「人の心を少しでも軽くする」ことだ。

どんな形でもいい。私が、書いて、伝えることで、誰かの心を、もやもやしたものを抱えた、小さな痛みを抱えた、そんな誰かの心を、少しでも軽くすることができるなら。

個人の力に限界を感じて、大きな組織に入りたいと、「マス」のメディアで仕事がしたいと思ったのが、12年前。今、もう一度個人に立ち戻って、小さなところからコツコツと、積み重ねてゆきたいと思っています。

「書く」「伝える」。まだまだ個人でできることに限界はあるかもしれませんが、お手伝いできることがあればお気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。私一人だけじゃなくても、こういったところならお力になれるかも、こういう人なら紹介できかも、などなど、できることがあるかもしれません。

新しい日々、新しい毎日、不安もたくさんだけれど、12年間のサラリーマン生活で学んだこと、仕事は楽しく!を、モットーに、また一から頑張ります。

↓お仕事募集中!!笑。

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13年後の「母」像

ベビーカーを押すきれいなお母さんたちを見て気づいた

街中を歩いている、ベビーカーを押すきれいなお母さんたちを見ると、若いなあ、かわいいなあ、と思うようになってしまった。ベビーカーを押しながら歩いていた時期は、私にとって、ちょっとした昔のことになってしまっていることに気づかされる。いやほんの、2、3年前のことなはずなのだけれど。

でも7歳になる息子のベビーカーを押していたのは確かにもう5年以上前になるわけで、そうするとやっぱりそれは、「ちょっとした昔」のことなのだ。あの頃とさして何も変わっていない気がしていたけれど、そんなことはない、子どもたちだけじゃない、私だって結構変化してきている。(「成長」かどうかはわからないけれども「変化」であることは確かだ。20代から30代に変化してますし・・・)

会社で「働くお母さん・お父さん向けイベント」のような企画が立ち上がった。結構盛況で、私が最初に育休復帰した6年ほど前よりも、ずっと人々の意識も、社会の意識も高まっているのだなあと感じる。

けどそういうイベントの内容を見ているとふと、「あ、もう私はターゲットじゃないな」と思わされる場面がたくさんある。保活、幼児教育、病児保育、そしてベビーカーや抱っこ紐などのグッズ、登壇するタレントさんまで。うまく言えないのだけれど、あーそんなこともあったなあ。という感想が最初に浮かんでくる。そして、自分の興味関心は、もう別のところへ向いていることに気づかされる。

それはどういうことかというと、ベビーマーケットをターゲットとしたマーケティングというのは、次々と新規のお客さんを見つけていかなければならないのだなあということであり、そして母親自身の目線でいうと、つまりそういう時期は、本当に信じられないくらい一瞬で終わってしまうということなのだ。

ほんの2、3年前に興味を持っていたはずのことが、というか、ほぼ生活の、なんなら人生のすべてに思えていたようなことが、今ではすっかり過去のことになってしまっているというのは、まあよくあるようで、しかしこと子育て周りほど顕著なものはないようにも思う。

それは子育ての悩みに関してもそうで、離乳食を全く食べないとか(ほんとに息子は食べなかった)夜に寝ないとか、母乳飲みすぎなんじゃないのとか、いや待てもう全然思い出せないや、とにかくそんなレベルで、悩み事はほんの数ヶ月、下手すれば数週間単位で変化し、そしてすっかりと忘れていく。(忘れるのは単に私の特技だからかもしれませんが・・・)

子どもたちは、この手を離してゆく

で、私は最近ものすごく実感していることがある。この子たちは、間違いなく、本当に間違いなく、私から離れてゆく。こうして、日々イライラ叱っては叱ってしまったことを後悔し、はーちょっと一人にしてくれと思ったり、あとで聞くからちょっと待ってと思ったり、なんかそんな日々は多分驚くほど一瞬で、あと少しで、終わってしまう。

息子の反抗期とか、むすめの汗疹とか、PTAの煩わしさとか、習い事のバランスの悩みとか、なんかそんなすべてはきっと、息子が成人する頃、あと13年もすれば、いやそんなに経たなくてもきっと、あーそんなこともあったな、と思うか、もしくはもはや覚えてもいないようなことになっているのだろうと思う。そして、あの頃はいつも、両手に子どもたちがいたのだな、と、懐かしく思うのだろうと思う。まちがいなく子どもたちは、私の手を、私たち両親の手を、離してゆく。それが最近なんだかすごくわかるから、近頃はことあるごとに子どもたちに「ぎゅっとさせて!」と言ってはウザがられている。いーんだいーんだ。

そう、13年という月日は、きっとあっという間なのだろう。そして、13年という月日が経つ頃には、私は、自分の母が亡くなった歳になる。それはちょっと、ものすごいことだ。私の中の「母」像は、あと13年しか残されていない。その頃には子どもたちはもうすっかり、私の手を離してしまっているのだろうけれど。

今、子どもたちを叱りながら、悩みながら、それでもすぐ近くに子どもたちの手がある時間、それはすごく愛おしい。そして、これからの13年、子どもたちがぐんぐん大人になってゆく時間を見守るのも、きっと大変なのだろうけれども、そしてすぐ寂しくなって泣いちゃったりするのだろうけれど、楽しいだろうと思う。そしてその流れの中で、私は少しずつ、その先の、子どもたちが手を離した先の「母」像を、自分で作っていかなければいけない。やっぱりそれは、私にとっては大仕事だ。

だけど。と、思う。それは、母が生きていたとしてもそうなのだろうな、と。もしかしたら母がもういない分、私は私の「母」像を、自由に生きていけるということなのかもしれない。そもそも「母」像なんて、それは自分で、作り出していくものなのかもしれない。どんな自分でも、それは自分でしかないのだから。

自分たちのコップの水が、あふれるように

母が亡くなった時、今までいっぱいだったコップの水が、もうあふれることはないのだなあと、なんだか漠然と、そう思った。家族のしあわせ、みたいなものであふれていたこのコップの水は、もう満たされることはないのだろうなあ。と。

だけど、たまたま結婚して、たまたま子どもたちが生まれ、新しい家族ができて、新しいコップの水が、また少しずつたまってきた。そんな気がする。そしてそれは、その形は、これから私たちが自分で作ってゆくのだ。子どもたちが手を離すまでに、そして手を離した後も、たくさんの水を注いで、いっぱいにして、あふれさせてゆく。そしてその水は、きっと、私がいなくなった後も、子どもたちの新しいコップに、少しだけでも注がれると良い。

あの時、母が亡くなった時、もうあふれることはないだろうと思った水は、今また、満たされ始めた気がするから。それは母が残してくれたものであり、そして、自分で作り出してきたものなのだ。そうしてきっと、続いてゆくものなのだ。

少しずつ、少しずつ。儚いけれど、確実に。

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洋服を選ぶ時の「ストーリー」

新しいもの、流行を楽しむこと

物欲低下の季節です。暑いし。いや、暑いのは嫌いではないのだけれど、なんといっても気持ちは秋冬物に向いているのに、秋冬物を見るには暑い。暑すぎる。というかまあ外に出るのも暑い。というわけで、この季節は物欲が低下する。けどこの物欲低下、季節的なものだけじゃなくて、ちょっとした考え方の変化があったんじゃないかと思い、考えてみた。

洋服を楽しむ時、やっぱりその時その時の流行りを楽しむ、というのは醍醐味であると思う。前にも書いたけれど、やっぱり流行を取り入れること、それにチャレンジすること、っていうのは自分の幅を広げることであったりもして、楽しみの一つであることは間違いない。

洋服の宿命として、どれだけ良いものでも、どうしても翌年には「これはやっぱり去年のカタチだな・・・」と思ってしまうものが出てくる。買う時はもちろん、「できるだけ長く使えるものを・・・」と思うわけだけれど、翌年にはどうしても手が伸びない、ということはままある。これはもう、仕方がないと私は思う。

村上春樹は(ほんといつも村上春樹で申し訳ないのだけれど)過去の自分の小説はほとんど読み返すことがないという。それは、どうしても「古いな」という感じがしてしまうからだと。数年前の洋服が古く思えてしまうのと同じだ、と。

洋服ほどではないにしても、なんだって、「古いな」とネガティブに感じてしまうというのはある程度避けられないことなのかもしれないなと思う。それは例えば料理の味付けとかにだってあるのかもしれない。いや私は思ったことはないけれど、私の洋服好きのベクトルが食に向いてる人は、そんな風に思うこともあるのかもしれない。

だから、去年あんなに厳選して色々買ったのに、今年もやっぱり欲しいものが出てくる、というのはごく自然なことで、ある程度はやっぱり色々アップデートしていきたい。していきたいと決意するまでもなく、どうしても毎年欲しいものは出てくる。何度も言うけれど、そういうものが人生の中で一つくらいあったったいいじゃないか、と私は思う。もちろん自分の「楽しめる」範囲で。

「欲しい」というモチベーションの変化

それでも、今年のもの、新しいもの、そういうのがどうしても欲しい!といった感覚が、少し減ったような気がしている。それはもちろん、歳を重ねて、良いものを少しずつ集めてきたから、というのもある。コートなんて、エッグクロンビーとムートンがあれば事足りると本気で昨冬思った。

けどそれだけじゃなくて、なんとなく洋服に対する考え方が変化してきたからじゃないかなとも思う。

インスタで洋服を見るようになってからの一番大きな変化は、インスタ界隈の流行りを素早く知ることができるようになったところかなと思う。私はファッション雑誌をほとんど読まないので(仕事で読むことはあれど)詳しいことはわからないけれど、多分雑誌で紹介されてバカ売れ!みたいなものが、インスタにうつってきたという流れがあったのだと思う。何を今さらという話ですが。

ちなみに私はインスタで見てこれかわいい!と思って購入する、という、この昔で言う所の(今も意外と言うのだけれど)AIDMAを絵に描いたような流れについて、決してネガティブに思っているわけではない。むしろわかりやすくて健康的でいいじゃないかと思っている。いや、持たない暮らしもシンプルライフも素晴らしいと思うし、実際良いものを長く、という方が実のところ何かと「便利」だったりするわけなのだけれど、でもそれだけじゃあ日々味気ないと思う。それは別に洋服に限らず、一つくらいは、たまには冷静な判断ができなくなっちゃうくらいに好きなものがあっても良いじゃないか、と私は思っている。何でこれ買ったんだろ、何でこれがどうしても欲しくなるんだろ、というものが一つくらいあった方が、日々張り合いが出ると思いませんか。まあこれは洋服好きの壮大な言い訳なんですけど。

ただあまりにそればかりになると、人間の心理として、この流行っているやつを手に入れておきたい、完売する前に手元に置いておきたい、自慢したい、みたいな気持ちが湧いてくるように思う。それは別にSNSが出てくる前から、人間が普通に持っていた感情として。エアマックス全盛期の頃から人々が持っていた欲望として。(すぐにエアマックスを持ち出す昭和生まれ)

でもそういう感情は、多分そんなに長続きしない。感情というか、そういうモチベーションというか。「流行っているから」「品薄だから」「自慢できるから」というモチベーションって、瞬発力はものすごくあるのだけれど、持続力はそんなにない。

それよりは、「新しい仕事を始めたからジャケットを買おう」とか、「人生の節目にバーキンを買う!」とか、そういったストーリーの方が、持続力はずっとある。婚約指輪に飽きる、ということは早々ないですよね多分。極端な話ですが。

自分は最近、そういうモチベーションでものを選ぶようになってきたのかもなあ、と、思う。だから、シーズン始めの今のうちに完売しそうなこれだけは買っておかなきゃ!みたいなことがものすごく減ったように思う。そしてこれはもしかして私だけじゃなくて、世の流れとして結構多くの人が思ってたりするんじゃなかろーかと、ちょっと思ったりしている。

メゾンが持つストーリー

こうなってくると、洋服の流行り廃りが絶対に避けられないものとはいえ、結構、去年より前のものも「古いな」と感じることなく着られたりする。それはもしかすると、一つ一つにストーリーを感じながら選んだものだからなのかもしれない。流行りとは違うかもしれない、人から見ると古いかもしれない、でもこれは自分にとって大切なストーリーのあるアイテムなのだ、と。

これから先こういう、ストーリー性のようなものはすごく大切になってくるんじゃないかなあという気がしている。そしてこれは、古くからいわゆる高級メゾンが得意として、大切にしてきたことだと思う。ヴィトンには旅行というストーリーがあり、エルメスには乗馬というストーリーがあるように。

ってこれは実は10年以上前、大学のゼミで、当時のヴィトン(LVJグループ)の社長だった秦郷次郎さんを招いてお話を聞かせていただいたことがあって、その時に秦さんがおっしゃっていたことそのものなのですが。うろ覚えすぎてもし間違っていたら本当に申し訳ないのだけれど、こういうお話だったように記憶しています。一時期、女子高生がこぞってヴィトンを持っていたことがあって、ともすれば偽物でもいいから手に入れたいというような流れが出てきてしまった。でも、ブランドってそういうものじゃない。初めてパリへ行った時、ヴィトンの本店で、その日のために頑張って貯めたお金で小さな小物を買う。そういうったストーリーこそがブランドなのだ、と。

その時に聞いたお話がものすごく印象深くて、なんでもすぐに忘れてしまう私としては珍しく覚えているわけだけれど(とはいえその話を誰と聞いたのかとかほんとにゼミで聞いたのだっけとか細部はすっかり忘れておりますが。)あれは今も通じる真理だったなあと思う。

SNSの台頭があろうと、ファストファッションがこれだけ流行ろうと、メゾンが持つストーリーっていうのは、やっぱりすごく強い、と私は思う。個人的にはやっぱりものすごく、そのストーリーの持つ力にひかれる。わくわくする。そのストーリーが「真実」であれば、だけれど。

私はファッションの専門家でもなんでもないのでビジネス視点ではわからないし、これはただの洋服好きの戯言にすぎないのだけれど、こういう、選ぶ時にストーリーを感じてわくわくできるような、そういう体験を積み重ねられるような、そんなブランドに、そしてブランドにかかわらずそういう洋服に、これからも触れていきたいなと思う。そしてそういうわくわくするようなストーリーを、私も誰かに伝えていけたらいいなと思う。

もちろん、衝動買い的にこれ欲しい!っていう短期戦な選び方もたまには楽しみながら。

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むすめ(4)、ビビディバビディブティックでエルサになる

むすめ、念願のエルサになる。

うちのエルサ・・・じゃなくてむすめ(4)が、念願のエルサになった。ディズニーランドで。

この夢の国には「ビビディバビディブティック」という夢のような施設があり、そこではこのむすめをエルサにしてくれるという夢のようなシステムがある。いやこれをシステムなどと夢のない言葉で片付けてはいけない。これがたとえ28,000円のシステムだとしてもこれはあくまでも夢である。

いやほんと、詳細はホームページを見ていただくとして、これは素晴らしいシステム・・・じゃなくて夢である。たとえ28,000円だとしても。朝8時、張り切りまくったよんさいじを、ディズニーランドホテル内にあるこのブティックに連れていく。するとかわいいお姉さんが出てきて、まずは「ごきげんよう(はーと)」のご挨拶の練習をさせてくれる。ここから28,000円・・・じゃなかった夢は始まるのである。

ご挨拶の練習が終わったらすぐに、お姉さんがたくさんのドレスから好きなものを選ばせてくれる。ちなみに予約時は「ベル!」と言っていたむすめが、当日になって頑なに「えるさ!!!」と主張し始める。よく考えるとそりゃあそうだ。なんせうちのむすめはえるさなのだ。(ご参考→ エルサ(4)の初恋 ならびに ルステーアーフェーちゃんとルッキーアーペーちゃん )むしろなぜベルに浮気した。

まあ気まぐれなプリンセスが当日になってプリンセスの鞍替えをしたとしても大丈夫。ここは夢の国なのだ。しかも28,000円を払っている。

そしてここで選んだドレスに、ブティック内で着替える。ついでに言うと、このドレスはレンタルではないのでそのままお家まで来て帰れる。つまり28,000円にはドレス代も含まれている。夢のよう。紛れもない現実だけれど。あ、あとプリンセスの靴も含まれている。黒・白・ピンクから選べて、むすめは白をチョイス。

エルサ、ヘアメイクをしてもらう

エルサのおよーふくに着替えたあとは、なんとヘアセットとメイクが待っている。いろんな髪型のパターンから選べて、むすめはもちろんえるさをチョイス。このブティックの素晴らしさはやっぱりこのヘアメイクにあると思う。ドレスはまあ正直トイザラスでも買えるわけだけれど、あの空気の中でドレスを選んだあと、キラッキラの鏡の前で、大人のヘアセットばりのしっかりしたセットをおねーさんがしてくれる。あれはもう、脳内プリンセスにはたまらない仕組みである。

しかもこの28,000円の夢のよくできているところは、ヘアメイクは、鏡を背にして、パパママの方を見ながらやってくれるところ。パパママ(28,000円をものともしない超絶親バカモード)は、我が子がプリンセスになってゆく姿を見届けながら、一方むすめは、自分がどんな姿になっているかは自分ではわからない。

H&Mで約400円で買ったつけ三つ編みとは比べものにならないレベルのエクステのようなものをつけてもらい、それを立派な三つ編みにし、キラキラの雪の結晶の形をしたヘアアクセまで散らしてもらい、軽くメイクもしてもらい、ついでにネイルまで!つけてもらい、もうむすめの心の中はテンションマックスである。であってほしい。お願いだからそうであって、だって28,000円・・(もういい)

そして最後のヘアセットの仕上げをしてもらった後、キラキラのスティックを持ったおねーさんが、とどめの魔法をかけてくれる。魔法すなわち、「ビビディバビディブー!」の魔法の言葉。なんとよくできたシステム・・・じゃなくて夢。

パパもママも息子もむすめに向かって一緒に魔法をかける。「ビビディバビディブー!」もうこの時の親のニヤニヤっぷりといったらすごい。

お姉さんがくるっと椅子を回す。そこでむすめは初めて、エルサになった自分の姿を鏡で見ることができる。これを魔法と言わずしてなんという。もうよくわかった、魔法には28,000円が必要なのだ。それが資本主義における魔法だ。

母、28,000円の重みを知る

エルサになったむすめは、なんかよくわからないけれども女子の心をつかみまくるお花がついたペンで、「プリンセス認定証」にサインをする。サインなんかできるわけないのだけれど、必死にサインする姿とかあほかわいすぎて、延々と動画を撮ってしまう。そこには、延々とただサインもどきをする姿が1分以上映っているわけだけれども何度見てもにやける。

こうして、晴れてエルサになったむすめと、1日中ディズニーランドで遊びまくれるというこのシステムじゃなくて夢。素晴らしい。ほんとに信じられないくらい一日中テンション高くて、ドレスを着て歌いおどってパーク中を移動していた。だってエルサだもんね。

脳内プリンセスのお子様を持つみなさまにはお勧めのシステム・・・夢です。

ただしテンションマックスで帰ってきたむすめに、「つぎはねー、ラプンツェルがいい!またこんどディズニーランドいって、ラプンツェルになろーね!!!!」と、きらきら言われるというおまけつき。わたしたちはその瞬間、本当の28,000円の重みを知ることとなる。

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